【027】「アタシは助けに来た」
立ち上がって最初にしたことは模索だった。
イーワンの言葉をきっかけにして、ファイは立ち上がったがそれはそれ。何か状況を打破できる策はない。やったことと言えば恥ずかしい過去を暴露して、お互いわんわんと泣きあった程度である。鍋太郎ならば一銭にもならないと鼻で笑うだろう。
それでも意味はあったとイーワンは思う。
「オレの装備を売るってのは?」
まず初めに思いついたのはそれだ。
魔刀ソローヤに鍋太郎がつけた値段が金貨2万5000枚。借金の総額が金貨5万8200枚。
途方もない金額であることは確かだが、イーワンはサーバーランク第十位の実力を持つランカープレイヤー。その装備は最高品質の
主力装備の銀棍どころか防具である外套の『
「……ダメだ。確かに金にはなるかもしれないけれど、それじゃ焼石に水だ。いいかい、借金の根本にあるのは養い切れないドワーフにある。それにアンタに借りたところで返すアテがないのは変わらないよ」
眉間に皺を寄せたファイはイーワンの返答に否と答える。確かに多少は鍋太郎の取り立てを遅らせることが出来るかもしれない。
しかし根本的な問題の解決になるわけではない。子供は減らないどころか、成長して大きくなる。それに時間をかけるほど子供は増えるだろう。それが借金の増大に拍車をかけることになるのは明白だ。
問題はドワーフが緩やかな停滞に
ゆるゆるとした衰退。鍋太郎の好きにさせれば、遠からずドワーフはその尊厳を全て捨てるだろう。問題は酒と食べ物の為に捨てる事だ。
飢えは容易く誇りを腐らせる。行く先にあるのは酒で不満と不平を誤魔化す怠惰な鉱夫たちだ。それを防ぐ為、ファイは山を出たのだからそれを食い止めなければ意味がない。
「無利子、無期限でオレは別にいいけど」
「アンタが良くてもアタシが困る。それに甘えたらそれこそ意味がないだろ」
実は鍋太郎に鉱山が明け渡されたといって、ドワーフという種族が滅びるわけではない。
鍋太郎は潰すとは言ったが、それは比喩である。実際はファイの故郷、タータマソ鉱山が完全にシラタキ商会に吸収されるということになる。
鉱山の利権、その全てをシラタキ商会が握ることになるのだ。そうなれば自ら掘り出した鉱石さえも鍋太郎の同意がなければ手がつけられなくなる。ましてや食い扶持を提供するのはシラタキ商会である。
ドワーフは生きていく為に常に鍋太郎の顔色を窺うことが必要になってしまう。鍋太郎は決してドワーフを無下には扱わないだろう。当然だ。家畜を虐げても飼い主に得はない。肥え太らせ、利益を搾り取るために飼っているのだから。
だからといって逆らうわけにもいかない。
鍋太郎の手に落ちれば、商会を通さなければドワーフの商品は誰も買ってくれなくなるだろう。シラタキ商会にはそれだけの力がある。網の目のように広がる商会の影響力は凄まじい。商会に所属する恩恵の大きさはファイも身をもって知っている。鍋太郎の意に反するということはそれらの恩恵に砂をかけることに等しい。
助けられるなら助けたいが、誰だって損はしたくない。他人と自分を天秤にかければどちらに傾くかは明白だ。それを見誤るようでは商人としては三流である。
損を避け、得を取る。当たり前のことだが、当たり前だからこそひっくり返すことは難しい。
とはいえ。
「選り好みしてる余裕もないだろ? アレに借りたらそれこそ終わりだぞ」
「まぁねぇ……」
アレとは無論、鍋太郎である。そもそも問題は鍋太郎が債券を握っている事だ。鍋太郎の専門は金融である。
イーワンの知るAWOだった頃、鍋太郎の金融は猛威を振るっていた。そもそもMMOでは何時の世もプレイヤーの一番の悩みの種は金策である。
ゲーマーは出費が多い。特にレベルが上がれば上がるほど、それは顕著になる。適性レベルの狩場では、一回の戦闘の度によほど特化した
鍋太郎が目を付けたのはまさにそこだ。
プレイヤーが欲しがるのはもっとも欲しがるのは今よりも良質な装備である。
そして自分に合った装備品は競争率が高い。強力な装備品は競争率が高く、そのほとんどが競売にかけられる。値段は物によってまちまちではあるが、高額であることが大半を占める。そういった時、欲しい装備を手に入れられるかは手元にある金貨が頼りになるのだが――先立つものがない、ということはままある。
「師匠のやり口のえげつなさはアタシだってよく知ってるよ」
商業ギルド『シラタキ商会』を運営する事ですでにかなりの資金を有していた鍋太郎は『欲しい装備が出品されているが、手持ちがたりない』――そんなプレイヤーを見つけては金を貸し付けた。無論、利子をつけて。いわゆる『ローン』という概念だ。
VR技術の発展、それに伴い人類の生活基盤は仮想空間へと移っていった。その過程で生まれたのが、婚姻をはじめとするVR上での交わされた契約書の有用性だ。鍋太郎はこれに目をつけ、借用書などを作り出した。これらはゲームシステムに縛られない法的権威を有する。
鍋太郎はこれを利用し、AWOには実装されていない証券取引を含めた金融機関を立ち上げた。多くの上級プレイヤーは高価な装備品を確実に手に入れる為に、シラタキ商会でローンを組んでいるし、大手ギルドの多くは立ち上げの際にシラタキ商会からの融資を受けている。シラタキ商会の融資を受けることができるのは一種のステータスでさえあったのだ。イーワン自身もランカーになってからは一点物の
「とにかく、タータマソ鉱山に急ごう。鍋太郎が辿り着いたら何もかもおしまいだ」
シラタキ商会の恐ろしいところは商会長である鍋太郎自身がサーバーランク第五位という実力者であることだ。
シラタキ商会の影響力もさることながら、鍋太郎自身の戦闘能力の高さが借金の踏み倒しをほぼ不可能にしている。
イーワンでさえ、鍋太郎相手には勝ち目が薄いと言わざるを得ないのだ。
「一応、聞くけどファイちゃんのお父さんって大人しく鍋太郎に鉱山を明け渡すと思う?」
「そうだったら良かったと思ったのは今が初めてだよッ!」
抵抗すれば血を見ることになるのは火を見るより明らかだ。気性の荒いドワーフが、あの鍋太郎の実効支配を大人しく受け入れるはずがない。
そして鍋太郎は取り立てに関して一切、容赦しない。
時は一刻を争う。
――◆――
方針が決まれば、行動は早かった。
荷を全て商会に預け、荷車を外した
商会を出る際にファイが探りを入れたところ、鍋太郎は商会での仕事が残っていたらしく、まだ出ていない。あれでもシラタキ商会を束ねる商会長だ。仕事はいくらでもあるのだろう。その影響力と巨大さに苦しめられている最中ではあるが、少なくてもこの一時に関しては巨大組織の動きの遅さに救われた。
ファイとイーワンは荷物もそこそこにクーメルを飛び出した。ちなみにファイは
「それで! タータマソ鉱山ってどれぐらいの距離なの!」
「アンタ……人間離れしているとは思ったがここまでとはね……」
「なに!? 聞こえなーい!!」
風切り音がうるさく、声を張り上げなければまともに会話も成り立たない。
猛烈な勢いで
足場は悪いが身軽なイーワンはひょいひょいと適当な岩場を踏み台にし、時には木の枝を足場にして進む。
イーワンたちはゴツゴツとした岩が転がる山道を駆けている。道と呼べるほどに上等なものではない。辛うじて、登ることができるといった風情の獣道だ。
イーワンひとりならば迷ってどこへ行ったものか知れたことではない。
「この調子で行けば夜明けまでには着くよ!」
ここは
そんな険しい
「というかアンタはそのペースで平気なのかい!?」
「まぁ、これぐらいならね!」
舌を噛まないように気を付けながらも、イーワンは軽口で返す。もちろん、いくらイーワンだって流石にそのままではこのようなペースで走り続ける――ましてやこんな悪路を走破することは難しい。
敏捷に特化し、俗に回避盾と言われるような
もちろん6000を超えるレベルにより得意分野以外の
そのため、イーワンは自らの敏捷性に高い補正を一時的に付与するスキル『
そのデメリットの高さと微妙な使い勝手からAWOではあまり人気が無く、イーワンも取得したものお蔵入りになっていたスキルである。まさかこんな時に役に立つとは思いもよらなかった。
ちなみに今回の宣約は『ファイを故郷まで無傷で送り届けること』だ。元より同行するつもりだったので達成は用意な宣約である。
それに。
「
ファイの頭上を飛び越えたイーワンが、胴ほどの太さほどもある大蛇を銀棍で薙ぎ払う。骨の砕ける音が響き、ファイに向かって大きく開かれていた口から赤黒い血を吐き出し、茂みへと沈む。
護衛が必要なのは嘘でも誇張でもない。クーメルと他の都市を繋ぐ街道からはかなり離れており、人の匂いがしない道にはモンスターもよく出没する。
その大半が
そんな暇はないので、イーワンが出てきた端から退治している。モンスターから取れる素材も構わずに死体はその場に捨て置いて、先をひたすらに急ぐ。
ファイの言葉通り月が沈み、辺りが曙に染まり始めた頃、ファイはクーメルを出て始めて
今まで延々と山肌が続いた景色を打ち砕くように、そこにあったのは巨大な黒金の門。見事な彫り細工が施されたそれは威風堂々といった言葉が良く似合う。
見るからに重そうなその門は来るものを阻むように閉ざされ、脇には武骨な鎧と兜で身を固めたドワーフの門番が2人いた。そのどちらもが
門番のひとりが頭より大きな肉厚の大斧を担ぎながら、ファイを一瞥する。
そして吐き捨てるように口を開いた。
「
「お前ら三下じゃ相手にならないんだよ。どきな。親父を……
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