先達

「あァン? それでおめェは、何ンと答えたンだ」


 ファサームが所属する決闘士組合を束ねるアシャードは、書類仕事の手を止めて伝法な口調で尋ねてきた。


 後ろに撫でつけて数条の束に編み込んだ髪と、伸ばした髭とが共に白くなるほどに年季の入った男だが、姿勢良く座卓に向かう姿からは衰えは感じられない。

 紙に置いた左手といい、年相応に水気を失った顔といい、あちこちと細かな傷痕が残っているが、なかんずく目を引くのは、左目を隠す革の眼帯である。

 それは決闘士として生きる中で無くしたものの一つだったが、長年の戦いの中で掴み取った財と信用によって組合長の座を勝ち取ったアシャードは今、なかなか悪くはない引退生活を送っているようだった。


 現役の頃とは違って日々を送るに命の危険があるわけではないが、それでも三十数年もの長きに渡って生き抜いてきた伝説の決闘士である。その隻眼は、ぎりと睨めば現役を退いて今なお、心胆寒からしめる光を宿す。


 とはいえ、こちらも現役の決闘士である。

 それも新人や二級などではなく一級決闘士であるからには、踏んできた場数も、潜り抜けてきた刃の数も並みではない。真正面から受け止めて、ファサームは肩を竦めながら答えた。


「なんと答えたも何も、相手が相手だ。僕に断れるはずもないだろう」


 ご令嬢の機嫌を損ねるなと言ったのは、貴方だったはずだ。

 意図せずに皮肉げな響きが篭ってしまったのは、日頃のアシャードの言付いいつけに不満が溜まっていたためである。


「馬鹿野郎。普段はチッとも言うこたァ聞かねェくせに、どう云う了見だ。手前ェが貰い子なンざ、百年早ェよ。犬猫の仔ォ、拾ってくるのたァ訳が違うンだぞ」 

 

 五十路を回って決闘士組合長という立場を得てなお、アシャードの言葉からは下町の色が抜けない。皺が寄ったような低くカサついた声での年季の入った早口の捲し立てには、相当な迫力がある。 


 だがそれに怯まず、ファサームも切り返す。


「そんなことは僕にも解っている。だから訊いているんじゃないか。引き取るからには、どんな準備をすればいい」

「だから手前ェにャア早ェと言ってるンだ、ちッたア話を聞きャアがれ。手前ェの尻も拭けねェひよッこが、人様の、それも氏族抜けもしてねェ餓鬼を育てようなンざ、土台が無理てもンだ。まして自分が何で飯を喰ッてるか、かんげェてみやがれ。決闘士だぞ。人を殺して飯を喰う、そンな輩が子を育めるものかよ」

「僕はその決闘士に育てられたわけだが、そのことを後悔したことなどない」


 ファサームの静かな、だが強い言葉に気圧されるように、アシャードがぐっと言葉を詰まらせる。

 そのまま二人は睨み合うように黙していたが、先に視線を反らせたのはアシャードだった。馬ッ鹿馬鹿しい。


最初ハナッから決闘士の路しか残ッてなかッた手前ェとは、訳が違わァ」


 ぼそと言い捨てて、座卓の脇に置いた煙草盆を引き寄せた。

 吸い差しのまま置かれた煙管は、銀無垢の雁首と吸い口に彫金を施した高級品である。


 アシャードは灰を吹き捨ててから新たに葉を詰め、埋火の火種で火をつけてと煙を吐き出した。そのまま二吸い、三吸いとふかして部屋に燻香を漂せながら、眉間に皺を寄せている。

 こうなるとしばらくは、なんと声をかけても黙りを決め込むに違いなかった。


 アシャードが次に口を開くのを待ちながら、ファサームはこれも座卓の脇に置かれた陶製の急須から、勝手に湯呑に茶を注いだ。

 言い争いになると、昔からこんな感じだったなと少しだけ懐かしく思い出しながら、淹れ置かれてすっかり温くなった茶で唇を湿らせる。


 とはいえ、アシャードの言い分が正論だ。渋茶を舌で転がしながら、ファサードは相手に理があることは認めていた。


 実際問題として、男一人の生活で子供を抱えていくのは相当に難しいと、その理屈はファサームにも解る。

 大体のところとして、アイターユはなぜ、ファサームに子供を引き取らせようとするのか。そこのところを、ファサームは理解しているわけではなかった。


 そもそもの発端は、ハン・バックノスの郊外にある寺院の僧侶から、孤児の引取り手を探して欲しいとの要望が出たことだという。

 その話が街会世話人を通して街長官に上申され、結果的にアイターユの耳に届くことになったらしい。


 その僧侶のことは、ファサームもよく知っていた。いつも「御坊」と呼び習わしているのであやふやだが、確かマミーンという名であったように思う。ファサームにとっては幼い頃からの読み書きや算術に止まらず、講読や音曲のような手習いの師でもあった。


 マミーンは長身のファサームから見ても大柄な坊主だったが、性格ゆえか造作ゆえか、子供に好かれる性根たちのようだった。自分が懐いて遊びまわった事こそないものの、同級の子供らは大きな僧服に纏わりついていたように思う。

 今でもファサームが見舞いや復学と称して寺を訪れた際には、多くの子供達が行儀よく手習いに勤しみ、また遊んでいるところへ出くわすのが常であった。


 酒は飲む、生臭は食すると、僧侶としては破戒の限りを尽くしているようだが、聖典経を唱えながら一心に大御霊への祈りを捧げているひじりとは違う部分で大御霊の慈悲を世に垂れているのだと、ファサームなどは思っている。

 もっとも、マミーンが酒食に耽るのは、ファサームらがそれらを差し入れて一緒に騒ぐためであることなど、当の本人らは念頭にすらない。


 氏族持ちながら面倒を見る者がいないということは、その子供の出自か、親かそのどちらか、あるいは両方に問題があるのだろう。

 「訳あり」ということである。

 寺院もまた、氏族を捨てて出家した者が住まう場所であるから、氏族持ちの子供をいつまでも預かるわけにはいかないはずだ。

 そうなると子の将来を考えれば、同じ氏族の元で「育身はぐくみ」の身分としたほうが良いに決まっている。


 だからこそ、ファサームにはアイターユの意図が解らない。解らないが、彼のご令嬢の真意が汲めぬことなど、今に始まったことではない。

 合わせてそれを諒承したマミーンの真意も知れないが、そこはアイターユが無理を通したであろうことを考えれば、差にあらんといったところか。


 死地に送り込むかのように決闘代理をさせ、安定した立ち回りをすると不機嫌になるくせに、一方でこちらが演出としてであっても、追い込まれたような決闘をすると憤激する。


 バックノスの名を汚すような戦振りが気に入らないのかと伺えば、そんなものは勝てば問題ではないと言い、勝つためには慎重策も必要なのだと弁明すれば、決闘士の身分で命惜しみをするとは何事だと激する。


 かと言って、相手の命を奪うような決闘には眉をひそめるし、こちらが怪我でもしようものなら、伏床にまで来て延々と詰るのだ。


 男には永遠に理解できないものが女なのだと、軽薄屋のラフィクなどはそう総評していた。

 そうするとなるほど、ファサームにとって、アイターユはまさしく女であった。

 故にファサームは、アイターユの心情を理解することは既に諦めて久しい。


 とにもかくにも、先ずは子を抱えての生活が成り立つようにしなければならないな。

 代わりに、言われたことをなんとか実現することに腐心するよう努めている。

 そうでなくては、自分の命が危ういのだ。


 考えてもどうにもならないことより、どうにかなることに傾注する。


 それが生と死を薄紙一枚で隔てるような日々を送る決闘士としての、割切り方だった。


 アシャードが一際強く煙を吐き出し、煙管を引っ繰り返して吸殻を火鉢へ撒ける。

 それと同時に、ファサームも湯呑の残りを一息に干した。呑み下した口腔に、渋の刳味えぐみが残る。


「とにかく、子を引き受けるッてンなら、先ずは大家にナシをつけにャアなるめェよ。氏族抜けしてねェのなら、尚更だ」


 一服の間にどのように折合いをつけたものか、アシャードの言葉はファサームの問掛けに答えるものだった。

 左手で壁際に掛けてある書取帳をとって広げて、右手で筆立てから毛筆を取り、硯の墨を含ませる。


「身元引受人にャア、俺がなッてやる。保証金は手前ェで出せ」


 こちらに背を向けて座卓に向かうと、さらさらと紙に受人状をしたためていく。

 決闘士には珍しく、アシャードの手跡は思いの外、見事なものである。洗練されているというわけではないが、無骨な筆跡は味わい深く、書き手の積み重ねてきた生活が垣間見えるようだった。


 街で生活するには、その街でしっかりとした生活の基盤を有する者の保証が必要だ。借家住まいのファサードが貰い子をするなら更に、幾許かの金を払って大家の諒解を取る必要がある。さもなければ拐かしだどうだと、無用の騒ぎを引き起こしかねない。


 こうした身元引受は通常、その街で顔役を張る同氏族が務めるが、〈蝙蝠〉であるファサードにはそうした者がいない。

 そうした〈失氏者〉の身柄は、同様の立場から公に身元を保証されるまでに立身した者、即ち〈失氏頭〉の鑑札を得た者によって保証される。

 アシャードのように決闘士組合の長を勤める者などは〈失氏頭〉の典型だった。


「受人状と大家の許可さえなンとかなりャア、後はなンとでもならァな。あァ、大家に包む金はケチるンじャアねェぞ。彼奴きゃつときたら、吝ン坊の業突張りだからな」


 鯔背いなせに笑って、アシャードは認めた書状の終わりに、印泥から朱を採って印環を捺す。

 金の指輪には門族を表す紋様が篆刻されていて、これを捺すことで文書の真正性を証明するのだ。


 当然、ファサードは印環を持つことは許されていない。


「まァ、相場に色つけて払ッてもゴタゴタ言うようなら、そンときャバックノスの姫君にお出でまし願おうかい」


 からと笑ってアシャードは気楽に言ってくれるが、アイターユにそんなことを頼もうものなら「その後」が怖い。


 幸い、金はあるのだ。

 どうせあっても、飲んで騒いであぶくと消えてしまうような金である。それくらいなら、幼子のために遣った方が幾分かマシだろう。


「その他には、寝具くらいか。他に足りねェもンは、まァてトコだな」


 墨を乾かした受人状を長丈胴着の懐に仕舞い込んで、他に入用な物はないのかと、ファサームは尋ねる。


「本当に寝具くらいでいいのか? 他には用意するものはないものかね」

「どうせ幾らも保たねェ生活よ。いずれは手前ェと餓鬼ン坊との生活にャア、ガタがくるに決まッてンだ。要らねェよ」


 今の手前ェにャア、矢ッ張り早すぎるのさ。ヘッと強く息を吐いて、アシャードは再び煙管を取り上げる。

 その言葉にどこか得心している自分がいることを、ファサームは自覚していた。


 ファサームは別に、子供が好きなわけではない。

 むしろ面倒な事になったとさえ、思っている。


 断れる立場ではないから、言われたままに孤児を引き取ろうというだけであって、その子を慈しんでいるわけでもない。

 なにせ、まだ顔も名前も、それどころか氏族さえも知らないのだ。当然、孤児となった経緯いきさつも聞いていない。

 ただただ、アイターユに命ぜられるままに動いているだけだ。


 まして指摘された通り、自分は決闘士である。

 それは廷に出れば人を殺し、またいつ殺されるかもしれぬ浮き草のような生活のことである。

 とても子を育む資格があるとは思えなかった。

 資格といえば、氏族持ちの子供を〈蝙蝠〉の自分が引き取ることが是であるのか非であるのか、それさえもファサームには定かではない。


 こんな自分が、果たして、子を引き取ることなどできるのだろうか。


 今更のように湧いてくる疑問は、しかしてファサームの行動を妨げることはなかった。


「先ずは、大家のところへ挨拶に行ってくるよ」 


 アシャードの言い捨てに反論もせず、そう言って立ち上がった。潜り戸を抜けて辞そうとする背中に、アシャードが紫煙と共に声をかける。


けえったら、隣近所に声を掛けな。子供ッてなア、一人の手には余るもンよ。サニヤの婆さんあたりは、快く手伝ッてくれらァな」


 先達の言葉に気のない返事で答えながら、ファサームは部屋の戸を潜る。

 大家のところへ寄ったら、その足で寝具を用立てに行かなければならないな。ひとまずは貸物屋で都合するとして、その後のことは追っ付け考えるがいいさ。

 懐具合の目方を手で計りながら、ファサームはこの後の算段をつける。場合によっては、組合に預けていた組金くみがねを当てにする必要があるかもしれない。


 不安や疑問のことは、考えない。 

 そんなことは考えても無駄である。どれだけ思考を彷徨させようとも正答など出るはずもないのだから、意味などない。


 命じたアイターユの真意が奈辺にあろうと構わない。

 あの気紛れで気分屋な姫君の心中など、下賤の身で慮るだに徒爾事とじごとである。立場も生活も、何もかもが違いすぎていて、同じ物を見て、同じように感じているはずもない相手の意図など、探れようはずもない。


 それよりも、目の前の問題を解決するために動くべきだ。

 ひとまずは飢えさせずに、できることなら安んじて過ごせるように、準備をする必要がある。


 考えてもどうにもならないことより、どうにかなることに傾注する。

 それが、ファサームの生き方だった。

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