四月二十七日(月)

           1


 学園への登校途中。一軒のコンビニの窓に飾られた、今日発売の一冊の雑誌。その前でボクの足はくぎ付けになった。

 雑誌はボクの母国の写真週刊誌の日本語版だった。表紙は金髪碧眼の少年の横顔の写真、日本語で大きく『悲劇の死を遂げた第二次南北戦争の英雄、デュエイン・アルバーン全記録』と書かれている

 この写真は確かカリブ海で、キッドの駆逐艦の甲板上で撮った物、兄さんも気に入っていた写真だ。ボクの胸の中に懐かしさと哀しみの入り混じった記憶が蘇る。

 英雄だった双子の兄が戦場で行方不明になったあの日、ボクは『双子の妹の方』という、たった一つの居心地の良い立場を失った。

 その後、不安定な国内をまとめる為に、未だ英雄という名の偶像を必要としていた新政府軍が、ボクに『兄の影武者』という立場を求めた時、ボクは引き受けた。

 兄さん以外に身寄りのないボクが生きて行く方法が必要だったのもあるが、何より兄さんを探すには他に方法が無かったのだ。

 でも結局兄さんは帰ってこなかった。

 ボクの目の前で消えてしまった。

 ボクを置いて、逝ってしまった。

 それでもボクは、男の格好をするのを止めなかった。

 兄の存在がこの世から消え去ってしまうのが嫌だったのだ。

 ボクを見る度に、周りの人間が兄さんの存在を思い出す様にしたかった。

 だが、ボクにはそれすらも許されなくなった。

 日に日に女の特徴を強めて行くこの体。残酷な時間がボクの体から急速に兄の面影を奪い去ろうとしていく。

 国内の紛争も収束に向かい、兄の英雄としての役割も、ボクの影武者としての価値も失われた時、新政府は兄の死に『悲劇的暗殺』というドラマティックな脚色を加えて発表した。

 ボクは今度こそ、お払い箱になった。

 既に精神的に不安定になっていたボクは、日本にあるボクのような境遇の若者ばかりが集まるという、リハビリスクールに行く事を進められた。

 極東の島国に一人で島流し。呈のいい厄介払いなのは目に見えていたが、兄の最後に使用していたRAM『クトゥルー』を譲り受ける事を条件にボクはそれを受けた。

 クトゥルー、兄さんが残した、たった一つの遺産。

 ボクは、兄さんの分身であったそれが、研究材料として、バラバラに解体されるのを防がなければならなかった。

 重大な軍事機密であり、貴重な実験材料でもあったそれを手放すことに、最初彼らは難色を示したが、クトゥルーの使いまわしの利かない複雑怪奇なシステムと、落ちつきを取り戻しつつあった国内情勢とが後押しする形で、最終的には許される事となった。

 クトゥルーは只のロボットだ、兄さんではない、それは解っている。

 でも今ではボクに兄さんの面影を感じさせてくれる物は彼だけなのだ。それがほんの僅かな残り香だとしても。

 ボクはクトゥルーを好いているのだろうか、それとも憎んでいるのだろうか。

 ボクからお兄ちゃんを奪ったクトゥルー。

 ボクから、お兄ちゃんの分身という立場を奪ったクトゥルー。

 お兄ちゃんの右隣に立つ権利、ボクのたった一つの居場所を奪ったクトゥルー。

 ああ嫌だ……最近はだいぶ忘れていられる様になったと思っていたのに。ボクはこびり付くどろどろとした暗い感情を振り払うように頭を振った。

 ふと視界の右下に表示されているアナログ時計を見る。ボクは思いのほか時間が経ってしまっている事に驚き、歩を速めて駅へと向かった。


          2


 その騒ぎは体育祭のリハーサル中、校庭で二年生が入場訓練をしている最中に起こった。

「きゃ――――!」

「痛ってー! なんだこいつら!」

 行進中の集団の中の二割ほどだろうか、二十名あまりの人間が突然暴れだし、周囲の人間を攻撃し始めたのだ。サボって屋上で昼寝していた俺と一馬は、騒ぎに叩き起こされたあと、上からその様子を観察していた。

「どう思う? 一馬」

「催眠術か――何らかの精神攻撃だと思う。ほら見て」

 一馬は暴れている連中を順に指差していく。

「野球部の田坂君。空手部の森君。ボディビル部の島田君。暴れているのは皆、体育会系の中でも物理的耐久力は強いけど、この手の魔法的精神干渉には、からっきし弱そうな連中ばかりだよ。逆に、ある程度、魔術的耐性を持ってる者達には一切かかっていない」

「なるほど、誰の仕業か知らんが大した奴じゃないって

「そうも言ってられないよ、これが魔法使いだったら催眠状態で魔法なんて使えない分、ただのひ弱な暴れん坊で済むだろうけど、あいつら催眠術にかかっていてもまるでパワーダウンしないで全力で周りの人間に危害を加えてるもの。そういう意味では結構効果的な悪ふざけだね」

 一馬は言っている言葉とは裏腹に、口調はなんだか楽しげだ。

「ところで、禅は大丈夫なのかい? 魔術耐性なんてカケラも無いでしょ?」

「そんなもん無くても俺に精神攻撃のたぐいは一切利かないの知ってんだろ」

「へへへ、聞いてみただけー」

 その時、俺達の真下の階の窓ガラスが割れ、悲鳴が湧き起こった。

「新たな問題、どうやら校庭だけじゃないみたいだね~」

 溜息を付く一馬に、俺は呟く。

「結構計画的だったりすんのかな?」

「どうかな、でもこうなると校庭と校内、どっちに参戦するかという問題が出て来るね~」

「う~ん」

 俺達が悩みかけたその時――

「『ゥヴァル!(静まれい!)』」

 校庭に響き渡る、よく通る聞き覚えのある大声。先ほどまで眼下で繰り広げられていた喧騒が一気に静まる。鎮目の奴め『一言主ひとことぬしの法』を使ったな……俺はこの時突然理解した。

 あいつの前世は絶対、張飛だ。

「校庭は鎮目に任せよう、俺達は校内担当に決定だ」

「でもどうするの? 鎮目さんみたいには行かないよ」

「なあに、暴れてる奴を一人ずつ殴り倒して行けば、その内静まるさ」

「わーい、楽しそ~!」

 俺達は校内に駆け入った。


          3


「何だこいつらは……いきなり殴りかかって来るものだから、ついついカウンターでエクスプロイダーをかけてしまったではないか」

 オセは変形裏投げで仕留めた男子生徒を尻目にシュタッと身軽に立ち上がる。

「オセよ、だからと言ってテーブルめがけて落とすことはあるまいに、ワインボトルが粉々になってしまったぞ」

 ワイングラスを片手に持ったマルコシアスが残念そうに呟く。

「おいおい、そんな事言っている場合じゃないぞ……追加十名様ご案内だ」

 オセは中庭と校舎を繋ぐ通用口からゾロゾロと入って来る虚ろな目をした生徒達を見て言った。その数、十人。

「ふむ、『開戦』と云う訳だな」

 マルコシアスはそう呟いて手に持っていたグラスワインの残りを一気に煽ると、地面の敷石に投げて叩き割った。

「まだボトル半分入っていたモンラッシュ・マルキ・ド・ラギッシュを台無しにしてくれたのだ。ブルゴーニュのワイン職人達に代わって礼をさせて貰うとしよう」

 マルコシアスの背中から灰色の巨大な翼が勢い良く生え、バサリと左右に広がる。二、三回軽く羽ばたいたと思うと彼の体は宙に浮き4メートルほど上空で静止する。

 下ではオセが体にしがみ付かれて苦戦している。

「オセェ! そのままそいつらを一箇所に集めろ!」

「命令するな! マスコシアス! ふがっ!」

「いいぞ、外道照身――」

 マルコシアスの赤い両目に周囲の空間から黒い粒子が急速に集まっていく。

「石化光線!!」

 周囲が目も眩む強烈なストロボ光に包まれた。


          4


「あ、携帯鳴ってる――あれオセ先輩だ。珍しい……はいはいもしもし僕ですよ、はい、はい、はい分かりました少々お待ちを――禅、オセ先輩から」

「はい、どうしました? こっちも今ちょっと忙しいんですが」

 ゴスッ!

「へ? 自治会役員を呼んで来てほしい? ――何で?」

 ドゴンッ!

「ふんふん、襲ってきた連中を、十名ほどマルコシアス先輩がまとめて石にしたのまでは良かったんだけど、いろいろ面倒な事になった? 面倒な事ってえぇい!!」

 ガッシャーン!

「え? 昨日のお嬢ちゃんって、アリスの事? え、なに? アリスを石にしちゃったんですか? な、何やってんスか、あ~もう、つうか電話じゃ全然要領を得ん! 今からそっちに行きます、中庭ですね!」

 ピッ! 俺は携帯を切って一馬に手渡す。

「どうもトラブってるらしい。俺は中庭に直行するが、一馬、お前はその辺を回って自治会役員を探して連れて来てくれないか?」

「誰でもいいの?」

「ああ、奥宮先輩が見つかればいいけど、この様子じゃ、自治会役員は各地に分散して大わらわだろ。とりあえずその辺回ってみて、知ってる顔がいたらそいつでいいよ」

「うん、了解!」


          5


 一馬と別れた俺は中庭側の廊下の窓から四階下を見下ろす。ああ、いたいた。下にオセ先輩達が見える――なるほど、見ればオセ先輩の周りに何名もの生徒がまとわり付いたまま、白い塩の柱と化している。あれじゃオセ先輩が動いたらバラバラになっちまうな、かと言って解除したらまた暴れるかも知れないし――ってな状態か。

 あ、その横! 本当にアリスが石になっている! なんと哀れな……ポーズからすると、たかられるオセ先輩を助けようと、近づいた所を、巻き添えを食った形だろうか、なんにせよ早く戻してやらんと。さて、ここからなら階段下りるより飛び降りた方が早いか――

 バッ! 右後方に突如現れた強い殺気に、俺は弾かれる様に振り向き、身構えた。

 俺が十メートル余り先の、その殺気の源を睨むと、そこには足まで届く真紅のマントを着た人物が立っていた。頭の両脇が猫の耳の様に尖った特徴的な赤いフードの下の顔は粗雑な造りの不気味な鉄の仮面に覆われて見えない。

 謎の鉄仮面は、俺に向かって、仮面越しのくぐもった声を張り上げて来た。

「闇の悪魔召喚士、功刀禅!!」

「あ、悪魔召喚士? 誰の事だ?」

「とぼけても無駄です。あなたが魔王オセ、マルコシアス両名を召喚し、世界征服をもくろむ悪の大魔術師であるとの情報を受けて、私はしばらくの間あなたを監視していましたが、もはや疑う余地無しとの結論に至りました。よって、正義の名の下に捌きを与えます」

「何を訳の分からん事を、逆に聞かせてもらうが、今日のこの騒ぎはお前の仕業か?」

「いいえ、誰の仕業かも知りませんが、機を見ていた私が騒ぎに乗じたまで。私の標的はあくまで、あなただけです。さあ、功刀禅! 正々堂々と勝負しなさい!」

「ふん、顔を隠しておいて正々堂々とは恐れ入る。そもそも……お前、セシリーだろ!」

 鉄仮面はビクウッと固まる。

「な、な、な何をい言ってるんでふか、私はせせ正義の鉄仮面でしよ」

「動揺して噛み噛みじゃねえか、ていうかその鉄仮面以外、この間会った時のまんまだろ! もうちょっと工夫しなさい! 雑です!」

「う、う、うるさい! この大うそつきめ! 証拠は挙がっているんです。おとなしく滅ぼされなさい!」

「しょ、証拠ぉ? そんなもん、どこにあるんだ」

「で、では、罪状を読み上げますよ。心して聞きなさい。えー、ゴホン、その一! あなたは四月二十日の昼休みに魔王オセ、魔王マルコシアスの両名と屋上のテーブルで楽しげに談笑していました。間違いありませんね」

「二十日だと――月曜か、あーはいはい確かに」

「更に二十四日、私が後僅かの所まで追い詰めた魔王オセを庇って逃がしたそうですね」

「あ~、バレちったのか、まあそれは確かなんだが、そもそもあの人たちはな――」

「反論は認めません! 更にあなたはその後に起こった暴走族相手の喧嘩において、魔王オセとゴーレムらしきを自動人形オートマタを使役して戦いましたね、自分は何もせず!」

「ゴーレムって……アリスのRAMクトゥルーの事か? あっはっは、いや~、しかし、あれだな、そうやってここ数日の自分の行動を客観的に並べられると、確かに誤解を招いてもおかしくないくらい立派な悪魔側デビル人間イダーだな」

「やっと認めましたね……この大悪人め」

 だんだん反論するのが面倒くさくなって来た俺は、ちょっと悪人ぽい口調になって、

「さて、仮に今言った事がすべて事実だとしたら、君はどうするのかな?」

「許しません……そんな野望は、力ずくで止めて見せます!」

 セシリーはマントから大砲の様に凶悪な回転胴式グレネードランチャーを取り出した!

「リヴォルヴィング・グレネード?! やっぱ嘘! ごめん! 許して!!」

「問答無用!」

 鉄仮面セシリーは立て続けに三回引き金を引く。

 ヤバイ!! 俺は咄嗟に感覚加速ゾーンに入った、倍率は百二十倍に設定!

 半径五メートルの殺界を誇る40㎜グレネード弾が断続的に砲口から吐き出されて来る。鉄仮面セシリーは正確に俺の手前の地面を狙って放って来ている。ひどい奴だ、あんなものを変身前に喰らったら相当酷い事になってしまう。俺はスローカーブくらいのスピードで迫るグレネードの弾道を注視しつつ退路を探る。本来なら中庭側の窓に飛び込んで逃げる所だが今中庭は取り込み中、避けたほうが無難、となると残るのは――

 俺は一旦腰を落として地面を蹴ると、空気抵抗を避けるべく顔を両腕でガードしながら鉄仮面セシリーの頭の上の空間目がけてジャンプした。彼女を飛び越した辺りで感覚加速ゾーンを抜ける。

「あっ!?」

 鉄仮面セシリーの驚いた声に続いて、背後からグレネードの爆音と熱風が響き渡る。俺は押し寄せる感覚の洪水に耐えながら転がる様に下り階段に突入する。

「くっ! 逃がしませんよ」

 鉄仮面セシリーが後を追って来る、逃げ足なら明らかに俺に分があるのだからこのまま逃げてしまう手もあるのだが。明日から毎日狙われるのだろうか? 張り合いの無い老後にちょうど良いスリルが加わると思うべきか?

 いいや! 俺は誰がなんと言おうとぬるま湯がいい!!

 俺が一階まで逃げると、ちょうど目の前の昇降口から鎮目が顔を出した所だった。

 俺は思いがけない援軍に驚喜し、鎮目の肩をつかんで語りかける。

「鎮目! なんていい所に。聞いてくれ、心の友よ!」

「何よ、キモいわね」

「まあ聞け。最近はだな、ナヨっとした癒し系主人公が、武闘派なヒロインの女の子に護られるつつも癒しちゃってもうイヤーンバカーンな感じが一つのトレンドらしいぞ」

「……何が言いたいのよ」

「護って」

「……ハァ?」

「癒すから!」

 そう言って俺は鎮目の後ろに隠れてぐいぐいと前衛に押し立てる。

「はあ? ちょっ、ちょっと! アンタ意味わかんないわよ、何そのトレンドって?!」

 駆けて来る鉄仮面がマントを翻すと両腕にはウージー・サブマシンガンが握られている。

「ギョッ! やばっ、『ゥスガュル!(来たれ!)』」

 鎮目がテープの逆再生を思わせる奇妙な発音のことばを叫ぶと、目の前の空間に瞬時に両手を広げたイシャが召喚される。

 火を吹くウージー!!

 古典的なオープンボルト・ファイアの機関銃から吐き出された大量の9㎜弾を全身に浴びて、イシャの体はブルブルと震えたが、穴だらけになった制服とは裏腹に弾丸の衝撃は全て彼女のヒヒイロカネ装甲に吸収された様だ。

 イシャの足元の地面に、おびただしい数の弾丸がパラパラと散らばってゆく。

「お怪我はありませんか? 眞名さま」

 真っすぐに凶弾の射手を見据えたまま、いつもと違うはっきりとした口調で、振り向かずに主を気遣うイシャ。

「助かったわ、イシャ――あ、アイツは!?」

 鎮目は今さっきまで後ろに居た、禅を探して辺りを見回す。

「私が来るのを確認すると同時に、お逃げになった様です」

「ええい、逃げ足の速い! と、そんな事より、そこのアンタ! いきなり何すんのよ!」

 鉄仮面がくぐもった声で返答する。

「私の標的は功刀禅ただ一人です。ですが、彼を庇うというのならば貴女も倒させて頂きます、『一言主ひとことぬし』の鎮目眞名さん」

「ふうん、アタシを知ってて喧嘩を売っている訳ね、何者かは知らないけどいい度胸だわ。

 校則第八章十七頁、『構内に装弾数十発を超える銃火器を持ち込んではならない』

 風紀委員会の名に於いてアナタを現行犯逮捕します。おとなしく銃を捨てて投降しなさい。話は反省室で聴きます!」

「それは無理です。私には『大魔術師』功刀禅を倒す使命があるんです。これは世界の秩序を護る為なのです!」

「だ、大魔術師ぃ? あの知能指数40のキリギリスが?」

「あ、貴女も騙されているんですね、可愛そうな人。さあ、退いて下さい。無益な戦いはしたくありません」

「ふふん、そうは行かないわよ、あんな奴の事はどうでもいいの、好きにミンチにすればいいわ。アンタの標的がアイツならアタシの標的はアンタって事。今日の騒ぎの重要参考人さん。腕ずくでもしょっ引くわよ」

「仕方ありませんね。ヒスマエル、SWORDSソーズを出してください」

 鉄仮面がマントをバッサと開くとその中からマシンガンMINIMIを乗せた、大きなラジコンの様な戦車が二台、履帯をキャラキャラ鳴らして進み出てきた。

「な――何それ?」

 鎮目があんぐりと口を開けていると、二台は狂ったようにマシンガンを乱射しだした。

 イシャがスッと鎮目の前に出て防御結界で銃弾を弾く。

 鉄仮面はマントを翻してその場から逃げ出した。

「あ、ちょっと!」

 追い駆けようとする鎮目を遮る様に動いて、ラジコン戦車は再びマシンガンを乱射する。

「ウザいわ……『ァザルィ!(弾けよ!)』」

 鎮目が左腕を振りながら例の奇妙なことばを発すると、ラジコン戦車達はたちまち波打つ大気の波紋に包まれ、次の瞬間、ペシャンコに潰れて、黒い粉状になって飛び散っていった。

「ふん!」

 鎮目は鼻息も荒く鉄仮面の追撃に入ろうとする。

 だがその一瞬の隙に鉄仮面は二十メートルも向こうに移動していた。マントから取り出した大きなノーズコーンを持つ筒状の発射機を構えている。

 対戦車RPGロケット-7?!


          6


 鉄仮面を鎮目に押し付けた俺は、オセ先輩達の待つ中庭に急いだ。

 通用口から駆け込んで来た俺に、オセ先輩が不機嫌そうな声をかけて来る。

「おう、遅かったな。(ムスッ)」

「すんません、途中色々大冒険がありまして――って、あれ? 一馬の奴まだ来てませんか?」

 マルコシアス先輩が答える。

「来ておらんぞ、自治会役員もだ」

「ワシは何時いつまでこうしていればいいんだ?(ムスッ)」

 石化した生徒達に張り付かれ、動けないオセ先輩は、相当ストレスが溜まっている様だ。

 俺は立派な岩塩製の像と化したクトゥルーに近づいていった。

「あ~あ、なんとまあ哀れな姿に……」

 大丈夫かな本体アリスは……電波障害どころの騒ぎじゃない、いきなり石化されるなんて設計上想定されている訳がないからな。いきなりPCの電源を引っこ抜かれる様なもんだろう、おつむがクラッシュしてなければいいが……俺は怖いことを考えてドキドキする。

 とにかく一刻も早く事態を収拾して寮にアリスの様子を見に行こう。

「この石像郡を暴れん坊共に破壊されても大事おおごとだからな、私は此処ここから離れられんのだ」

 椅子に腰かけたマルコシアス先輩が言う。

「先程も上の方の階で爆発が起こったし――オセはこの通りだしな」

「……(ムスッ)」

「分かりました、俺が行って探して来ますから、もうちょっとだけ待っててください」

 俺は自治会役員を探すべく再び校舎内に戻った。


          7


 校舎内で対戦車RPGロケット-7を使う気?!

「イシャ! 積層防御陣ミルフィーユ!」

「はっ!」

 イシャの胸の前に緑色に光る小振りな幾何学模様のシールドが発生し、同じ物が幾重にも重なるように、彼女の前方の空間に向かって次々と生み出されていく。

 RPGを肩に構えた鉄仮面はちらりと後ろを確認したあと、向き直って引き金を絞る。

 閃光と共に翼を展開して飛来した弾頭は一瞬でイシャのシールドの先頭に突っ込み、ひしゃげる。次の瞬間目もくらむ閃光と爆発が起こるが、爆風が周囲に影響を及ぼす事は無かった。それはイシャの前方の球形の閉鎖空間内に全て封じ込められていたのだ。

 鉄仮面がヒュウと口笛を吹くのが聞こえる。

「凄い、何枚も重ねた小さな障壁でHEAT弾のモンロー効果を拡散させると同時に、結界を反転させて爆風を封じ込める。これじゃあRPGどころか対戦車ミサイルジャベリンのダイレクトアタックモードでも歯が立たなそう、噂に聞いていた以上に闘い慣れてますね」

「ふん、かつて超大陸パンゲアを支配した古代文明ウガヤフキアエズ王朝。この娘はね、歴代ウガヤ王を守護する為に王国が超科学の粋を集めて造り出した『神機しんきアラハバキ』、その最後の一体よ。そんな安物のロケットランチャーぶっちゃけ直撃したってかすり傷一つ付かないわ。結界を使ったのは周囲に余計な被害を出さない為」

「そして貴女を守る為、そうですよね、鎮目眞名さん」

 鎮目はピクリと片眉を上げる。

「知っていますよ、『一言主』の鎮目眞名。圧倒的な攻撃力を誇る貴女の術は、反面自分の身を守る様な使い途には、まったく向いていない。どんな願いも一言で叶えると言われながら、自分の為の願いは何一つ叶えられないんですよね」

「あら随分詳しいのね、ひょっとしてアタシのファン?『一言主の法』は神様の業だからね、善事よごと凶事まがごとも施す側って訳。アンタ達庶民が相手ならそれくらい丁度いいハンデだわ」

「強がりですね……例えば貴女がそのロボットと離れた瞬間を狙って2キロ先から狙撃したら――貴女は何も出来ずに死ぬんじゃないですか?」

 鉄仮面のその言葉に、うつむきながらフフッと笑った鎮目は、顔を上げると一転相手を見下す傲岸不遜ごうがんふそんな表情に変る。その口元に凍るような凄愴せいそうな笑みが浮かんだ。

「――今この場で、アンタがこの世に生まれて来た事実を無かった事にすることも出来る。『一言主の法』とはそういう術。つまりアンタ達がこの世に存在出来てるのは、そうしないアタシの優しさのお陰って事――ちょっとは感謝しなさいっ!『ァハドェ(縛れ)!!』」

 鉄仮面の担いでいたRPGの発射筒の部分が飴細工の様にぐにゃりと曲がってと伸びる。

 驚く鉄仮面の全身を覆い隠す赤いマントの上に、かつて発射筒だった螺旋状の金属の縄が蛇のように絡みつき、強く縛り上げる。

「さあ、もう逃がさないわよ! どう料理してやろうかしら――」

 身動きを封じられた鉄仮面の口から、ボソッと籠った声が漏れる。

「……ハスモダイ」

 足下でキュキューという鳥の様な鳴き声を聞き、鎮目がとっさにその方向に視線を走らすと、廊下に据え付けられた消火器に、何か黒っぽい無数の影が群がっているのが見えた。

「!! しまっ――」

 次の瞬間、消火器は派手な音を立てて破裂し、鎮目達に向かって真っ白な消化剤を有りったけ吹きかけた。消化剤も破片もイシャの防御結界が当然の様に防ぐ、だが辺りに充満する白い煙に視界が遮ぎられる。

「くっ、『ェザャ(散れ)!!』」

 鎮目が一言発すると周囲の煙はパンッと弾かれる様に飛び散り周囲の壁や窓を汚す。

 だがそのクリアーになった視界の先には、

「居ない――消えた?!」

 視界を奪われたのは一瞬だったはず、だがさっきまでいた場所から鉄仮面は跡形も無く消え去っていた。地面には奴を縛った筈の鉄の縄が転がっている。

「目くらましの類? イシャ!」

「駄目です完全に消失しました。敵の手の内が分かりません。これ以上の深追いは…」

「くっ……してやられたっていうの、このアタシが!」


          8


 校舎内にもどった俺は幸いにしてすぐに奥宮先輩の手がかりを見つけた。

 廊下を飛行する、ニョロリと細長い紅白シマシマ模様の胴体に、猫の様な頭が付いた謎の生命体――奥宮先輩の眷属『まこら』を見つけたのだ。

 俺はそれをひっつかんで顔を覗き込む。

「な、なにをするひも~、離すひも~、我輩は忙しいひも~」

 妙に甲高い悲鳴を上げて、まこらはにょろにょろと俺の手をすり抜けようとする。

「うなぎかお前は! いいからそんなことよりテレパシーで奥宮先輩を呼べ! こっちゃ色々厄介な事になってるんだ。さっさとしないとと片結びで縛るぞ!」

「ひ、ひどいひも~、あらや助けてひも~、犯されるひも~!」

 程なくやって来た奥宮先輩、周りにはヘルメットを被った自治会の治安維持部隊を四名引き連れている。俺は中庭で起こった事の顛末を説明してご同行を願った。

 奥宮先輩はアリスの事を心配しながらも、道々校内の状況を説明してくれた。

 どうやら校内で暴れていた連中はおとなしくなった様だ。先ほど急に皆、催眠状態から解けたという所に若干の疑問を感じたが、それならば、おそらく中庭の連中の石化をマルコシアス先輩に解いてもらっても、もう大丈夫だろう。まずは目先の問題のクリアだ。

 念のため同行してくれた治安維持部隊の面々を引き連れて俺達が中庭に近づいて行くと。

「ムッ……なんだ貴様は?!」

 マルコシアス先輩のバリトンの怒鳴り声が中庭の吹き抜けに響いた。

 俺達の視界に入って来たのはクトゥルーの石像に覆いかぶさるように舞い降りて来た真っ黒な影。駆け寄る隙も無くその影が掻き消えた後にはクトゥルーの石像は跡形も無く消え去っていた。


          9


「アルバーンさん! 大丈夫ですか?! 返事をしてください!」

 奥宮先輩がアリスの部屋のドアを叩いて呼ぶ。

 俺たちはまずアリスの安否を確認すべく寮に戻って来ていた。女子寮の内部は今いる廊下と言えども本来ならば男子禁制なのだが、今回は事情が事情だけに奥宮先輩同伴の下、特例として俺も追いて来る事を許された。

 ガチャ――

 奥宮先輩の三度目の呼びかけのあと、遂にアリスの部屋のドアがわずかばかり開いた、奥宮先輩はチェーンの隙間からアリスを覗き込んで安否を確認する。なお『まこら』を戻した事により今は彼女の目は見えている。

「体は大丈夫ですか? 問題ありませんか?」

「……はい、さっき、ちょっと、トイレで、吐きましたけど……」

「吐いた?! どうかしたのですか?」

「……通信途絶時の、ショックで……」

「多分それも関係があるのでしょうね、貴女のロボットが奪われた事についてお話したいことが色々あるのです。どうかこのドアを開けて詳しい話をさせてはくれませんか」

 奥宮先輩の言葉を聞いたアリスはバタン! とドアを閉めた。中からガチャガチャと大慌てでチェーンを外している音が聞こえて来る。

 ドアが再び開き、勢い良くはだしで飛び出してきたアリスは奥宮先輩にすがりつく。

「あ――あの、クトゥルーは、あの子はどうなったんですか?! と、突然通信が途切れて――知ってるなら、教えてください。あの子は、お兄ちゃんの、お兄ちゃんの――」

「お、落ちついてください、アルバーンさん」

 アリスはだいぶ動揺している様だ、俺たちが来るまでの小一時間ほどの間、まったく情報の無いまま不安な時間を過ごしていたのだろう。

 身長は150センチ半ばくらい、予想はしていたが二メートルを超えるクトゥルーとのギャップが凄い。着ているのはイエローの学校指定ジャージ。アングロサクソン特有の青白い肌とまだ幼さの残る顔立ち、かつてショートヘアであったと思われる、ウェーブがかった金髪ブロンドは伸び放題で目に覆い被さり、その隙間からは涼しげな翡翠色エメラルドグリーンの瞳と白人にしては可愛らしい鼻が覗いている。

 奥宮先輩に諭されて少し落ちつきを取り戻した彼女は、どこかでゆっくり話しを出来ないかと問う奥宮先輩に対し、少し戸惑いながら答えた。

「えと、それじゃ、この部屋で、いいですか? 外は、落ちつかないので……」

 うつ向き加減でそう言ったアリスが邪魔そうに前髪をかき上げた拍子にドアの脇で静かにしていた俺と目があった。俺はとっさに挨拶する。

「よぉっ!」

「あ、先輩、こんに、ち……はっ!!」

 普通に挨拶し返そうとしたアリスは、ふと我に返った様に目を見開くと、自分の体に視線を落とし、もう一度俺の顔を見る。その顔は見る見る真っ赤になって行く。

「キャアアアアアアアッッ!!」

 ドアをおもいっきり閉めて中に引っ込んでしまった。

「アァァァァ……ウッ、ゴホッゴホッ!」

 あ、むせこんでる。

「アルバーンさん!? どうしたの、禅君とはお友達でしょう?」

「そうだぞ、アリスちん、友達だろ!」

「な、な、な、なんで功刀先輩がいるんですか!?」

「禅君は今日貴女のロボットにあった出来事の一部始終を一番良く知っているのですよ」

「…………………………」

 折角もう少しだったのに、まずいな、これでは俺のせいで話が進まなくなってしまう。

「奥宮先輩、俺は戻ってますんで、後で話を聞かせてもらえれば──」

「あの――」

 部屋の中からアリスの小さな声がした。

「――あの……着替えますから、ちょっと……待っててください」


 ───十分後───


「ど、どうぞ……」

 そう言ってドアを開けたアリスはジャージから普通の格好に変わっていた。

 黒いハイネックのインナーシャツの上に、古着っぽい濃い赤のチェック柄のシャツを羽織り、下半身は色の抜けたブルーのブーツカットジーンズを穿いている。伸びっぱなしのショートヘアとも相まって、全体的にボーイッシュな印象だ。

 そして案内された部屋の中は、引きこもりの部屋と聞いてある程度の覚悟を決めていた俺に肩すかしを食らわすように、狭いながらも整然とした空間が広がっていた。ゴミどころか物自体が少ない。年頃の女の子の部屋としてはどうかとも思うが、少なくとも一般的な引きこもりの部屋の印象からはかけ離れている。ま、でもこれも代わりにゴミ出しや洗濯に行ってくれるクトゥルーがあればこそなんだろうな。

「あ、あの……」

 あ、部屋の中じろじろ見ちゃまずかったか。

「い、いつもジャージーな訳じゃ、ないですからね……」

 そっちか。

 顔を赤くして言うアリスに奥宮先輩がくすくす笑う。

「あ、そんな事より、あの子の事を、クトゥルーに何があったのかを教えてください」

 真剣な顔で尋ねて来るアリス。俺は今日あった出来事を出来る限り分り易くなる様、順序だって説明していった。

 何者かが催眠術的な能力を使って騒ぎを起こした事。オセ先輩を助けようとしたクトゥルー(アリス)が巻き添えでマルコシアス先輩の石化の呪いを受けた事。あと少しで元に戻るという所で現れた、謎の黒い影にクトゥルーが奪い去られた事。俺の話が一通り終わる。終始体育座りで、膝を抱えてそれを聞いていたアリスは小さな声で呟いた。

「結局……誰が、何の目的でクトゥルーを奪ったかは、分からないんですね……」

「……そうだな、今の所そこが最大の問題だな」

 クトゥルーを連れ去ったあの影、あいつは明らかにクトゥルーだけを狙っていた。だとしたらそこに何らかの理由がある筈なんだ。

「アリス、お前、前に言っていただろ、クトゥルーは特別に先進的な通信装置を載んでいるって。そういう貴重なテクノロジーを狙った産業スパイという線は考えられないか」

「その可能性は、あります。あの子の通信システムは完全な次世代型プロトタイプで、あの子に載まれている物と本国に残してきたスペア、完成品はその二つしか存在しません。どこかの国の兵器メーカーが知ったら喉から手を出して来てもおかしくはないです」

「ですが、他に何かわたくし達には分からない理由があるのかも知れません」

 奥宮先輩のその一言に、俺は溜息まじりに、

「確かに、材料の足りない中で考えても、無駄か――」

 体育座りのままうつむいたアリスが呟く。

「『クトゥルーを頼む』それが兄さんの最後の言葉……ボク……約束したのに……」

 感情を押し殺した声、肩を震るわせながら言葉を吐き出す。

「クトゥルーは……クトゥルーは、死んだ兄さんの、形見なんです……」

 アリスはそう言って自分の生い立ちを話し始めた。



「これが、ボクと兄さんの物語……もう終わっちゃったお話」

 三十分もの間、胸につかえた物を吐き出すかのように、ノンストップで語り続けたアリスはそう言って最後を締めくくった。

「そうか……お前も、大変だったな」

 俺には当たり前の事しか言えない。

 俺だって大変だったとか、

 皆傷ついて生きてんだとか、

 そんな事を言っても意味はないし、アリスだってそんなことは、きっと分かっている。

 ひとりひとりに世界があり、歴史がある。

 本当に大切な事は自分にしか分からない、彼女は今日俺たちにそれを話してくれた。

 彼女の本当に大切なこと、それは今は亡き双子の兄との思い出、彼がこの世に存在した痕跡を守り続ける事。

 クトゥルーが奪われてからここに来るまでの間、俺はあることを考えていた、それは、

 アリスの事を考えれば……

 ───クトゥルーは戻らない方がいいんじゃないかって。───

 あんな便利な物があるからアリスは引きこもりになったんじゃないか、クトゥルーが無くなれば、アリスは仕方なく部屋から出て来るんじゃないだろうかって……

 俺は自分の浅はかで、独善的な考えを恥じた。

 俺は彼女に詫びなければならない、言葉ではなく行動で。

 俺に出来る事。彼女にしてやれることは──

「アリス、そんな顔すんな、確かに今は手がかりも少ないし、一見絶望的かもしれん」

 アリスは顔を上げて俺を見る。

「だが、何の為にウチの学園にアホみたいな能力者が集まってると思ってるんだ? あのバカ共の能力をうまく活用すれば、探し物の一つや二つ見つからない訳がないだろ」

 アリスはまだ不安げな顔で俺を見上げて来る。

「心配すんなって言ってんだよ、任せとけ、俺が絶対クトゥルーを」

 俺はニヤリと笑って言った。

「取り戻してやる!」


          10


 さぁて、どうしたもんか……

 俺は部屋を出るなり考え込む。任せとけ? 取り戻してやる? いやはや俺とした事が何という大見得を、考えも無しに………俺のバカ、バカ!

 苦悶する俺の横で奥宮先輩の携帯が鳴った。

「あら、ごめんなさい」

 いえ、どうぞどうぞ出てください。俺にはこのバカに猛省もうせいを促す仕事がありますので。

 俺は携帯と話す奥宮先輩の横顔を眺める。失せ物探しのスペシャリストなんて、この人以外知らないんだよな、そもそも先輩に任せっぱなしな訳には行かないし。

 奥宮先輩が携帯を俺に差し出して来た。

 えっ? 俺ッスか、誰っスか? うわ、なんスか、このお婆ちゃんみたいな携帯。

「禅? やっと捕まったよ~」

「おぉ、一馬か、お前こそ、どこ行ってたんだ? 中庭にもんで」

「うんとね、途中でドサクサまぎれな刺客の襲撃を受けてね~、遅くなっちゃったの」

「なんだ、お前もか、なんなんだろな、一体、俺達みたいな善良な小市民相手に」

「ホントだよ、あ、ところで禅、なんで奥宮先輩と寮にいるの?」

「おう、実はな、かくかくしかじかでな――」

「うわ~、大風呂敷広げたね~、それで、あてはあるの?」

「ないの、助けて」

「あはは、やっぱり~、うん、もしかしたら手がかりになるかもね、実はね、さっき言い忘れたけど僕を襲って来た二人、捕まえたんだよ。今日の騒ぎの犯人とおぼしき二人」

「何だって? ――マジか」

 俺は奥宮先輩を気にして小声になる。

「本気と書いてマジ~。これから背後関係洗うべく尋問するから、禅もこっち戻って来て」

「了解、分ったすぐ行く!」


 奥宮先輩と別れた俺は学園にトンボ帰りすると、一馬に指定された、屋内プール地下のボイラー室へと急いだ。入口に通ずる階段の所で待っていたイシャが俺を手招きする。

 俺がそばまで行くと、イシャはニッコリ笑って階段の下を指し示した。

「ご苦労さん、イシャは見張り番か? 済まないな」

 俺のねぎらいの言葉に彼女は嬉しそうに微笑む、俺はそのまま足早に階段を降りた。

「あ、禅やっと来た~」

「遅いわよー」

 階段のすぐ下、鉄製のドアの前で一馬と鎮目の二人が俺を待っていた。

 鎮目は既に一馬から大方の事情を聞いている様だったが、俺は改めて協力を要請した。

「ふん、アンタが人の為に何かしようなんてね。いいわ、手ぇ貸したげる。学園の平和を乱す輩をとっ捕まえるのはアタシ達風紀委員の本業だしね。でもそののロボットを奪い返すのはアンタの仕事よ」

「ああ、そうか鎮目はアリスと面識ないんだっけか」

「そういう事じゃないの、確かに前に屋上でチラッと見ただけだけど――まあ解んないならいいわ。それよか、男が一度約束したからには死んでも取り返してやりなさいよ」

 鎮目は『気合入れろよ』とばかりに俺の心臓の辺りに拳をドンと当てて来る。

「アタシの仕事はあの黒幕の鉄仮面、アイツをとっ捕まえてしかるべき罰を受けさせる事よ。学園名物『ボランティア活動とは名ばかりの悪夢の様な強制労働』に従事させてアタシに牙を剥いた事を後悔させてやる」

 鎮目の中では今日の騒ぎの黒幕は鉄仮面、という事で決定してしまった様だ。本人は違うって言ってたけど……ここで訂正する勇気は俺には無いな~、空気読むA型だし。

 鎮目が鉄仮面の正体に気づいていない様なのが唯一の救いか。

 鉄仮面セシリー、また君の笑顔が見られることを影ながら祈っているよ。

「さて、どっちにしても、これから僕らがやる『尋問』で彼らからどれだけの情報を引き出せるかに懸かっているんだね」

 一馬はそう言って、立てた右手の親指で後ろの鉄製のドアを指差す。

 そう、その為に俺は奥宮先輩には『急ぎの用』とだけ伝えて、急いで学園にトンボ帰りして来たのだ。俺達は多少荒っぽい事をしてでも、犯人達から情報を引き出さなければならない。常識人の奥宮先輩がここに居ればきっと止められてしまう。

「さ、誰か来ないかイシャが独りで外を見張ってるんだから、とっとと始めましょ」

「ああ、そうだな。で、その犯人達ってのは、この中か」

 俺はボイラー室の重々しい鉄製のドアを睨む。一馬はにっこり微笑みながら口を開く。

「うん、中でマルコシアス先輩が見張っているから」

「なんだ、あの人まで来てるのか」

「うん、目の前でキツネに化かされた気分でこのままじゃ納得行かないってさ」

 俺達三人は鉄の扉を開けて中に入った。ドアの脇に立っていたマルコシアス先輩は、鎖でコンクリートの柱に縛り付けられた二人の男子生徒を、腕組みの姿勢でじっと見据えたまま、右手をパッと開いて、こちらに挨拶を送って来た。

「言われた通りにやつらの上着と持ち物を没収して、そこに並べておいたぞ」

 そう言うマルコシアス先輩に一馬が両手を合わせて礼を言う

「お手数おかけします~」

 俺は彼らの姿を見て、すぐにピンと来た。

「お前ら――屋上でアリスにちょっかい出してた五人組の中の二人だろ」

 少年達はギロっと俺を睨むが、『フンっ』と鼻息を噴くと無言でまた視線を逸らす。

「ところで尋問って言ったって、どういう段取りでやるつもりよ?」

 鎮目が聞くと、彼らのスマホを弄っていた一馬がモニターに視線を向けたまま返答する。

「ああ、君らは見てるだけでいいよ。『ハードな尋問』の訓練なんて受けた事ないでしょ、途中不快だったら部屋から出てていいし、特に鎮目さんなんて女の子なんだから」

「あ~ら随分上から目線。自信満々じゃないの? それならアタシはアンタがどうやってこいつらの口を割らせるのか、横でじっくり勉強させてもらうわ」

「うふふ、そんなに怒らないでよ、言ってみただけだからさ~」

 一馬が少年達のそばに膝を付き、尋問を開始する。

「それじゃあこれから幾つか質問をしますから、答えてくれるかな? 僕たちも手荒な事とかしたくないからさ、素直に話してくれると助かるんだけど――それでは一つ目の質問。今日無差別に生徒達に催眠術をかけて暴れさせた犯人は君達で、あってるね?」

「――さあて、知らねえなあ、それよかいい加減、この鎖といてくださいよ、先ぱ~い?」

「なんスか? 手荒な事ってぇ? いたいけな一年生にゴーモンでもかます気っスか? ヤヴァイっすよ、俺らが学校に泣き付いたら先輩達退学になっちゃいますよ、ケッケッケ」

 少年達ははなから喋る気など無いという姿勢を前面に押し出して来る。

 一馬は落胆する様に下を向き。

「まあそうだよね、君らだって結構な修羅場を潜って来たんだろうし、仲間達の手前もあるもんね」

「へっ、当ったり前よ、しゃべるもんかい。わ~ったら早い所この鎖を外しやがれ!」

 下を向いた一馬がポツリと語りだす。

「実はね、最近僕『ツボ教室』に通っててね……」

 急に雰囲気の変わった一馬にいぶかしむ少年達。一馬はそのままぼそぼそと喋り続ける。

「ほとんどは健康の為のツボなんだけど、中には『決して使ってはならない』なんて言われる禁断のツボもあるんだよ……前からね、試してみたいな~なんて思っていたんだ」

 怪しく光る一馬の瞳にターゲッティングされた少年は、若干怖気づきつつも気合で睨み返して凄もうとする。

「あ、頭バーンとでもなるのかよ? おもしれえ、やってみやがれ」

「では遠慮なく……」

 一馬は右手の人差し指を立てて彼の目を見ながら言う。

「七百八ある経絡秘孔の一つ、ハフンて声が出るツボ!」

「声が出るツボ? なんだそりゃ、ざーけろよ、そんな『ハフン!』おどし『あんっ!』ちょっ!『やっ!』まってやめて『おふぅ!』くださいおねがいします」

 自分の口から出た甲高いアニメ声の嬌声に困惑し、がくがくと震え出す少年。

「うふふ~ いいねいいね~ もっと聞かせて~」

 一馬の手には、いつのまにか撮影モードのスマホが握られている。

「て、てめえ汚ねえぞ、そんなの『らめえっ!』分かったしゃべる! しゃべります!」


「――なるほど、君が白虎の哲司君で、念波催眠術の使い手なんだね? ほら、もう男の子なんだから、いつまでもメソメソ泣かないの!」

 そう言いながら、一馬は、スッと隣のもう一人の少年に視線を移す。

「そっちの君が玄武の毅君だったよね?」

「へっ、そ、そんな辱めは効かねえぞ、俺には」

 冷や汗を掻きながらも、彼は精一杯強がりを言う。

「う~ん、そうだな~、同じ事しても感動が薄いし、じゃあ……こうだっ!」

「いっ痛――――!!」

 ふくらはぎの辺りを押された玄武の毅が大声を上げた、俺は少々心配になり一馬に聞く。

「今のは何のツボなんだ?」

「うんとね、解毒のツボ~」

「? なんだ。良いツボじゃないのか、それ」

「うん、体に溜った毒素が全部出て健康になるよ。ただ三日三晩お腹がユルユル~のサラッサラ~になってトイレから出られなくなるのが難点なんだけどね~、という訳でハイ」

 一馬がズイと玄武の毅に何かを渡す。

「なんだ――これ」

 ビニールに入った白いブリーフ。サインペンで『ATUSHI』と名前が書かれている。

「新品だから安心して使って~」

「あ? だからこんなもん何に――ヴッ!!」

 玄武の毅の顔色が一気に青色になる。

「さあ、いつでもいいよ~」

 一馬が再びスマホのカメラを構え、彼に向ける。

「昭和っぽい見た目して生意気にSNSやってるんだね~、しかもさすがヤンキー界のレジェンドだけあってフォロアーも沢山いる。くっくっく、これは面白い事になりそうだ」

「なっ! なっ! て、てめっ!」

「さあ、喋ってもらおうか、なぜ我々を襲った。貴様らの黒幕は誰だ。行方不明者達の居所はどこだ。好きなお菓子メーカーは? ちなみに禅はブルボン信者なんだよ、『ブルボンにハズレ無し』なんて格言があるなんて僕知らなかったよ、君は聞いた事ある? うふふ、お喋りって楽しいね。さあ時間はたっぷりあるんだ。君の事をもっと聞かせてよ……」


「黒幕に関する情報は、リーダーの麒麟の義雄君から功刀禅を倒すのに力を貸してくれる奴がいる、としか聞いていない、と――」

 しくしくいている二人の少年をしり目に、一馬はメモ帳をパタンと閉じて立ち上がる。

「さて、どうやら知っている事は洗いざらい喋ったみたいだね」

「…………まぁ、最後の方は知らない事まで白状しそうな勢いだったからな……」

 俺は視線を落として呟く。

「…………一番恐ろしいのは人間――か」

 狼顔の鼻をハンカチで隠したマルコシアス先輩が感慨深げに呟く。

「…………初めて他人をこわいと思ったわ」

 鎮目は何もない中空を見つめたまま、しきりに爪を噛んでいる。

「も~、三人とも引かないでよ~、行方不明者達の囚われている場所が分かったんだからちょっとは誉めて~」

 パチ……パチ……パチ……。

「めちゃめちゃ拍手まばらだよ、お義理だよ、頑張ったのにさ、もういいよプンプン!」

 一馬は怒っている。て

「それから君らも泣かないの、SNS云々はただの脅しだから安心して。でもこの映像は証拠物件として預かっておくよ。安心しなって、学校に泣きついたりしない限り悪い妖精さんが出てきて二人の動画をいい感じに編集してネットの海に流したりしないからさ~」

 ゾクッ――いかん、いかん、俺は首をブンブン振るい、深呼吸を一つして気持を切り替える。少年達の貴重な犠牲の上に我々は喉から手が出るほど欲しかったクトゥルー奪還への手がかりをつかんだのだ。誘拐事件とクトゥルー強奪犯に繋がりがあるのならば、きっとクトゥルーもそこに隠されている筈、待ってろよ誘拐魔!!

―――――――あれ……おかしいな……手汗が、止まらない。


          11


 ───一人デ乗リ込ムナド危険デハ無イノカ?───

 部室塔の廊下を歩く奥宮阿頼耶に『ばさら』が念話で語りかける。

「乗り込むだなんて人聞きの悪い……知らない相手ではありませんし、今日はお話を聞くだけですから心配要りませんよ」

「せめて自治会の若い衆を連れていくひも~」

『まこら』も心配そうにそう進言する。

大事おおごとになってしまいますよ、わたくしは事情を聞きたいだけなのです。何の理由も無しに狼藉を働く様な方ではありませんし、体育祭や小銭に興味があるとも思えません。あの方が犯人だとしてもきっと何か理由がある筈です」

 ───アラヤハ人ガ良スギル、アヤツハ危険ダ。───

「我輩もそう思うひも~」

「あら、二人ともわたくしを護る自信が無いのですか?」

「……ばさらが何とかするひも~」

 ───……当タリ前ダ。───

「ウフフ、それでは行きますよ」

 とある部室のドアの前で立ち止まった阿頼耶は、二匹の眷属にそう言うと、一つ深呼吸をしてドアをノックをした。

「入りなよ、阿頼耶だろ、そろそろ来るのは分かっていたんだ」


          12


 俺達が準備を整え校舎裏に来た時、すでに辺りはとっぷりと日が暮れていた。

 俺は視界の先の『行方不明者達の囚われ場所』とされる施設を凝視しながら呟く。

「まるで、体育用具室みたいだな……」

「体育用具室だからね」

「い、いやまだ分からない。中には強力な結界が張り巡らされてるのかも知れんし」

「そんな気配は感じないけどな~」

 自治会室からかっぱらってきたトランシーバーが点滅する。

「ザザッ――ブラヴォー・チーム、配置についたわ」

「ザザッ――こちらチャーリー、いつでもいいぞ」

「ザザッ――デルタよりアルファ……準備OKだ」

 各員から配置準備完了の報告が入る。ようし、人質救出作戦開始だ。

 今回の作戦の概要はこう、

 まず『不可視』と『壁すり抜け』能力を持つマルコシアス先輩チャーリーが屋内に潜入。

 犯人一味を確認次第、人質を傷つけないレベルの閃光を発射。それを合図に鎮目&イシャのブラヴォー・チームとデルタことオセ先輩がプレハブ小屋の左右の窓を破って突入!

 パニックを起こして出口から逃げようとする者がいれば、この俺と一馬のアルファ・チームが殲滅する。シンプルな作戦だが人質救出作戦はスピードが命、これでいける筈だ。

 俺はトランシーバーのスイッチを入れた。

「アルファよりチャーリーへ――始めてくれ」

「ザザッ――了解、こちらチャーリー、これより目標建造物内への進入を試みる」

 建物近くの木の側に立っていたマルコシアス先輩がふっと視界から消え去る。『不可視領域』に入ってしまった彼を俺は感覚器官を総動員して追跡を試みる。

 俺の統合ネットワークセンサ、通称シックス・センサは、赤外線、音響、振動、臭気、流体、ミリ波の六つの知覚装置から上がって来る情報を一つのコンピュータが統合し、第六感の様な形で伝えてくれるオペレーター要らずの便利な代物だ。

 その感覚は『あ、ヤバイ』とか『あそこに、なんかいる』と言ったかなりアバウトな物だが、サイボーグにありがちな皮膚感覚の低下に伴う『ニブさ』をカバーし、ニュータイプ並の鋭い直感力を与えてくれる為、実戦では非常に重宝する。

 だが俺のその人工の第六感を持ってしても彼の穏形おんぎょうは中々に捉え難い。そこにいるのが解っていて、かつ集中している状況でコレなのだ、何の前触れも無く後ろに立たれたらと思うとぞっとする。やはり『学内敵に回したくないランキング』の上位ランカーは違うな。

 建物に近づいた彼の姿が更に捉えづらくなる。

 壁をすり抜けて屋内への進入に成功したな、と俺が思った次の瞬間、体育用具室のドアがガラガラっと開け放たれ、穏形を解いたマルコシアス先輩が顔を出した。

 あれ、普通に出て来ちゃったぞ。俺は慌ててマルコシアス先輩の下に駆け寄る。

「どうしました? マルコシアス先輩、人質いませんでした?」

「いや、居ないのは敵だ。人質達は、多分こいつらがそうなんだろう、皆眠っている様だ」

 俺が屋内を覗くと、中には確かに四人のガタイのいい男子生徒達が並んで横になり、気持よさそうにいびきを掻いている。異変を察知したオセ先輩と鎮目も入り口に集まって来た。

「……終わりか? 何の抵抗も無しに?」

「ちょっと、何なのよ、大げさな作戦まで立ててさ」

「と、とにかくこいつらを起こして聞いてみよう」

 俺は一人の頬をペチペチと叩く。駄目だ、気持ち良さそうに寝息を立てたままだ。

「ええい、起きろー! 起きないと、ここに居るオセ先輩が『寝ぼすけ兄貴を起こしに来たツンデレ妹』のていで布団の上に跳び乗って来ますよっ!」

「ムニャムニャ止めろよ~、朝っぱらからフロントネックロック?!」

 飛び起きる男子生徒。残りの三人もなまあったかい夢にうなされ、次々と目を覚した。

「さすがオセ先輩、凄い効果だ」

「……後で覚えておけよ少年」

 早速、俺達は彼等に拐われた時の状況など聴いていく、だが四人の話はどれも似たりよったりで、『黒い影みたいのに襲われて、必死の抵抗を試みるも意識を奪われ、気が付いたらここにいた』というものだ。う~む……俺は渋い顔で唸る。

 彼等の救出は、それはそれで意義のある事なのだが、本来の目的であるクトゥルーが影も形も無い。なぜだ、体育会系誘拐犯とクトゥルー強奪犯は別って事か? それともクトゥルーだけ違う場所に隠した? ――駄目だ、分からん。

「そもそもなんなんだ、この雑な隠し場所は。おかしいだろこんな普通の所に隠してたら、とっくの昔に奥宮先輩の『まこら』が見つけてる筈だ」

「それ以前に体育の時間に見つかっちゃうよね」

 一馬がもっともな意見を言う。

「寧ろ見つけてくださいと云う所かな?」

「だろうな、彼らがここに置かれたのもつい最近と云う事だろう」

 面白くもなさそうに言うオセ先輩にマルコシアス先輩が答える。

 どういうつもりだ? 只で返して来たって事か、なんでだ?

「さて、彼等はこのまま付き添って寮に連れて帰るとして、これからどうする? まだ終わって無いのだろう?」

 マルコシアス先輩が尋ねて来る。どうしたらいい、手掛りが完全に途絶えてしまう。

「おい、一馬! 何か手はないか考えてくれ、俺より頭いいだろ!」

 困った俺は、一馬の顔を覗き込み、両肩をつかんで揺さぶる。

「あうあう、な、ない事もないんだけど……このあいだ無理強いをしたせいで大分ご機嫌を損ねちゃったからなあ……」

「なんなんだ、なんでもいいから言ってくれ!」

「そうだそうだ、勿体ぶるな」

「……うんとね、皆はさ、占いとかって……信じる方?」

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