外伝 『ゾフィー』

 わたくしは、ゾフィーリア・ローネンブルク・クセノス。


 わたくしは、聖アルネリア国、聖櫃守護者の第一位であるクセノス家に生まれました。

 そこは、父が教皇様より守護を任された地でした。

 兄と姉、2年後に産まれた妹と共に育ちました。

 父も母も心優しく、わたくしは健やかに育ちました。


 兄は正義感が強く、聖櫃守護者を継承すると、早くも意気込んでいました。

 姉はおてんばで、兄をからかったり、わたくしをいたずらに巻き込んだり、何かと問題児でしたが、諦めない、突き抜けて明るい人でした。

 妹はわたくしにべったりで、いつも付いてきていました。


 わたくしは歌が好きでした。

 歌を歌うと皆が、うっとりと目を閉じ、終わるといつも褒めてくれました。

 城下に住まう人々にも、わたくしの歌を聴くために、宮殿広場に集まったこともありました。


 魔法を使うのに杖や、魔導棒、指輪ではなく、歌でできることを知ってからは大喜びでした。

 好きなことを活かせるのはとても幸せなことです。


 10歳の時でした。

 わたくしは父より洗礼の儀式をするからと言われて、父の部屋に行きました。

「すぐ終わるよ」

 と、優しく言った父の表情が一瞬で真っ青になりました。

「どうしたの? お父様」

「いや、なんでもない」


 それから父は、わたくしに決して自分の能力を見せても教えてもならないと言いました。

 わたくしはまだ自分の掲示を全部見ることができずにいました。


 5年後、聖アルネリア国で事件がありました。

 聖都アルネリアが火に包まれたとのことでした。


 父は守護者として、聖櫃を護るために、一人前となった兄を派遣しました。

「父上、俺は必ず教皇様を助け出し、神の遺産を守りぬいてきます」

 兄は急ぎ、祖国である聖アルネリア国へと旅立って行きました。


 そしてすぐあとに、神殿にてある儀式を行いました。


 父はわたくしに手をかざし、ある力を授けました。

「これは、聖櫃を含む聖遺物を守護する鍵を解く力だ。ゾフィーリア、しっかり守るんだよ」

 それは、合鍵の分散のための一人として選ばれたからでした。

 わたくしは、この身に鍵を宿し、守りぬく運命を授けられました。

「ゾフィーリア独りで守るのではない、我々が一丸となって、ゾフィーリアを守りぬくのだ」

 父はそう言いました。


「ゾフィーリア様、鍵の神命を見せて貰ってもよいかな」

 父の政務を支えるウィリアム卿が聞きました。

「はい」

 わたくしは、誇らしさと義務感に従い、彼にわたくしのことを掲示しました。

 父が叫びます。

「まて!ゾフィー――」


 掲示を見た者たち全てが、どよめきました。

 神殿が喧騒で満ちてきます。

「どういうことですか! 殿下」

 ウィリアム卿が父を問い詰めます。


 彼らはわたくしが魔族の可能性を持つ存在であることを知ったのでしょう。

 当時のわたくしは何も知りませんでした。知ろうとしませんでした。


「我らの敵め!」

 突然男が護身用の短剣でわたくしに斬りかかりました。

 ですが、血飛沫を上げたのは彼でした。

 父が殺したのです。


「諸君。諸君は信じてもよいかね?」

 こうして神殿は静かになりましたが、わたくしは何もわからず血潮を浴びながら呆然としていました。


 父は言いました。

「ゾフィーリア。いいか、君は何も悪くない。今のままでいいんだよ」




 ですが、全ては変わってしまいました。

 年を取るごとに上手くなっていると言われた歌は、悪魔の歌と言われ誰も聴いてくれません。

 姉は、父の失脚を予想し、噂の届かない貴族のところへ逃げるように嫁入りしました。

 あんなにも懐いていた妹は、距離を置き、手を伸ばすと汚いものを見るかのように、はたいて逃げていきます。


 兄は未だに聖アルネリア国から帰ってきません。


 そして。そして、母はまだわたくしに愛情を注いでくれました。

 わたくしを優しく抱きしめ慰めてくれました。


 ですが、歌は決して聴いてくれませんでした。


 わたくしは、存在するだけで、疎まれるようになってしまいました。

 宮殿は荒れ、父も、クセノス家も糾弾されるようになりました。


「どうしてわたくしは生きていていいの? お父様」

 最早わたくしには存在する価値がないように思えたのです。

 わたくしがいなければ、もっと良くなるのだと、わたくしは思ったのです。


「いいかい、ゾフィーリア。おまえは鍵の持ち主だ。誰にも殺せやしない。国の存亡の危機の今、ゾフィーリアだけは手出しされない」

 父の顔は優しくも、悲しげに、そして自分や皆の笑顔を消し去ったわたくしへの憎しみに歪んでおりました。

 わたくしにはそれがわかってしまいました。


 それに、わたくしの価値はただ生きていることだったのです。


 わたくしは何もしなくなりました。

 感情すら何処かに忘れてきてしまったようでした。

 ただ、起きて、食事をし、独り歌い、寂しさに襲われ、人から疎まれ、また寝るだけの生活でした。


 そんな折でした。


 アスラエル帝国がクセノス家の所領地に侵攻しました。

 戦火は瞬く間にわたくしたちが住む宮殿まで及びました。


 母がわたくしの手を引きます。

 どこに行くのかと思っていると急に止まりました。

 振り向いた母はとてもいい笑顔を浮かべました。

 わたくしの首を絞めながら。

 薄っすらと死んでもいいと思っていました。

 ですが、わたくしは生きたいと思いました。

 結局、ただ生きる価値をわたくしは認めてしまいました。


 必死で振り払い、夜の影に混じり、宮殿から逃げ出しました。


 行くあてもない。

 木の根を喰み、少ない水をつくり、意地汚く生き延びました。


 ある日、朦朧と彷徨っていると、馬車が止まりました。

 あの時は何にでもすがりたい気持ちで、降りてきた商人がとてもありがたく感じました。


 ですが、商人がわたくしを見る目は商品を見る目でした。


「ああ、クセノス家は滅んだよ」

 掲示を見た物知り気な商人が、あっさりと言いました。

「そうですか」

 感慨もなく、返事をしたわたくしは、そんな自分を冷めた目で見ていました。

 わたくしはそんなことはもうどうでもいいと思っていることに気付きました。

 自分のことですら、どうでもよく感じてならないのですから。


 馬車には、売却予定の女たちが詰まっていました。

 皆クセノス領から逃げてきた人々です。


 わたくしがクセノス家だと知ると、思う限りの罵声を浴びせてきます。薄汚れた絹のドレスも破かれ、裸に剥かれました。


 わたくしはそんな彼女たちに、魔族の種子を持っていることを示しました。

「手を出したあなたたちは、いつか魔族となった暁に、喰い殺してあげる」

 それから彼女たちは静かになりました。


 少しだけ愉快に感じました。


 そして、ふと気付きました。


 そっか。

 魔族って怖いんだ。

 恐れられるんだ。

 こんなにも惨めなわたくしでも。


 いいかもしれない。

 魔族になって、この女共を喰い殺すのも。


 それから、早く魔族にならないかなと、待つようになりました。

 すると、生きることが苦ではなくなるのです。

 人から解き放たれ魔族になることがわたくしの生きる希望なのです。



  ●



「ほう。また珍しい御仁がいる」


 わたくしは客引き用の見せ玉ではありますが、決して買う人は居ません。

 そんなときでした。

 貴族が飄々と奴隷小屋を覗きに来たのは。

 貴族はすぐに、商人を呼び出しました。

「おい商人。こちらのお方を引き取らせてもらう。ん? 私を知っている? では話が早い。私の大隊宛に請求書を用意してくれ。明日受け渡しだ」

 あっさりと私を買って行きました。

 何を考えているかわかりませんが、正直あまり気になりません。


 彼はベーレンという名の軍人貴族でした。

「ゾフィーリア様、貴い存在のあなた様にこんな生活を強いるのは、申し訳ないが、ここに住んでもらう。費用は週ごとに渡す。以上だ」

 貴い存在と言う割には、慇懃さの欠片もないような態度。

 どこか何事も冗談だと言わんばかりの調子は彼の癖なのでしょう。


 わたくしは暫しの間、隠者のような生活をしておりました。

 それが終わったのは、ある日の早朝のことでした。


 いきなり、入り口に掛けてある筵を捲って、

「新しい主人ができた。そいつは二時間後、ここを発つ。準備しろ」

 言うだけ言って、いなくなりました。

 しょうがないので、言われた通りにしました。


 ベーレンが言う新しい主人という方は、わたくしよりも年下であろう男の子でした。

 こんな子が冒険者をしても、すぐに死にそうに思えます。

「短い間だけど、よろしく」

「シンシアだ。よろしく」

 それでも従うしかないのでしょう。


「待てぇー!」

 門をくぐろうとしたとき、後ろから、ベーレンとよくいるルルファが走ってきました。

 彼女はベーレンの側近で、とても強いそうです。

「早々悪いけど、走るぞ」

 いきなり言われて、よくわからないけれど、走りだす。

「あなた、何をしたの?」

「嘘ついた」

「あの女傑を誑かすなんて、酔狂ね」

「そうしなきゃ、余計面倒なことになるのは目に見えた」

「必要なら嘘をつく。人間って汚い」

 平気で嘘をついたと自白して悪びれない。

 きっと汚いことを知っているのでしょう。


「嘘をつかないと死ぬ場合、ゾフィーリアならどうする?」

 それはずるい質問です。

 わたくしには、もう死ぬ選択肢はありませんでした。

「ゾフィーでいい。なら嘘をつく。汚くてもいい」

 そう。わたくしだって汚いのです。


  ●


「ゾフィー、魔族の種子ってなんだ?」

 突然、シンシア冒険者が聞いてきました。

 わたくしの人生を狂わせ、そして唯一の希望のものについて。


「ずいぶん平和な冒険者。知らない?」

「ああ、だから教えてくれ」

 若いだけあって何も知らないのですね。こちらの冒険者は。

 さぞ怖がってくれるでしょう。そしてベーレンを恨むでしょうよ。


「魔族の種子。それは、魔人となる可能性」

「それつまりどういうことを示す?」

 冷静に聞いてくる彼。あまりわかっていないのでしょうか。


「人類ではなく魔族になる。それは生まれ変わりに近く、人類の鎖を断ち、人に恐れられる」

 特に嫌な感情も見せない。

「うーん、掲示内容も変わって、人の社会じゃなくて、魔族の社会に生きるってこと?」

「ええ。人からすれば、問題なのは私は将来の人類の敵ということ」

 そうよ。わたくしはあなたの敵なのですよ。

「そういうことか。理解した」

 本当に? 敵になるといったのに、何をあっさり返事しているの。

「ねぇ、あなた。わたくしが言っていることわかってるの? 魔人になれば、奴隷主従も消えるわ」

 極端に言えば、きっとあなたも殺せます。

「ああ、将来魔族になる可能性が高く、その後はゾフィーは自由になる。ただし、人を害する存在になる」

「ええ。そう。それで、怖くない? 嫌じゃない?」

「そう言われてもねぇ。魔人に会ったことないし。ゾフィーは?」

 思ってもみなかったことを聞いてきました。

「……ない」

「じゃ、恐れる前に会ってみなきゃ。例え敵と呼ばれても」

 何を言っているの?

 魔族は人に恐れられているのでしょう?

 あなたは怖くないの?

「変な人」

 そうはっきりと思いました。


 何かと彼が話し掛けてきます。

 それはちょっとした雑談だったり、わたくしのことだったり、自分のことだったり。

 こんな風にお喋りをする機会は久々です。

 ですが、一切は無駄に思えたので、応えることはありませんでした。

 わたくしは魔族になるのですから。


 シンシア冒険者が水を用意しました。

 せっかくの機会なので、身体と髪を洗い、すっきりしたあとは、ボロ切れに等しい服を洗います。

 さっぱりして仕切りから出ると、着替えと、焚き火が用意してありました。

 ちょっぴり感謝しながら、乾かします。


 が、水が溢れた音に伴い、仕切りの下から水が流れてきました。

 せっかくの焚き火が消えてしまいます。

 一言言っておこうと、少しだけ顔を出すと、そこには裸の女の子がいました。

 そこには彼の姿はありません。

 女の子は彼と同じくらいの年齢、背丈で外見も似ています。

 でも、配分の良いほっそりした身体は、女性ならではです。


 女の子がシンシア冒険者であることを掲示で教えてくれました。

「……本当のようね」

「そう。ちょっとした病気みたいなもの。よろしい?」

 全く説明する気がないようです。

 開き直ったかのように、堂々と裸体で腰に手を当て構えている。

「変な人」

 シンシアは色々とおかしい。



 それからは日によって、男だったり女だったり変化しています。

 その瞬間を見たことはありませんが。

 会話の調子は違うけれど、昨日男にあったことを女が知っている。

 同一人物というよりは二重人格に身体もついてくるような変な人です。


 いい加減わたくしが何も応えないことに諦めたのか、今日はシンシアは一言も話しかけてきませんでした。


  ●


「ゾフィー、起きて」

 シンシア(女)が小屋の隅で寝るわたくしの肩を揺すります。

「賊かもしれない人たちが来てるから、動く準備して」

 どうやって知ったのかよくわかりませんが、急いで準備をします。


「ゾフィー、今すぐ攻撃魔法使える?」

「少し、時間かかる」

「じゃ準備だけお願い」

 魔法を使うなんて久しぶりです。

 どうにか方法を思い出していく。


 シンシアが扉に右腕を構えると、なんの魔法かわかりませんが、尖った杭が、物凄い速さで飛んでいきました。

 貫通した扉の先で男が呻く声が聞こえました。


「ゾフィー。お願い」

 振り向いたシンシアがそう言ってすぐに動き出し、穴だらけの扉を蹴り飛ばしました。

 歌うのは嫌だけれど、仕様がありません。

 歌声を聴いていた人々の喜ぶ顔が蔑む顔に変わっていく記憶を思い出しながら、歌い上げる。


 一人男が躍り出た。

 シンシアがもう一人をわたくしが見える位置に蹴り飛ばしました。

「ゾフィー!」

「アイシクルグラベル」

 初級氷魔法である小さな氷柱が男三人に当たりました。

 倒れて、起き上がらなくなり、ホッとしました。


 シンシアは一人の喉元に魔力の刃を突きつけました。

「まだ抵抗する?」

 男は首を横に振りました。


 シンシアは強いと思いました。

 わたくしが何かをする必要もなかったのではないかと思う程には。


 ですが、あの若さで一体どうして強いのでしょう。

 いや、どうして強くあらねばならないのでしょう。

 そんなのは決まってます。

 死なないために。

 わたくしもそうです。ただ生きているだけなんて死んでいるも同然です。


 だから、魔族になりたいと思いました。



「ゾフィー。助かったわ」

 律儀にも礼を言うシンシア。

「自分の命が惜しいだけ」

「まぁまぁ、それでも。ね?」

 ちょっと惚けたような言い方は、こちらの調子が崩れます。


「それに歌、綺麗だったね」

 ほら、こんな風に。

「今度、聴かせてよ」

 もう歌をうたってほしいと言う人間など、いないと思っていました。

「敵がいるなら」

「それじゃだめなんだってばー」

 いつか、静かな夜に聴かせてあげようと、少しだけ思った。


  ●


 準高級服飾店に来ています。

 シンシアは服を二着1銀貨で買い、他にも買っています。


 盗賊を捕まえた報酬は5銀貨。

 なかなか捕まえる機会なんて無いし、きっと大金だと思います。

 それぐらいあれば、一年は生きていけそうです。


 店内を見回して、服を見ると、自分がみすぼらしい姿をしていることを思い出してしまいました。

「なぁゾフィー」

「なに?」

 そんな時、シンシア(男)の呼ぶ声に返事をしました。

「どれか欲しいものはあるか?」

 そう聞いた時、嬉しいようで、嫌悪感も混ざったおかしな気分になりました。


 どうしよう。

 どうしてやろう。


 周りを見て、30銀貨ちょうどの上下服がありました。拵えもいい。

「あれ」

 と、指を差しました。

 値段を確かめることを忘れて、服をわたくしに渡して、カーテンで仕切られた試着室に押し込みます。


 みすぼらしい服というよりはただの布切れを脱ぎ、新しい服に袖を通す。

 よく磨かれた鏡があり、自分の姿を見ると、本当に欲しくなってしまう。


「似合ってるじゃないか」

「そう?」


 ありがとう。

 でも、30銀貨なんて無理でしょう? 奴隷の方が高い服なんてありえませんよね。

 そもそも魔族になるつもりですよ。


 さあ、否定してください。

 買えないから、さっさと脱いで、元の惨めな姿に戻れ、と。

 でも、否定してくれるかな。

 奴隷とか、魔族は関係ないって。

 ただ払えないだけだって。


「店員さん、そのまま着ていくよ」

 え?

「まいどありー」

 どうして?


 何の逡巡もなく、お金を払っていくシンシア。

 シンシア。あなたは変です。

 なぜ、わたくしなんかを気遣うのですか。


 いいえ。

 わかってしまったのです。

 本当は疑問に思う必要はないのは知っています。

 シンシアは底抜けに優しい人。

 きっと人類でも、魔族でも、優しさを持つことができるのでしょう。


「変な人」


 ああ、この人の隣でなら、まだ人でありたい。

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