第十三話 怪談は異世界の夏でも定番でした 前編


 その日、下流側の川港で水夫をしているデニスは、手に借り物のカンテラを提げて、月の沈んだ真っ暗な夜道を帰路についていた。帝都からの最後の定期便の荷降ろしを終えた夕刻から日が変わるまで、職場の近くで仕事仲間達と酒を飲んでいたのである。

 デニスは水夫にしては真面目な性質で、普段からこんな遅くまで飲む事は無い。だが今日ばかりは、間もなく結婚する同僚の前祝いであったため、いつもはしない深酒を楽しんでいたのだ。

 さて、酔っ払って気持よく夜道を歩いていたデニスだったが、ふと道の先にあるものを思い出して眉を顰めた。

 墓地だ。

 川港と彼の家の間を最短距離で移動しようとすると、下流側の人間の多くが葬られる共同墓地を横切らなくてはならない。普段は夜遅くまで出歩く事などあり得ないため気にしていなかったが、今は月も出ていないような深夜である、なんとなく薄気味悪さを拭えない。

 とは言え、大の男が幽霊を怖がって道を変えるなどみっともない、むしろ夜道で追い剥ぎに出くわす方が恐ろしい。

 強がりなどでなく本心でそう思いながらも、どこか嫌な気持ちのまま、デニスは共同墓地の前を通りがかった。その時だ。


 ザッ、ザッ。


 墓地の方から音がした。

 夜の静寂の中でさえ、耳を澄まさなければ聞こえないような小さな音だ。

 それでもデニスは音が気になり、ついカンテラの明かりをそちらに向けてしまう。


 ザッ、ザッ。


 何も居ない。

 しかし、相変わらず音は聞こえてくる。

 どうしても気になったデニスは、止めておけばいいのに、音の原因を確かめるべく、墓地の中へと足を踏み入れてしまう。

 石畳を踏み、生えっぱなしの雑草を踏みつけ、カンテラの明かりで先を照らして墓地を進む。

 奥へと歩を進める度、音は大きくなっていく。

 そして音源がすぐそこ、丁度目の前の墓標の裏にまで近づいた時だった。


 ザッ、ザッ……


 ふと、音が止んだ。

 深夜の墓地に静寂が戻る。

 デニスは恐る恐る、音のしていた墓石の裏を覗き込んだ。


 ベチャリ、バキバキ、ゴクン。


 墓標の裏にあったのは――


「掘り返した死体を貪り食う、墓守の姿だったんだよォーーーーーーーー!!!」

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

「…………」


 叫び声を上げたヘルガが椅子からひっくり返った。それを助け起こすクリムの顔はつまらなさそうな半目だ。その対象的な反応に、話をしていた酒場の主人は複雑な表情をする。

「何だよクリムちゃん、怖く無いのか?」

「食屍鬼でしょ? 死霊術士ネクロマンサーの召喚するアンデットの中じゃ、基本も基本よ」

「あん?」

「スケルトンやゴーストなんかよりは強いけど、そこまで上位のアンデットでは無いわ。それに死体が好物だから、ゾンビと一緒に召喚すると共食いを始めるって言うし、怖がるような相手じゃないのよ」

 クリムの言葉に、今度は店主が顔を青くする番だった。ヘルガはいつの間にかクリムの腕から抜け出し、酒場の隅でうずくまっている。

「所で、リイトは?」

 ここ数日、定期便でミネルヴァからの手紙が来ていない事を訝しんだクリムが、リイトと二人で中流港の郵便局へと赴き、催促の手紙を出してきた帰りだった。

 休憩がてら立ち寄ったいつもの宿屋兼酒場で「もうすぐ夏だし、とっておきの怪談をしてやろう」と店主が話を始めた時、湯屋の仕事を終えてたまたま居合わせたヘルガと、リイトも一緒に居たはずである。所が酒場を見渡しても彼の姿がない。

「話は終わったか?」

 と、タイミングを見計らったかのように、カウンターの奥からリイトが姿を現した。

 手には大量のコロッケが盛られた皿を持っている。

「急に居なくなって、何してたのよ」

「女将さんに新しいレシピを教えていた。コロッケというじゃがいもの揚げ物だ」

 正確にはじゃがいもに似た植物なのだが、よく似ているので、リイトは『じゃがいも』と呼んでいた。

 皿に盛られた揚げ物は、リイトが先日の夕食に作った『トンカツ』とよく似ている。恐らくそれと同じように、芋にパン粉をまぶして揚げた料理であろう。

「いただくわ」

 一つを小皿に取り、そこにフォークを挿し込むと、予想以上にあっさりと割れる。断面を覗けば、そこにあるのは潰されたじゃがいもと、その中に見え隠れする挽肉だ。一緒に渡されたソースを絡め口に運ぶと、衣のサクリとした食感とじゃがいものホクホク感が見事に調和し、ソースの甘味も相まって、なんとも美味である。

「おいしい!」

「そうか、それは良かった」

 素直な感想を述べるクリムに、リイトがにっこりと微笑む。

「所で、さっきの話は聞いてた?」

「いや、全く」

「こんな街中で食屍鬼を喚び出すなんて……」

 言いかけ、口を閉じる。

 怪訝な顔をするクリムの前で、手に持っていた皿を高速で机に置いたリイトが、両手で耳を塞いでいた。

「どうしたの?」

「何でもない。所で今日は暑いな、揚げ物をしていたら汗をかいてしまった。主人、すまないが風呂を借りるぞ」

「構わねぇが……もしかしてリイト、おめぇ怪談が怖いんじゃ……」

「何を言っている。俺が怪談を怖がる訳が無いだろう」

 言うリイトの顔は涼しげで、いつも通りの愛想の無さだ。

 クリムがニヤリと笑った。

「これは私の学友が体験した話なのだけど、学院アカデミーには開かずの扉というのがあって――」

「そうだ女将さん! もう一つ試したい料理があるのだが!」

 くるりと回れ右したリイトの手をクリムが掴む。

 錆びついた機械のような動きでリイトが振り向いた。相変わらず飄々とした顔をしているが、彼女が握る手にはじっとりと汗をかいている。

「貴方、怪談が怖いのね?」

 いたずらっぽい目で言うクリムを見下ろす瞳から動揺は覗えないが、彼の態度は分かり易すぎた。

「…………」

 沈黙は雄弁に肯定を示していた。

 正義のヒーローの意外な弱点にクリムは笑みを深める。彼女はあえて気付いていない体で話を進めた。

「今夜墓地に行こうと思うのだけど、怖くないなら問題無いわね」

「何故そんな事をする必要がある」

「街中に食屍鬼が現れたのよ? 正義の味方としては見過ごせないでしょう」


                 ◆


 草木も眠る丑三つ時。勿論、異世界にそんな表現は無いが、そう言うのに相応しい静寂の中を、明かりを手にした二人が歩いていた。

 クリムとリイトである。

「クリム、あれは主人の作り話ではなかったのか?」

 ランタンを手にしたリイトは、特に怖がっているようには見えない。ただ、しきりに帰ることを勧めてくるだけだ。

「同じような話を他の客達もしていたから、何人かに聞いて裏はとったわ。実際に体験した人がいる話みたい」

 聞けば、デニスなる水夫も実在の人物のようだ。現在35歳、妻と子供を養う真面目な男性らしい。

「それに、食屍鬼と思われる墓守だけど、その墓守も実際に居るらしいの」

「ならば墓守が仕事をしていたのを見間違えたんだろう。こんな事をしても無駄だ、帰ろう」

 リイトの言葉を無視し、クリムは続けた。

「だけどその墓守、その怪談が話されるようになってから、行方が分からないらしいのよ」

「行方不明だと?」

「そ、私が思うに、その墓守は死霊術士ね。役目を利用して、墓場の死体を実験台に召喚術の研究をしていたに違いないわ。それがバレそうになったから何処かに隠れているのよ」

「では幽霊は居ないわけだな?」

「いや、多分召喚されたゴーストなんかは居ると思うけど……ともかく、学院外で、マイナーな死霊術の研究なんかをしてる召喚術士よ? ちょっと話を聞いてみたくなるじゃない」

 そもそも墓場の死体を勝手に使い、街中で低位とは言え危険なアンデットを召喚するのは、帝国法において完全に犯罪である。

 話を聞くのは牢屋で衛兵相手になるべきなのだが、クリムは召喚術の事になると些か常識が無くなるし、リイトはそんな法律を知らなかった。さも当然のように言われれば、そういうものかと納得してしまうのである。

 

 それなりに広い共同墓地を、カンテラの明かり一つで二人は進む。

 幽霊の仕業でなく召喚術士が呼び出したものであり、そのアンデットもモンスターのようなものだと思えば平気なのか、リイトの足取りは軽い。

 しかし、歩けども歩けども、不審な物音は聞こえない。ぐるりと墓場の敷地を周り、今度はクリムがそろそろ帰ろうかと言い出した時だった。

 墓石が並ぶ列の向こう、橙色の火がチラチラと燃えているのを、リイトが見つけた。

「あれが墓守か?」

「そうかも、行ってみましょう」

 墓石を迂回し、その向こうに見え隠れする火に近付くほど、二人の違和感は増していった。

 火は暗闇の中で赤々と燃えているのに、その周りが妙に暗い。そして拳大ほどのそれは、浮いているように見えた。

 火の玉はふわふわと墓石の間を縫うように漂い、進んでいく。速度はそれほどでもないが、人であれば乗り越えなければならない墓石の上空を通りすぎて行くため、二人はなかなか追いつけなかった。

 明らかに尋常ではないその火の玉に、リイトは薄ら寒い物を感じた。

「人魂か?」

「鬼火ね、死霊術で呼び出せるアンデットの一つだわ。やっぱり死霊術士は居たのよ!」

 興奮し、早足で墓石の間を縫って行くクリムにリイトが続く。

 鬼火を追って進むほど、空気の粘度が増していくような嫌な感覚を覚え始め、リイトの足が鈍る。

 ふっ、とカンテラの明かりが消えた。

 一瞬にして視界が奪われ、墓地が闇の中に沈む。

 リイトは反射的に周囲へ気配を巡らすが、彼の感覚に引っかかるものはない。ひとまず安堵し見渡せば、いつの間にか鬼火も消えていた。

「おかしいわね、燃料は入れてきたばっかりだから、まだ消えないはずだけど」

 首を傾げたクリムが振り返り、リイトの持つカンテラに火精を使役して火をつける。温かい火に照らされ、周囲が色を取り戻す。目の前に浮かび上がるクリムの顔、そしてその背後を見たリイトが息を呑んだ。

「む…………!」

 短い唸り声。それは気配を察知させずにそこまで近づいた相手に対する、警戒と賞賛だったのか、あるいはもしかしたら彼なりの悲鳴だったのかも知れない。ともかく、リイトは素早くクリムを抱き寄せると、ソレに対して戦闘態勢を取った。

 そこに居たのは、荒れ放題な長い金髪を垂らした女。その女に生気は無く、青白い肌は半透明だ。一目でこの世の者ではない事が伺える。

「安心してリイト、ゴーストは攻撃手段を持たないわ」

 腕の中で言うクリムにギョっとした視線を向けたリイトが聞く。

「これも召喚されたモノなのか?」

「死者と交信するための術で、冥界タルタロスから喚び出された霊魂よ。仮初の肉体を与えられたゾンビやスケルトンと違って、物体や生者に干渉することは出来ないわ」

 事も無げに言うと、クリムはリイトの腕から抜け出し、女ゴーストへと向き直る。

「貴女を喚び出した召喚術士は何処?」

「話が通じるのか?」

「死霊術士ほどじゃ無いけれど、召喚術士なら多少はね」

 クリムの問いかけに、ゴーストは少し間を置いて、長い髪に隠された頭を横に振った。

「ここには居ないって事?」

 その問いかけへの答えは無言。微動だにせず、ただその場に立っているだけだ。

「本当に言葉が通じているのか?」

「だと、思うけど……」

 不安になったのか、クリムが表情を曇らせる。

 と、女ゴーストが腕を持ち上げた。緩く伸ばされた指は、二人の背後を指していた。

「後ろ?」

 指の動きに釣られ、二人が振り向く。

 それを待っていたかのように、墓地の影から一人、二人と姿を現す人――否、それはもう人ではない。腐りかけた肉体に、朽ちたボロ布を纏った数人の男女。ゾンビである。

「ゾンビか……これだけの量が居ると、ちょっと厄介ね」

「どうするクリム?」

「こうなってくると、この場所に死霊術士が居ることは間違いないんだけど……穏便に話をしてはくれなさそうね」

「そもそも逃げられるのか? 俺もゾンビの相手はしたことが無いぞ」

 いつでも戦えるよう、リイトがエイユウギアへと手をかけた。クリムも革張りの分厚い本を取り出し、呼吸を整える。それを横目で見つけたリイトが目だけで疑問を訴えた。

「これは土地の魔力を利用する魔道具の改良品よ。普段から持ち歩いても違和感のない、本の形にしたの。これを使えば体の内で魔力を練らなくとも、瞬時に召喚が可能になる……名づけて、召喚索引書サモナーズインデックス!」

「それは頼もしいな」

 渾身のドヤ顔で分厚い魔道書を掲げるクリムである。対してリイトの反応はあっさりしたものだった。別に思春期特有の精神疾患にどう反応していいか戸惑って、生ぬるい返事を返したわけではない。ヒーローにとって、自分の武器や技に大仰な名前がついているのは、当然の事だからである。

 せっかく整えた息を乱しながら得意気に語ったクリムは、召喚索引書を片手で開き掲げると、残った手を左から右へと薙いだ。

 それだけで複数のゾンビに火が着き、嫌な匂いを漂わせながら燃え上がる。炎は火柱となり、一瞬で死体を炭化せしめた。

「なにこれ……」

 が、その結果に驚いたのはクリムである。彼女はここまでの威力で火精を喚ぶ気は無かった。数体に火をつけて牽制しようとしただけなのだ。

 慌てて召喚索引書を起動、墓地に含まれる魔力を参照する。

「マナスポット並の魔力量!? どうしてこの一帯にだけ……」

「クリム、驚いている場合じゃ無さそうだ」

 言われ、クリムが顔を上げてみれば、空中へは鬼火が踊り、ゴーストのような半透明の人間が現れていた。その表情は憤怒に歪み、言葉に出来ない恨みを湛えている。女ゴーストと違い、明らかに害意を持った存在である事が知れた。

「レイス!?」

「ゴーストとは違うのか?」

「うん、こいつらは精神感応やポルターガイストで攻撃してくるわ。そしてゴーストと同様、こちらからの物理的な接触は効果を成さないの」

「そいつは厄介だな……倒す手段は無いのか?」

「死霊術士や神官、あるいは霊的な物に効果のある能力や神器を持つ英霊でもないと無理ね」

 クリムの言葉を聞いたリイトの判断は速かった。瞬時に変身すると、クリムの小柄な体を持ち上げ、走りだす。お姫様抱っこだ。

「逃げるぞ!」

「賛成!」

 墓石を飛び越え、まっすぐに出口へと向かう。広い墓地といえど、強化されたリイトの脚力ならば、出口まで数分もかからない。

 しかしそれは、何の妨害もなければの話だ。

 走るリイトを遮るように、再びレイスが現れた。背後を見やれば、先のレイスもこちらを追ってきている。

 仕方なくブレーキを掛け、横に抜けようとした所でさらに次のレイス。気づけば周りを完全に囲まれていた。

「気配がないというのは厄介だな……」

 呟くリイトに向かい、レイス達はじわじわと包囲を狭めてきた。もはや逃げ道は……。リイトの腕の中で、上空を見上げたクリムは覚悟を決める。

「うまく制御できるか分からないけれど、風精で私達の体を飛ばすわ。あいつらを飛び越えて脱出するわよ。失敗したら地面に真っ逆さまだけど……その時はなんとかして頂戴」


「その必要はありません」

 と、墓地に優しげな男性の声が響いた。

 同時、荘厳さを感じさせる黄金の光が天から降り注ぐ。光を浴びたレイスは悶え苦しみ、一体、また一体と消え去っていった。

「神聖送還術ですって!?」

 神聖送還術は、悪しき霊や悪魔を強制的に異界へ送還する神官プリーストの術だ。神官ならば一般的に扱える術だが、この数のレイスを一度に送還できるとなると、かなり高位の召喚術士である可能性が高い。

 全てのレイスが消え去った後、二人の前に現れたのは、純白の神官服に身を包んだ銀髪の男性だ。線の細い美男子で、優しげな垂れ目を隠すように、丸い眼鏡を掛けている。頭には神官帽の代わりに丸帽子を載せていた。

「ガーラント導師、何でこんな所に」

「知り合いか?」

「学院の導師よ。多重召喚士マルチサモナーでは無いけれど、神聖召喚術の専門家スペシャリストね。先生ミネルヴァと並んで、若手導師のツートップ」

「そんなに褒めないでくださいよ、照れるなぁ」

 そう言って、ガーラントは恥ずかしそうに頭をかく。そのとぼけた表情からは、彼がミネルヴァと並ぶ高位の召喚術士であるようには見えない。

 ガーラントは二人に向き直ると、帽子を脱いで礼をする。


「はじめまして。バランタインさんにはお久しぶり。ドミニク・ガーラントと申します。気軽にドニさんと呼んでください」

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