【029】「商談を始めよう」

 意外なことに鉱山の中は明るかった。

 坑道、と聞いてイメージしていた岩を掘り進んだ穴倉のようなものをイーワンは想像していたが、実際に見てみて圧倒された。

 そこにあったのは滑らかに磨かれた石と岩と宝石で彩られた豪奢な屋敷だ。天井こそ油断すればはりに銀棍が引っかかりそうなほどに低いが、それは背丈の低いドワーフたちに合わせてあるのだろう。

 床は顔が移るほどに磨き上げられ、石の模様がそのままに目を奪うほど美しく伸びている。壁には今にも動き出しそうなレリーフが繊細に掘られており、力強い獣や豊潤を示す晩餐をモチーフにしたものが多い。それらに混じって時折、剣や鎧といった武具の類、変わったところでは火を起こす為に使うふいごなどが混ざるのが実にドワーフらしいところだ。

 天井には魔力の炎が灯ったランタンがずらりと連なり、坑道を明るく照らしている。道を誰かが行き交う度に炎が揺らぎ、壁のレリーフの見え具合が変わるのは妖しくも幻想的な光景だった。

 美しく整備された道と大きな広間がいくつもまるでありの巣のように広がりっており、広間からは道が何股にも分かれている。おそらく、それらがそれぞれの家屋や作業場となる採鉱場、あるいは鍛冶場へと繋がっているのだろう。

 その証拠に通路の奥からはキン、カンとかねを叩く澄んだ音が聞こえる。不規則ながらもどこか賑やかなそれは活気あるリズムとなり、耳を楽しませる。熱した鉄を叩く音が、坑道に反響していくのだ。幾重にも重なるそれはまるで山が呼吸しているかのようにイーワンは思えた。

 石と鉄の里。そんな言葉が良く似合う。

 ここがファイの故郷、タータマソ鉱山。


 その鉱山の入り口、門を開いた先でイーワンたちに向けられているのは剣や槍斧だった。


「まさか門をこじ開けるなんてな、帰れ! お前ら人間にこの鉱山は渡さんッ!」

「鉱山で生まれ、鉱山で死ぬ事こそドワーフがほまれよ! お前らから鉱山を守って討ち死ぬのなら本望!」

「我らが鉄を打つのは金貨が欲しいからではないわ! 我らがドワーフだから鉄を掘り、鉄を打つのだ!」


 口々に吐かれる罵詈雑言はそのどれもが門番たちの言っていたこの焼き増しだ。即ち『お前らは呼んでいないから帰れ』である。

 屈強なドワーフたちがその手に各々武器を持ち、イーワンたちを睨みつける。その手に持つ武器はどれもが武骨ながらもしっかりと鍛えられてあるのが見て取れた。

 しかしそのどれもがそれぞれ異なる特徴を持ち、規格品でないことを感じさせる。おそらくはそれぞれが鍛冶場で自ら打った武器を慌てて持ち込んできたのだろう。中には本来戦場で槍衾やりぶすまを形成し、騎馬兵に対する為に用いられるパイクなどを持ち出す輩さえいた。

 使い慣れていない、それが歴戦のプレイヤーであるイーワンには分かる。ドワーフは筋力に優れ、威力に優れた重量武器を振り回すことを得意とする。

 しかしイーワンの銀棍のような長柄武器は手足の長さがそのまま攻撃のバリエーションとなる。手足の短いドワーフにとって長柄武器は適しているとは言い難い。

 ドワーフが得意とするのはやはりその重量を活かした斧やメイスである。ドワーフが屈強とはいえど、その誰もが戦士ということではない。

 現に集まったドワーフの民衆たちの中には、ファイと同じ童女のような姿をした女性もいた。その内、何人かは生まれたばかりの赤ん坊を抱いている。


「有象無象がわらわらと……」


 鬱陶しそうに吐き捨てるファイを守るように、イーワンは銀棍を構えて庇い立つ。

 鉱山のドワーフたちは今にもその刃をこちらへと向けてきかねない危うさがある。ドワーフが喧嘩っ早いのは門での一件で経験積みである。何かあればすぐに対応できるよう、イーワンは注意を払う。

 一触即発の雰囲気の中、人垣をかき分けて1人のドワーフが姿を見せる。

 血気立ったドワーフたちがその者に道を譲り、人垣が割れていく。

 奥から顔を見せたのは壮年のドワーフだ。


「た、タンザ殿……」


 背は低いがその腕ははち切れんばかりの筋肉が乗り、頭は見事に禿げ上がっている。しかしその顎にはファイにそっくりな赤銅色しゃくどういろの燃える炎を連想させる髭が蓄えられている。

 太い骨を感じさせる顔は四角く、年齢を感じさせるしわはまるで精巧なレリーフのような力強さを思わせた。しわは本来は老いと衰えの象徴だが、目の前のドワーフからはそれとは真逆の印象を受ける。鋭い眼差しからは活力が溢れ、煤けた肌の上を大粒の汗が流れる様を見れば、そのような言葉とは程遠いことを否応なしに実感する。

 ファイの頭よりも大きな金槌を携えたまま、壮年のドワーフはファイを睨みつける。


「どの面を下げて戻ってきた。帰れ」


 開口一番に飛び出したのは明確な拒絶の言葉。それがタンザ・タータマソの第一声。ファイの父親は娘の帰郷を拒絶した。

 タンザの言葉で周囲のドワーフたちが不気味なほどに静まりかえった。それは無言の首肯だ。ここにいるドワーフたちはこのタンザを自分たちの代表と認めているのだ。


「帰らないよ」


 しかし、その程度の言葉にファイは怯まない。怯んでいるわけにはいかないのだ。ファイには一族を救うという目的がある。

 それを実現させるわけにはここで怯むわけにはいかない。怯めるはずがなかった。


「親父。この鉱山がどういう状況になっているか、親父は分かっているのかい?」

「口出しする気か。この山を捨てたお前がこの俺に何を口出しする気だ」


 岩が喋るような低く、ひび割れた声でタンザは答える。

 ずんとその手に持つ金槌を杖のように身体の前で構え、そこに分厚い掌が重ねられる。小さな石なら容易く握り潰しそうな手だ。


「あろうことか、人間をここへ連れて来るとはな……何のつもりなんだ? 今更、俺の何が欲しい? お前は俺の教えた金槌の使い方も、鉱脈の探り方も全てを捨てて、人に寄生することを選んだんだ。お前が求めるモノなどここには何も残っていない」


 ゆっくりとした口調でタンザはファイへと問いかける。その声に時折、悲哀が混ざることをイーワンは気付いた。僅かであるが、タンザの言葉は恨みや失望だけではない。そこには悲哀があった。


「何か勘違いしているね。アタシがここに来たのはアンタの娘だからじゃないよ」


 聡いファイが、イーワンの気付いたことに気付かぬはずがない。だからファイもタンザの悲哀に気付いているはずだ。

 しかしそれに一切触れず、ファイは答える。その視線は周囲のドワーフ、特に赤ん坊を抱えた女たちに向けられる。


「他の山のドワーフを受け入れたんだろう? ……なんでそんなことをした。この山で賄いきれないのはアンタが一番よく知っているはずだ」


 大鍛冶長おおかじおさを束ねるタンザはこの山の代表といってもよい。どれほどこの山が危うい経営状況にあったのか、タンザが知らない筈がなかった。

 そこへいきなり何十人ものドワーフを受け入れればどうなるかなど火を見るより明らかだろう。

 なにせドワーフは大食漢たいしょくかんだ。人間が1人増えるのとはわけが違う。その負担はそれこそ2倍や3倍では済まない。


「あのドワーフたちは山を人によって奪われたんだ。そして山を離れ、人に混じり鉄を打てと言われたそうだ。見捨てることができるわけがないだろう」


 タンザの言葉は重く、固い。そこにあるのは当然だという価値観だ。揺らぐことのない固い意志が根底にはあるのがイーワンにも感じ取ることができた。

 しかし、だからこそイーワンには理解出来ない。


「どうして、そこまで山にこだわるんだ? このままでいいはずがない事は分かってるんだろ?」


 そうイーワンが疑問を呈した瞬間、ドワーフたちの怒気が膨れ上がった。


「山を捨てろというのかッ!」

「この山こそ我らが故郷! ここで生まれ、ここで育ちつのが生き様よ。ここで死に、ここで骨を燃やすのが死に様よ!」

「然り! 貴様ら人間の俗な試金石で儂らを図るなッ!」


 ガシャガシャと金属のこすれる音が聞こえ、ドワーフたちが一斉に矛先をこちらに向けた。応戦しようとしたイーワンを、武器を構えたドワーフを、ファイとタンザがそれぞれ手で制する。

 イーワンは当然として、ドワーフたちも不平を漏らさずに武器を渋々ながら下げる。


「人間、お前には分からんだろうな。この山は父にして母。そういうものだ。確かに今、我らは危機に立っている。しかし『父母を差し出せば助けてやる』――そう言われて、お前は自分の親を大人しく差し出すのか?」


 静かだが、断固な口調でタンザはイーワンの疑問に答える。

 その答えにイーワンは言葉を失う。イーワンにとって親というのは呪いにも等しい。

 脳裏に父の顔を思い浮かべるだけで、魂が凍てつくような恐怖がイーワンの心を支配する。それは冷たい鎖に似ている。

 イーワンの魂は未だ父という名の鎖に囚われ続けている。

 そしてタンザは言葉を続ける。


「我らは捨てん。お前は捨ててはならぬものを捨てた。ならばそれをまた拾おうなどと浅ましいことが通用する筈もないだろう」


 タンザが金槌の柄に沿えた手に力が篭る。


「それにお前は自分で俺の娘ではないと、そう言ったな? 全てを捨てたお前が振るう金槌に打つべき鉄はもはや無い」


 タンザのあの目をイーワンはよく知っている。失望と諦観がそこにはあった。

 イーワンが父から向けられた目だ。期待に応えられず、裏切られた親の目だ。脳裏に未だ焼き付いて離れない子の価値を否定する色がその目にはあった。

 疑問と共に親は思うのだろう。なぜ応えない、なぜ裏切った、とその目は語るのだ。

 イーワンはそれが怖くて、しょうがなかった。だからAWOに逃げたのだ。仮想現実に、VRMMOに、作られたゲームの箱庭へとイーワンは逃避した。

 そこにはイーワンがクリアするべき目標クエストがあった。それを達成するための明確な手段レベルがあった。ゲームは、AWOは答えてくれたのだ。

 何をすればいいのかを、どうすればいいのかを。ゲームは答えてくれたのだ。

 それがあまりに心地良くて、楽だった。だからイーワンは沈むようにAWOにのめり込んでいった。

 それが『イーワン』という███が求めた偶像だった。

 タンザの言葉がイーワンを指していたのなら、イーワンは返す言葉もなく項垂れるしかない。イーワンは捨てたから、逃げたのだから。

 だがイーワンが今、感じているのは激しい怒りだった。


「目を背けるなよ、オッサン」


 イーワンは知っている。

 ファイの苦悩を。ファイの選択を、イーワンは知っている。

 ファイは決して逃げたのではない。選んだのだ。自分で、自分自身で自分の往く道を選んだ。その結果がたまたま山を生まれ故郷を捨てることになっただけだ。

 それがどれほど痛苦を伴ったのか、イーワンには分からないが分かるのだ。

 ファイが辛かったことくらいイーワンにだって分かる。

 本当にファイが山を捨てたのなら、家族を捨てたのなら鍋太郎に挑みかかったりしなかったはずだ。あんな我を忘れた暴挙などするはずがないのだ。

 捨てたとしたらそれはタンザの方だ。

 タンザが期待に応えなかった娘を捨てたのだ。

 それがイーワンには許せない。


「イーワン。口を挟むんじゃないよ」


 しかしそんなイーワンをまたしても諌めたのは他ならぬファイだった。


「親父の……いや。タンザの言う通りだ。アタシは1度、山を捨てたのさ」

「認めるのかよっ! そんな、そんなのは……間違ってるよ! そんなはずないだろ……! だって、ファイちゃんは――」


 感情のままに続けようとしたイーワンの唇にそっとファイの指が重ねられ、イーワンは言葉を失った。柔らかい唇にファイの細くて小さな指が触れる。

 ファイはしょうがない子供を見るように小さく微笑む。


「アタシのことをちゃん付けするなって、言ったろう。いいんだよ。イーワン。ありがとね。でも、大丈夫だから」


――ずるい。


 その小さな、力強い微笑にイーワンは何も言えなくなってしまった。


「諦めるなって、諦めちゃダメだって。アンタが教えてくれたんだ。だからアタシは諦めないよ。逃げないって決めたんだよ。だから」


 指が唇から離れて、ファイは向き直った。

 タンザに――父親に向き合った。

 それは意志だ。

 逃げないという、諦めないというファイの決意だ。


「アタシは今、ここにいる。タンザの娘じゃない。山を捨てたドワーフでもない。行商人、ファイ・タータマソとして、ここに来たんだ」


 ファイが、笑う。

 口角をつり上げ、歯を剥いて肉に食らうようにファイは獰猛に笑ってみせた。その笑みに場の誰もが呑まれた。小さな、赤毛の1人の商人に確かに一瞬、意識を呑まれていた。


「商談を始めよう。大鍛冶長おおかじおさのタンザ、タータマソ鉱山の代表者として。アタシは商売に来たんだ。品物は、この山の将来だ」

「……何を」


 戸惑うタンザの問いかけは唐突に響き渡った鈴のような音に遮られる。

 振り向けばそこには見間違えようのない男が立っていた。


 三角形が幾重にも重なり合った複雑で特徴的な魔方陣。それは1度訪れた場所へ一瞬で移動することの出来る瞬間移動テレポート能力を持つアイテムやスキルを使った際に現れるエフェクトだ。

 青く輝く魔法陣を踏み砕きながら、豪奢ごうしゃなローブを身に纏った長身のエルフが歩み出る。全ての指に悪趣味な黄金の指輪を嵌め、人を食ったような不遜な笑みを浮かべる男だ。その笑みの下にはずらりと金歯が並んでいる。


「今日はいい天気だな、貧乏人ども! クハハハッ! 何もかも失うには最高の日だ! そうは思わねぇか! えぇ!?」


 サーバーランク第五位――『財』の異名を持つ金の亡者。

『守銭奴の鍋太郎』がそこにいた。

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