第17話 召喚迷走者

 「ブラン様、例の召喚迷走者を発見いたしました」


 深々と頭を垂れながら報告する執事長のブッハの後ろで、縮み上がる様に小さくなって存在感を最小限に抑えようとするフルークは、緊張のあまりその呼吸までもが浅くなり今にも倒れそうなのを必死で堪えていた。


 ブッハは魔神の血脈であり、生まれながらに強大な魔力の持ち主だ。漆黒の肌に真っ赤な髪の毛、勇猛さをそのまま表すかの様な金色の瞳、薄らと濡れる唇の間から僅かに牙が覗く。フルークは人間と蛙を掛け合わせたかの様な、特殊な見た目のライカンスロープだ。しっとりと輝きを放つ深緑色の肌と、仕立ての良いタキシードのミスマッチが、いくら本人が抑えようとしてもその存在感を強調していた。


 ブッハとフルークの前で優雅に遅い朝食をしながらその報告を受けているのは、シュタルテン皇国魔法省第一席、最高責任者ブラン=ユーヴェリアその人だ。やわらかな陽の差すテラスで、背中の中程まである白銀の長髪を光に照らされながら、僅かばかりの食事をゆっくりと口へと運ぶ。青白い肌、先の尖った耳、瑠璃色の瞳、エルフであるブランにとって食事はそれ程に重要なものでは無い。その中でも小食なブランは日に一度、僅かばかりの食事を取れば十分に満たされた。


 「どこですか?」

 「東方の外れに位置するベスティアという小国です」

 「ずいぶんと遠くに迷走したのですね──」


 ブランの瑠璃色の瞳が一瞬、ブッハとフルークに向けられると、二人は同時に凍り付いた様に背筋を強張らせる。微笑を湛えたままブランは続ける。


 「よく見付かりましたね。それで、どなたが行かれるのですか?」

 

 執事長であるブッハは魔法が盛んなシュタルテン皇国においても、指折りの暗黒系魔法の使い手であり、特別に名誉ある第10席の地位を与えられている。また、フルークも魔法省の指折りの魔法使いの一人であり、第32席から第31席に昇格した矢先の事だった。ちなみにシュタルテン皇国には10万を超える魔法使いが存在し、その中でも第100席以内の者は『賢者』と呼ばれる上位の魔法使いたちであった。


 二ヶ月前、その事件は起こった──。





 皇王の命を受けた軍事省がその内容に困り果て、あちこちをたらい回しにされた挙句に魔法省へと依頼があった。


 「何とかならぬだろうか──」


 軍事省の軍服に身を包むコボルトのナルバス少将が困り顔で懇願する。彼らが皇王から受けた命は『武術大会に勇者を出せ』だ。来る近隣国との合同祝賀会へ向けて、各国で召喚した勇者で武術大会を行うらしい。軍事省の最高責任者であり、シュタルテン皇国でも有数の槍の使い手であるブランバス大将軍は『恐れながら──』と具申する。


 「皇王の命とあらば、私めがその大役を務めさせていただきたく──」

 「ならぬ。それでは駄目なのだ」


 皇王はブランバスの言葉をさえぎる様に言った。


 「各国の友好と公平を期すために、今武術大会では召喚された勇者を参加させる取り決めだ」

 「なるほど……」


 じつのところブランバスは納得などしていない。そもそも勇者とは異世界より召喚された腕の立つ闘技者の総称であり、仮にその者が目を覆う様な禍々しい様相の者だとしても、一様に『勇者』と呼ばれる。つまりは、その様などこの馬の骨かも解らぬ様なものに、シュタルテン皇国の代表として近隣国と合同の武術大会に参加させると言うのだ。シュタルテン皇国軍事省の最高責任者である大将軍としては、納得できるはずも無い。しかし、皇王の決定は絶対である。自分が納得するかどうかなど関係の無い話なのだ。


 ブランバス大将軍は直ちに軍事省の中でも腕の立つ魔道兵士を選抜し、皇王の命を伝えると翌日より勇者召喚の準備に取り掛かる。元来、直接魔法攻撃と魔法防御に特化する軍事省の魔道兵士に召喚は決して簡単な事ではない。そのうえ召喚した勇者にはシュタルテン皇国の代表になるべく資質が必要とされる。万が一、無様な負け方をした場合には、ブランバスにその責が負わされる可能性が高い。理不尽などと騒ぐ事は許されない。


 しかし、勇者召喚の儀式は想定以上に混迷を極める。


 何日も失敗を繰り返し、焦る魔道兵士たちを睨め付けるブランバスの瞳には、もはや誰の目にも明らかに怒りの炎が見て取れた。苛立ちを露わにするその表情を前に、魔道兵士たちは連日の召喚儀式と、ブランバスによるプレッシャーで憔悴し、日に日に集中力も欠如していった。


 何日目かにようやく召喚に成功した。召喚されたのは、植物と人間の中間的な容姿をしたプランテリアという種族だった。プランテリアは頭部が黄色の花弁の様になっており、口の様な割れ目が見て取れるが、眼球は見当たらない。全身が緑色の人型をした子供ほど背丈で、艶のある葉っぱの様な手と、こげ茶色の根っこの様な二本の足を持つ。


 状況の飲み込めないプランテリアは、目も無いのに辺りを見回す様な仕草をすると、突然、超音波の様な奇声を発した。部屋のガラス製品や窓ガラスが全て割れ、何名かの魔道兵士たちとその周囲で見守っていた兵士たちが一瞬で失神し倒れ込む。その隙に逃走しようとしたプランテリアは、怒り狂ったブランバスに一刀のもとに両断された。


 うな垂れてその場を後にしたブランバスは自室に戻り、しばらく一人で考え込む。既に答えは出ている。だが、出来ればそれはしたくない。しかし、いくら考えても答えは一緒だ。背に腹は代えられない。スタック少将がブランバスの自室に呼び付けられたのは、それから間もなくだった。




 

 翌日、スタック少将は魔法省、最高責任者ブラン=ユーヴェリアを訊ねた。


 「失礼ですが、依頼の書簡を持ち合わせていない様ですが?」


 ブランの斜め前に控える執事長のブッハが『失礼ですが』と付け加えながらも、2メートルを超える長身で、明らかにスタック少将を非難する様な眼で見下ろしながら言い放つ。


 「確かに。非礼は承知です。ですが、この件は何卒、ご内密にお願い致したい」


 スタック少将は脂汗を額に浮かべながら捻り出す様な声で伝える。それは非礼に対するものだけでなく、密かにその実力がブランバス大将軍と肉薄すると軍事省内でも噂される、魔法省第一席のブランを前にした緊張感でもあった。しかし、その噂は正しく無い。実際にはブランバス大将軍と実力が同等程度なのは、執事長のブッハだ。魔法省第十席のブッハの実力があれば、目の前のスタック少将の息の根を止めるのに30秒は掛からない。だが、そのブッハとブランと比べた場合、その差を比較するのは難しい。ブランにしてみれば、例えば、瞬きの間にブッハを羽虫に変える事など容易い。それだけでなく、その羽だけをむしって飛べない様にしたまま、その場で永遠と生き永らえさせる事すら、ブランにすれば考えずとも自然に呼吸が出来ている程度に容易い事だった。


 「ブッハ、まあ、いいでしょう。スタック殿もお困りの様子ですし。ブランバス殿に承ったとお伝えください」


 ブランは微笑を湛えながら答えた。これは大きな『借り』になる。ナルバス少将は瞬時にその事を理解したつもりで、深々と頭を下げると逃げる様にその場を立ち去ったが、ブランにしてみればくだらない相談事の類でしかなかった。


 それからしばらくしてブランの元に、召喚の儀式の責任者としてフルークが呼び出された。ブッハが事の成り行きをフルークに伝え終えると、ブランが徐に付け加えた。


 「せっかくですから、オーガを召喚してあげてください。5メートル級以上の大物がいいですね──」


 まるで今夜の夕食のリクエストを伝えるすかの様に、ブランは微笑みながら言った。しかし、その内容はシュタルテン皇国内でも上位の魔法使いであるフルークが、思わず己の耳を疑う様な内容であった。


 確かにオーガは体が大きく力も強い。武術大会には打って付けの存在だ。しかし、召喚する内容を厳密に指定する事は、単純に召喚儀式を行うのと比較できないほど難易度は高くなる。それも、5メートル級のオーガともなれば、フルークの他に数名の腕の立つ補助がいたとしても、数百度に一度も成功すれば奇跡と言えた。


 「し、承知いたしました──」


 とにかくやるしかない。ブランの物言いは常に柔軟で一見、優しそうに感じるかもしれないが、その裏には強大な威圧感が伴った。そもそもシュタルテン皇国内外で無双の魔力を誇るブランにとって、5メートル級のオーガの召喚など10体同時でも、暇潰しにもならない些細な事だった。


 早速フルークは二名の腕利きの魔法使いを呼び、5メートル級のオーガ召喚の儀式を行う。初日は三度行い全て失敗した。二日目は更に魔法使いを三名増やし六名で儀式に取り組む。四度目の召喚で4メートル級の召喚に成功するものの、その後は五度連続で失敗し、最後に3メートル級が召喚されその日は終了となる。三日目の朝、フルークは更に十名の魔法使いを集めた。そして、十六名で儀式を行う。三度目の儀式でついに5メートル級のオーガの半身が現れた。召喚が成功したかの様に思われたその刹那、突然、魔法陣が暴走しあと一歩のところでオーガは姿を消した。


 『次の一回に全魔力を使うんだ!』フルークは檄を飛ばし全力で召喚に魔力を集中する。


 その光はまるでオーロラのように揺らめきながら、魔法陣の外枠に沿うように白色から黄色へと、そして次第に緑色へと変化を繰り返す。円を描くように、しかしながら、一時も留まることなく変化し続けながら、見たこともない神秘的な輝きを放つ。やがて時空に歪が生じ始める。そして、大きく捻じれた時空の裂け目から巨大な足が現れる。今までに見た事の無い強靭な足だ。ゆっくりと、まるで産まれ落ちるかの様にそれは姿を現した。


 6メートル級のオーガ。その場に居合わせた魔法使いたちは後ずさりし、皆一様にその目を疑った。


 これで何とか面目は保たれた。フルークは憔悴しきった様子でその場にへたり込む。他の魔法使いたちも、それぞれに座り込んだり寝転がったりしている。その時、魔法陣に微かな反応があった。それは、召喚成功を示す反応だが様子が少しおかしい。


 「フルーク殿、こ、これは、まさか──」「召喚迷走者!?」


 その言葉にその場の魔法使いたちは一斉に凍り付く。召喚迷走者とは儀式の失敗により本来、召喚するべきでない対象をまったく予期せぬ場所へと召喚してしまう、言わば召喚儀式における重大事故の一つだ。この場合シュタルテン皇国では、直ちに召喚迷走者の発生を報告する義務と、速やかに召喚迷走者の身柄を安全に元の世界へと送り届ける責任が課せられる。それがブランの命で行われる儀式の最中に起こったのだ。




 

 「わ、私がこれより直ちにベスティアへ行って参ります──」


 フルークは視線を大理石の床から僅かに上げて、深緑色の肌を更に青褪めさせて上ずる声で答える。無論、自分が招いた失態でもあるため、自ら召喚迷走者の行方を追跡するのは当然とも言える。フルークからすれば責任の所在を追及される覚悟をしていただけに、話の矛先が意外な方向に向いた事に驚きを隠せなかった。


 「ブッハ」

 「はっ!」

 「貴方も一緒にフルークに付いて行ってもらえませんか?」

 「!?」

 「わ、私でございますか──」「ブ、ブッハ殿を!?」


 ブッハの視線が一瞬ブランに向かい掛けて、斜め後方に控えるフルークの元へと泳いだ。その視線を感じたフルークが息を飲む。確かにブッハの強さは折紙付きだが、執事長である彼がわざわざその業務であるブランの元を離れて、遥か東の小国までフルークに同行する理由が解らない。ただし、ブランのそれは優しそうな口調ではあるが提案では無い。『予知夢オラクルス』という特殊魔法で未来を見通す力を持つブランの言葉は、シュタルテン皇国魔法省において皇国の次に絶対とされる言葉であった。それは決定を意味する。


 「貴方には万が一の事態に備えて欲しいのです」

 「承知いたしました」

 「それと、貴方には別に頼みたい事もありますので──」


 ブッハとフルークは深々と頭を下げる。ブランの言葉に異論など無い。ただ、ブッハにしてみればまさかフルークごときの失敗に、第十席の高位に付く自分が執事長の仕事を放棄してまで、遥か東の小国まで付き合わされるなるなど考えてもみない事だ。ただ、それはフルークにしてみても同じだ。そこまでしてブッハを自分に同行させる意味を考えれば考えるほど、召喚迷走者を出した時点で、速やかに自害しなかった事が今頃になって本当に悔まれた。



 翌早朝、ブッハとフルークは密かにベスティアへと旅立った。

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