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 ガレージの奥にあるミーティングルーム。ここに入るのは、あの告白の日以来だ。

 今日は、ホワイトボードの前に立っているのは俺ではなく信だった。

 俺が先日書いた『第0回 北鷹学園自動車愛好会ミーティング』という文字の数字のところを消して、第1回と書き換える。


「あれぇ? 第0回って書いてある。みんな、前にも集まってたの?」

「ああ、ちょうどカナが従姉妹のとこに行ってた日だ。別にたいしたことは話しちゃいないよ」

「しいて云うなら、メインドライバーが隆太に決まったことぐらいだね」

「えっ、そうなの? たしか、リュウちゃんと正樹くんのどっちがドライバーをやるかは、二人とも免許を取ってから決めるって話だったよね」


 カナがもっともな疑問を口にする。


「ああ、そのことなら、俺が辞退することにしたの。なんでもリュウの奴、大会で優勝したら、そのまま表彰台からカナちゃんにプロポーズするつもりなんだってよ」

「カナ、正樹の冗談を真に受けるなよ」

「う、うん、わかってる。それで、リュウちゃんたちはどの大会に出るのか決まったの?」

「それはだな」と、説明をしようとした俺の言葉を信が遮った。

「そこは僕から説明するよ。カナちゃんは、ドラッグレースについては知ってるよね?」

「えっと、前にリュウちゃんから教わったことある。確かゼロヨンっていうのだよね」

「アハハ……、だからゼロヨンじゃなくてドラッグレースが正式名称なんだってば」


 信は苦笑しながら、ドラッグレースについてかいつまんだ説明をする。

 1/4マイルの直線をどれだけ早く走れるかを競う短距離走みたいなレース。

 ドライバーの技術よりもマシンの性能がものを云う。

 高性能なマシンを作り上げられれば、俺たちにだって勝機はある。

 当然ながら、云うほど簡単なことではない。

 しかし、一昔前と違い、現在は情報やノウハウも手に入れやすく、加えて俺たちには設備も揃っている。

 だから、それらを上手く活用しさえすればなんとかなるかもしれない。

 極めつけとして、ことドラッグに関してならば、とびっきりに頼りになる存在が俺たちの身近にはいた。

 俺はぼんやりとガレージ内の設備を眺めながら、間もなく到着するはずのとびっきりに頼りになる誰かさんのツナギ姿を思い浮かべた。 


「――というわけで、ドラッグレース自体に関する説明はこんな感じかな。次はチューニングプランに関して説明するね」


 続けて信は、流暢にペンを動かして、ホワイトボードを埋め尽くさんばかりに文字や数字、専門用語を書き込んでいく。


「……リュウちゃんも信くんも正樹くんも、みんな凄いね。ちっちゃいころからの夢を、高校生のうちに叶えちゃったんだから」

「いいや、すべてはこれからさ。まだ何もはじまっちゃいねぇよ」

「そうそう、リュウの云うとおりだよカナちゃん、まだ肝心のマシンも届いてないわけだしな」


 壁にかけてある時計に目をやると、約束の時刻まであと一〇分だった。なんとなく胸に手を当ててみたら、わずかに鼓動が高鳴っていた。


 ……まるでクリスマスプレゼントが待ち遠しくてしょうがない子どもだな。


 自嘲してホワイトボードに視線を戻すと、ちょうど信が一通りのチューニングプランを書き終えたところだった。


・フェイズ1……テストコースにてノーマル車輌でのデータ採集。

・フェイズ2……ポン付け(純正置き換え)タービン仕様へのステップアップによるチューニングノウハウの取得(この仕様で一回以上の実戦への参戦を予定)目標馬力350PS以上。

・フェイズ3……最終段階。フルタービン仕様へのステップアップ、エンジン内部のチューニングも含む(既製品を買うことも考慮に)目標馬力500PS以上。


 ホワイトボードに書かれた文字に目を走らせながら、俺は息を飲んだ。

 タービンとは、ターボエンジンの性能の要となる加給装置のことで、当初はフェイズ2の状態が最終目標だった。予算的にもそれがギリギリだったし、何よりも技術的な問題でそれより上は荷が重いだろうと諦めていた。

 しかし今は、親父からの資金提供により予算の問題だけならあっさり乗り越えられる。

 あとは技術的な問題をどうするか。より高みへと挑戦する気概を、本当に俺たちが持っているのかどうかだ。


「あくまでプラン上のことだから、僕たちみたいな素人が本当に実現可能かどうかはわからない。はっきり言ってフェイズ3はプロの領域だ。でもね、僕はやるからにはベストを尽くすつもりではいるよ」


 コン、と信はホワイトボードを手の甲でノックする。気取った仕草だったが、目つきも表情も、真剣そのものだった。

 俺が本気であるように信もまた本気のようだ。正樹も、普段はまず見せない真面目な顔でホワイトボードをじっと睨んでいた。


「ひとーつ質問だ。山さんにはどこまで協力を仰ぐつもりなんだ?」


 正樹が手を挙げる。俺もちょうど気にしていた質問だ。


「山崎さんにはあくまでもアドバイザーに留まってもらうつもりだね。フェイズ1から3まで作業自体はすべて僕たちの手で行う。具体的な作業プランはチーフメカニックである僕が責任を持って組むよ」


 俺たちだけの手によるドラッグマシン作成。実に魅力的な響きだ。胸の奥からこみ上げてくる期待感が、武者震いを呼び起こす。


「当然ながら、いくつもの壁に突き当たるだろうね。言うは易く行うは難しだけど、全力で駆け抜けるのなら道は平坦じゃつまらないだろう」


 信は俺に片目をつぶってみせた。


「ハハ、違いねえな。道は険しければ険しいほうが走り甲斐があるってもんだ。いいね、やろうじゃないか」


 俺も口の端を吊り上げてニヤリと笑い返す。


「隆太も乗り気みたいだね。じゃあ、次はこれだ」


 信はバッグから一枚のポスターを取り出し、ホワイトボードにマグネットで留めた。


『オールジャパン・ドラッグオープン』


 張り出されたポスターには、躍動感溢れる書体で大会名が大きく踊っていた。文字の下には、タイヤからモクモクと白煙を巻き上げる黒を基調としたマーブル模様のレーシングカーの写真が載っている。

 雑誌で特集記事を読んだことがある。大手チューニングパーツメーカーがドラッグレースの振興を狙って昨年から開催しているアマチュア向けドラッグレースの最高峰だ。

 北海道、東北・関東甲信越、中部、関西・四国、九州の五ブロックに分けられ、各予選の末に、上位入賞者を対象とした全国大会が開かれ、そこで日本一を決定する。

 クラスの区分は三つ。トルク可変式の四輪駆動システムを搭載し、ドラッグレースにおいては反則的な速さを発揮する日産・スカイラインGTRや、他の駆動方式よりもトラクション性に優れるRR駆動のマシンを対象としたAクラス。

 FR駆動のマシン、中排気量の四輪駆動やMR駆動のマシンを対象としたBクラス。

 そして、駆動方式を問わず、小型で出せるパワーに限度のあるアクチュエーター式タービン(純正置き換えタービン)装着車を対象としたCクラス。

 本来、フェイズ2の状態――ローコストな純正置き換えタービン仕様が目標だった俺たちは、Cクラスへの参戦を予定していた。

 だが、俺の事情により、思い切ってプランを変更したのである。

 最終的には、Bクラスにおいて全国大会での六位以内入賞を狙う。

 それでも素人の集まりにとっては困難な目標に違いないが、信の頭の中ではすでにいくつかのプランが出来あがっているのだろう。勝ち目はあると信じたい。

「なんだか今からワクワクしちゃうね。ね、ね、全国大会の場所が仙台ってことは、みんなで牛タンとか食べにいこうよ」

「いや、俺たちは東北・関東甲信越ブロックだから、予選からすでに仙台で……」

 はしゃぐカナに、俺が話しかけようとしたときだった。


 ――――!!


 カナ以外の全員が反射的に椅子から立ち上がる。


 音が聞こえた――。


 空ぶかしと思われる軽快な排気音が二回。遠くから聞こえたその音は、徐々に厚みを増して、こちらへと近づいてくる。

 まず動いたのは正樹。バネ仕掛けのように勢いよく部屋を飛び出し、入り口のシャッターを潜って外へと駆け出していく。俺たちも急いであとに続いた。

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