幕間2

幕間2 つむじ風 (師匠視点)

(今回は師匠視点のお話です)


 それは暑い夏の日のこと……。


『おいこら相棒』

「う……」

『泣くなよ。かわいい顔が台無しだぜ』

 ぐすぐす泣いてるちっちゃい俺にそいつが言う。籠の中で白い躯をきゅっと丸めて。長い耳をぴくっとさせて。

「だって……おまえ、もう手足動かないじゃんか」

『すまんなぁ、ご主人様が呼んでるもんでよ。ちょっくら行ってくる』

「行くなよぉ……」

『すぐ戻ってくるから、心配すんな』

「いつ、帰ってきてくれる?」

 蒼い衣の袖で濡れたまぶたを拭きながら俺が聞くと。そいつはさらりと言った。

『ま、十年か?』

「そんなに待てねえよぉ……」

『待っとけ。がまんしろ。ごほうびやるから』

「ほ、ほんとに? 約束だぞ? 破ったら承知しないぞ?」

『ああ、約束する。ちゃんと待ってろよ。相棒』

 十六年前の夏。俺の相棒ぺぺは、空の高みへ旅立って行った。

 俺の師匠を追いかけて。





 ふあぁ眠い。ぺぺの夢見ちゃったよ。しかしやっぱりお前の墓の前で寝っころがるのが一番落ち着くなぁ。陽ざしが気持ちいいや。中庭って最高。

 ウサギのぺぺ。

 今おまえは俺のそばにいるけど……お師匠様はほんとどこに行ったんだろうな。

 最長老レクサリオンによれば。

 俺の師にして偉大なる前最長老、虹の後光を持つカラウカス様は、いまわの際にこう告げたらしい。

『我の生まれ変わりを探し出し。導師となせ』と。

 人は死すれば必ず生まれ変わる。人とは限らないが、まあ、何かには生まれ変わる。前世を推し量る指標となるのは、そいつの持つ後光。魂の色だ。修行を極めた導師には、それが視える。

 俺の師匠はスメルニアの後見人だったが、かの皇国の後見に収まりたいシドニウスが、最長老になりたいレクサリオンをそそのかした結果、暗殺された。

 しかし導師を殺すのは魔王を殺すのより難しい。

 レクサリオンは寺院にいる半数の導師の力をもってして、我が師の味方であるあとの半数の導師を退け、やっと我が師を仕留めることができたのだが。その魂は取り逃がした。

 魂は輪廻する。そして高位の導師の魂は、生前の記憶を持ったまま転生できる――。我が師の魂はレクサリオンから辛うじて逃れ、輪廻の波に乗った。

 そう、結果的には暗殺は失敗。

 「遺言」は真っ赤な嘘のでっちあげだ。

 我が師が死んだ直後から、レクサリオンとその一派は「遺言」の大義名分を掲げ、ありとあらゆる占いと透視と大陸中の宮廷魔道師の情報網を駆使し、俺の師の転生体を探した。我が師の魂を永久に、寺院に封印された魔道器に突っ込んで封じるために。

 七年目にしてようやく、それとおぼしき子供が見つかった。最長老レクサリオンは、湖渡りの際にさっそく寺院に連れてこようとした。

 灯台もと暗しで、その子は果て街の郊外の貧農の家に生まれ落ちていた。まさかそんな家をさる国の皇家出身だった俺の師が選ぶとは、王族出身のレクサリオンにはとても意外で予想外なことだったようだ。

 しかも、我が師の味方の一派が事態を嗅ぎつけてさっそく介入。件の子供の親父の承諾がなければ白麦村から一歩も連れ出せない、という呪いを子供にかけ。最強の呪霊すらやすやすと跳ね返す保護結界を親父様にかけて対抗した。

 つまり導師数十人に守られた大陸最強の男がひそかに誕生したわけだが、当の本人は全く自覚していない。


――要するに親父を口説き落とせばよいのだろう?


 鼻で笑ったレクサリオンだったが。その生え抜き王族特有の傲岸な性格のせいで、親父様との第一次交渉は見事に決裂。

 黒の技を極めた大魔導師レクサリオンとその腹心は、貧しい小作人に思いっきし塩をぶちまけられて退けられた。

「だれが魚喰らいになんぞやるもんか! けぇれ!」

 と言われたとか。たぶん大陸最強の男にいろいろ失礼なこと言ったんだろうなぁ。

 数十人の導師の加護力が載った塩がもろに当たった腹心はじゅっと蒸発。かすったレクサリオンは、半年以上寝込んで半年リハビリさせられた。

 大陸最強の男、すげえ。

 次の年の湖渡りの時、レクサリオンは少し学習して、貧民に対する言葉遣いというものをかなり改めて挑んだが。第二次交渉も決裂。またも思いっきし塩をぶちまけられて退けられた。

「手土産ぐらいもってこいや魚喰らい! けぇれ!」

 と言われたとか。偉い人に見出されたんだから感謝されて当然、って態度で臨んだのが敗因だったようだ。

 例の塩がもろにあたった腹心そのニはあえなく蒸発。かすったレクサリオンはまた半年以上寝込んで、半年リハビリさせられた。

 大陸最強の男、こええ。

 で。三年目の、三度目の正直。レクサリオンはかなり学習して、親父様との交渉を街の酒場で行なった。宝石っていうお土産も渋々つけてやった。これには親父様も大満足。赤い顔でうはうは笑って、

「いいぞもってけもってけ」

 大陸最強の男、一瞬にして大陸最弱に転落。

 呪詛も加護もきれいさっぱり消え失せた。

 酒。

 酒は要注意だよほんとに。

 まあ、親父様の家は息子五人に娘三人の大所帯だったから、そろそろどこかに子供を奉公に出したかったっていうのが本音だったらしいけど。

 こうして晴れて? 岩窟の寺院に連れて来られた白麦村のペペ。むろん、誰もが欲しいと名乗りをあげた。

 本当にカラウカス様の生まれ変わりだったら、即時息の根を止めないと、と勇んでる奴が約半数。カラウカス様をお守りしないと、と緊張してる奴らが約半数。虹色の後光の子供じゃん、と事情を何も知らずに無邪気に喜んでる奴らがひと握り。

 ちなみに俺は、無知なひと握りの中に入っていると全導師たちから見なされている。我が師が殺された時十六だった俺は、レクサリオンのお目こぼしで導師にしてもらった馬鹿者で通ってて、カラウカス派からも全く相手にされてない。

 そんなわけで白麦村のぺぺが広場に連れてこられた時、カラウカス派と反カラウカス派の間には目に見えないすんごい攻防があった。

 駆け巡る呪い。呼び出されては打ち消される怨霊たち。見えない空気中でその熾烈な応酬が繰り広げられたものの、しかし導師たちは無言韻律を駆使して敵を攻撃していたので、傍目には座席に座ったままだんまりに見える。

 のほほん日和見派の俺もいちおうカラウカス派に加勢して、ほじった鼻くそを飛ばしてレクサリオンの結界をこっそり消しまくってやった。防御結界を毎秒張り直し、敵の呪詛を跳ね返しまくらないといけなくて、レクサリオンは超いらいら。腹いせに床にドンドコ杖を突きまくってた。

 件の子供はカラウカス派の筆頭コロンバヌス様が引き取って、庇護する形が一番いいだろう。そんでレクサリオン一派に大反撃とかなったら面白いなぁ、なんて思いながら件の子どもをちらっと見たら。あれっ? と気づいたわけよ。

 これ、お師匠様じゃないわって。

 たしかに虹色の後光の子だ。見事なまでに七色。

 でもなんか……違う。これ、俺の師匠の色と違う。いやおんなじ虹色だけど。どこがどうっていわれると、ちょっと具体的にいえないけれど違うんだよ。

 青でも赤みのある青、緑っぽい青とか色々あるように。似ているんだけど、微妙なところがさ。

 でもその虹色は、どこかで見た色だった。

 その色を見たとたん、俺の脳裏に鮮やかに記憶がうわっと呼び起こされた。

 嬉しくて。腹立たしくて。哀しくて。幸せな思い出たち……。


 そうか。

 そういうことかよ。

 おまえ、あいつだな?


 この子があいつである以上、白麦村のペペの所有権は、はなから俺にあるのも同然だ。

 仕方ないなぁ。こりゃ、全力でいくしかねえ!

 ということで、俺はあのとき本気を出すことにしたのだった。 





 さて、レクサリオンは体裁をとりつくろい、表向きは公明正大な最長老という顔を維持することに固執した。くじ引きで白麦村のペペの親を決めるという、一大パフォーマンスを催したのだ。

 むろんあの遺言箱も幻像も奴の捏造。レクサリオン的には自分が引き当てるのはいくらなんでもしらじらしいので、腹心の奴らに当たりを引かせて引き取らせ、それから仲間総出で子供をゆっくり料理。カラウカス派に力を見せ付けて黙らせる腹積もりだったらしい。

 そこでよっしゃあ! と俺は影でガッツポーズ。よくぞくじ引きを用意してくれたと、レクサリオンに大感謝した。

 なにせ俺の序列は最低。導師の中で一番下。

 ただでさえレクサリオンのお目こぼしもんと全導師から蔑まれてる俺、普通に名乗りを上げて「弟子がほしいでーす」っていっても、「アスパちゃんはまだ若いから」とか「まずカイヤール読まなきゃダメだよ」と、哀れみたっぷりの目で瞬殺される。

 が。

 そこに公正なるデウス・エクス・マキナのご登場だよ。

 表向きはみんな平等、全員参加型だよ! 

 これで堂々と子供を手に入れられるってもんだ。 

 序列の順に並んで、石の抽選箱に入ったくじをひとつずつ引いて行く導師たち。さっそくレクサリオン派が細工し始めた。

 それに抵抗するカラウカス派の導師たち。

 俺は空気中にばちばち飛びかってぶつかりあう見えない韻律をごっそりまるごと受信。こっそり中継。でも放出信号は、俺の思う通りにすっかり書き変えた。

 当たりクジは黒い石。はずれクジは白い石。

 俺の本気の中継作業で、軒並み白い石を引いていく導師たち。腹心たちが当たりを引かないので、イライラするレクサリオン。なんで味方が当たりを引かないんだ、とさらにイライラするカラウカス派筆頭コロンバヌス。 

 そう、一見すればそれは、カラウカス派と反カラウカス派の激しい拮抗、という様相を呈していた。導師の行列が残り十数人になると、みんな二巡目を期待し始めた。俺の後ろに続々と、ぶつぶつ韻律を唱えまくってる奴らが並びだす。

 そうして。

 二巡目の一番手、つまり最長老の目の前で。俺はその場の導師全員が俺に放ってきた「外れ石を引け」という韻律をサッと華麗に書き換えた。


『黒石おいでぇ』


 韻律反転って、いわば「てこ」の原理。鏡返し同様、超簡単。俺は自分の魔力はほとんど使わなかったよ。導師全員の力が、俺のために黒石を引き寄せてくれたんだ。


「おお! 当たったあ!」


 あのときのみんなの顔、ほんともう最高。目を点にして口をぽかんと開けてるの。まあでもほら、あれだから。公明正大なくじ引きだから。神様の采配だから。

 だれも文句言えないよね?

「アスパシオン! 待ってくれ!」

 意気揚々と弟子の手を握って広場から出ていこうとした俺。しかしやっと我に返った導師たちが群がってきて、口々に弟子を譲ってくれと言い出しやがった。

 カイヤールの倫理学全集を代わりにくれるとか。成績優秀な弟子と交換しようとか。ブドウ酒の割り当てくれるとか。交換条件引っさげてきてさ。

 いやもう、カラウカス派と反カラウカス派と無知なひと握り派総出で俺の反応に大注目。

 そこで俺は立ち止まり、腕を組んで考え込んだ。

 カイヤールあげるっていったやつ=反カラウカス派=はぁ? ばかじゃね?

 弟子交換しようっていったやつ=カラウカス派=はぁ? ばかじゃね?

 お酒一年分っていったやつ=無知なひと握り派=おぉ! 

 いやいやいやいや待て。弟子じゃないけど「ちょっと待て」。

 酒。

 酒は要注意だよほんとに。大陸最強が大陸最弱になっちゃうんだぞ。

 それはできないだろ。お酒とこいつを天秤にかけるなんて。

 俺はちっちゃな我が弟子を見やった。

 すっげえ不安そうな顔。僕どうなるの? って今にも泣き出しそう。縮こまって、耳垂れておびえるウサギにそっくり。

 握った手から、不安と一緒に悲しい気持ちが伝わってくる。か細い心の声が聞こえてくる。

(またお酒で売られるの?)

 あ。こいつ、知ってたのか。酒のために親父に売られたって……。

「酒はいらない。こいつの方がいい」

 次の瞬間、俺は導師らにそうきっぱり断った。


『こいつの方がいい』


 その言葉を聞いたとたんに、ちっちゃな弟子の顔に満面の笑みが浮かんだ。

 うわぁ。かわいいなぁ……。俺がその笑顔にメロメロとろけちまって、それから父性本能大爆発したのは言うまでもない。

 ほどなく導師たちは、ぺぺがカラウカスの生まれ変わりじゃないってことにうすうす気づきだして、徐々に手出ししてこなくなった。

 それまでは毎日すんげえ呪いが全導師から飛んで来てたけど、とりあえず我が師の遺品をレクサリオンにくれてやって、「守ってくださーい」って媚売っといたんで、俺はのんびり中庭で昼寝をかませた。レクサリオンの防御結界は誰よりも鉄壁だもんな。利用するに越したことないわ。

 まぁ、遺品はそこそこの魔法具だったけどいらないよなぁ。金のコマと銀のストローほど、高性能じゃないもん。

 導師たちは今でも血眼になってカラウカス様を探してるけど。

 ほんとあのお方、今はどこにいるんだろう……。





 ふわぁ。眠い。さて、めんどくせえけど。ちょいとまた本気出そうかね。

 ウサギのぺぺ。

 やっぱお前の墓の前が、一番集中できるわ。

 さて、ここで胡坐かくだけで、今回の懸案はすべて解決だな。

 ほいさ!

 ほーら、ひょいと体から抜け出したぞぉ。簡単簡単。

 さてまずは、コロンバヌス様の暗殺を阻止しにいくか。これはコロンバヌス様に耳打ちするだけでいっか。腐っても鯛だもんな。黒き衣の導師なら、自分の身ぐらい守れるだろ。


――「なんだ? 何者か?」 


 ほーら一瞬でファラディアの王宮に来たよ。え? 寺院の結界? あんなの薄い薄い。俺にとってはやわらかいオブラートって感じだな。余裕で突破できるさ。

 しっかし白亜のタマネギ宮殿、いつ見てもきれいだなぁ。魂だとほんとどこにでも瞬時に行けて楽しいよな。しかもぎゅんって、いきなりいかつい顔のコロンバヌス様のまん前に出たわ。

――やほーう。刺客来るから気をつけろよ。

「何者かは知らぬが、警告感謝する。風のごときものよ」

――うん、じゃあね。

 さて次。トルナーテ女王陛下を救え、か。これはちょっとめんどくさいな。友達に協力を頼むとするか。

 メキドはでっかい樹木がいっぱい生えてる国だ。けっこう大好き。よく遊びに行く。緑の森林にぽつぽつと白い建物が見える。そして見える、焼けただれた都……。その焼け跡の一角から、地下に飛び込む。

 細長い通路。しばらく進むと、大きな空間が開ける。中には大勢の人。王都の惨状から避難してきた都民たちだ。

 お、いたいた。知り合い。 

「きゃあ! スカートが!」

――ふへへー。やっほう。

「また来たのね、つむじ風」

「んもう!」

 二人の赤毛の少女がスカートを押さえてほっぺたを膨らませる。

 ひとりは薔薇色のスカートを履いてる。もうひとりは、紫色のスカートだ。顔はそっくりで双子みたい。この子たち、メキドの第三勢力、メキド解放戦線のお姉ちゃんたち。貴族連合に力添えして、革命軍を瓦解させた立役者。

「スカートめくりはやめてっていつも言ってるでしょ、つむじ風」

「ほんとにもうっ」

――どうなの? トルナーテちゃんは。

「状況はしんどいわね。貴族連合のガードが堅固すぎるわ」

「新摂政が部屋から出さないのよ。うちの頭領が怒りぶち切れそう」

――後見人のバルバトスがトルナーテちゃんに変なもの送ろうとしてるぞ。急いで警護つけろ。ケイドーンの巨人あたりがいいな。俺もそいつのひとりに分身を憑依させとく。この機会に、一気にトルちゃんの政権掌握といこうぜ。

「わかったわ、つむじ風」

「王宮に詰めてるケイドーンの巨人傭兵団にすぐ伝信します!」

 よっし。そいじゃあ、俺が憑依する巨人さんを見繕うかね。地上に出て、王宮に飛んでっと。どれにしようかなぁ。あー。あれがいいわ。あいつ、超かっこいいぞ――。





「お師匠さま! またここで寝てるんですか? 起きてくださいよ」


 中庭の家畜小屋の隅でふあああ、と大あくびしてる俺を見つけて、弟子が近寄ってきた。両手にレンゲの花束を持っている。

 弟子は俺の隣にしゃがむと、目の前のこんもりした盛り土の上に花を供えて手を合わせた。

「最近ずっとここに入り浸ってますね。あ。ニンジン供えてる」

「だって今日は、使い魔ぺぺの命日だし」

「でしたっけ。でもウサギを使い魔にするなんて、前の最長老様はちょっと変わってますよね。普通、ネコとかコウモリとかじゃないですか?」

「そうか? 俺の師匠はずっとウサギしか使わなかったぞ。お世話するの、すっげえ楽しかったなぁ。もふもふでさあ。ほわほわでさあ」

 俺が指をわきゅわきゅ動かすと、弟子はひくひくと引きつり顔。

「俺とペペは親友同士でさ。生まれてから死ぬまで俺がずうっと面倒みてやったんだ。こいつ、俺の師匠が死んだ翌日に、後を追うように死んじまったんだよな」

 俺は目の前の盛り土をそっと撫でた。

 十六年前、俺はあいつの亡骸をここに埋めた。その躯は土の中に残ってるけど、その魂は今……。

「使い魔はさ、主人の魔力を受けて生まれるから、主人とそっくりの後光を持つんだよな」

「そうみたいですね」

 弟子はフッと嘆息して、突然立ち上がった。

「あの……どうも……ありがとうございます」

「お?」

「その、あれです。ピピちゃん……」

 おお! ようやく礼を言う気になったかこいつ。

 ゆる神ピピちゃんで抱きしめてから三日、口聞いてもらえなかったんだよな。

 ほんと、思春期の子ってわかんねえ。素直になればいいのになぁ。

 しっかし赤面してる顔、かわいーなぁ。ほんと、俺が何かしてやったら始めはぎゃあぎゃあ文句言うくせに、こうやってあとで赤い顔してありがとうとかいってくるんだよな。恥らってうつむいてる格好なんか、耳垂れてるあいつそっくり。もう、この姿見るだけで俺、幸せ。

 ピピちゃんの着ぐるみのために大嫌いな最長老に土下座百回して、お酒の割り当て半年分献上して、むこう一ヶ月奴のパシリする契約した甲斐があるってもんだ。やっぱこいつ、一生俺の弟子でいいな。導師になんかしなくていいや。

「前世みたいに、俺が一生面倒みてやるからな。ぺぺ♪」

「はい?」

 あ。やべ。こいつ自分の本名呼ばれるの大嫌いだったんだ。ついうっかり口走っちゃったよ。とりあえずあやまっとこ。

「す、すみません弟子さん」

「それよりあの。なんとかしてくれるっていって、もう三日たちましたけど?」

「あーそうね。がんばってますよぉ?」

 弟子は冷ややかな目で見下ろしてきたけど。いやほんと、この三日間、俺は超がんばってたのよ? 知らないだろうけど。

 しかしなんだかんだ言って、朝の給仕で魚の骨かいがいしく取ってくれるんだよなぁ。衣がほつれてるのも、直してくれるし。あれ? もしかして面倒見られてるのは俺の方?もしやウサギの恩返しってことかこれ?

 もしかしてそれが、ぺぺが言ってた「ごほうび」ってやつ?

「いちおう報告しておきますけど。メキドから、トルの手紙がきました」

 お? 来たんだ。トルナーテちゃんからの返事。よかったなぁ。

 弟子は商人経由で渡りをつけたらしいが、その手がもう一度成功するとはかぎらない。めんどくさいけど「式鳥」を使わせてやるか。

「式?」

「スメルニアの古い法術でな、手紙をそのまま鳥にしちまうの。隊商に頼むより段違いに速いぞ。雲の上を飛んでくから、この星の裏側にだって一日で着く」

「そ、それ、宛て先に迷わず到着しますか?」

「相手のモノがあれば確実に着くぞ。特に体の一部。髪の毛とか、爪とかがあれば最高だな」

「あります!」

 弟子は、トルナーテちゃんから餞別にもらった蒼い宝石を出してみせた。

「これ、ロケットになっていて、中に赤い毛が……トルのか、その姉上のです。そ、それにもらった手紙にも赤い髪がひと房……」

 おお。本人の手紙だと証明するために、トルナーテちゃん自身が切り取って入れて寄こしたんだな。手紙は、「はげましありがとう」とかそんな麗しい友情の文面らしいが、弟子は恥ずかしがってついぞ見せてくれなかった。

 見たいのはやまやまだけど。ま、いっか。

「よし、その髪の毛を焼いてその灰で手紙を書け。そして鳥の形に折って飛ばすんだ。飛ばす時には、俺を呼べ。韻律を唱えてやる」

「えっ、焼くんですか?」

「手紙の方のを使って宝石の中のはとっておけば? 」

「そうですね。わかりました。さっそく、バルバトス様からの誕生祝いの品は絶対に口にしないよう書き送ります」

 弟子が嬉しげにうなずく。

 うわあ、かわいいなぁ。一所懸命だよ。もうトルナーテちゃんは大丈夫なんだけど、水は挿さないでおこう。あの娘、こいつからの励ましの手紙を読んで涙流したもんな。今度もきっと大喜びするわ。

「お師匠さま、朝のおつとめ遅れますよ」

 何も知らない弟子は機嫌よい顔で、さくさく回廊の方へ歩いていく。俺はのんびり立ち上がって、いつもどおり大欠伸をかました。

「へいへーい」

「お師匠さま! 返事は一回、はい、ですよ」

「へーい」

 いい天気だ。さーて、今日は何すっかな。

 中庭で寝て。メキド行って。弟子いじって。部屋で寝て。エティア行って。弟子いじって……。

 それから。

 寝ながらひまつぶしに、またちらっと耳を傾けてみるかな。

 バルバドスとヒアキントスの、こっそり悪巧みな会話に。

 しかし黒髭は、うまくヒアキントスに乗せられたもんだ。あいつの言葉は半分以上積み込みだってのに。たぶんヒアキントスはここで黒髭に多大な恩を売っといて、あとで自分の悪巧みかなんかに存分に協力してもらおうって腹なんだろうな。

 でもまぁ、俺にはぜんっぜん関係ないことだ。世界がどうなろうが知ったこっちゃない。序列一番下のコネ皆無な導師だからなぁ。どこにもだれにも手出しできないよ。

 まあ――


 つむじ風は吹くけどな。


「お師匠さま! ほんとに遅刻しちゃいますっ。急いで!」

「へいっ」

 弟子。待てよぉ弟子。そんなに急ぐなよ。

 追いつかないって。弟子ぃー!



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