Second Erosion phase#1

 人の気配を感じて目を開けると、すぐそばに舞の端正な顔があった。

「…………」

 さすがに通算で三度目ともなれば、大仰に驚くこともなくなる。しかし、それが慣れに繋がるかといえば、そんなことはなかった。

 悠はゆっくりと上体を起こし、傍らに正座する舞へ挨拶した。

「……おはよう」

「ん」

 舞があごを引いて小さくうなずく。

 制服にエプロン姿の舞をぼんやりと眺めながら、悠がは口を開いた。

「あのさ」

「……?」

 首をかしげる舞に向かって、言葉を続ける。

「いつもそんな風に起こしてくれなくてもいいよ。自分で起きられるから」

 顔を近づけられるのが気恥ずかしい、とはさすがに言えなかった。

「……苦しそうだった。昨日みたいに」

 心配してくれているのだろうか。表情のとぼしい舞の顔からはどんな感情も読み取れなかったが、悠は小さく笑ってみせた。

「ぼくは大丈夫だよ。毎日の儀式だと思って、気にしないでいてくれれば」

 我ながら無茶なお願いだとは思ったが、舞は素直にうなずくと膝をくずして立ちあがった。

「朝ごはん……」

「うん、ありがと」

 上掛けとして使っていた毛布をたたんで布団の足元側に寄せ、ダイニングキッチンへ向かう舞のあとに続く。

「うわぁ……」

 食卓には、これまで悠が見たことすらないような料理も並んでいた。

 ペンネを使ったトマトソースベースのスープパスタ。

 醤油とバターで下味を加えた生鮭のソテー。

 レタスの上にトマトやパプリカを乗せた、彩り鮮やかなサラダ。

「こういうの、作るの大変なんじゃないの?」

 椅子を引いて食卓につきながら、悠はテーブルをまわって自分の席に向かう舞に問いかけた。

「コツを覚えれば、けっこう簡単」

「そうかなあ……」

 まともな料理を作った経験のない悠だったが、傍目から見ても料理のグレードが次第にあがっているような気がする。

 あまりエスカレートするようなら、凝った料理は自粛するようお願いしなきゃいけないのかな、などと益体やくたいもないことを考えながら、悠は席についた舞と一緒に両手をあわせた。

「いただきます」

 スープパスタにスプーンを入れ、ひとさじすくって口に運ぶ。酸味の利いたトマトスープがペンネにほどよく絡んで、噛むたびに複雑な味がひろがった。思わず笑みがこぼれそうになるほどの美味しさだった。

「うん、美味しい」

 じっとその様子を見つめていた舞が、ほっとしたような雰囲気で──表情がほとんど変わらないので悠の推測でしかないのだが──スプーンを取り、ようやく自分の食事をはじめた。

 窓から差し込む優しい朝の光の中、穏やかな時間がゆっくりと流れていく。

 ──あの戦いの後、梓野と合流した二人はそのまま六浦市支部へ連れて行かれ、結局学校を休んだ。

 精密検査や事情聴取などで時間を取られ、二人が解放されたのはすっかり陽も落ちようかという時間帯だった。

 特に、表面上は無傷でも深刻なダメージを受けた舞が、長時間の検査に拘束されたのは当然として、悠もまたほぼ同じだけの時間をかけ、主に精神面のストレスチェックを受けていた。

 その扱いに思うところがなかったと言えば嘘になる。だが、支部の面々が慎重になる理由も理解していた悠は、流れにまかせていくつもの検査をこなしていった。

 その後の聴取では、取り立てて語るべきことは何もなかった。悠と舞が話す内容を、梓野がレポートに起こしていく作業につきあっただけだ。二人に気をつかった梓野が、やや過剰ともとれる休憩をいくつもはさんだことも、解放が遅れた原因のひとつではあった。

 悠と舞を襲った二人のは、支部に回収された。今も、身元の洗い出しが進められているはずだ。もっとも、雇われの身だった彼等から有益な情報が得られるとは考えにくい、との率直な見解を、悠は梓野から告げられていた。

 おとりも含め、総勢二十名前後の実戦部隊による悠の拉致。

 舞が悠のそばにいなければ、また六浦市支部が後手にまわって襲撃を受けていれば、その目的は達成されていただろう。紙一重ではあったが、惣一郎の綿密な情報収集と先読みの勝利でもあった。

 すべてのタスクを終わらせ、最後に挨拶のために支部長室へ寄った際、その惣一郎から、悠はこのまま学校へ通い続けるよう指示を受けた。

 それは、ある意味悠にとっては意外な指示でもあった。が悠の拉致をあきらめていない可能性がある以上、よりセキュリティの高いUGNの施設へ送られてもおかしくはなかったからだ。

 その疑問を惣一郎へぶつけてみると、「まあ、必要になったら考えるよ」といつもの調子ではぐらかされてしまった。

 そこまで言われては、悠が食いさがって支部の方針に異をとなえるわけにもいかない。

 その代わり、舞による護衛は継続となった。だから、こうして今、舞と一緒に朝食を囲んでいる。

 先行きに不安がないとは言えないが、美味しい食事をとっているとそうした不安も軽くなってくるから不思議だ。

 卓に並べられたすべての料理を食べ終えて、悠は手を合わせた。

「ごちそうさまでした」

 食後のお茶を飲みながら舞の食事が終わるのを待ち、食器をまとめてキッチンのシンクへ運ぶ。舞が料理を作り、その後片付けを悠が行なうこのサイクルも、いつのまにか習慣になりつつあった。

 食器を洗い終え、洗面室で制服に着替える。軽く身だしなみを整えて玄関に向かうと、すでに舞がローファーを履き、鞄を手にして待っていた。

「ごめん、お待たせ」

 舞を先に外に行かせてドアの鍵を閉め、階段を降りてマンションを出る。

 昨日と同じ道のりを並んで歩きながら、二人は昨日襲撃のあった通りへさしかかった。

 その場所は、襲撃前の落ち着いた住宅街の姿へ戻っていた。六浦市支部の隊員達が復元処理を行ったおかげで、ここで戦いがあったことなど微塵も感じられない光景が広がっている。

 こうして、UGNは人知れずレネゲイドの痕跡を消していくのだ。あの戦いも、それを知るわずかな人々がいなくなれば、誰の記憶にも残らず忘れ去られていくのだろう。

 悠はちらりと並んで歩く舞を見た。彼女はとくにあたりを見渡すこともなく、前を見て歩いている。舞にとっては、昨日の出来事も数ある任務のひとつに過ぎず、いちいち感傷的になるまでもないのかもしれなかった。

 気をとりなおして、悠は舞とともにその場所を通り過ぎていった。

 停留所でバスを待ち、五分ほどでやってきた高校経由のバスへ乗り込む。

 バス停を一つ過ぎるたびに乗車する高校生が増えていくが、そのほとんどが二人を──より正確には舞を──振り返って二度見したり、つり革越しにちらちら覗いたりするのを見て、悠は次第にプレッシャーを感じてきた。

「……なんか、おなか痛くなってきた」

「……?」

 バスのエンジン音で聞き取りにくかったのか、舞が顔を寄せてくる。あわてて悠は逆方向に身を引いた。

「あ、なんでもない、なんでもないから」

「……そう」

 舞が体勢を戻す。悠も引いた上半身をもとに戻しながら、小さく息をついた。

 いくらか覚悟はしていたが、前途多難な予感しかしない。今日一日をやり過ごせば多少は落ち着くだろうと信じて、乗り切るしかなかった。

 高校前にバスが到着した。乗客の八割を越える高校生達が動きだし、その流れにのって二人もバスを降りる。

 校門までの通学路は、朝特有の喧騒に満ちていた。

 宿題や小テスト、部活動や委員会活動などの学校の話題。昨日見たTVやお気に入りのアーティストの新譜、流行はやりのゲームなどに関する会話が渾然となってざわめいている。

 そのざわめきの中をいくらも歩かないうちに、悠の背中が思い切りどつかれた。

「うわっ!?」

「よーっす悠! おーはよーうー!」

 振り返ると、そこに満面の笑みを浮かべた雨宮良太の顔があった。その背後には、良太と一緒に登校してきたとおぼしき三人の男子生徒が、興味深げになりゆきを眺めている。クラスで見ない顔ぶれだから、良太と同じ部活の生徒かもしれない。

「お、おはよう……」

 悠が挨拶を終えないうちに、良太がぐっと顔を近づけてきた。

「さぁて、どこから聞かせてもらおうかなあ」

「どこから……って」

「昨日二人して休んだ理由! 今日二人で仲良く登校してる理由! その他いろいろに決まってんだろ!」

「えっ……と……」

「良太、おれら先行ってるわ」

 良太の後ろにいた三人組の一人が、校門の方を指差した。

 愛想の良い笑顔で良太がひらひらと手を振る。

「おー、またあとでなー」

「話、俺達にも教えろよなー」

 まあそうなるよな。悠は内心でため息をついた。

「……で!」

 三人を見送った良太が、再び悠に迫ってきた。つられて見送っていた悠は、慌てて良太へ向きなおった。

「あー……」

 ちらりと舞を見る。彼女は黙ったまま、二人をじっと見つめていた。追及されたときの諸々の説明は悠がすることになっていたから、これは予定通りではあった。

 意を決して、悠は良太へことの経緯を話しはじめた。

「……実は、昨日から同じ家に住むことになって」

 そう告げられた直後の良太の顔が、めまぐるしく変化した。百面相とはいかないが、少なくとも四面相くらいまでを披露したあたりで、がっとの悠の肩を掴む。

「それって同棲か! 同棲なのか!」

 周囲の生徒達の視線が、一斉に三人へ集中した。

「ちょっ、声大きいよっ!」

 悠は慌てて良太の口を塞いだ。そのまま良太へ顔を近づけてささやく。

「つぎ大騒ぎするなら、もう話さないよ」

 口を塞がれたままの良太が、こくこくとうなずいた。ひとつため息をついて、悠は手を離した。

「あとは歩きながら話すよ」

「おう」

 スキップでも始めそうな足取りで、良太が悠の横に並ぶ。その後を、一歩遅れて舞がついてきた。

「梓野さんがさ」

「梓野さんが?」

 良太がおうむ返しに繰り返して、続きをうながす。

 建前上、梓野は悠の従姉であり、かつ保護者という扱いになっていた。たまたま北部の繁華街を一緒に歩いているところを良太に目撃され、その時もちょっとした騒ぎになったことを悠は思い出した。

「……東條さんの両親が外国へ転勤になったから、彼女を預かってほしいってお願いされたらしいんだ。でも梓野さん、仕事は忙しいし不規則だから、ぼくの家に住んでもらうことを思いついたんだって」

「ちょい待ち」

 良太が右手を挙げて話をさえぎる。

「梓野さんと東條さんって、どういう関係なの」

「んー……梓野さんの、歳の離れたお姉さんの子供だって言ってたから、姪……になるのかな」

「ふうん」

 良太は振り返って舞を見た。良太と視線を合わせた舞が、じっと彼の瞳を見つめかえす。

 にへら、と意味もなく愛想笑いを浮かべて、良太は悠へ向きなおった。

「それにしても梓野さん、大胆だな」

「ぼくだって反対したよ。それに、この話聞いたの一昨日の夜だし」

「まじか」

「仕事が忙しくって話せなかったんだって。ぼくもずいぶん梓野さんにはお世話になってるし、必死になって頭下げられたら、断りきれないし」

 ここは梓野に泥を被ってもらう一手だった。もちろん、梓野本人には事前に相談して、了承をもらっている。やや苦笑まじりの了承ではあったが。

「……で、昨日は昨日で、転居の手続きとか大家さんに挨拶とか、東條さんの生活用品の買い出しとかで、まる一日つぶれた」

 校門を越えて学校の敷地内に入ったあたりで、悠は説明を終えた。

 対する良太は、なにやら腕を組み、真剣な表情で考え込んでいる。その姿に不穏なものを感じて、悠は心の中で身構えた。

「なあ、悠」

 きた。

「な……なに?」

 腕組みをしたままの良太が、悠へ顔を向ける。

「ひょっとして、梓野さんの方こそ同棲相手がいるんじゃないか?」

 思わぬ方向からの不意打ちに、悠はせかえった。

「……っ、なんでそんな話になるんだよ!」

「だって、年ごろの女の子部屋に入れたくない理由って言ったらさあ……」

「あー……」

 正直なところ、悠は梓野の私生活をそれほど知っているわけではなかった。半分は梓野に対する無駄な風評被害の拡散防止のため、半分は本音で、悠はぼかしてこたえた。

「それはわからないよ。ぼくも梓野さんに、彼氏がいるかとか聞いたことないし」

「そりゃそうか。ま、そのへんは梓野さん個人の話だしな」

 あっけらかんと言って、良太が腕組みをとく。

「話はわかった。まあそのなんだ、がんばれ」

 なんともおざなりな、だが良太らしい激励に、悠は苦笑した。

「なんだよ、それ」

「女子に説明するときは注意しろよ、ってこと。とくに本多の前で下手な話してみろ、明日にはケッコンを前提としたおつきあいをしてることになって、全校中に広まるぞ」

「う……」

 あながち冗談でも誇張でもないところが、本多琴美──ゴシップハンターことみの恐ろしいところだ。

 だが、良太に話したことで、ある程度整理はついた。これならクラスの他の生徒達にもうまく説明できそうだ。はからずもリハーサルを引き受けてくれた形になった良太へ、悠は心の中で感謝した。

 良太が勢いよく悠の肩をたたく。

「まあ、ヤバそうならおれもフォローするからさ」

「良太のフォローかぁ……」

「どういう意味だよっ」

 肩においた手をそのまま伸ばし、良太が悠の首をロックした。

「あたたたた! 本気で痛い! ごめんってば!」

 仔犬のようにじゃれあう悠と良太の後ろを、舞が無表情についていく。

 やがて、三人は登校する他の生徒達とともに、学校の玄関口へ消えていった。



 ──To be continued ; Second Erosion phase#2

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