【033】「女を守って死ぬのなら、悪くない」

 イーワンの状態を一言で表現するなら『満身創痍』だった。


「クソっ……」


 口内に溜まった血反吐を吐き捨て、体勢を立て直す。一息つく暇もなく、鍋太郎の使役する召喚兵たちは襲い来る。

 前後左右、加えて背後からの奇襲と上空から撃ち下ろされる様々な魔法弾。

 その全てがイーワンを削り取るように、明確な敵意と共に放たれるのだ。

 イーワンはそれを一目見て、全てを防ぐことはできないという当たり前の事実を確認する。

 反射的に脅威を判別し、迫る攻撃のうちでも『』を選別して、パリングしていく。


「――ッ!」


 当然の帰結として『見逃した攻撃』はイーワンのHPを着実に削っていく。細剣の一撃が肩を貫き、細剣に付与された魔法が起動して即座に傷口を霜で覆った。凍らされた血液が無数の針となり、肉を食む感触はなかなかに壮絶だ。

 あまりの激痛に視界が明滅する。

 

 ダメージ自体はさほどではない。だがゲームではなかった痛みがイーワンの思考を鈍らせる。

 火に炙られた肌が、肉を裂かれる痛みがイーワンから集中力を削いでいくのを実感する。

 痛みに呻きそうになる声を噛み殺しながら、口の中でイリ級魔術の詠唱を唱えた。それにより敵が放った追撃に対してパリングが成立、魔術触媒である銀棍が『振られたこと』で魔術が成立する。

 魔術は攻撃魔術ではない。イーワンはあくまで強化バフ回復ヒールを得意とする神官系のプレイヤー。起動するのは対象を自身にのみに絞った回復魔術だ。

 パリングを行うことで魔術の発動に必要な『ジェスチャー』を満たすことで戦闘中、余分な動作を省いて回復を行う。

 AWOのプレイヤー数は膨大だが、こんな数奇な戦闘スタイルを取るのはイーワンぐらいなものだ。


 泣き言はおろか今は呻き声ひとつ上げる事さえも惜しい。その一息でイーワンの力量ならば魔術がひとつ起動できる。魔術がひとつ使えれば傷が癒せる。

 傷が癒せるのなら、イーワンはまだ戦える。

 

 問題は魔力――MPの残量だ。

 回復魔術にしろ、強化魔術にしろMPは使う度に消費する。反撃に使うスキルだってMPは消費する。しかも相手は魔術師だ。イーワンなどよりもMPが多いのは明白だった。このまま消耗戦になれば当然、先に限界を迎えるのはイーワンである。


 そもそも鍋太郎は格上だ。

 イーワンを襲った盗賊たちが歯が立たなかったのは、イーワンが圧倒的に格上だったからだ。

 AWOはゲームであり、鍋太郎もイーワンもそのルールに従っているプレイヤーだ。それはつまり、自分より強いプレイヤーには勝てないという単純なルール。


 実は鍋太郎のレベルはイーワンよりも低い。イーワンのレベルは6794。対して鍋太郎のレベルは記憶が正しければ4000代後半だったはず。

 単純なレベルだけで言えば、鍋太郎はランカーの中で最も低い。が、それはむしろ鍋太郎の危険性を強調している。

 レベルが最も低いのに、鍋太郎のランカーとしての順位は第五位。五指に入る実力者だ。元々、鍋太郎は戦闘が得意なわけではない商人系のプレイヤー。そんな人物がランカーとして名を連ねている事が異常なのだ。


 ゲームの世界において、大番狂わせはほとんど存在しない。

 なぜなら現実と違い、そういった不確定要素さえも『ゲーム』には最初から織り込まれているからだ。低確率のクリティカルや特殊効果も、スキルの難易度も全て織り込んだ上で序列は決まる。

 低確率ならば、それを発動するためのあらゆる工夫を。

 難易度が高いのなら、それを確実に発動するための努力を。


 延々と積み重ねるのが『ゲーマー』という人種だ。


 鍋太郎はそれを『財力』という形で体現している。レベルは確かに低い。しかしそれはパラメーターのひとつに過ぎない。補う方法はいくらでもあり、現に鍋太郎はそうしてランカーに名を連ねているのだから。

 そうして積み重ねた実力はそう簡単には覆らない。ゲームの世界の努力は必ず報われる。積み重ねたものは決して崩れない――それが『ゲーム』だ。


 だからイーワンが鍋太郎に勝てる見込みはおおよそゼロ。当たり前のロジックとして、当然の結果として、イーワンは鍋太郎に勝てない。それは確定事項だ。


 それでも、イーワンは負けるわけにはいかない。

 勝てなくても、負けるわけにはいかない。

 勝てないということと、負けないということは矛盾しない――いや、矛盾したとしても構いやしない。

 イーワンは守ると誓ったのだ。


 それに、あそこまで大口叩いたのだ。


「今更退けるもんかよなぁ……!」


 格上である鍋太郎に曲がりなりにも対抗出来ていたのは、相性の差が大きい。

 鍋太郎が最も得意とする戦場フィールドは攻城戦、多対多の大規模戦闘でありその攻め手は『面』である。召喚兵というユニットの扱いは戦況の把握において、絶大なアドバンテージを発揮する。一方で個人戦、特に突出した個人を相手にした場合、鍋太郎の選択肢は意外なほど減らす事が出来る。

『面』で攻略できる大規模な戦闘とは違い、個人との戦闘は『点』で行われる。

 同時に攻めかかれる前衛の数はせいぜいが5人。前後左右に加えて、頭上程度のバリエーションに絞られる。それ以上はお互いの武器や身体が邪魔で満足に戦うことはできないからだ。

 本来、味方のはずの前衛を巻き込むような魔術も同じく味方が邪魔で命中率はさほど期待できないだろう。

 現にイーワンは常に自身と敵の立ち位置を入れ替えるように立ち回っている。傍から見れば激しいダンスを踊っているようにも見えるだろうその動きは、鍋太郎に自分の位置を補足させないための足さばきフットワークだ。

 パリングし、耐性崩した敵と立場を入れ替えることで背後をカバーし、即席の盾とする。こうすることで本来であるはずの死角を潰し、こちらが攻撃する手間、相手の魔術を防ぐ手間を一動作で済ませている。


 こういった小細工がイーワンの命をか細いながらも繋ぎ留め続けていた。

 結局のところ、イーワンにできることはこの程度でしかない。

 ファイを助けたい、そううそぶいたところでイーワンに出来ることなどたかが知れている。現にこうして身体を張ることが精一杯だ。

 ゲームの頃は希薄だった痛みダメージで意識が朦朧としているのだろうか。火に炙られ、肉を断たれ、骨が砕かれながら頭に浮かぶのは無数の疑問だ。


 自分はなぜ闘っているのだろう――分からない。

 自分はなぜ痛みに耐えているのだろう――分からない。


 自分でも呆れるほどに分からないことばかりだ。

 それでも身体が動く。まだ戦えている。なぜかは分からないが、それでも負けたくないと思う。

 なぜだろうか。

 分からないが、今はとにかく自分の持てる全力を出し切る。出し惜しみはしない。


「我は月に誓う――戦場いくさばに在りて我は鳥、如何いかなる刃をも届かぬ翼を持ち、敵はただ仰ぎ見る――」


 応急手当のための回復魔術を中断してまで、イーワンは何節にも及ぶ詠唱を行う。詠唱によって魔術が起動、体内の魔力が予め組み上げられた術式に従って超常を引き起こす。油断すれば意識を失いそうになるほどの高出力がかかる。

 普段から使うほかのスキルとは、文字通り魔力消費が桁違いだ。急激な魔力の喪失に伴い、貧血にも似ためまいが誘発された。

 ここで意識を手放してしまえば楽になるだろうと一瞬、甘い考えが過ぎる。それはできない。


「我は鳥、我は守護者、この翼が折れ尽きるその時まで――誓技せいぎ:白銀の七翼しちよく


 静かに詠唱が結ばれると共にイーワンの背に7枚の翼が伸びる。月光の欠片を思わせる光の破片。

 右肩を起点に三翼、左肩を起点に四翼が伸びる。

 ランカーに名を連ねるような廃人たちは皆、それぞれが固有の特殊スキルを取得している。得意分野を特化させたプレイヤーのステータスに並のスキルはついていけないのだ。故に鍋太郎の『召軍術』のように独自のユニークスキルを取得している。そのプレイヤーだけが持つ固有の能力は多様であり、自らのプレイスタイルに合わせた異端の能力だ。


「……潰せ」


 イーワンの背から伸びる左右非対称な銀翼ぎんよくもその例に漏れない。その光に目を細めながら、鍋太郎は無機質に指を振るう。

 羽のように舞う銀の粒子をかき分けるようにして、召喚兵たちがその物量ですり潰そうとして殺到する。

 しかしそれは悪手だ。

 周囲へ漂う光の粒子は単なる演出エフェクトではない。この粒子もまたスキルの一端、イーワンの感覚の一端だ。

 銀翼が羽ばたく度に周囲に舞い散る銀の粒子、それはイーワンの新たな感覚となり、粒子に触れたその全ての動きを知覚する。

 今のイーワンにおおよそ死角と呼べるものは存在しない。迫る召喚兵たちの一挙一動が手に取るように把握できた。

 それらに合わせ、銀翼が羽ばたく。

 音も無く動いたそれは幾重にも重なり、まるでまゆのようにイーワンを包み込む。攻撃の全てを銀翼が受け止めてそして、それは不意に弾けた。


「……『銀盾ぎんじゅん』」


 吐き捨てるよう、鍋太郎がその二つ名を噛み締める。

 おおよそ盾というものを持たないイーワンが『銀盾』と呼ばれるきっかけになったスキル。

 それがこの『白銀の七翼しちよく』だ。

 左右非対称の7枚の翼が自在に動き、敵の攻撃を防ぐ。そして攻撃を防ぐ度、翼は『削れる』――周囲に漂う銀の粒子はそうして削れた翼の破片だ。その破片たちは周囲をしばらく漂い、浮遊し続ける。破片になってもスキルとしての機能は失わず、敵がそれに触れればそれをイーワンに伝える新たな知覚へと変わる。

 今のイーワンには周囲の状況がまるで肌で直に触れるように、繊細に感じることができる。

 どんな武器で、どんな構えで、どんな角度で攻撃するのか。その全てを把握していれば、防ぐことは容易い。


 この翼がある限り、イーワンに攻撃が届くことはない。

 それはつまり今まで『パリング』で塞がっていた両手が空くということだ。絶え間なく召喚兵たちが突撃してくるが、その全てを銀翼で受け流し、イーワンは走り出す。

 目標は軍勢を操る将、召喚を行使する術師である鍋太郎。

 

「雑兵じゃ流石に無理があるか」


 時間稼ぎに徹していても、先に限界を迎えるのはイーワンの方だ。盾役タンクであるイーワンと、曲がりなりにも魔術師である鍋太郎ではようするMPの桁が違う。まともにやり合っていればあっという間にMPが枯渇する。

 そうなれば、守ることは出来ない。

 矛盾するようだが、守る為には攻めなければならない。相手の得意分野は膨大な『物量』――そのフィールドで戦えば四方八方から絶え間なく攻め立てられ、詰む。

 そうならない為には召喚を行使する術師を叩く必要があった。術式によって召喚されたものは、それを使役する術師さえ倒せば消える。

 鍋太郎は当然、イーワンの攻撃を防ぐしかない。そうやって敵の選択肢を奪い取る。そうすることで時間を稼ぐ。 


 鍋太郎の喉元めがけ、イーワンが放った銀婚の一撃を傍に控えていた召喚兵がその身を挺して庇った。

 無理な体制で庇ったが故に勢いを殺す事もできず、召喚兵は一撃で倒れる。


「危ねェじゃねえか、イーワン」

「大人しく食らっとけよ、成金野郎」


 当たり前だが、そう簡単に行くはずもない。

 イーワンだってそれは承知の上だ。とにかく相手のペースにはまるな。それだけを意識して、イーワンは立ち回る。


「しゃあねェなぁ。債権執行さいけんしっこう――<ハリス>」


 その名前を聞いた瞬間、イーワンの脳裏で警鐘が響く。、その嫌な予感に従い、銀翼の一枚を咄嗟に割り込ませる。

 その予感が的中し、地面が割れるほどの衝撃で分厚い刃が振り下ろされ、銀翼が破片を散らしながら削がれる。

 その一撃はほかの召喚兵たちとは比べ物にならない。


「これも防ぐかよ。さっすが伊達じゃあないな」


 振り下ろされたのは巨大な鉈だ。刃には赤錆が浮き、武骨なそれはどこか骨を思い起こさせた。振るうのは巨躯の男。熊の毛皮を被った蛮族じみた装備をしたその男はハリスという名前だったはずだ。


「サーバーランク32位、『骨砕きのハリス』。コイツはちょ~っと手強いぜ?」


 召喚されたのは元ランカー。

『骨砕き』の二つ名を持つ鉈使い。PKプレイヤーキラーギルド『アウル罪団ざいだん』の幹部だった男。

 その重量を活かした大鉈の一撃は並みの盾役タンクを容易く戦闘不能にし、戦線を崩壊させる。この男に殺されたプレイヤーは千では済まない。討伐隊が組まれたことも少なくなく、それを返り討ちにしてきた男だ。

 そして、その最期を思い出す。


「確か『骨砕き』に首に賞金を賭けたのは……」

「俺様さ。高くついたが、悪くない買い物だった」


 1対1ならば負けることはない。それだけの自負がイーワンにはある。

 だが。


債権執行さいけんしっこう――<ガガ丸>」


 無数のメダルをつけた貫頭衣を纏った黒髪の魔術師が。


債権執行さいけんしっこう――<陽炎かげろう〉」

 

 バックラーと長槍のみを手に持ち、均整のとれた筋肉がついた上半身を晒す美丈夫が。

 虚空から召喚され『骨砕きのハリス』へ続く。三者ともにその瞳に意志はない。魂の抜け落ちた鍋太郎の傀儡かいらい


「ランカーが3人……!」


 32位、39位、51位。全員がレベル3000オーバーのランカープレイヤー。

 個人に対してはあまりに過剰過ぎる戦力は、文字通り国さえも落とせるだろう。


「おいおいおいおい、イーワン。俺様を忘れんなよ、寂しいじゃねェか」


 ほんの一瞬。召喚されたランカーたちに意識を奪われたその隙にみ付くようにして、短刀が飛来する。意識の隙間を突くように投げられたそれに思わず反応が一拍遅れた。

 咄嗟に動かした銀翼が鉈で削がれた翼だったのは幸いだった。銀翼に突き立ったのは金色の刃。


盗技とうぎ:東の手練てれん


 それは盗賊系の投擲スキル。

 イーワンが僧兵モンク系のスキルを取得しているように、鍋太郎が召喚術以外のスキルを取得していてもなんら不思議はない。むしろランカーに名を連ねるほどの廃人級プレイヤーならば、戦術の幅を増やすために複数のスキルを取得していても何ら不自然ではない。

 だが、おおよそ鍋太郎と盗賊系のスキルは最悪の組み合わせだ。


目標指定マーキング窃盗スティール


 途端、銀翼の一枚が霧散する。


「直接見るのは初めてだが、やっぱり魔力で構成されてんだな」


 盗賊系のスキルはその名の通り、相手から様々なものを『盗む』ことができる。銀翼を構成する魔力を盗まれたのだ。

 銀翼は残り6枚。

 

「ランカー4人の豪華な接待だ。楽しめよ、イーワン」


 レベル3000超えの元プレイヤー3人、格上の鍋太郎、そして無数の召喚兵たち。端的に言って勝ち目はない。

 火力は足りないし、かといって退くこともできない。この状況で勝ちたいのなら、甘く見積もってもイーワンと同格程度の火力役ダメージディーラーが必要だろう。

 分かりやすい手詰まりだった。

 けれど――


「オレを楽しませたきゃ美人の女連れてきな」


 そんなことは分かり切っていたことだ。

 だからこそ、イーワンは口元を歪ませ、笑ってみせる。

 そういえばこの世界で死んだら、今はどうなるのか、鍋太郎に聞くのを忘れていた。ゲームだった頃のようにペナルティを受けて復活するのか、それとも死んだらそれは本当に『死』なのか。

 分からないが、ただひとつ確信を持てることがあるとしたら、それは。


「女を守って死ぬのなら、悪くない」


 ファイがイーワンに生きる意味をくれた。

 生まれて来なければよかった、そう思っていた。自分は生きる価値のない、生まれて来るべきではない命だったとそう思っていた。

 けれどファイは違うと言ってくれた。

 それが、どれだけ嬉しかったか。


 それだけでイーワンが命を張るには十分すぎる。

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