第7話 看板娘とコーヒー牛乳

 初めての仕事を終えた日。

 太陽が高く昇る中、ハルトは柔らかいベッドの上で目を覚ました。


 寝ぼけた頭のまま身体を起こす。

 外を見ると、レンガ造りの建物が立ち並んでいた。

 街を行く人も西洋風の顔立ちをしている。

「……ああ、そうか。日本じゃないんだったな」


 自分は昨夜、この世界に迷い込んできたのだ。

 料理人としてのすべてを失った、18歳の少年として。


 しかし今、不思議なほどに心は落ち着いていた。

 昨夜の一件で、自分を取り戻せたからか。

 少しだけ、余裕が出てきたのかもしれない。


 だが、すぐに気づく。

 それは甘い幻想だったのだと。


 宿も確保でき、新しい一日を迎えることができた。

 なまじ安心感を得てしまったことで、無意識に気が緩んでしまった。

 それは、封じていた記憶が蘇るには十分な隙だった。


 いつか聞いた怒号が、脳内に響き渡る。


 ――佐々来ッ! ナマ言ってんじゃねえぞオラァ!

 ――はっきり言うけど君、才能ないよ?


「……ッ」


 ズキッ、と頭が痛む。

 罵倒された時の痛みが再生された。


 上下関係を使った束縛。

 言い返すことなどできず、内に溜め込むしかなかった不満、恐怖。

 それらが堰を切ったように溢れた。

 治療したはずの手の傷口が脈動し、全身から汗が吹き出す。


「……ッ、はぁ」


 深呼吸して、なんとか嫌な記憶を封じ込めた。

 額に浮かんだ汗を拭い、ハルトは苦笑する。


「やっぱ……まだ全然ダメだな」


 痛みが、消えてくれない。

 こんなに爽やかな目覚めを迎えたというのに。

 心を持ち直しても、あの日に受けた悪意が苛もうとしてくる。


 記憶が断片的なのは、恐らく自衛本能が働いているからか。

 全てを思い出してしまったら、正気を保てるか分からない。

 それ程までに、自分の深淵には深い傷が刻まれているのだ。


「切り替えていくか」


 寝汗がひどいので、風呂に入ってスッキリするとしよう。

 時計を見ると、昼の13時を過ぎていた。

 道理で太陽が高く昇っているはずだ。


 ハルトは伸びをしながら階段を降りていく。

 料亭「みとり」は2階建てになっていて、1階のフロアで客をもてなしている。


 また、1階は店だけでなくプライベートな部屋もある。

 ミトの私室の他、居間や風呂なども置かれているのだ。


 反対に、2階は広いにも関わらず空き部屋が多い。

 ハルトが貸してもらった部屋と、他の店員が普段使っている部屋。

 それ以外にも2つ部屋が空いているのだ。


「本当、贅沢な間取りだ」


 手狭な1Kアパートに住んでいたハルトとしては、羨ましい限りである。

 案外、この世界の建造物はどこもガラガラなのかもしれない。

 一階に降りると、居間のテーブルに書き置きがあることに気づく。


『おはよう、ハルトくん! 僕は食材の買い出しに行ってくるよ。昼過ぎには戻る予定だ――ミト』


 どうやらミトは早起きして市場に行ったらしい。

 解散したのは朝だったはずなのに。

 いったい彼女はいつ寝ているのだろうか。

 そんな疑問を胸に、ハルトは浴場へと足を踏み入れた。


 開けていく視界に驚く。

 下手な銭湯より広いのではないだろうか。

 感心しつつ、ハルトはミトの言葉を思い出していた。


「一瞬で湧く風呂、だっけ」


 彼女は浴場の設備をいたく自慢していた。

 起きたら真っ先に入ってみてくれと言われた程だ。

 なんでも、魔力とやらですぐに湯が沸かせるようになっているのだそうな。


 また、”じゃぱねぜ”の風流を取り入れてみたとも言っていた。

 半信半疑のまま、ハルトは浴槽を水で埋める。

 そして壁面にある給湯器のスイッチを入れた。


 ――ボウッ


 その瞬間、浴槽の四方から火柱が立ち上った。

 この世のものとは思えない光景。


「危なっ!」


 すさまじい熱気に思わずのけぞった。

 湯船が給湯器から離れているとはいえ、これは危険すぎる。

 新手の拷問器具の間違いではないか。


 機械の説明を見るに、浴槽の四方に魔石とやらが敷かれており、これが湯の温度を高めているようだ。

 一応、人が浸かっていると起動しないようになっているらしい。

 しかし、火柱の上がる浴槽に入ると思うと生きた心地はしない。


 されど見た目の通り、湯が沸くのは早い。

 あっという間に湯気が立ち上り、火柱は消え去った。

 残されたのはホカホカの湯だけだ。


「便利といえば、便利……なのかな」


 服を脱いで、恐る恐る湯を体にかける。

 じんわりと心地いい熱さが広がっていく。

 良い湯加減だ。


 一通り身体を流すと、さっそく浴槽に浸かった。

 気持ちがいい。思わずため息が出るほどに。

 こわばっていた身体が解きほぐされていく。


 やはり風呂は最高だ。

 久々にゆとりのある時間を過ごせた気がした。

 極楽浄土を味わっていると、ハルトはあるものを見つけた。


「……ん?」


 なんと、浴場の入口横に冷蔵庫が設置されていた。

 入ってきた時は気づかなかった。

 そもそも、設置している場所に問題がある。

 湿気と水気に満ちた場所に置いて大丈夫なのだろうか。

 安全性を心配しつつ、ハルトは興味を引かれて冷蔵庫を開けた。


「……おぉ、これは!」


 瓶に詰められ、茶色に輝く液体。

 キンキンに冷えており、ふやけた手のひらが痛いほどに冷たい。


 見間違えるはずもない――コーヒー牛乳だ。

 彼女の言っていたじゃぱねぜの風流とはこれのことだろう。

 ミトの日本かぶれに、ハルトは初めて感謝した。


「一つもらいます」


 10本ほど入っているうちの一本を手に取り、ハルトは紙の蓋を外した。

 キュポンと爽快な音がして滴が跳ねる。

 そして間断の隙なく瓶を傾けた。


 流れ込んでくるコーヒー牛乳。

 ひんやりとした冷気が口の中に広がった。


「~~~~~!」


 清涼感がハルトの頭を覚醒させる。

 透き通るような甘さと、ほんのり残るコーヒーの風味。

 口当たりのいい牛乳が最高のアクセントになっていた。


 乾いた身体にとって、これ以上の褒美はない。

 一気に飲み干すと、ハルトは深い息を吐いた。


「……ぷはっ、最高だ」


 風呂でくつろぎ、コーヒー牛乳を楽しむ。

 こんな生活はいつぶりだろうか。

 ハルトは肉体がいきいきと活性化していくのを感じた。


 と、その時――

 

 ギィ、と浴場の外から音が聞こえた。

 どうやら、脱衣所に誰か入ってきたらしい。

 脱いだ服があるので気づくとは思うが、間違えて鉢合わせでもしたら大変だ。

 ハルトは先制して声をかけておく。


「あ、ミトさん。風呂ありがとうございます。最高でした」


 率直に感謝の言葉を伝える。

 すると、磨りガラスに浮かぶ影が飛び上がった。


「――だ、誰!?」


 扉の向こうで誰かが叫んだ。

 聞いたことのない声だった。

 少なくともミトではない。


 声の主はかなり焦っているようで、ドタバタと脱衣所から出て行く。

 ハルトはすさまじく嫌な予感がした。


「……嘘だろ、おい」


 ひとまず事故を防ぐため、浴場を出て服を着ようとする。

 急いでバスタオルで身体を拭くが、そこで再び足音が近づいてきた。

 下着は間に合わない。


 ハルトはとっさにバスタオルを腰に巻く。

 次の瞬間、壊れかねない勢いで脱衣所のドアが開いた。


「……ど、泥棒ね!」


 闖入者はハルトを見つけると、身も蓋もない一言を告げてきた。

 動揺しながら、ハルトはその人物を見た。


 ふわふわとした金色の長髪。

 瞳は切れ長で、凛とした雰囲気を纏っている。

 光沢のあるワンピースの上に、品のいいケープを着ていた。


 見た目はハルトと同じか、あるいは少し下くらいか。

 まるで人形のように美しい。

 ハルトは直感的にそう感じた。


 彼女の双眸は困惑と敵意で満ちている。

 そして、その視線は間違いなくハルトに向けられている。

 だが、一番目を引くのは、彼女の両手に握られたフライパンだろう。

 一旦離れたのは、これを取りに行っていたためか。


 よく磨かれたフライパンだが、少女は今から料理をするといった雰囲気ではない。

 次の瞬間には脳天めがけて振り下ろしてきそうだ。


「待て、まずは待ってくれ」

「待たない!」


 恐ろしい剣幕だ。

 フライパンを持つ手は震えているが、握る強さからは覚悟が読み取れた。

 完全にハルトを不審者だと勘違いしているらしい。


「俺は店員だ。ミトさんから許可をもらってる」

「嘘は通じないわよ。ミトさんは追加で人を雇わないもの。それに、男に敷居をまたがせるなんて、絶対ッ、絶対にないわ!」


 少女は確信を持って告げてきた。

 客から聞いていた前評判と一致している。

 しかし、自分をこの店に置いてくれると言ったのは他ならぬミトなのだ。

 ハルトとしても譲るわけにはいかない。


「本当だって。なんなら確認取ってもいいぞ」

「この時間のミトさんは買い出し中よ」

「知ってるって。帰ってきてからって意味だ」

「……し、知ってる? やっぱりミトさんが不在の時を狙ったのね、この外道!」


 埒が明かない。

 彼女はこちらを泥棒と決めてかかっているのだ。

 何か証明するものがないと信じてはくれないだろう。

 策を考えていると、少女は目を伏せながら告げてきた。


「だいたい、腰布一枚で人の店にいる人間がまともなわけないじゃない!」

「ここが何の部屋だか分かってる!?」

「問答無用! 言い訳は衛兵の前でしなさい!」


 彼女はフライパンを構えて襲いかかってきた。

 恐ろしく早い接近。

 その玄人じみた動きに、ハルトは反応することができない。


 しかし、確かに見た。

 彼女が軸足でハルトの服を踏んづけたのを。

 そのまま踏み込んだので、当然彼女はバランスを崩す。


「え……っ、きゃあ!」


 さすがはポリエステルの一張羅。よく滑る。

 身体を張って主人を守ってくれたのだろう。


 内心で苦笑したハルトだったが、ここで事態が急変。

 なんとフライパンが少女の手から離れ、宙を舞っていた。

 このままでは転倒した少女の上に降り注いでしまう。


「――お、ぉおおおお!」


 ハルトは飛び上がってフライパンに手を伸ばす。

 さすがは握り慣れた調理器具。

 間一髪でキャッチに成功する。

 だが、着地地点に自分のズボンがあったことに気づかなかった。


「うわっ!」


 主人殺しのポリエステルに足を取られてすっ転ぶ。

 腰を強打したが、フライパンは無事のようだ。

 塗装が剥げている様子もない。

 

 安堵していると、横から声が聞こえてきた。


「な、なによ……守ったつもり?」


 少女の不機嫌な声。

 ハルトは追撃を恐れたが、襲い掛かってくる様子はない。

 彼女は警戒した目つきで睨んできていた。

 そんな少女に、ハルトは注意をする。


「俺を泥棒扱いするのはまだいい。けどな、フライパンは鈍器じゃないんだよ」


 厨房に立つ者として、先ほどの行動は見逃せない。

 ハルトはへたり込む少女を見下ろすように立つ。


「これで人を傷つけようとするのは、料理への冒涜だ」


 ハルトは手入れの大変さを知っている。

 それゆえに、調理器具のぞんざいな扱いが許せなかった。

 内に秘めた料理人魂が燃え上がっていく。


「ミトさんに代わって、俺がフライパンの偉大さと繊細さを教えてやる」


 しかし、それとは反対に少女は硬直していた。

 先ほどの啖呵はどこへやら。

 ハルトと目を合わせず、どこかを見て目に涙を浮かべている。


「ひっ……あっ……」


 ここで、ハルトは違和感に気づいた。

 やけにスースーすることに。

 先程まで腰回りにあった布の装着感がないのだ。

 

 その時、ハルトは視界の端にバスタオルが落ちているのに気づく。

 湿気を吸った白い布。

 間違いなく、先程まで自分が付けていたものだ。

 

「――――」


 ここで、糸が切れたように少女の反応がなくなった。

 数秒後、彼女は無言で傍にあるものを手に取った。

 モップだ。

 

 しかも柄の部分は金属製である。

 突き立てればさぞ痛いことだろう。

 ハルトの血の気が引いた。


「待て、落ち着け」


 そんな声を無視して、少女はゆらりと立ち上がる。

 その目は完全に据わっていた。


「じ、事故は誰にでも起き得る。大事なのはそれを許す度量だよ。な?」


 ハルトの声虚しく、少女がモップを振り抜こうとする。

 享年18歳。さようなら現世。

 そんな言葉がハルトの脳裏を駆け巡った瞬間――


「なにやってるの、君たち」



 聞き覚えのある声が聞こえてきたのだった。




     ◆◆◆




 脱衣所での喧騒後。

 ミトは買ってきた食材を整理しながら朗らかに告げた。


「やー、ごめんごめん。サリーに伝えるのを忘れてたよ」


 ミトが止めてくれなければ、モップがハルトを貫いていただろう。

 まさに危機一髪だった。

 九死に一生を得たハルトは、深いため息を吐く。


「はぁ……勘弁して下さいよ」


 現在ハルトは、先ほど死闘を交えた相手――

 サリーと呼ばれる少女と共に、食材の仕分けを手伝っている。

 

 どうやら彼女がミトの言っていた看板娘らしい。

 看板を務めるどころか、看板で人の頭をかち割りそうな娘だ。

 そう呟くと、少女はギロリとハルトを睨んできた。


「ほんと……紛らわしいわね」

「いや、誤解したのはお前だからな?」

「は? あんなところにいるのが悪いわよ」


 少女は一歩も譲らない。

 つんけんした態度には威圧感があり、ハルトは緊張せずにはいられなかった。

 当然、両者の間で和やかな会話が始まるわけもない。

 さすがに見かねたのか、ミトが仲裁に入ってくる。


「サリー。確認せずに襲いかかるのは頂けないよ」

「でも、ミトさん、男の人は雇わないって言ったじゃないですか……だから泥棒かと」

「うんうん、ごめんね。気が変わったんだ」


 気が変わったから雇う。

 ハルトからしても恐ろしく軽い理由に聞こえた。

 もっとも、彼女のことなのでちゃんと意図があるんだろう。

 野菜を積み上げながらハルトは事の成り行きを見守る。

 

「僕も謝るから、サリーもほら」


 ミトの粘り強い説得。

 ついに少女も折れたのか、彼女はハルトに頭を下げてきた。


「……謝るわ。ごめんなさい。泥棒と間違えちゃって」


 どうやら謝罪自体に慣れていないようだ。

 プライドがあるのか、頬は赤く染まり、屈辱といった顔をしていた。

 そんな彼女に、ハルトは少しだけ歩み寄ってみる。


「いいよ。まあ、なんだ。同僚になるんだし仲良くしてくれ」

「それは嫌!」


 光速の拒絶。

 手を差し出そうとしたハルトも一瞬で引っ込めた。

 現段階では取り付く島もなさそうである。

 

 これを見て、ミトは困ったように苦笑する。


「しかし、男の人に全然慣れないね。僕としては色んな世界を見たほうがいいと思うんだけどな。ねえサリー?」

「み、みみみ見てないです! 何も見てないですから!」

「……何の話だ?」


 ミトの問いかけに対して答えが噛み合っていない。

 いたく動揺している様子だ。

 顔を隠す少女に、ミトはからかうように告げた。


「ふふ、初々しいね」

「……ミトさん、意地悪です」


 気の強い少女も、彼女には敵わないようだ。

 やはりミトこそがこの店の首領ドンだったか。

 ハルトが頷いていると、ミトがポンポンと肩を叩いてきた。


「ほら、二人とも自己紹介して。まずはお互いを知るところからだよ」


 そうだ。まだ彼女の口から名前を聞いていない。

 そして自分の名前も告げていない。

 ハルトは自己紹介をしようとするが、先んじて少女が名乗りを上げた。


「私はロサリア・フォン・オリエンタス。年齢は17。この店の接客を担当しているわ」


 ロサリア。

 いい響きの名前だな、とハルトはぼんやり感じた。

 ロサリアだからミトは『サリー』と呼んでいるのだろう。


「言っとくけど、普通にロサリアって呼んでね。一つ年上だからって変なあだ名つけたら怒るわよ」

「わかった」


 どうやら、サリーと呼んでいいのはミトだけらしい。

 まあ、初対面の相手に馴れ馴れしくされるのは嫌なのだろう。

 ロサリアが口を閉じたところで、ハルトも名前を名乗った。


「俺は佐々来春人。日本人……ここだと”じゃぱねぜ”っていうのかな」

「ああ、道理で……礼儀を知らないと思ったわ」


 ロサリアは冷たい目を向けてくる。

 じゃぱねぜと礼儀に相関関係があるのだろうか。

 疑問に思いつつ、紹介を続けていく。


「えっと、昨日からこの店で働くことになって。ポジションは……料理補助、みたいな?」

「うん、まだ補助がメインになるだろうね」


 ミトの助け舟で、自分の立ち位置を確認できた。

 自己紹介を終えたところ、ロサリアが不思議そうな目を向けてきた。


「補助って……ちゃんとした料理人じゃないの?」

「いや、その……」


 ハルトは言い淀む。

 確かに厳密に言えば、自分は料理人ではないのかもしれない。

 少なくともハルトの知る限りで、包丁の握れない料理人はいなかったのだから。


「料理人なら即答できて当たり前よね。なんで黙るの?」


 どうやら、料理が本当にできるのか疑っているらしい。

 どう答えたものか。

 頭を捻っていると、ミトが背中をポンっと押してきた。


「大丈夫。ハルトくんは立派な料理人さ。確かに今は不調だけど、療養中なんだよ」

「その不調っていうのが、そもそも疑わしいです。実力低いのをごまかしてるんじゃないですか?」


 ロサリアは依然として疑っている。

 彼女はミトからハルトに視線を移すと、見定めるように目を細めた。


「正直、役に立たないなら雇う必要性なんて感じないですし、一緒に働きたくないです」

「ふふ、サリーは頑固だね」


 ミトもこればかりはどうしようもないようだ。

 まあ、学校の先生ではあるまいし。

 わざわざ権力を使って仲良くしろとは言わないのだろう。

 ミトはしばらく熟考した後、ポンッと手を叩いた。


「そうだ、ハルトくん。ここはサリーに一品作ってあげてみてはどうかな」

「料理をですか?」

「ああ。僕は君を即戦力として見てるんだけど。サリーはハルトくんの実力に疑問があるみたいでね」


『そうだろう?』とミトはロサリアに問いかける。

 不服そうだが、ロサリアは否定しない。

 彼女はため息を吐くだけだ。


「私はいいですけど。そんな試すようなこと言ったら、その人逃げちゃい……」

「もちろん、無理強いはしないよ?」


 ロサリアの言葉を遮って、ミトはハルトに確認した。

 やるか、やらないか。

 今ここで決めろということだろう。

 

 しかし、ハルトは怖気づかなかった。

 ここまで舞台を整えてもらったのだ。

 厚意を無下にして断る道理がない。


「わかりました、やらせて頂きます」

「おぉ、さすが僕の見込んだ料理人だ」


 ミトは嬉しそうに頷く。

 しかし、ロサリアは冷たい視線を注いでくるだけだ。


「大丈夫? 最初に言っとくけど、温情で評価はしないからね。化けの皮剥がれて追い出されても、私のせいにしないでよ」

「ああ、上等だ」


 言葉は辛辣だが、「味は偏見抜きで見てやる」と言っているのだろう。

 この分だと、かなりの辛口批評になりそうだ。

 ハルトは武者震いをした。


 今まさに、逆境の中で試されようとしている。

 状況だけで言えば、あの凄惨な地獄を味わった時と似ている。

 本来ならば、血を吐くほどに苦しい状況のはず。

 

 なのに、なぜかハルトは嬉しかった。

 躍起になって、頑張りたいという欲求が溢れてくるのだ。

 不思議な感覚だった。

 

 しかし、すぐに気づく。

 まともに料理で実力を判断してもらえるのが、初めてだからだと。

 しがらみの中で窮屈な料理を作らされ、酷評されていた時とは違う。

『自分の料理』次第で、評価を変えてもらえる可能性があるのだ。

 

 見返してやりたい。認めさせたい。

 ハルトは今までにない闘志がみなぎってくるのを感じた。

 高まった五感をフル稼働させ、料理を考えていく。

 

「ところで、ロサリアって酒が好きなのか?」

「え、どうして……」


 図星だったのだろう。

 言い当てられて予想外といった顔をしている。


「ほんの少しだけど、酒の匂いがしたからさ」

「えっ!?」


 ハルトの言葉で、ロサリアの顔が赤くなる。

 彼女は慌てて二人から距離をとった。

 その反応に、ハルトは思わず笑ってしまう。


「いや、服からだよ。衣料についた匂いはなかなか取れないんだ」

「……なによ」


 口をとがらせながらも、ロサリアは少しホッとしたようだ。

 もっとも、その匂いというのは不快になるものではない。

 単に酒の多い場所に行くことが多いだけだろう。

 鼻が良くないと分からないレベルだ。


「ちなみに、お酒好きなのは当たってるよ。ウチで出してるお酒はみんなサリーが集めてくれたものなんだ」

「へぇ……」


 ミトの言葉で、ハルトはあることを思い出していた。

 昨夜、日本酒を幸せそうに飲んでいた骸骨たち。

 彼らが飲んでいたものを後で調べたが、刺し身にベストマッチする風味だった。

 あれもロサリアが買い集めたものなのだろう。

 

 少し、彼女の力を知りたくなった。


「ふふ、サリーはお嬢様だからお酒にはうるさいよ?」

「ちょっと、ミトさんっ!」


 騒ぐ二人の横で、考え続けるハルト。

 彼女に認めさせることのできる料理。

 その上で、彼女の力量も知ることができる料理。


 これを実現する料理となると――

  

 考えること数分。

 いい案が浮かんだのか、ハルトは自信に満ちた笑みを浮かべた。


「じゃあ、『酒と因縁のある料理』を一つ」


 含みのある言い回しに、ミトとロサリアが反応する。

 ロサリアが露骨に警戒したのが分かった。

 そんな中でも、ミトはのほほんとしている。


「ん、お酒とあうってことだよね?」

「食べてみてのお楽しみです」


 ハルトは明言しない。

 ただ、料理を口にすればすぐに分かる。

 ミトも察したのか、それ以上は追求してこなかった。

 

「ミトさん。ここにある食材、少し使ってもいいですか?」

「もちろん。でも今日は”じゃぱねぜ”料理の食材はあんまり買ってないよ。大丈夫?」

「ええ。元々、多国籍料理が専門なので」


 無論、日本料理も勉強したことはある。

 しかしそれ以上に、様々な国の料理を学んできたのだ。

 今は昼時。それも使える食材は、夜の営業に支障を来さない程度。

 大層なものは作れない。

 

 しかし、力を見せるには十分。

 ハルトは近くにある食材を集めていく。

 そんな彼に、ロサリアは冷ややかな視線を投じる。

 

「ベーコン、アスパラ。それと――卵かしら?」

「正解だ」


 香ばしい燻製ベーコン。

 瑞々しいグリーンアスパラ。

 そして変哲のない鶏卵。

 それらを手に、ハルトは高らかに告げる。


「では、『酒と因縁のある料理』、作っていきます」


 その時――ロサリアが怪訝な顔をしたのを、ハルトは見逃さなかった。

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