2-18 立ち塞がる深紅


「待っていたぞ、オルドア三等冒険者シンシア」


 深夜、月光を反射するは長槍。

 静かな侯爵本都北部広場で、赤灼の髪が風に靡く。


 ゾフィーの行き先へ急ぐ俺たちの前に現れる、竜を駆る戦乙女。

 立ち塞がるは、竜騎兵団副団長グノーシャ・カリウス。


「どういうことなのって質問は無用かな?」

 シアが、その意味を察しつつ、言葉を発する。

「そうだ。既に言葉で意志は為せない。ならば、語る必要もない」

 それに対し、彼女は断言し、手に持つ長槍を振るう。


 この一件、ただ事ではない。

 それは、竜騎兵団副団長が、街の真っ只中で、完全武装していることで充分わかることだ。

『シア。ゾフィーの身が危険かもしれない』

『そうね。急がないと』

 最初からゾフィーを引き止めておけば、という思いがお互い混じるが、それを振り切るように、シアが声を上げた。


「グノーシャさん! そこは退いてもらうわよ!」

「来い冒険者!」


 無手で走り、距離を詰めるシア。

 全身に魔力が巡らす。

 両足にバネが入ったかのように軽くなる。

 緑色の発光と共に魔力の刃が具現。

 直後、槍が突きこまれる。

 鋭い突きを刃の平で受け流しながら、槍の有効距離の内側に踏み込む。

「単純だな!」

 高速の半円を描き、下から抉るように槍の尻、石突がシアを狙う。

 防殻が光を散らしながら、後ろへと飛ばされる。

 シアは空中で受け身をとりつつ、空間移動を発現する。

「速い。が、遅い」

 グノーシャの指先から、風に誘導された火の糸が空間魔法を乱す。

 空間移動に失敗し、そのまま着地する。

 シアの目の前に穂先が迫る。

 三重に編み込んだ防殻が貫かれる。

 その瞬間に頭を逸らし、必殺の突きからは逃れた。


『あの槍が特別か、グノーシャが魔法を施しているのか。どちらにせよ、こっちが使う魔刃と同等か』

『得意の空間魔法も、容易に破壊される』

『防殻を出すのも精一杯』

『流石はあの年で竜騎兵団副団長ということかな』

『竜無しでこれだ。来るぞ、シア!』


 広範囲の横薙ぎ。

 一足飛びに下がり、距離を取る。

 槍の側部に刃は無いが、打撃としても充分痛い。

 避けたところで、槍は蛇のように追いついてくる。

 繰り出される突き。

 一撃。二撃。三撃。

 防殻に加え、魔刃も守りに回して、身を庇う。

 そうして瞬間を稼がなければ、あの槍捌きを受け流せない。

 防戦一方。


 遂に、受け流すにも、限界が来る。

「うっ!」

 槍の刃が撫でるように、手の甲をえぐられる。

 魔力の供給が鈍ると、搔き消える魔刃。


「魔力の扱いに長けている。何を発現させるか、ではなく、魔力そのものの。特に、並行して発言させる能力は特筆すべき、というところか」

 部下に総評を与えるかのように、告げるグノーシャ。

「しかし、まだまだだ。諦めた方がいい」

 月を背に彼女は槍を突きつける。

 右手は痛む。

 でも。

『まだまだ。だよね』

『まだまだ。だから?』

『そうこれからよ』


「いいぞ。その目は嫌いじゃない」

 そう言いながら、グノーシャは手を緩める気はないらしい。

 猛烈な刺突を防殻で避ける猶予を生み出し、凌ぐ。

 これから、と言ったものの、どうするべきか。

『シア。防殻、緩めるぞ』

『りょーかいっ!』

 防殻を最低限薄くする。

 空間移動法を背後に多重発現。

 即座にグノーシャは対魔法行動に移り、空間移動の境界を破壊するが、それは全て成し得てはいない。

 発現した境界から、シアがグノーシャの背後の境界へと移動する。

 血と共に溢れる魔力が刃を形作る。

 予想していたのか、グノーシャが一歩前に出ながら、半身を翻し、槍を振るう。

 その間に空間移動口を用意してある。

 グノーシャを囲むように。

 その数40箇所。

 魔力を左腕に濃縮させる。

 とにかく近づけさえすれば。直接これをぶち込めば。

「ちっ、面倒な」

 グノーシャは槍を大回転。穂先を上に、地面に叩きつける。詠唱。

「塵と化せ。熱波!」

 槍を巻き込むように火の渦が、周囲へと広がる。

 熱を持った風が辺りを薙ぎ払う。

 移動するために発現した境界が全て破壊される。

 込められた魔力は微量のようで、可燃物に火はつかない。

 ギリギリ間に合い、シアは移動済み。

 死角から、飛び出すが、

「わかっているぞ、冒険者!」

 地面に刺さる槍を手放し、肘鉄と掌底を同時に打ち込むグノーシャ。

 懐に入り込んだはずが、相手が更に懐に忍び込み、攻撃は届かなかった。

 胸部に痛みを覚えながら、シアが跳ね飛ばされる。

 それでも、シアは諦めようとはしない。

『行くよ!シン!』

 シアの掛け声と共に、空間移動魔法を構成。発現させる。

 繰り返し、発破を掛ける。が、しかし、届かない。

 あと少し。

 あと少し、相手の動きを上回ることができれば。

 あと少し、彼女に接近できれば。


 いや。

 本当にあと少しなのか?

 これは、途方もない行動ではないのか。


 ふと思う疑問。

 それは、平静を保つ水面に、一滴落ちるように波紋を描き、腑に落ちた。

 腑に落ちてしまった。

『シン! どうしたの!?』


 空間魔法による多元的攻撃は、魔人クラウスとの戦いの時、物量任せで行ったが、この状況、対策されている状態では効果を上げ難い。

 浪費と言わざるを得ない。

 魔力量にものを言わせた魔力の濃縮からの相手への直接放出は、近接できなければ、減衰が著しい。

 これも繰り返す度、浪費と言わざるを得ない。


 武道においても相手が上。

 魔法においても相手が上。

 単純な体術においては、身体強化を行った上で、同等か何とかついて行ける程度。

 二人分の処理能力で補う手数にも限界がある。

 魔力量は依然として充分に保持されているが、生命量はジリ貧の状態。

 ましてや、グノーシャは急所を狙うことに躊躇いはない。

 一撃死もあり得る。

 俺たちが相手が相手をしているのは、竜騎兵団を掌握する精鋭中の精鋭。

 実力主義かつ現実主義のグノーシャ・カリウスだ。

 勝てる訳がない。


 グノーシャの、彼女への攻撃が止まる。

「その意気は称賛に値することは認めよう。いいか? これは竜騎兵たちにもあまり言うことはない褒め言葉だ」

 俺の魔力操作が無くなり、防殻が消え、魔刃が消える。

 身体を巡る魔力も乱れ、身体の強化も失われていく。

 疲れにあえぐシア。


 気を緩め、隙を晒すほどグノーシャも愚かではない。

「だからこそ。引き際を理解すべきだ。貴様は前途がある人間だ」

 絶対的優位とその確信から生まれるその言葉。

 それは、俺から見ても事実だった。

 圧倒的な差。

 消耗戦の今、不利を背負い、継続は困難。

 これ以上は、グノーシャが言う通り、無意味では?


 こんな状況である以上、俺たちは何かを行わなくても、いいんじゃないか?

 ゾフィーは、本当に危険な状況なのだろうか。

 もしかしたら自力で、対処可能かもしれない。

 ひょっこり朝には帰ってくるかもしれない。

 グノーシャやサイラス、ゼイフリッドは、危険を排除すべく動いているのではないか。

 そうであるのなら?

 本当にそうだとしたら?

 俺はどうするべき?


『シン……』

『なぁシア。もう……』

 ダメなんじゃないか?


『まだ……まだだよ。シン――』


 シアから聴こえる声。

 相反する意見を持つ二人の距離が遠退とおのいてくる。

 かすれて聴こえる声。


『まだ。なんだよ……』

 小さく。

 小さく聴こえる。


『お願い。諦めないで、シン』

 静かに懇願するシア。


 ああ、わかっているよ。

 如何に困難な状況でも、それこそがゾフィーの危険を示すものであることが。


 けどな。どうすれば……

 圧倒的な実力差において、どうすれば打開できる?

 まだ生きているし、魔力も多く残されている。

 しかし、できることは多くない。


『――――』

 そして、声は聞こえなくなる。

 


 経験は才能を凌駕する。

 そして多くの経験を持つグノーシャは、才能も有する。

 この世界に来てから少ない経験でどうしろと言うんだ。

 やってもできないことをすることは、無謀でしかない。

 それは今、明確に示されている。

 こんなことは無意味だ。



 ――――いや、そうじゃないだろう、シン。



 ほんの少し前、小宮シンであった頃、俺は何を思った?

 小宮シンの最後、何を叫んだ?

 どうして後悔した?


 俺は…………

 もう諦めたくはない、と。

 失うことで、己を切り捨てたくない、と。

 そう願ったはずだ。


 ならば。


 そうであるならば――――


「立ち向かうべきだ!」


 吠える。

 シアを超え、己の声で吠える。

 決して折れないように。

 そして、シアが、シンが、重なる。



「「まだ、終わりじゃない!」」



 シンが。シアが。

 溶け込んでいく。

 一つの身体に共生するのではなく、二つの心が一心に。

 揺籠のような心地で交わる俺と私シンシア


 それは、本当の意味で一心同体になった瞬間だった。


は」


 目を閉じ、詠唱を行う。

シアをシンを ――許容する」


 二重の詠唱により、現れたるは、二振りの時空刀無定限アペイロン

 その二つが重ね合わせ、刀剣もまた一つとなる。

 古文書で覚えた得体の知れなかった、空間魔法。

 声と声が重なる時、それは本質を発揮する。


 時空刀無定限アペイロン

 それは重なる存在を許容する力。

 それは空間と時間を保ち、正当とする力。


 グノーシャが戸惑い、言う。

「掲示が二重で表示されている? どちらもシンシア?」


 俺と私は同一であり、個と個でもある。

 心を重ねて、身体を一つに。


 放て。


 降身術の神髄を。


 我らの力を――――



 俺と私の背後に、大空間を発現する。


 即座にグノーシャが火術で破壊を行うが、それは影響を受けない。

「これは、一体何事だ――」


 時空刀を差し向ける先。

 グノーシャへ向かうのは、大空間より出ずる魔力の千刃。


 聡明なグノーシャの対応は迅速だった。

 槍が旋回し、火の壁をかたどる。

 炎を伴う旋風が、降り注ぐ刃をいなす。

 その間、俺と私シンシアが、グノーシャの右と左から迫る。

 そのどちらも、シンシア。

 個にして、二重の存在。


 グノーシャは、千刃を払い、右手から迫るシンシアへ刺突する。

「――き、消えた?」

 その瞬間、シンシアの存在は確定する。

 重ね合わせられた俺と私シンシアが微笑む。

 そして、分派した可能性の剣が、グノーシャを囲むように振り下ろされる。

 咄嗟に構えるグノーシャ。

 しかし、彼女は隙を見せた。

 片方の可能性を抑えたとしても、もう一方を対処に彼女は失敗する。

 収束した時空刀を肩で受けてしまう。




 ――――耐えるように、槍に縋るグノーシャ。

「これで、おしまい」

「ということで、いいだろ?」

 背中を合わせるように、俺と私が、二通りの姿をグノーシャに見せる。

 シンシアが男だった場合。

 シンシアが女だった場合。


「立場は……逆転か」

 グノーシャが、肩の傷口に魔力を込め、睨みつける。

 しかし、彼女の表情に変化が生じる。

「そうか。そういうことだったか」

 彼女は何かに気づき、理解をした。


「何のこと?」

「その剣だ。古文書から、知ったのだろう?」

「ああ」

 時空刀無定限の記述があった本は、グノーシャの私物だ。

 思い至ることがあったのだろう。


「その書物は、元々私の曽祖母が扱っていた」

「曽祖母?」

「曽祖母は神子だった。そして、神降ろしに失敗し、死んだ」

 それはつまり……

 私と同じ立場。

 そして降りたのは、俺だった。


「おまえが神降ろしの結果ということか。何が神なのかは全くわからないが」

「さあね。俺にもわからない」

「……そうだな。神を私は何も知らない」


 肩口より鮮血が吹き、沈黙するグノーシャ。

 やがて、彼女は腕を振り払い、言う。

「もういい。行け。今晩の私の役は仕舞いだ。応援が来るぞ」

 気づいてないかもしれないが、この都市全体に、部隊が緊急配置されている。

 と、彼女は続けて言った。

「優しいのね」

「諦めの悪い奴は好きだからな。それに、少なからず本意からの行動でも無かった。以上だ。目的があるのなら率先せよ、だ」

「では、大佐。ご厚意に甘んじて」「じゃね」

 そうして、重ね合わさる俺と私シンシアは、ゾフィーの元へと走り出す。


今夜はまだ終わらない。

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