三章・『オールジャパン・ドラッグオープン』

3-1

「っしゃあ、完成だ――っ!」


 穏やかな日差しが入りこむ昼下がりのガレージに、正樹の雄叫びが響いた。

 叫び声を上げこそしないものの、俺と信も気持ちは同じで、表情には一仕事をやり遂げた達成感が滲む。三人とも汚れた作業着姿で、汗と油にまみれていた。

 俺たちは四月いっぱいでMR2のノーマル状態でのデータ採集を終え、五月連休に入るのに合わせて、チューニングプランをフェイズ1から2へと一気に進めていた。

 必要なパーツは一通り揃えてあったから、あとは整備説明書に従って取り付けるだけだったのだが、そこは素人の浅はかさというやつで、連休通して朝から晩まで三人がかりで作業に臨んだにもかかわらず、すべての作業が完了したのは五月連休最終日の今日、それもたった今という有様だった。


「腕がパンパンだぜ、まったくよぉ。なんで車の部品ってのはこうも重たいんだか」

「エンジンルームの奥に手を入れるような細かい作業は、ほとんど正樹に任せてしまったからね。本当お疲れさん」

「しかし、コイツの整備性が悪いのはわかっているつもりだったが、ここまでとはな……」


 国産車でも屈指の整備性の悪さは、MR2というマシンのウィークポイントの一つだった。

 ボディの中心部という限られた狭いスペースに2000CCのターボエンジンを押し込んでいるのだから仕方ないのだが、いかんせん知識ばかりが先行している素人集団には荷が勝ちすぎる作業だった。


「でも、これでようやくコイツもノーマルカー改め、チューニングカーの仲間入りだぜ」


 正樹がMR2のルーフを手のひらでポンポンと叩く。

 はじめて自分たちの手で作り上げたチューニングカーなだけに、感慨もひとしおだった。


「みんなぁー、お疲れ様ぁー。お昼持ってきたよぉー」


 通りのいい声とともに、何やら大きなバスケットを手にぶら下げて、カナがガレージに入ってくる。


「お昼にと思ってサンドイッチ作ってきたから、良かったら食べて」

「おっ、カナちゃんナイスタイミング! こっちもちょうど終わったところだぜ」


 正樹がMR2の前で自慢げ腕を広げる。


「えっ、ホント!? すごい、すごい! みんな本当に頑張ってたもんね」

「ああ、ようやく完成だ。もとから付いてるパーツを付け替えるだけだから、もっと簡単だと思ってたんだが、正直大苦戦だったな」

「だね、隆太も正樹もよく頑張ってくれたと思うよ」

「特に、手先の器用な俺さまなんか八面六臂の大活躍よ。というわけで、そんな俺にサンドイッチを食べさせてくださいな」


 正樹はそう云って、顔を突き出して口を大きく開けた。

 ただふざけてるようにも見えるが、たった今作業を完了したばかりの俺たちは、全員手が油まみれで真っ黒だった。


「アハハ、ごめんね、気がきかなくて。サンドイッチにしたのはちょっと失敗だったかも」


 正樹にサンドイッチを食べさせながら、カナはシュンと肩を落とす。


「ほーらっ、次はリュウの番だ。早くアーンしろ、アーン。カナちゃんも手ぇ伸ばして」


 急かされて俺も口を開く。


「えっと、リュウちゃん……、あ、アーン……」 


 頬をほのかに桜色に染めたカナが俺の眼前にサンドイッチを差し出す。正樹のときとは露骨に反応が違っていた。もしかしなくても照れているらしい。

 よくあることだ、と自分を納得させ、俺はカナの反応にあえて気に留めずサンドイッチに齧りついた。


「……うん、確かに美味いな。これ、中身はチキンカツか」


 極力平静を装うも、背中がむず痒くてしょうがなかった。


「二人とも仲がよろしいことで」

「今度、隣町に新しく結婚式場がオープンするらしいから、そこのお客さん第一号っていうのも悪くないかもね」


 俺はサンドイッチを咀嚼しながら、足下に落ちていたナットを拾い上げると、ニヤニヤしている二人に投げつけた。


「うぉっ! 花婿が怒ったぜ」


 茶髪と眼鏡のバカ二人組は、連れだってガレージの外に逃げてゆく。


「しょうもないやつらめ」


 ぼやきながら視線を戻すと、カナがおずおずともう一つサンドイッチをこちらに差しだした。


「あの、もう一ついる……?」

「……いただこう」


 俺はむず痒さを堪えながら、黙々とサンドイッチに齧りつく。


*****


「ごちそうさん、美味かったよ」

「お、お粗末様でした」


 むず痒い昼飯を終えて一息つく。いったいどこへいったのか、あるいは気を利かせたつもりなのか、正樹と信はまだ戻ってこなかった。


「髪、切ったんだな」


 適当に思ったことを口に出してみる。昼飯を食べていて気がついたのだが、先日と比べてカナの髪の毛が幾分短くなっていた。


「あっ、うん。昨日から従姉妹のお姉さんが家に来ててね。せっかく良い機会だから先のほうだけ整えてもらったんだ。お姉さん美容師さんなんだよ」


 カナは、髪の毛に触れながらふんわりと笑った。


「よほど、お姉さんに髪を切ってもらったのが嬉しかったみたいだな。その人って、あれか? 前にカナがお産の手伝いにいった人」

「うん、昨日はね、お姉さんの赤ちゃんも一緒だったんだ」


 赤ん坊の話をはじめたカナはどこまでも嬉しそうで、スキップでもするみたいに声をウキウキと弾ませていた。工具やら、取り外したパーツやらが散らばる油くさいガレージの中で、ほのぼのとした会話に華を咲かせているのは、なんだかシュールな光景に思えた。

 ふと、おかしくなって、俺は笑いをこぼす。すると、カナは不思議そうに首を傾げた。


「いや、すまん。ただ、こういう普通の、ごく一般的な会話ってのが久しぶりな気がしてな。ほら、ここ何日かクルマ漬けの毎日を送ってたろ」


 五月連休も今日が最終日だった。一日中、車のことを考えて、一日中、車と向き合う。そんな、ただただ一つのことにだけ集中した濃密な時間を、俺はここ数日過ごしていた。


「そっか、ほんとに凄いよね。こんな複雑な機械を、リュウちゃんたちはいとも簡単にバラバラにして、また組み立てちゃうんだから」


 云いながら、カナが後ろを振り返る。見つめた先では、俺たちのMR2がリフトに乗せられていた。


「まだまだ全然素人だよ。立っているのはまだ序の口さ」


 俺は素っ気なく云い、カナの隣に立って、ピカピカに磨かれた赤い車体を見上げた。


「そうだよ、まだまだ序の口ってのは隆太の云う通りだね」


 声がして振り向くと、ダンボール箱を抱えた信がガレージの入り口に立っていた。


「信くん、それは何?」


 カナが興味深そうにダンボールの中を覗き込む。


「これはね、ECU、エンジンコントロールユニットと云ってね。車のエンジンを制御するコンピューターと云えばわかりやすいかな。こいつは後付けのチューニング用コンピューターで、フルコンとかCPUなんて通称で呼ばれているんだ」

「ずいぶん帰りが遅いと思ったら、そいつを取りにいってたのか?」

「いや、表に出たら、ちょうど山さんの軽トラックがこっちに向かって来るのが見えてね。キミたち二人の時間を邪魔をしちゃ悪いと思って、少し離れたところで話をしていたんだ」


 ったく、よけいな気を回しやがって。


「それで、さっきカナちゃんにした話の続きだけど、序の口というのは気持ちの問題じゃなくて本当のことでね、これからが本番なんだよ。というのも、エンジンチューニングの一番のキモは、さっき云ったコンピューターを使ってのセッティングにあるんだ」


 信の云っている通りだ。俺たちが終えた作業はあくまでもパーツの取り付けのみ。次は取り付けたパーツの性能をフルに引き出すために、後付けのコンピューターを使って各回転数ごとの燃料噴射量の調整や、点火プラグのタイミング調整等を行わなければならない。

 そしてこれこそが、俺たちにもっとも不足している経験がモノを云う作業に他ならなかった。


「隆太には、明日の放課後からさっそくテスト走行に付き合ってもらうよ」

「ああ、任せてくれ。なんなら連日夜通しで付き合ったっていいぜ」

「いや、大丈夫。今の段階なら、きっとそこまでは苦戦しないよ。それなりにアテはあってね」


 信はガレージの床に置いたダンボール箱から、弁当箱を一回り小さくしたような四角い金属製の物体を取り出す。コネクターの差し込み口が付いたそれは、チューニングに用いるCPUの本体だ。


「実のところこの中には、最初からある程度使えるデータがすでに入っているんだ。それに今のMR2の状態、フェイズ2・ポン付けタービン仕様ぐらいのセッティングデータなら、ネット上にいくらでも情報が転がっている。だから、後は基本データとよそ様のデータを参考に補正をかけてセッティングを煮詰めていけば、そうそうおかしなことにはならないんだよ」


 信はCPUを手に掲げ、こともなげに云った。

 たしかに、一昔前とは違い、今ではネットを活用すれば有用な情報やデータが簡単に手に入る。それでも、情報やデータを上手く生かせるかどうかはやはり作り手次第だ。


「インターネットで情報収集とは、ほんと便利な時代になったもんだな。俺なんか昔、愛知のチューニングショップに菓子折持って情報収集にいったりしたんだぜ。それでもダメで結局はしばらくのあいだ弟子入りよ」


 そう野太い声で云って、ラフな服装の山さんがガレージ内に姿を現した。後ろには二本の太いタイヤを手に持った正樹を従えている。


「あいよ、俺からのお届け物だ。サイズは注文通り275/40/17。チョイスとしちゃあスタンダードすぎて面白みには欠けるが、ベターといえば、ベターだ」


 タイヤが床に置かれる。パターンも無難で、見た目にはなんの変哲もないありふれたタイヤに思える。


「リュウちゃん、これって凄いタイヤなの? それに二本しかないけど」


 カナは、真新しいタイヤの表面を手で撫でながら訊いた。


「これはニットー555Rっていうドラッグ用としては定番のスポーツタイヤさ。見た感じじゃわからないが、通常のスポーツタイヤよりも脇を柔らかくしてあって、意図的にタイヤをたわませることで確実に路面へ力が伝わるようになってるんだ。二本しかないのは駆動輪にだけ履かせれば事足りるからだな。どうだ、わかったかい?」

「はーい、よくわかりました」


 カナはにっこり微笑んで頷いた。

 しかし、現在の仕様では、このニットータイヤは少々オーバースペックだ。このタイヤの真価が問われるのはまだ先。チューニングプランがフェイズ3に進んでからだろう。


「じゃあせっかくだ。ヒヨッコどもの精一杯の仕事を一丁拝んでいってやるか」


 山さんはおもむろにMR2のエンジンフードを開け、車体の後ろ側にあるエンジンルームを覗き込む。今回俺たちが組んだのはあくまでタービンだけであり、エンジン本体にはまだノータッチだ。


「へえ、なかなか綺麗に取り付けたじゃないか。これ、タービンはGT2835だっけ?」

「ええ、そうです。エキマニは山さんから戴いたのを使ってます。本当はワンサイズ大きいGT3037でもよかったんですが、あくまでもステッアップを見越した仮の仕様なのでこっちにしました。程度は気にしなかったので中古で八万円ぐらいですか」


 感心してあご髭を撫でる山さんに、信が説明をはじめる。こういうときの山さんと信の顔つきは、まさしくエンジニアのそれだ。

 今回の大きな変更点は二つ。インタークーラーとタービンの大型化。

 Ⅰ型の3S―GTEエンジンはパワーを出すのに向いているわけではないが、それでも目標馬力は当初の予定通り340PS以上、セッティング次第では380PSぐらいは狙えるという。


「そういや、弄ってて気がついたんですけど、インジェクターとかはあらかじめ容量がデカイのに変えてあったんですね。クラッチも最初から強化クラッチが入ってて、おかげで安く済んだし、手間も省けてありがたかったです」


 俺は思い出したように礼を口にした。山さんは気にした様子もなく鼻の頭をかいた。


「なに、古い部品なら家にたくさんあるんだ。要はリサイクルだよリサイクル。チューニングってのはここからが本番だ。苦労も多いが、楽しいことも多い。アドバイスぐらいはしてやるからせいぜいがんばんな。俺の手を借りずにやり遂げてみせると豪語したおまえらの本気、しっかり見届けさせてもらうぜ」


 山さんは豪快に笑って俺の肩をバンバン叩く。どうやら、遠慮は無用ということらしい。


「なら、利用できるだけ大いに利用させてもらいますよ」


 俺もまたふてぶてしく笑い、「まぁ、見ててください」と、さらに言葉を続ける。釣られるように、信や正樹たちも同じような言葉を自信たっぷりに口にした。


「ふふん。いよいよ、明日からはセッティングの日々のはじまりだな。お前らがんばれよ、トライ&エラーってやつだ」


 ――トライ&エラー。


 つまるところチューニングというのはそれの繰り返しに尽きるという。

 失敗と成功の繰り返し。手塩にかけて作り上げたマシンのパワーを、いかにギリギリまで絞り出すかだけを考えトライを繰り返す。そして、幾多のエラーを乗り越えた末、正真正銘本物のチューニングカーが出来上がる。


「よし、メシも食ったし作業を再開しよう。コンピューターの取り付けは純正と付け替えるだけなんだよな」

「ああ、コネクターを外して付け替えるだけだから、取り付けはすぐ終わるよ。ところでさ、隆太……」


 信が苦笑いしながら何やら口ごもる。


「僕のぶんのサンドイッチは、もうないのかな……?」


 カナが持ってきたバスケットの中身はすっかり空だった。

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