第13話 魔導士は街で幼女とはぐれる。

 幻獣騒動から数日が経ち、街に平穏が戻ったある日のこと。


 アビスは、ひとけのない通りの真ん中で途方に暮れていた。

(ここ……どこだろう?)


 おろおろと辺りを見回すが、一つとして記憶にある風景は無い。


 今日は昼過ぎから、中央区へ買い出しに来ていた。その途中で、ロクが常連客の職人につかまり話し込んでしまったのが事の発端である。


 退屈を持て余していたところに、大道芸人の一座が通り掛かった。


 アビスは、色とりどりの風船や軽快な音楽に一瞬で心を奪われ、気付いたら行進に付いて歩いてしまっていたのだ。


 そして、ふと立ち止まり気が付いた時には、見知らぬ路地裏に一人ぽつんと取り残されていた。


 アビスは、北の生まれの亜人という事もあって、元々臆病で慎重な性格である。


 それでも、こどもの無垢な好奇心というのは、生来の性質を容易くひょいと飛び越えてしまうものだ。


 どうして、あの時……と後悔が頭を巡るが後の祭りだった。


 しょんぼりと萎んだ尻尾が、ふさりと地面を撫でる。


「おらっ、何やってんだガキっ! あぶねえぞっ!!」

「っ!?」


 突如、角を曲がってきた荒くれ者の商人の馬車を避けて、アビスはぺこぺこと頭を下げた。


 心細さで押しつぶされそうだった胸の辺りが、びっくりした事で、ばくばくと悲鳴を上げる。


 怖くなってきた。


 怒鳴られた事がきっかけで、アビスの不安は一気に恐怖へと変貌を遂げた。


 もしかしたら、もう帰れないかもしれない。そう思うと、やけに大きく感じる心音が、余計にアビスを焦らせる。


 とにかく、もっと人がいっぱい居る場所まで戻らないと。アビスは徐ろに駆け出し、幾つかの角を勘を頼りに曲がっていく。


 不安を抱えて走っていると、生まれた集落を焼かれ、逃げ惑っていた記憶が蘇ってくる。捕まった後は、いっぱい叩かれたし、酷いこともたくさん言われて、痛くて、悲しくて、辛かった。


 もう、怖いのも、独りも嫌だ。


 かき消すようにぎゅっと目を瞑ると、自分を地獄から引き上げてくれた、無愛想な男の顔が思い浮かんできた。


 アビスは、なんだかんだでロクを慕っている。


 言葉や態度は素っ気ない事が多いが、いつも最後は優しくしてくれるからだ。


 だから、いつかはロクに何かしらの恩返しがしたいと考えていた。でも、このままではそれも叶わなくなってしまう。


 一刻も早く帰らなくては、と気持ちばかりが空転し、もつれる足を支えきれず、アビスは前から派手に転んでしまった。


「っ……」


 当然、手を差し伸べる者は居ない。


 アビスはゆっくりと自力で起き上がると、とぼとぼ歩き始めた。


 アビスが今居るのは街の北区である。


 だが、ロクの店がある中央区寄りではなく、市壁を背負う形で広がる職人たちの区画だった。迷路のように入り組んだ隘路に、古ぼけた石造りの建物が、冷たく静かに佇んでいる。


 背後から突如影が伸びてきて、異世界に引きずり込まれ――そんな想像が浮かんでは消え、アビスは思わず何度も振り返ってしまっていた。


 この区画には、戦闘能力を持たない亜人や獣人が、職人から力仕事や汚れ仕事の一部を引き受けることで、細々と暮らしていたりする。


 実際はただそれだけなのだが、神の教えを信じる者からすれば邪悪な場所であり、また、それらを親に持つこどもにとっては、絶好の冒険先であった。


「おいっ、本当にいたぞっ!? あくまつきだっ!!」

「――っ!?」


 突然、背後から大声が聞こえて、アビスはびくりと体を強張らせた。


 声に振り向くと、そこには棒切れを持った二人の少年と、綺麗な金髪の少女が驚いた顔でアビスを見ていた。


「おいっ、お前、ここでなにしてるんだ?」


 アビスからすれば体の大きな坊主の少年が、棒きれの先を向けてくる。


「気をつけろよ。あくまつきに触ったらのろわれるぞっ」


 そんなむちゃくちゃな事を言って、つんつん髪のもう一人の少年も、アビスに対して棒切れを構える。



「黙ってるのがあやしいぞっ!」

「やっぱり、あくまつきだっ!」


 少年たちは棒きれを地面に叩きつけて威嚇してくる。


 アビスは小脇に抱えていたぬいぐるみにぎゅっと力を込めると、勇気を振り絞った。


「あ、あびすはっ……あくまじゃない」

「うそだっ! その尻尾と耳があくまのしょーこだっ」

「人を不幸にするあくまつきは街から出て行けっ!」


 アビスはとうとう涙目になり、口をへの字に引き結ぶ。


「あーっ!?」


 突如、これまで少年たちの背後で、退屈そうに静観していた金髪の少女が声を上げた。


「あのうさぎ、わたしがほしかったやつだっ! あれだけ売り切れで買ってもらえなかったのっ。お兄ちゃん、あれ欲しいよ~」


 少女はアビスが抱えているぬいぐるみを認めると、駄々をこねるように、少年たちにせがんだ。


「おいっ、それよこせっ! どうせ盗んだんだろ?」


 妹にせがまれて、坊主の少年が棒切れをチラつかせながら、じりじりと近づいてくる。


「そうだ、あくまつきがぬいぐるみ持ってるなんておかしいぞっ! こいつは泥棒のあくまつきだっ」

「ちっ、違うっ。ぬすんで……ない」


 逃げようにも脚が震えて力が入らない。


 アビスは後ずさりながら躓いてしまい、こてん、と尻もちを付いてしまった。


「早く渡せっ。痛い目にあいたいのかっ?」


 どこでそんなセリフを覚えたのか、坊主の少年は棒きれを振りかぶった。


 アビスは、ロクに買ってもらった大事なぬいぐるみを後ろ手に回し、必死に守ろうとする。


 と、その時だった。


「今だーっ! 姫を助けろーっ!!」


 突如、物陰から二人組の男の子と女の子が飛び出してきた。二人も同じように棒切れを持っており、すぐに騎士ごっこのような状態になる。


「なんだ、お前らっ!?」

「もんどーむよーっ!」


 カツン、カツン、と棒きれ同士がぶつかる音が辺りに響く。


 二人は強かった。あっという間にアビスを恐喝していた少年たちの棒切れを弾き飛ばしてしまう。


「まだやるか?」


 赤髪の男の子に棒切れの先を向けられて、坊主の少年は首を横に振った。


「く、くそーっ、おぼえてろよっ!」


 そんな、盗賊のような捨て台詞を吐いて、三人は逃げ出していった。


「だいじょぶか? おまえ、いちりゅーのとこのやつだろ?」


 そう言って振り向いたのは、リコベルを小さくして男にしたような少年だった。


「いちりゅー?」


 アビスは、よくわからなくて小首を傾げる。


「とーちゃんが言ってたぞ。石とか葉っぱがいつも綺麗で、あいつはただもんじゃねえって」


 その言葉を聞いて、アビスはロクの事だと気付いた。


「あ、あの、たすけてくれて、ありがとう。でも、あびすはお姫さまじゃないよ?」


 アビスはぺこっと頭を下げたあと、小首を傾げる。


「わかってるよ。でも、姫を助けると思った方が盛り上がるだろ?」


 赤髪の少年は、にかっと笑ってみせる。


「で、でもやばいよ、テッド。あいつら確か、新しくできた商会のとこの子だよ」

「び、びびるなよウィズ。正義は必ず勝つんだ」


 どうやら、この赤髪の少年がテッド。青髪のなよっとした感じの少女がウィズというらしい。


「で、でも」

「……そうだな。このことは俺たちだけの内緒にしよう。お前、名前は?」

「……あびす」

「じゃあ、アビス。もし、商会のおとなが家に来ても、わからないって言えよ? 問い詰められた時には、記憶に無いって言うと逃げ切れるって、議会のじいちゃんが言ってたしな」

「ないしょ?」

「ああ、そうだ。いちりゅーにも、他のおとなにも絶対内緒にしろよ。バレたら怒られるどころか、家を追い出されるかもしれないからな」


 自分で言って不安になったのか、テッドは怒ると怖い誰かを想像して、ぶるる、と体を震わせた。


「どうして、怒られるの?」


 アビスにはよくわからなかった。


「そりゃあ、あいつらは大きな店のやつらだからな。喧嘩したのバレたら、俺たちが悪者にされて、小さな店は潰されちゃうだろ? 金持ちは、こどもの喧嘩におとなが出てくるんだ」


 そんな事になったら大変だ。アビスはこくこくと頷いた。


「おー、あんたらこんなとこで何やって――って、アビスちゃん!?」


 アビスは、その聞き慣れた声に思わず振り向く。


「リコっ!?」


 アビスは全力疾走でリコベルに駆け寄り、しがみついた。


「アビスちゃん、どうしてこんなとこに? ……ってあんたら、まさかアビスちゃんいじめたんじゃないでしょうね?」


 ゴゴゴ、と音が聞こえてきそうな剣幕で、リコベルはテッドたちを睨みつける。


「リ、リコ姉、違うよ、俺たちは……たまたまそこで会ったんだ。なあ、アビス?」


 テッドは目で、「わかってるな?」という合図を送ってくる。


「そ、そう。テッド、ウィズ、いいひと。あびす、いじめられてないよ?」


 アビスはあわあわとフォローを入れる。リコベルも当然こどもから見れば大人だ。さっきの話がバレてはいけないと必死だった。


「ふうん。まあ、いいけど。それで、ロクは?」


 アビスはその問いで、そうだと思い出す。


「リコ、あびす迷子なの。ロクとはぐれちゃった」

「えっ!? そうなのっ? じゃあ、あいつも探してるかも知れないから、一度お店に戻ってみよっか?」

「うん……ロク、怒るよね?」


 アビスはしょんぼりと獣耳を垂れさせる。


「だいじょうぶっ。私も一緒に謝ってあげるから」


 リコベルはわしわしとアビスの頭を撫でる。


「じゃあ、あんたらも早く帰りなさい。親方に怒られるわよ」


 リコベルに促され、テッドとウィズはそれぞれにアビスに目配せをし、家路へと向かっていった。


「それじゃ、行こっか?」


 アビスはリコベルと手を繋いだ安心と、ロクの事を考えての不安を半分ずつ持ちながら、店へと向かったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る