第六話 太古の英雄だと思っていたヒーローは本当に異世界人でした

「あんたが、ミネルヴァ・ハイマン……」

 彼女の出で立ちは召喚術士らしい奇抜な物であった。

 まず目を引くのは顔の上半分を覆う仮面だろう。羽飾りのついたソレに覆われ素顔は見えないが、わずかに覗く黒い瞳と、ほっそりとした頬から顎までの輪郭、赤いルージュの載せられた瑞々しい唇、しっとりとしてハリのある褐色の肌は、見る者に隠された美貌を想像させる。

 また闇のように黒い長髪はよく手入れされており、艶めかしい輝きを放って剥き出しの肩や背中に流れている。

 そう、彼女は殆ど衣服らしい衣服を纏っていなかった。豊満な乳房を覆うのはリイトの知る言葉で言えばビキニタイプの水着か。極小面積の桃色布を盛り上げる双丘で形作られた谷間に、首から下げられた金銀宝玉のネックレスが埋もれている。顕になった華奢な肩から続く腕は細く、肘から手首までをふわり膨らむ薄布が包んでいた。手首にはジャラジャラと音を立てるほどのブレスレット、長く細い指には幾つもの指輪、いずれも金色に眩く光っている。

 腹には女性らしさを損なわない程度に程よく鍛えられた筋肉の存在が見え隠れし、くびれた腰から下、よく育った果実のような臀部と下腹部を隠すのはトップスと同色の垂れ布だ。腰横では細い紐が結ばれており、下着の布面積も少ないだろうことが想像できた。その証拠に背面の垂れ布には臀部の形がくっきりと浮き出ている。

 前垂れから覗く太ももはだらし無くならない程度にムッチリとしていて、まるで男を誘うためだけにあるような艶かしさだ。膝から下はこれまた膨らんだ薄布を纏っていて、細い脚線が透けて見える。ミュールを履いた足先だけが女性にしてはやや大きい。だがその程度、全く気にならない程魅力的な肉体美を持つ女であった。

 ミネルヴァはリイトの視線に気がつくと、ニヤリと笑ってクリムを見た。

「私を待ってる間にこんな色男を引っ掛けるなんて……クリム、貴女もなかなかやるわね」

 瞳を細め、ペロリと唇を舐める彼女の仕草はまさしく肉食獣のそれだった。

 リイトの背筋に訳もなくゾクリとしたものが駆け抜ける。

「ちょっ! 何言ってるのよ先生! この方は手紙でも書いた太古の――」

 と、足音を感じさせない歩き方でスッとクリムに近づいたミネルヴァは、彼女の小さな唇に細い指を当てて黙らせる。

「その話はまた後で」

 むぐと口を噤んだクリムから振り返ると、ミネルヴァはリイトに向き直り一度不思議そうな顔をするが、すぐに納得を浮かべると、楚とした仕草で頭を下げた。

「お初にお目にかかります。私は帝都学院アカデミーの導師、ミネルヴァ・ハイマン。どうかミネルヴァとお呼びくださいませ」

「藤原リイトだ。クリムの召喚術でこの世界に呼び出された。ジーク・ブルーの名で邪竜帝国と戦うヒーローをしている」

 自己紹介が済んだところで、クリムが尋ねた。

「先生はどうやってここへ? 手紙がついてからやって来たにしては早過ぎる気がするけれど」

「新しく喚び出した二角獣バイコーンの試し乗りがてらね。さすがに馬の魔獣だわ、帝都からここまで一日もかからなかったわよ」

「闇鴉でも召喚して伝書鳩代わりに飛ばすのだと思ってた……」

「貴女こそ、機密性を重視するなら悠長に手紙なんか出さないの。貴女が思っている以上に学院の権力闘争はドロドロしてるわよ。それこそ手段なんか選ばない連中はごまんと居るわ」

 学院とやらを少年少女を集めたただの学校くらいに思っていたリイトだったが、予想以上の陰惨さに学院のイメージが定まらなくなる。もしかしたらリイトの知る学校――彼が一年半だけ通った高校の中でも、裏では同じような権力闘争が行われていたのかもしれないが。

 ともかく、クリムが言うにはこのミネルヴァと言う女性、召喚術へ並々ならぬ見地を持つという。邪竜皇帝リヴァイアサンとの決戦に間に合わせるため、直ぐにでも元の世界へ帰りたいリイトに、学園の闇について長々と聞いていられる余裕はなかった。

「それで、俺が元の世界に戻る方法をアンタは知ってるのか?」

 その問にミネルヴァは申し訳無さそうに眉を顰めて答える。

「残念だけど、英霊送還の術では貴方を元の世界に戻す事は出来ないわ」

「そんなっ!」

「…………」

 悲鳴を上げるクリムと落胆に押し黙るリイト。どちらにとっても英霊送還の可否は死活問題だ。

「そもそも、彼は英霊じゃない」

 続けてミネルヴァが放った言葉は、クリムにとって完全に予想外のものだった。

「彼は――リイトさんは正真正銘、ただの人間よ」



                   ◆


 そも、召喚術で喚び出した魔獣なり死霊なり分霊なりは、本来実体を持たず現世に干渉する事は出来ない。神や悪魔は現世の依代を用いて受肉する事もあり得るが、それは神話レベルの稀な話である。

 では何故、召喚術は不思議を世に起こせるのかというと、召喚術を現世に干渉する奇跡として具現化させるための触媒――魔力が存在するからだ。

 この世界に存在する生物が普遍的に持つ魔力なるエネルギーは、『この世在らざる者』の力に触れると全く別のエネルギーに変換される性質を持つ。

 例えば『精霊遣い』エレメンタリストの喚び出す火精の力がパスを通って現世へ流れ出ると、召喚術士の意思を汲み取り魔力を熱へと変換する。変換される魔力の量、つまりは召喚術士が消費する魔力量によって顕現する温度や範囲が変わり、種火から火炎の渦までもを発生させるのである。

 そしてそれが『英霊の館』ヴァルハラの英霊なれば、顕現するのは英霊の魂を元にした魔力体生物――言わば英雄を象った魔力の塊なのだ。


「英霊本体の顕現は過去に例が少なすぎて殆ど文献が残っていないから、貴女が誤解したのも無理は無いわ。分霊召喚ですら一部の召喚術士の秘中の秘ですもの。けれど……これだけは言える。魔力体生物である英霊が生きた人間のように振る舞うことはあり得ないのよ」

 宿にとったクリムの部屋で、彼女の知らなかった英霊召喚についての秘密を聞かされ、クリムはこの数日間を思い返す。その間見せたリイトの振る舞いは生きた人間と全く変わらないもの。お腹が空けば食事をし、道中歩いて汗もかけば、夜にはしっかりと眠っていた。

「そうなると可能性は二つ。自分を英霊だと勘違いしている人間か、別次元――異世界からやって来た人間か……」

「でもリイト様は不思議な力を持っていたわ! 普通の人間にあんな事出来るはずない!」

「確かに俺は普通の人間では無いかもしれないが……」

「ほら!」

 ミネルヴァに食い下がり、リイトへ指をさすクリムはもはや涙目だ。

 自分の功績となってくれるはずの太古の英雄が、ただの人間だったなど信じたく無い。

「ではリイトさん。一度その力を見せてくださる?」

「分かった」

 ようやく何やら誤解されていたらしいと気付いたリイトは、話をスムーズにするためにもエイユウギアに手をかけて叫ぶ。

「変身!」

 青い光を放ち、その後に現れるのはジーク・ブルーだ。

 あまりにも異質な装束に、手紙で話を聞いていたミネルヴァも息を呑む。

 だが……

「魔力は感じられない。彼は紛れも無く生きた人間……そして召喚術を使わずに喚び出されたこの鎧、と言っていいのかしら。私達の知らない未知の技術で作られたものだわ……このな力こそ、彼が異世界の人間である証明に他ならない」

「初めからそう言っていただろう」

 変身を解除し、元の姿に戻るとリイトは不機嫌そうに言った。まさか死人と間違われていたとは……いや、頭のおかしい男と思われなかっただけマシかも知れないが。

「でも、それなら何故私はリイト様を召喚出来たの? 異世界と現世を結ぶパスなんて聞いたことがないわ」

 それを発見し原因を解明できれば、それこそ太古の英雄の発見に並ぶ功績となるだろう。一縷の望みを抱いてクリムはリイトの顔を見やった。

「その謎を探るためにも、一度リイトさんの話を聞く必要があるわね」


 二人に促されるままリイトが語るのは、宿敵ファフニールとの死闘の一部始終だ。

 五大幹部の内四人を倒され、焦ったファフニールが生み出した未知のコンピュータウイルスは世界中の電子機器をハッキングし、エイユウロボの『合神』を管理するサポートAI『ゲオルギウス』をも機能停止に追いやった。合神できないままなんとかコンピュータウイルスを操っていた怪人を倒したものの、戦闘で疲弊したエイユウジャーを壊滅させるべく現れたファフニールに五人は苦戦を強いられる。そして復讐を遂げるためにとったリイトの行動は、エイユウロボを使い時空爆発でファフニールを消し去る道連れ戦法……

 その後彼は深い水底にも似た暗黒空間に飛ばされ、そこで一筋の光を見た。

 助けを呼ぶ少女の声を聞いたのだ。

「そう、大変だったのね……」

 リイトが語り終えると、吐息を漏らしてミネルヴァが言った。彼の境遇に思うところがあったのか、クリムは考えこむような表情で黙っている。

「だが、戦いはまだ終わっていない。元の世界にはまだ邪竜帝国によって苦しめられている人達が居る」

 復讐を終え、自分の中に燃える正義の心を自覚したリイトの瞳に迷いは無かった。

「それにしても、その暗闇の空間は何だったのかな。リイト様が聞いたとおっしゃった光は多分、現世から伸ばされたパスが可視化した物なのだと思うけど……」

 クリムの問いに答えたのはミネルヴァだ。

「恐らく『大断絶』ギンヌンガガプではないかしら。無限に広がる谷底……伝承にだけ残る次元の狭間ね」

「『大断絶』……古代国家クスノベキオスの遺跡から発見された、この世界の成り立ちに関する壁画の記述よね」

「存在自体は昔から指摘されていたわ。ガーラント導師が発表した「各次元と現世の相対位置について」にも『大断絶』の存在は仄めかされているの」

「『大断絶』の研究が進めば別次元の座標も特定出来るんじゃない? そしたら長らく謎だった『輪廻』と『転生』の議論についても――」

「待て! 待ってくれ!」

 リイトの叫びで召喚術研究の議論に熱を込めていた二人が我に返る。

 さすがのリイトも訳の分からない専門用語を並べられて頭がパンクしそうだった。

「結論から言って欲しい。俺は、帰れるのか?」

 彼の切実な疑問に返されたのは沈黙であった。

 沈黙の意味を察せられない程、リイトは鈍くない。

「そう……か」

 それだけ呟くと、リイトはベッドへと腰を落とした。

 元の世界への道が遠くなった事に、知れず深い溜息が漏れた。

「なんとか帰る方法を見つけることは出来ないか?」

 仲間達エイユウジャーがリヴァイアサンとの戦いに負けるとは思いたくないが、リイトを失い四人となった彼らでは万が一もあり得る。たとえ決戦に間に合わずとも、元の世界がどうなったのかは知りたい。最悪、自分は仲間達の遺志を継いで、勝ち目の無い戦いに挑む事になるだろう。

「分からないわ。『大断絶』についても貴方の話を元にした仮定に過ぎない……そういった研究の専門家に話を聞くこともできるけれど、現在の召喚術研究では不可能なことも多いわ」

 肩を落とし、項垂れるのはリイトだけではない。クリムもまた、目的から遠ざかったことを自覚し消沈していた。

 確かに『大断絶』の存在を実証できれば多大な功績となるだろう。だがそのためには時間が足りない。悠長に新たな研究を始めている時間はなかった。

 それでもクリムには成し遂げなければならない事がある。

 たとえ、どんな手段を使ってでも。

 例えばリイトのように、自らの身を犠牲にしてでも、だ。

(急がなきゃ、お父様達は……バランタイン家は……)

 室内の誰もが言葉を発せなかった。

 木窓から吹き込む夜風は初夏の生暖かさを孕み、川から運んできた湿気でじっとりとしている。

 肌に纏わり付く不快な空気は、湿度の高い空気による物か、それとも二人から漏れ出る感情による物か。

 長く深い沈黙を破ったのは、夜の闇に轟く破砕音。そして、それに続く人々の悲鳴。

 ハッと顔を上げた三人は二度三度と続く轟音のする方、開け放たれた窓に視線を向け、それを見た。

 闇の中に赤く浮かび上がるのは燃え盛る建物と破壊されたいくつもの家。

 音が一つ鳴るたびに、一つ、また一つと建物が崩れていく。

 何が起こっているのか理解する前に、二人を置いてリイトは走りだしていた。

 窓枠に足をかけ、二階の窓から勢い良く飛び出す。

「変身!」

 空中でエイユウスーツの装着を済ませると、着地と同時、リイトは走りだす。燃え盛る街の方へと。

 人々の悲鳴が聞こえる。

 助けを呼ぶ声が聞こえたなら、それに応えるのがヒーローだ。

 それが異世界だろうと彼には関係なかった。

 

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