【025】「勘違いするなよ」

「なんで……どうして、そんな……まだ期限まで余裕はあった筈だろ、師匠」


 ファイは悲痛な声で鍋太郎へと訴えかける。

 いきなり突き付けられた金貨5万枚以上の借金。鍋太郎の言葉なら2万で街が賄えるほどの大金だ。


「期限までってどういうことだ、説明してくれ」

「あぁ。テメェはそりゃ知らねェか。なに、単純な話だ。ファイが商人になったのは故郷を救う為だったのさ」


 それは以前、聞いたことがある。

 ドワーフは元々は少数民族であり、農耕や狩猟が苦手であまり食料の自給が得意ではないというのはファイと旅する間にちらりと聞いた覚えがあった。

 そのドワーフの人口が増えたきっかけは人間たちとの貿易である。貿易によって今まで手に入らなかった食料をドワーフは手に入れた。

 しかし商売下手であるドワーフはその気質から客を選ぶ。鍛冶師としての腕は確かだがその職人気質が災いして、損を掴むことも多いという。

 人間に依存するドワーフの将来を案じ、ファイは商売を学ぶために行商を行っているはずだった。


「元々、タータマソ鉱山はいくらかの大鍛冶長おおかじおさ――まぁ、鍛冶屋の代表みたいなモンだな。その大鍛冶長たちとその血縁、友人からなる鍛冶組合といった風情の集団だ。それぞれ大鍛冶長ごとに得意とする品物は違うが、そこはドワーフだ。高品質の金属製品に関しちゃ右に出る者はいねェ」


 だから、と鍋太郎は口の端を吊り上げる。

 金歯が三日月のように怪しく輝いた。


「だから買い取ってやった。そして売ってやった。アイツらが気に入りそうな強い酒! 脂の乗ったよく肥えた肉! アイツらドワーフが欲しがった物を、俺様は何でも売ってやったさ。いくらでも、際限なくな。俺様がアイツらの鉱山を訪ねてやりゃ、毎晩朝まで大宴会よ。『何者だ、コイツは?』って顔をしてたのは最初だけさ。俺様がウマい肉と酒を持ってくると知れば連中、あっさりとしたものだったぜェ。あぁ、儲かった儲かった。ありゃあボロいいい商売だったなァ」


 恍惚とした表情で鍋太郎は空中で算盤を弾いて見せる。その指はいかにも手馴れており、傍から見ていてもまるでそこに算盤があるかのよう。


「案の定、連中は気を良くして、大いに呑んで食らった。それはもうこっちが気持ちよくなるぐらいにな。あんだけ気持ち良さそうに飲み食いするんだから、売るこっちも気持ちがいいや。そうして、連中はその環境にどんどん慣れていった。あとはすっと梯子はしごを外してやればいい。足元を見た時、その梯子を持っているのはこの俺様とシラタキ商会だ」

「待てよ。単にそれだけなら我慢すりゃいい話だろ? それがなんで即破産なんてことになるんだよ」


 シラタキ商会が卸した肉も酒もそりゃあさぞ贅沢で、旨い物だろう。だがそれとて我慢できないほどではない筈だ。少なくてもすぐに破産に繋がるなんて、イーワンには思えない。


「俺様の商売のタネに気付いたのはそこのファイだけだよ。ほれ、イーワンに説明してやれよ」


 ファイは一瞬、イーワンの顔と鍋太郎の顔を見比べ、逡巡してみせたが諦めたように小さなため息を吐いて口を開いた。


「師匠が鉱山に貿易を持ち込んだ直後はアタシ達はその景気の良さに浮かれきっていた。今までの粗末な食事とキツいだけの酒とは違う、人間の食い物に目がくらんだのさ。腹が膨れて、酒もたっぷり呑んだ若い衆がすることなんていつの世だって決まってるだろう?」


 苦々しい口調でファイが告げた内容を理解するのにイーワンは少し時間がかかった。しかし不意に先ほど鍋太郎がイーワンをからかった内容を思い出す。


「子供が生まれたんだ。いつもよりも何人も、何十人も多くね。それまでなら大人たちが貯蔵庫の食料なんかを見て、ある程度若い衆にも目を光らせてたんだが……師匠のせいでドワーフは『飯を誰かから買う』ということを覚えちまった。足りなければ買えばいい、そう思っちまったんだよ」


 人口の増加。

 元のままの人口ならば、商会との貿易を断っても味気ない思いをするだけで済んだだろう。しかし子供が生まれ、増えたなら今までと同じ食料では足りない。どうしたって飢える者が出てくる。

 足りない食料をどうすればいいか。その手段もドワーフは知ってしまった――いや、目の前の男が教えたのだ。


「アタシが気付いた時にはもう、遅かった。子供は生まれ、育ち、鉱山の人口は増えた後だ。アタシの言葉に耳を傾けるヤツだっていやしない。だって現に食料は足りていたんだ。それを自分で用意したわけじゃないってだけでね」


 子供が増えれば、食料はもっと必要になる。子供は成長するし、身体が大きくなれば食べる量は増える一方だ。

 当然、今いる者の食べる量を減らすにしても限度がある。嗜好品ならば我慢すればいい。しかし、空腹は耐えられない。

 元々、ドワーフは鉱山で生きる種族だ。一朝一夕に農耕など出来るはずもない。飢えて死ぬか、人間に縋っていきるか、あるいは口を減らすか。

 どれもが一番マシかなど考えるまでもない。


「クハハッ、ドワーフなんてチョロいと思ったがなかなかどうしてファイみたいに少しは頭のいるヤツがいてな。コイツがいなけりゃもっと早い段階であの鉱山も手に入ったんだけどなァ」


 悪びれもせずに鍋太郎がしてやられた、とばかりに笑ってみせる。ファイはそれを睨みつけるが、何も言わない。


「俺様の策を見破ったコイツが言い出したのったら最ッ高だったね! コイツはいつものように商売に来た俺様に向かって『弟子にしてくれ。お前に絞られ続けるのはゴメンだ』って言い放ちやがったんだぜ! 弟子入りするのにそんな口上があるかよ! クハハハハッ!」

「仕方がないだろ……仮に師匠を殺したところで、もう事態はどうしようもない。生まれた子供がいなくなるわけでも、ドワーフで自給自足が出来るようになるわけでもない。むしろ師匠がいなくなって困るのは飢えるドワーフだ」

「それで……弟子入り? コイツに?」


 理屈は分かるがあまりにその、趣味が悪い。

 イーワンならば鍋太郎を師匠と呼ぶなんて、絶対に嫌だ。ファイにとってそれ以外の選択肢がなかったろうことは分かるが、それにしたってあんまりだ。


「商売を学んで、俺様から鉱山を取り戻す、だとよ。笑っちまうぜ。俺様は魔王か、何かかっつーの。魔王なら『妖』のヤツがいるってのにな?」

「……とにかく、アタシは商売を学んで鉱山の出資を管理するつもりだった。師匠にやらせてたら、それこそ骨の髄までしゃぶりつくされるに決まってる」


 それにはイーワンも同意する。というか間違いなくそのつもりで鍋太郎は経済侵略を仕掛けたはずだ。


「アタシはシラタキ商会の商人として、商売のノウハウを学んで故郷と商会の窓口になるつもりだったんだよ。完全にタータマソ鉱山が破綻するまではまだ2、3年の猶予があったはずだ」

「あのまま、だったらな」


 黄金の杯に注いだ酒を含み、鍋太郎は髪をかき上げる。金色の細い髪はそれだけ見ればまさにエルフの美しいのそれだが、その下に現れるのは経済という巨大な大海を自在に泳ぐ化け物の顔だ。

 値踏みするような細められた目、金の匂いに歪む口元を隠そうともせず鍋太郎は告げる。


「ファイ、お前は頭の回転も悪くないし、目の付け所はいいんだが……まだまだ詰めが甘いなァ。俺様が他のドワーフの鉱山にもと思わなかったのか?」


 場の空気が変わるのが分かった。

 ぞっとするような悪寒が背筋を走る。鍋太郎は変わらずわらっている。

 ファイが真っ青な顔をして、立ち上がるが鍋太郎は動じない。


「師匠ッ! アンタ、まさか……!」

「遅い。遅いぜェ、ファイ。教えたろ、油断するな。商人は常に他の商人を出し抜こうとしている。テメェが俺様を出し抜こうとしたようにな。もっとも、こっちはテメェが弟子入りする前、要はタータマソ鉱山と並行して手を伸ばしたモンだけどな! クハハッ!」


 金を操ることにかけて、この男の右に出る者は他にいないだろう。この男の行動原理は常に金を儲けることそれのみに向けられている。故に行動がブレることはないし、それに対して躊躇いもない。


「経済破綻した理由は他の鉱山でまかない切れなくなったほかのドワーフを受け入れた結果らしいぜ。そりゃあ、あの規模じゃすぐに難民の受け入れなんて無茶だわな。ファイ、テメェみたいに賢いドワーフは他にはいなかったんだよ」

「アンタって人は……! 情ってヤツがないのかい!」


 激昂するファイの腕をイーワンは咄嗟に掴む。

 イーワンが出来るのはそのくらいしかなかった。ファイはそれだけで動きを止める。元から本気で殴りかかるつもりなどなかったのだろう。ファイはさとい。

 ファイはイーワンの手を振りほどこうとすらしない。

 ただ眉をつり上げ、唇をぎゅっと噛み、ひたすらに鍋太郎を睨み続ける。

 不意にイーワンの手に雫が落ちた。

 ぽろぽろと大粒の涙がファイの大きな瞳から零れていく。それは鍋太郎か、それともファイ自身への無力感からか。きっとファイにも分からないのだろう。

 涙は止まらない。

 溢れる想いの大きさを代弁するかのように、その小さな頬を伝い、服へと涙のしみを広げていく。

 イーワンはなんと声をかけていいか、分からなかった。ただ震えるファイの腕を強く、握った。手放してしまわぬように。なぜかは分からないけれど、力を緩めてはいけない気がした。


「勘違いするなよ。ファイ」


 恐ろしく冷たい声音がファイの耳を打つ。


「俺様には情も血も涙もあるさ。だがそれに値段はつける。お前のそれはただのワガママだ。俺様の涙も情も買えない安っぽい涙だ」


 人の形をした金の亡者が静かに宣告を告げる。その声は驚くほど低く、響く。


「テメェは行商人として何を見てきやがった。村を巡って、街を巡って、テメェは何を見てきやがった」

「……それは」

「聡いテメェだ。分かってんだろう。テメェらドワーフが好き放題飲み食いした飯も酒も、誰かが人生賭けて作ってる代物だ。それに価値をつけるのはなんだ……? 金だ! 金なんだよ! 金だけがその代物に絶対的な価値を保証する!」


 鍋太郎の強い言葉にファイはビクリと身を竦ませるのが分かった。

 そうだ、ファイは行商人として人の村を巡った。分からない筈がないのだ。この世にあるその全ての商品が誰かしらの労力であることをファイは知っている。残酷なほどに知っている。


「だから俺様は情にも値札をつけるんだ。それだけがその価値の証明になる。金は支払わなくちゃいけねェ。それが価値だ。それが意味だ」


 鍋太郎は僅かに苛立ちの混ざる声で、ファイを容赦なく突き刺す。

 この言葉がどれほど鋭いか、イーワンには想像することしかできないがきっとファイには恐ろしい切れ味であろうことは分かった。

 カルハ村に白晶犀はくしょうさいの角をおいてきたファイには、そこに人が住んでいることを知っている。行商人として商会に所属するファイは商いで生計を立てる人がいることを知っている。

 それらを支えるものはなんなのか。

 それが血も涙も通わぬ金であることをファイは知ってしまっている。


「金は取り立てる。それが俺様の仕事だ。シラタキ商会の商会長としてのな。泣きたいならそこでいつまでも泣いていろ」


 そう言って、鍋太郎は席を立つ。

 ファイを一瞥し、小さく舌打ちをして部屋を出て行ってしまった。イーワンは止める言葉を持たない。

 残されたのは涙を手の甲で拭うファイと何もできないイーワンだけだ。

 ファイの涙は拭えど拭えど、止まらなかった。

 イーワンには何をすることもできず、ただファイの腕を離すことだけはしなかった。

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