決闘裁判

 早苗月の第十一日のことである。


 決闘裁判の作法に従い、ファサームは細直剣の鞘を払った。

 腰に佩いた鞘から無造作にさえ見える所作で、一気に抜ききる。

 鞘尻を天に、鞘口を地に向けて、反りのない鋼の剣尖を地に擦るかの如く下振りで抜く【地摺抜き】の正当な作法は、ファサームのように体格に恵まれて、長い腕を持つ決闘士だけが美しく行えるものであった。


 一方で対面の決闘士は、柄を逆手に半ばまで抜き、それから順手に持ち替えて柄頭を天に向けて抜く【天弧抜き】の作法で、その鞘を払う。


 二人の決闘士の入廷に、観衆から拍手が沸き起こった。

 昼を迎えて高くなりつつある陽光が、客席で円と囲まれた決闘廷の白砂に、輪郭も定かに黒々とした影を落としている。

 季節は夏に移ろい始めていた。

 

 ともあれ、決闘裁判である。

 

 名誉や誓約に関わる事項、若しくは重要な財産の帰趨に関する事項、または十二の氏族長らの権限により決闘判決が下された場合、諍いや罪の解決には決闘が用いられるのが習わしである。

 厳格な手続きと作法に則った決闘における勝敗が、その紛争の結果を左右するのだ。

 聖典中の『大御霊は正しき者を知り、罪を雪ぐ資格のある者へ試練を与えたもう』との文言を引き、人意ではなく霊意による審判を裁定として、決闘裁判とは決して個人的な紛争解決手段などではなく、公の司法制度であった。


 であるから、決闘裁判には公儀の立会人がつき、その様子は公営の決闘廷にて公開される。

 これが太平の世に大変に受けのいい、一種の娯楽となった。

 中には騎獣の乗りこなしや弓の腕前を競うような決闘形式もあるが、なにせ大半は互いに白刃の抜き身を下げて、命懸けの剣戟である。人気が出ないはずもなかった。

 ハン・バックノスの決闘廷には庶民から貴人まで詰め掛けて、今日も客席は満員御礼である。


 大勢の観客が見守る中、決闘士二人が対峙し、互いに得物を抜き合ったことを確認して、左右に若者を侍らせた男が決闘廷の中心に進み出る。

 丈の高い筒帽から布を垂らす老年の男こそ、公儀立会人であった。


「決闘申立人、〈虎〉氏族、バックノス一門、ドルキの娘ドルキア、アイターユ。同じく決闘申立人、〈鷺〉氏族、ソピ一門、ディーアの息子ディーレウス、ヌル。互いに名誉に関わる事項により、それぞれ代理人を立て、決闘裁判を行う。それでは双方の武器を検めよ」


 年の割に艶やかな声で告げる立会人の指示に従い、左右を固めていた青色の法衣を纏った検査官と赤色の法衣を纏った検査官とが、それぞれにファサームと相手の武器を検める。


 武器の規格は適正であるか。

 不正な呪いの文言が刻まれていないか。

 決闘を汚すような細工がなされていないか、等々。

 決闘裁判に際して、事前の武器検査の項目は十二にも及ぶ。


 無事に検査が終了して検査官が下がると、こちらは紫の地色に金糸の紋様縫取りがされた大袖を翻して、立会人は次なる指示を出した。 


「それでは双方、捧命の礼を」


 捧命の礼とは、自らと相手との命を大御霊に捧げる旨を宣言するものである。

 大御霊は、奉じられた命をどのように扱うべきかを心得ている。捧げた命を再び賜ることができるかどうかは、まさしく霊意にかかっているというわけであった。


「大御霊の霊意に従い、ここに彼の者と我が命を捧げることを宣誓する」


 ファサームは形式通り、柄頭を天に向けて細直剣を顔前に捧げ持って宣誓した。相手方は逆に、柄頭を地に向けて、捧命の礼をとる。 

 鋭い刃の応酬を交わして当然、決闘裁判は文字通りの「命懸け」であった。怪我人どころか、死人が出ることさえも稀ではない。

 捧命の礼は、そうした事態における免責の確約でもあった。たとえ決闘で死亡したとしても、遺族がそれを理由として再びの決闘申込みをすることは許されない。


 捧命の礼を確認し、立会人によって今度は決闘代理人の確認が行われる。名前と所属組合、そして申立人に対して、本当に代理人による決闘を行うのかについて、最後の確認をするのだ。


 繰り返してくどいようだが、決闘裁判は命懸けである。

 名誉をかけた決闘を申し出る者たちは、氏族の中でも身分ある者たちであり、概して、名誉を傷つけられることには敏感だが、御身は惜しいという方々であった。

 また貴人であればこそ、決闘を申し込む度にそうそう簡単に命をかけるわけには行かないという事情もある。

 であるからには決闘裁判には、一定の条件の下で代理人を立てることが認められていた。

 

 そうした代理決闘を職業的に請け負う者たちこそが、決闘士と呼ばれる者たちである。


 日々決闘の技術を磨き、作法を修め、霊意を諮る神聖な決闘を代行する彼らの決闘は、大変な人気だった。

 そうした人気に裏打ちされ、また貴人方のお命大事のため、決闘廷で行われる決闘のほとんどは、代理決闘なのである。

 

 そんな代理決闘を務め続けて八年。その間を生き延びて、ファサームは一級決闘士の称号を得ていた。並の男よりも頭一つ半ほど高い身体には、歴戦を重ねた決闘士には珍しく、ほとんど傷痕が認められない。

 

 捧げ持った細直剣をくると回して、ファサームは鉄籠手越しの手の内に、柄の握りを確かめた。決闘の際に着用できる防具は、原則として利き手の鉄籠手のみと決められている。

 身体の傷痕の有無が確認できるというのも、衣服でさえ、夏の決闘では上半身は裸に、だぶつきの少ない脚衣、そして革の長靴のみしか許されないためである。

 もはや軽装と呼ぶのも躊躇われるような格好となるのは、全霊を込めた剣が届くかどうかで霊意を諮るというのに、刃を防ぐ防具があっては顕れた霊意を汚すこととなる、と考えられているためだった。

 

 一方で、全くの無防備では決闘が小手先の遣り取りに堕してしまう。

 なにせ本音のところでは、誰だって命は惜しい。

 少し手首を斬り下ろせばもう、剣は持てなくなる。そうなれば決闘を継続することなど、覚束ない。

 結果として決闘に臨む者が皆、相手の手首狙いで、自然と勝負は縮こまりがちになってしまう。

 だが、それでは真なる霊意を汲み取ることなどできないのだ。人の無為で直向ひたむきな行為にこそ、大御霊の御意志は顕現される。


 決闘における簡素な防具は、決闘裁判への妥協を許さない文化の中で行き着いた結論だった。

 

 自らは高いところで見降ろして、勇敢な戦いを、命がけの戦いを捧げよとは、まことに結構なことだ。大御霊の霊意とはなんのことはない、安全な高みで無責任に言祝ぐ観衆の気まぐれそのものではないか。


 こめかみに重いものを感じながら、ファサームは昂ぶる内面を抑え付けて、いつものように開始線へと下がった。

 会場の空気が、命の遣り取りの予感にぴりぴりと高まっていく。

 

 乾いた唇を舐めて、剣尖を相手に向けて剣身を倒し、左脚を引いて相手に対して半身に構える。緩く伸ばされた右腕に構えられた剣は相手の目に向けて切ッ先が倒されており、こうすることで相手の剣の起こりに対して即座に対応できるのだ。

 それは、細直剣の基本的な構えであった。左手を腰の後ろへ回すのも同様で、ぶらつかせて相手の剣の餌食とされるのを防ぐためである。


 すうと顎を引き、相手の全体を捉える。

 相手の細直剣の決闘士もまた、同様の隙のない構えで、体軸がしっかりと通っていた。

 ぴたと定められてこちらを指す剣尖の動きには、腕とのズレがない。しっかりと剣の重心を保持して、腕の延長のように振れることの証左であった。

 前後に開いた両の脚には均分に体重が乗っている。

 前がかりになるわけでもなく、さりとて腰が引けているわけでもなく、つまるところ、決闘に際して逸りも怖気もしていないようだった。


 大手の決闘士組合所属の新人と聞いてはいたが、なかなかどうして、落ち着いた手練れと見て、間違いはないだろうな。

 ファサームは対峙する相手を、そう見積もった。

 

 構えだけではない。しっかりと身体を作って、ずんぐりとした体躯は盛り上がった肩の肉が膨れて、太い首さえ隠していた。

 簡素な防具の決闘士が生き残る可能性を上げようと思えば、鍛えた身体をぶ厚い脂肪で覆って守るが早道である。

 実際、多くの決闘士は、そのような体格を作るよう心掛けている。

 とはいえ、どれだけ食べようともそうした体つきになれるかどうかは生まれ持った素質がものを言うわけであり、なるほどその点でも、相手は有望な新人だというわけであった。

 そう思えば、髭を生やした丸い顎の上で結ばれた唇は、新人らしからぬ太々ふてぶてしささえ、漂わせているように見える。


 これはまた、厄介な相手を引いたものだな。さて、どうしてくれようか。


 立会人による決闘開始の合図を目の端に捉えながらも、ファサームは胸中で嘆息して、動こうとはしなかった。相手もまた、同様だった。

 それだけでファサームは、自分の見積もりが正しかったことを確信する。


 対面から動き出せるのは、双方の実力が明らかに離れている場合のみである。即ち、敗者は実力差が掴めないまま闇雲に動き出してしまい、逆に勝者は筋が見切れるが故に動くことができる。 

 剣尖同士をごう釁隙きんげきで並べて様子を伺いつつ、二人は動かなかった。共に動き出せるほどの腕の差はないということだ。


 互いの細直剣の構えには隙がない。先ずはその構えを崩さないことにはどうにもできないのだが、相手に構えを崩させるためには、先んじて此方が構えを崩さなければならない。

 が、構えを崩したが最後、この相手がその隙を突いてこないわけがない。安定した勝ちを拾いたいのであれば、それは避けたい事態だった。


 が、いつまでもこうしているわけにもいくまい。


 静かに唾を飲み込んで、ファサームは目をすがめた。

 会場では抑えの効かない常連の一部が、早くも野次を飛ばし始めている。

 双方ともに動かず、膠着状況が続くことに痺れを切らしたのであろう。決闘裁判の観衆の態度としては、有り得べき反応である。


 そしてそれだけではない。

 ファサームは、今も自分を斬りつけるように睨んでいるであろう、女の視線をその背に感じていた。

 自分の代理人に選んだその女は、動きのない「退屈な」決闘運びをこの上なく嫌う。

 このままでは勝利を持ち帰ったとしても、手酷く詰られるに違いなかった。

 

 となれば僕は、覚悟を決めて動くより他ない、ときたものか。


 声に出さずに独り言ちると、ファサームは右の長靴の爪先をやや左後ろへと躙らせる。その動きで相手の右側、即ち相手の体の外側へ回り込む挙を示したのだ。

 膠着していた空気が動き、ファサームの体幹を守っていた剣尖が逸れる。そこへすかさず、相手は突き込みをくれてきた。


 左回りでの足捌きは膠着状況を打破する教本通りの動きの一つだが、同時に現場においては、悪手とされている。

 それに応ずる型が完成されており、回り込んだ方が不利になるような決着にしかならないためだ。


 横に動けば必ず、自分の剣尖は相手の剣尖を真正面で抑え込めなくなる。

 互いに剣尖が逸れて突き込みには絶好の機会となるが、一度脚を捌いて横に移動している関係で、そこから前へ踏み込むには一呼吸の遅れが伴う。


 対して相手は、剣尖が逸れた瞬間に前に出ればよいのだ。

 細直剣での勝負において、挙動の立ち遅れは致命的だった。ここでまず、後手を取らざるを得ない。


 さらに突き込みに対して剣で払えば、払った動きの逆側、つまり右脇腹か右肩から首にかけて大きな隙を作ることになるし、右脚を引いて躱せば今度は半身の利を失って、身体の正面を鋭い剣尖に晒すこととなる。

 いずれ動かねばならないにせよ、敗着に繋がりかねない類の妄動であると言えた。


 ファサームの軽挙を咎めるがのごとき相手の突き込みを、ファサームは右半身を大きく引くことで躱した。左腕が腰から離れ、今度は武器も防具もない左半身を晒すていとなり、細直剣の構えとしては、まさしく「死に体」である。


 初撃が躱されることは織込み済みだったようで、相手は須臾の間も置かずに剣を引き戻すと、矯めた右肘を弾かせて再びの突きをくれ込んできた。まったく、定法通りの綺麗な二連撃である。


 が、その一撃は上体を反らせたファサームには届かない。


 迅速の二連撃を放つには、脚を遣う間はない。二突きめは腕の伸びだけで放つのでなければ、相手に体勢を整える隙を与えてしまうからだ。

 自然、間合いは一突きめよりも短くならざるを得ない。


 ファサームはそれを識っていた。識っていて、それを誘った。


 なぜなら長身である分、ファサームの腕は長い。剣の長さが同じなら、腕の長さの分だけファサームの間合いは深いのだ。

 また当然、脚も長い。

 それを捌いて脚の前後を入れ替えるなら、並の体格の相手など一息に突き放して間合いを切ることなど、いとも容易かった。

 手足の長さを活かして間合い取りの主導権を握り、見切りの確かさで懐へ入れずに、遠間から突き崩す。

 評するなら槍と剣との戦いであり、それこそがファサームの卓越した強さを支えていた。

 一度間合いが切れてしまえば、脚も遣わず腕だけで突き込んだところで、その剣がファサームの身体に届くことなど有り得ない。

 

 その体つきを見るに、素質に恵まれていたのだろう。

 その構えを見るに、胆力にも判断力にも恵まれていたのだろう。

 ばかりか鋭い二連撃を見るに、幾度となく型を繰り返して、鍛錬も怠らなかったのであろう。

 

 だが、一級決闘士を向こうに回して、実戦経験が圧倒的に足りていなかった。

 噂には聞いていただろう。実際に目で見て、その長さを掴んだつもりであったろう。

 しかしその間合いの深さを、遂に勘定に入れることができなかった。

 その剣は届かなかった。

 頭では解っていても、身体が実戦の間合いをものにしていない。なのに、訓練のように剣先だけで間合いを図ろうとするから、こうなる。


 必殺を期して右腕を伸ばしきった身体は、隙だらけだった。脚も開きに開いて後ろの左脚を継ぐことさえしなかったのだから、最早どのようにも避けようがない。


 次の瞬間。


 左腕を引きつける動きで腰を落とし回し、その勢いを乗せた細直剣の刺突が、相手決闘士の右脇を深々と貫いていた。 

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