2-15​ リリアの職業倫理と風の芳香

​ 突き抜けるような晴天。

 あたしは窓から射す太陽の光に目を薄く開けた。


「やめてくれよ、あたしはまだ寝てたいんだ。ゾフィー」

 朝食後、二度寝と洒落込んでいたのに、お節介な邪魔が入る。

「いけません、リリア。もう昼じゃありませんか」

 閉め切っていたカーテンを開けたのはゾフィーだ。

 午前中は料理をクルカから習っていたようだが、いよいよ家政婦染みた行動まで始めたようだ。


「えーいいじゃねーか。どうせやることもないし」

「何を言っているの。ご主人様のため、ご自分のために、するべきことはないのですか?」

「あるとも。英気を養うという名分の元、惰眠を貪る役がね」

「……はぁ。全く。減らず口」

 コンコンと銀色に煌めく髪の登頂を指先で打ちつつため息をつくゾフィー。

「そうでなくても、ご主人様はわたくしたちの行動を制約されていないのですし、出掛ければよいのに」

「へいへい。好きにさせてもらうよ。それでゾフィー、お昼ごはん」

「はいはい。今一階に用意してるので、食べなさい。ああ、必ず感想を言うこと。ただし、ご主人様の前以外で」

 そう言うとゾフィーはトントンと階段を降りて行った。


 ご主人の前で、悪評は言われたくないそうだ。

 悪食のあたしが言うのもあれだけど、心配の必要がない程は美味しいと思う。

 悩ましげに俯いているときがそこそこあり、何かと不安がっているようだ。

 まぁ、ゾフィーは心配性のところがあるからな。

 彼女曰く、あたしがいい加減だから、そう見えるだけらしいけど。



  ●



 ご主人は場所を合わせた服装をするが、ゾフィーはその辺り無関心だ。

 というより、ちょいと高そうな色気と品性と実用を兼ねた、深紫の服をいつも着ている。

 いや、毎日洗ってはいるようだし、布地や縫製は魔法で強化された特別製だ。

 たぶん、その服が好きなんだろう。

 しかし、とにかく目立って仕方がない。

 いや、狙う側だった時はそれでよかったが、むしろ狙われる立場になるとどうにも、隣に居られると落ち着かなかったりする。

 今日はそんなことを気にする必要はないけど。


「さて……行きますか」

 町民風に緩めのシャツとキュロットに着替えて、街へ繰り出す。

 と言っても、遊びに出るつもりはない。

 予備の銀貨を数枚預かってはいるが、使う気もない。

 貯金も無くはないが。

 ちょっとした散歩だ。


 東アウミネ大道を渡り、東広場に出る。

 気晴らしがてらに興行といきたいところではあるけれど、目立つべきでないのが今の立場。

 呑気に踊るのはまた今度。


 しかし、この街も他の街と変わらず、階級差がよくわかる。

 貴族に、商人に、職人。下級労働者に、農民。

 掲示を見なくても瞭然りょうぜん

 でも、鬱屈したよどんだ臭いがしない。

 それぞれがそれぞれの立場で充足している。

 統治者としても、市民としても理想的な都市。

 治安が保たれ、笑顔のある街。

 そう。

 だからこそ、同類は嗅ぎ取るのだ。

 どこかに悪臭を密閉させていることを。


 自分の本分を思い出しながら、踊る様な足取りでニオイを辿る。

 為政者は自らが汚れにまみれていることを棚に上げて、汚い存在を遠ざけるきらいがある。

 街の中を横断する川は、北北西から入り、南東に出て行く。

 引き入られた水は街を巡り、常用水になり、下水道から汚水が川の下流に放出される。

 経験が教えてくれる。

 南東部にはわかりやすく区切ったように下層民が、下水路入り口や内部には最下層が住んでいるだろう。

 まだ昼過ぎだ。

 彼らはまだ寝ているか、潜んでいるだろう。

 だからこそ見つけやすい。


 明らかに家並みの形相が変わる。

 嫌でもあるが落ち着く匂い。

 さあ、暗い世界にようこそ。


 まず、汚水の臭い。

 整備されずに剥がれ放題の石畳。

 砂埃が舞い、臭いに混ざる。

 次に腐臭がする。

 人なのか、それ以外か。

 おそらくそれは大した問題では無いのだろう。

 ぎっちりと密集した家々の合間を縫うように細い路地が組み合わさっている。


 薄暗く、人も見えない。

 しかし、じっと様子を伺う視線があることに気づく。

 それは品定めなのか、興味なのか、無意味なのか。

 あたしはどこでもそうだが、死んだような奴が嫌いだ。

 こういった場所では全てに対し無気力な奴らも多い。

 動く気、喋る気、生きる気、どれも無いのがやっぱり存在する。

 視線にもそれを感じる。

 はぁ〜やだやだ。

 色々思い出す。

 生気のないあの目はぞっとする。


「お、ここはどうかな」

 窓がない小屋で、何人かがたむろっているようだ。

 わかる理由は、入り口の扉が目新しく路上に吹っ飛んで転がっているからだ。

 なんかいさかいでもあったのだろう。

「邪魔するよ」

「あ?」

 入ると数人の男共が、包帯を巻き合っていた。

 特殊な衆道に堕ちた人たちか。

 いや、傷があるのは事実で、都合上、手の届かない箇所はある。

 

 掲示上は四等冒険者だが、身なりはむしろ賊。

 何よりこんなところで働き盛りの男が数人いる時点で、出所は知れている。


 普段よりも、声を強くはっきりと出す。

「トラシント公国軍リリア少尉だ。少しお話しを聞いても?」

 既にあたしの掲示は偽装済み。

 奴隷と比べれば、余程通りはいい。

 ついでに失効しているだろうが、軍人手帳も見せておく。

「んん? おい、てめえら武器を――」

「いや、あんたらには何もしない。言っただろう? 話がしたい、と。それに、全員負傷していると見える」

 そう言うと、男たちは、上がりかけた腰をまた下ろした。

 外見がどんなでも、やはり掲示を信用する奴は多い。

 まず偽装という冒涜的な技術が存在することも知らないことも多い。


 入り口に立ちっぱなしもなんなので、入ってすぐの壁に背を預け、あたしは話を始める。

「しかし、どうして怪我をしていんだ? 何かあったなら、我が国軍なり領軍なり、警察を頼って欲しい」

 当然、人には言えない理由だろう。

 結果的に被害者かもしれないが、彼らが加害者だったことも多いにあり得る。


 でも、いやはや。職業柄か、嘘がポンポン出てくる。

 彼らが、どう答えれば良いか迷っているうちに、次の嘘を飛ばす。

「そうだ、今私は調査を行っていてね。もしかしてあんたたちも巻き込まれたのだろうか」

「調査って、どんな?」

 質問を質問で返すあたしよりも馬鹿な男。

「ああ、昨今組織的な武装勢力が増えていてね。それについてさ」

 実際のところ、組織的な武装勢力なぞどこにでも存在する。

 しかし、それを聞いて、せわしなく顔を見合わせながら、青くなりだす彼ら。

 まぁ彼らもそういうことらしい。

「どうだい? 覚えは無いかい? 見つけたら、公国軍で対処するのだが」

 目に見えて焦りだす男たち。

「いやいや、関係ねぇよ。俺たちゃあな、おっかねえ女に襲われたんだ」

「おいよせ!」

 一人の男が、言い訳気味に言うと、それに静止を入れるもう一人。

 プライドでも邪魔しているのだろうか。

「でもさぁ、そう言わねぇと、俺たちが疑わしいじゃん? 悪者になっちまわねぇか? でもこれは事実なんだしよ」

「昨夜言われたのを忘れたのか?」

「いいじゃねぇか。減るもんじゃねぇし」

 一応声を潜めているが、あたしに丸聞こえの会話。


 あてが外れたかなぁと後悔しつつ、顎に手を添え、視線を外した。

 その時、あたしは、くぐもった男の声が聞こえた。

 視線を戻すと、誰も居なかった。彼らが消えた。

 …………

 ――コツンと、足に物が当たった。

 それは核だった。

 幾つかあり、それは男たち人数分きっちり合っていた。

 そして、ひと末の砂がサラサラと家の外へ吹いていった。


 あの瞬間に、誰にも気付かず、男たち全員は死んだ。

 何が起こったのかなんて、わかるわけがない。

 死因すらわかりかねる。

 しかし、彼らの会話から、喋るなと言われたことを言いそうになったことが、発端だったと思われる。

 それに加えて、情報を整理していく。


 彼らは侯都に根を下す武装組織の末端。

 近い過去におっかねえ女とやらに襲われた。

 その要件については秘匿命令があり、破ったため、即座に何らかの方法で殺害された。

 それらが示すことは何か。


 さっぱりわかんねぇ。

 あたしゃ情報分析官じゃない。

 その女について詳しく聞ければ良かったが。

 しかし、厳格な手段が用いられるのは、事態が緊迫している証拠。


 ハズレかと思ったが、1軒目にしてアタリを引いてしまった。

 しかもなかなかに危険なアタリ。

 周りの家に聞いても、皆口を噤んでやがる。


 年齢相応に表現すれば、何かを企む悪い奴がいる。

 あたしとして言うなれば、そいつは楽しい話か、詰まらない話か。

 さて、この候都、ひいてはトラシント公国に何かが起きようとしている。

 それはあたしの経験と勘。

 「鍵」持ちのゾフィーをさらえと命令された時点で、陰謀が実をつけているのはあたしでもわかる。

 今のところ情報による根拠はない。


 それが本当に近いのか遠いのか。

 ちょっと調べてみるか。

 古巣に行くには気がひけるが。

 さぁて、ゼイフリッド侯爵本都内で、支部はどこにあったかな。


 ……いや、探す必要はなかった。

 彼女に訊けばいい。



   ●


「なぁクルカさんよ。ちょっといいか?」

「何でしょう。リリア様」

 夜遅くにも関わらず、クルカは普段と同じ礼節を欠かない態度。

「自分にわかることならなんなりと」

 深夜、一階の狭い一部屋に住み込んでいる彼女の居室をノックすると、少しの間を置いて出てきた。

 未だにメイド姿であることには、感嘆を禁じ得ない。

 まだ働くつもりなのだろうか。

 あたしとは大違いだ。


「遅い晩に悪いね。まだ仕事が残ってるんだろう?」

「いえ、身を清め、就寝するところでした。急ぐことはありませんので」

「そりゃ良かった。クルカ殿


 この国に関して、情報を欲するなら彼女に訊けばいい。

 彼女はゼイフリッドに潜伏する諜報官だ。

「何を仰っているのでしょうか? 自分は軍人とは遠い存在です」

 確かに情報官は所属は軍ではあるのに、軍人とは遠い存在ではある。

「誤魔化す必要はねぇよ。おまえは、だろ」

 アセット。立場を利用した情報提供者。

「あたしは手癖が悪くてね。上司の資料を覗いたことがあってねぇ」

 ゼイフリッド侯爵城付きメイド。

 そんなところまで食指を潜り込ませているのかと、情報本部も余念が無いなと思ったものだ。


「そうですか」

 クルカはそう答えると、眉間を揉みながら、軽く息をついた。

「して、何の御用でしょうか。リリア

「リリア少尉だぜ」

「いいえ。貴方の軍歴は抹消されておりません。自分は、そのように情報を与えられています」

「そうか。それは好都合。その情報を与えた奴は、あたしに何をしろと?」

「引き続き、対象と共に行動しろとの命令です」

「なるほど。そりゃ聞く必要は無かった訳だ」

「はい。ですので、こちらから接触するつもりはありませんでした」

 あくまで、これまでの姿勢は崩さないクルカ。

 まぁ本職がどうであれ、掲示上はメイドそのもの。

 心中は計り知れないが。


「じゃあ、ちょっと聞きたいんだけど。いいか?」

「自分に答えられることであるのなら」

「そうかい? 最近悪い噂を聞いてさ。どっかで暴動なり反乱なり起きるって」

「随分と曖昧ですね。知らない内容をさも知っているように振る舞っておりませんでしょうか?」

 わかるだろうな。お互いがお互いだし。

「手の内を明かさないのは、情報官の基本だし。まぁいい。侯都南東でたむろしていた若い男たちが変死した。そいつら、賊の類いだと思うんだけど、それに関して何か知らない?」

「南東で集まっている若い男たちで、賊のようというと……ああ、ケッセルハイムのでしょうか」

「さぁな。その名前も初耳だし。それになんだよ、おもちゃって」

「彼は、貴族になります。ケッセルハイム男爵は、奇矯な貴族でして、リリア様が仰っているのは、手下の一部だと存じます。自分の方では、死んだとは聞いてはおりませんが」

「どんな奴なんだ?」

「個人的な武装団を組織して悦に浸る男爵です。そういった意味で、その男たちはおもちゃと称されているのだと思います。少々目に余る行動はありますが、ゼイフリッド様としても、情報本部としても、驚異として認識されておりません」

「ふーん。他には?」

「組織としては、頭数はありますが、統率も取れていない集団です。定期的に怪しげな集会を開き、何やら話すらしいですが、治安を揺るがす事件を起こしておりません」

「怪しげな集会ね。その開催日時は把握しているのか?」

「日は把握しております。直近ですと、来週土の日に行われるようです。時刻はまばらです。夕刻から深夜にかけて行われるのですが」

「そうかい。ありがとよ」

「聞きたいことは、以上ですか?」

「ああ。助かったよ」

「何のために聞いたかは、詮索しませんが、くれぐれも本分をお忘れなきよう」

「へいへい。わかってるよ」

「以降は、自分との接触は避けてください。私には私の義務がございますので」

「りょーかい」


 クルカ大尉殿は物知りだ。

 さすがはアセットの立場で大尉を任じられているだけはある。

 と思えばいいのだろうけど、彼女とて全てを語った訳でも無いし、話が事実かもわからない。

 それこそ、大尉を任じられている意味を考えるべきだ。

 重要な情報を提供するだけでなく、情報を操作し得ることも可能なはず。

 普通、城付きメイドから得る情報は、政治と貴族周りの話だ。

 いかにもケッセルハイムの行動は、噂として格好の的ではある。

 政治関与については、難しいとしても、噂を広げる、噂に尾ひれを付け足す程度のこと器用に立ち回ればできること。


 さて。

 あたしは未だ信用するに値しているのか、ただ泳がされているのか。

 軍歴は抹消されておらず。

 呑気なご主人やゾフィーは、自分たちの影に他人の影が入り込んでいるのに気付く様子もなく。


 そう、本当に呑気だ。

 あたしとご主人の奴隷契約ですら、偽装された位階なのに。

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