風編みの歌3 遊戯の玄人

 夢を見てから数日、僕はトルの顔をまともに見られなかった。

 トルは屈託なくて男勝り。初めて会った時も男装してる自覚はなく、好みであの服を着てたらしい。まったく女の子っぽくない。でも夢であんなこと言われたら、どきどきしていたたまれない。何とか平静を装っていたから、相手にはそんなに挙動不審には見えなかった……はずだ。

 そんな春のある日の宵の口。

 夕餉を終えた僕は、分厚い韻律集を抱えて我が師の房に行った。でも岩をくりぬいた狭い部屋の中は真っ暗。師は不在。

「ちっ……逃げたか」

 今日こそ「上位神聖語韻律集」を手ほどきしてもらう約束だったのに、予想通り雲隠れしたようだ。

「上位じゃなくて下位の……でもだめか」

 我が師は、なぜか僕に講義をしてくれない。日がな一日、自分の部屋の寝台か、寺院の中庭に寝転がっている。人に教えるどころか、自分で勉強するのも大嫌い。その証拠に我が師の部屋には本なんて一冊もなし。

 これでよく上位神聖語の実技試験や問答の試験を通って、黒き衣をまとうことを許されたものだと思うんだが。おかげさまで、一人前の導師になろうと日々がんばっている僕の修行が全然進まない。

 蒼き衣の弟子たち全員が受ける、全体講義。長老様たちによるこの必須の授業以外は、それぞれの師がおのが弟子に韻律と自分の専攻を教え伝えている。優等生のリンなんか、三十段階ある試験の半分をもう突破した。メディキウム様が熱心に教えてらっしゃるんだろう。

 なのに僕の師匠ときたら……。情けないことこの上ない。

「今夜こそは絶対に神聖語を教えてもらわないと! 来週の試験に落ちるっ」

 一体どこで油を売っているんだか。導師房が並ぶ三階から一階に降り、探索開始。

 大食堂、小食堂、会議室、談話室、厠、調理場……

 中庭を囲む回廊を巡り、寺院内の部屋を一つ一つ覗きこんで探していると。黒髭のバルバトス様と氷のヒアキントス様が連れ立って回廊を歩いてこられるのが見えた。最近お二人はちょくちょく密談のごとき話をなさってる。そのせいか、僕はとっさに中庭の茂みに我が身を隠してしまった。

「良い結果だった」

 バルバトス様はかなり上機嫌。ヒアキントス様はニッコリ。

「それはよきこと」

「それにもう一度前の方法も試したのだ。6と6が出た」

「ほう。素晴らしい結果ですね」

「今宵はついているぞ」

「ではひと勝負?」

「そうだな、手合わせ願おう」

 お二人は遊戯室へ。導師様方が気晴らしに札や遊戯盤で遊ばれる部屋だ。

 蒼き衣の弟子は基本は利用禁止。ご指名があれば導師様方のお相手として参加することができるものの、師の同伴が原則の「大人の場所」。

 忍び足で近づいて入り口からそっと遊戯室の中を伺ってみれば。バルバトス様とヒアキントス様は部屋の真ん中あたりの席に座り、盤すごろくを始めている。

 そして。

「あ……お師匠様」

 灯り壷から薄明かりがもれる遊戯室の片隅には、探し人の姿が。

 我が師は黒き衣のスポンシオン様と円卓を挟んで座っており、鼻をほじりながらなにやら遊戯をしている最中。円卓の上には線が引かれた木の箱。その盤上には白黒の丸い石。そしてサイコロを振ってるということは。

「お師匠様も盤すごろくか」

 盤すごろくは、導師さま方が好んでよく遊ばれる遊戯だ。大昔にエティアの貴族の間で流行ったもので、サイコロの出目で十五個の持ち石を進ませ、自分の陣地に石を全部置ければ勝ち。

 我が師は白石、スポンシオン様は黒石を使っているようだけど、戦況がかんばしくなさそう。ものすごく不機嫌な顔で、頬杖をつく口がひんまがってる。

 ご機嫌よろしいスポンシオン様がからころとサイコロを振るのを、恨めしそうに睨み上げてぐちぐち。

「さっきから、サイコロの出目がよすぎるだろ」

「運も実力のうちと申しましてねえ」

「ちょ……また六のぞろ目とか!」

「いやはや、今宵はついておりますなあ」

「韻律使って……ないよなぁ?」

「いやいや、遊戯に不正チートなぞいけませんぞ。面白くなくなりますからな」

 満面の笑みの黒き衣のスポンシオン様の頭頂部が、キラリ。スポンシオン様は遊戯室の常連で、いつもどなたかと遊ばれておいでだ。古今東西ありとあらゆる遊戯にお詳しく、ご自分の房には年代ものの札だの象牙の碁盤だの、水晶のチェスセットだの、珍しい遊び道具がたくさん積み重なっている。

 つまり遊戯にかけては、かなりの玄人。

 常日頃から運命の女神にそっぽを向かれてる我が師が勝つのは、まあまず無理というもの。

「また振り出しに飛ばされたし!」

「ほっほっほっ。これで四連勝ですなあ」

 頭頂部をてかてかさせながら、スポンシオン様はご満悦。

「ほう、そちらも盤すごろくか。楽しんでおられるか?」

 真ん中の席でサイコロを振るバルバトス様が、ニコニコと我が師に話しかけた。黒髭の御方は快勝のご様子だ。お相手のヒアキントス様は形よい唇をほころばせて苦笑しきり。

「とても楽しんでおりますよ」

 スポンシオン様が上機嫌に答えたので、我が師はイライラ。爪を噛み始めた。

「ちょっとまて、これやばいな、まじで賭けに負けそう」

 は? 賭け?

 がしがしと黒い頭をかきむしる我が師に、非常に嫌な予感がする僕。スポンシオン様は楽しげに笑っている。

「ほっほっほっ。あと三回勝てば私の勝ちですな」

「まずいまずい。このままじゃ負けるう」

 ちょっと待て。一体何を賭けたんだ。

「ほっほっほっ。これで五勝零敗。先に七つ勝った方が勝ちとしましたが、私の全勝になりそうですな」

「うああ、いっこも勝てねええ。まじでとられるう!」

 ちょっと待て。一体何を取られるんだ。

「ほっほっほっ。六勝目。いただくのが楽しみですなあ」

「うがあああ! やべええええ! まじで弟子に殺されるう!」

 ちょ……

「僕に殺されるってどういうことだ!」

「お、君はアスパシオンの」

「あ、弟子」

 やばい。心配のあまり大声をあげてしまった。バルバトス様とヒアキントス様も、こちらを振り向いてじいと見つめてくる。

 たった今、師を見つけた。そんな素振りを繕って遊戯室の中に入ると。我が師は観念したように円卓にごんと頭をつけて、近づく僕にあやまってきた。

「弟子!すまん!」

「はい?」

「髪をとられて丸坊主になってくれ!」

「……は……い?」

「スポンシオンてば、かつら作る髪がほしいんだってよ」

「かつら……ですか?」

「黒髪がいいんだってさ。おまえも俺と同じで黒いから、おまえの髪を賭けちゃった♪」 

「賭けちゃった♪ って……!」

 何を言ってるんだこいつは!

「ほっほっほっ。艶のある美しい髪ですなあ」

「だろだろ? 弟子は毎日ヤシ油で二回洗って、それから天人花の香油でトリートメントして、櫛で二十五回梳いてるんだ。こんなふうにさ」

 ちょ……なんで梳く回数まで知ってるんだ。しかも仕種つき?!

 ちくしょうこの変態オヤジ、覗きなんてしやが……コホン、失礼いたしました、言い直します。

 我 が 師 は 僕 の 入 浴 を 毎 日 ご 清 覧 さ れ て い た と い う こ と で し ょ う か。

「いやあ毎日ちゃんと発育確認しないとねえ。俺、弟子の親として、もう心配で心配で。こいつ結構小食だし全然男にならなくって、ほんとにチンコついてんのかってえらい不安になって確認したらば、すんげえ細くてちっちゃくってほんとどうしようってレベルで、もぉすっげえ心配してたんだけど、ついこないだようやく男になって、いやもううれしくてうれしくて感動して泣いちゃったわ。いやあ、常日頃からさりげなく伏せたお椀二つ並べたり、丸パンにレーズン乗っけて見せたりした甲斐あったわー」

 ちょ……っとまて。お椀? パンにレーズン? 常日頃から食事時に遊ぶなと我が師に注意はしてるけど。あれはそういう意図、だったのか?!

 もとい。今の言葉……ちょっと……待て……ほそい? ちっちゃい? なにが? ちくしょうなにがっ? 

 男になったって要するに……見てたのか? こいつ、見てたのか?! 

 うああああああああああああああああああ!!

「ほおおおお、アスパシオンどのはそこまで弟子のことを気遣っておられるか。それは親の鑑ですな」

「せっかく切らないで済む時代なんすから、使いどころがなくても形と機能だけは立派にしてあげないとですよ。親の責任てもんです」

「そうですな。実に同感ですな。いやあっぱれ」

 僕の中でぶちっと何かが切れた。 

「…………お師匠さま……そこ、どきなさい」

「で、弟子?」

「いいからどきなさい!!」

 我が師を円卓の席から押しのけて、スポンシオン様の向かいにどっかり鎮座。

「先に七勝した方が勝ちなんですよね?」

「ほっほっほっ。そうですぞ。あと一勝で終わります」

「お師匠さまの代わりに僕がやります!」

 丸坊主は絶対ご免こうむる。背水の陣から巻き返してやる。そうしてやる。

「面白そうな勝負が始まったな」

「観戦いたしますか?」

「せねばなるまい」

 部屋の真ん中にいるバルバトス様とヒアキントス様が、こちらに寄ってくる。

 あ……すみませんごめんなさい。

 心の中であやまる。面白い勝負にはならないから。さっそくサイコロを振れば6と6。最高値だ。

「お。弟子、サイコロ運よくね?」

 我が師は僕のそばにがぶりより、ほうと感心しきり。

 「日頃の行いがいいからです」

 なーんて、出目操作ぐらいわけないんだよ。見習いでも簡単な韻律呪文で、好きな目ぐらい出せるんだ。

「大きな数出せばいいってもんじゃないんです」

「ほうほう」

「石を一個だけ置いていては、飛び込まれて振り出しに戻されるばかりですから、できるだけ二個ならべるようにして砦をつくるんです」

「ほうほう」

 我が師は指をくわえて、僕の説明に聞き入ってる。って、立場逆だろうに! っとにもう!

 ヒアキントス様の刺すような氷の視線が怖いけど。やるしかない。丸坊主なんて、冗談じゃないっ!





 僕はそれから容赦なく韻律を使った。僕が振り出す目の数はいつも6と6の最高値か、もしくは、相手の石がひとつだけ置いてあるところに到達する数。そこに飛びこめば、相手の石を振り出しに戻せるからだ。

 スポンシオン様はすぐに気づかれたものの、一回目の対戦では大目に見てくださった。何しろこちらは背水の陣。勝者の余裕を見せてくれたんだろう。

 しかし。僕が立て続けに三回、えげつなく圧勝すると。

「むうう。アスパシオンの、不正チートはいかんぞ」

 スポンシオン様は耐え切れなくなって、がっくりとうなだれた。

「どんな遊戯も不正をすれば遊戯ではなくなる。これではただの作業だ」

 ですよね。遊戯の玄人は玄人ゆえに、不正チートなど絶対認められない……。

「興がそがれた。この勝負、始めからなかったこととしよう」

 スポンシオン様は悲しそうにそう仰って席を立ち。遊戯室を退室していかれた。

 よし、丸坊主回避成功! 狙い通り。チート最強!

「いくら丸坊主がかかってるからって、容赦しなさすぎだろう。今度はもっと面白い勝負を見せてくれ、アスパシオンの」

 ちょっと怒りながら、バルバトス様が呆れ顔で席を立って出て行かれた。

「やるならもう少し、うまくおやりなさい。気づかれぬように」

 ヒアキントス様が続けて席を立つ。冷ややかな視線できりっと睨みながら。

「はじめからあのようにあからさまでは、相手に気づかれます。仕掛ける頃合というものがあるのですよ。とくにサイコロの出目の場合はね」

 いや、きれいに勝ちたかったわけじゃないからこれでいいんだよ。ヒアキントス様。

 ……って、なんだか今の言葉、ちょっとひっかかるんだけど。

 僕はヒアキントス様とバルバトス様との密談を思い出した。何に対してかは解らないが、なかなか思った目が出ない。なのに今日は望みの出目が出たと、黒髭の長老が嬉しそうに言っていたのを。

 あ……バルバトス様が今夜ツイていたのって、まさかもしかして……。

「おお、助かったぁ!」

 僕の思考は我が師の腰のない声にあえなく中断された。

「助かったじゃありません! さあ、部屋に戻って韻律集開いて講義してください。僕、試験近いんですっ」

 言うなり我が師はビクリ。あさっての方に目をうようよ。

「あー。なんか腹がいたいー」

「この期に及んで仮病は却下します! ていうか……もう毎日の健康確認はしないでください」

「えーっ。親の務めを怠る訳には――」

「却下します! 今度覗いたらぶっ殺しますから」

 僕は右手をさっとふりあげて韻律を唱えた。たちまちあたりに魔法の気配が降りてくる。

「で、弟子、こわいよ? 顔つき暗くてこわいよ? 背中に呪いの怨霊が見えるよ? まさか、お、怒ってる?」

「あったりまえです。ふざけるな」

「ひい! これ地獄の七霊じゃねえか。いつのまにおまえ、こんなぶっそうなもんをっ」

「ふふふっ。図書室の禁書本こっそり齧って召喚方法覚えました。これひっこめてほしかったら、確認はもうしないと天に誓ってとっとと講義始めなさい。僕は……さっ き の 賭 け を 無 し に し て あ げ た ん で す よ ?」

「は……は、はい、わかりました……で、ででで弟子さまっ……」

 まったくもう、チンコ確認するより、ちゃんと韻律教えろっての!

 僕は一日も早く導師になって、寺院から出たいんだ……!





一週間後の試験の日の朝。

 朝の大食堂は少々ざわついていた。

 ファラディアの王が兵を挙げ、メキド王国へ攻め込んだという噂が供物船から入ってきたからだ。ファラディアもメキドも寺院の在るエティア王国からははるか西、大陸の外れにある国だけど……。

「ファラディアは、交易大国だろ? 戦争が本格化したらエティアに入ってくる物が少なくなるね。最悪、供物のパンが減るかも」

「しかも先の大陸大戦の発端になった国だからな。どこに飛び火するか分からないぞ」 

「そうだよな。戦火が広がらないといいけどなぁ」

食堂で魚をつつきながら、蒼い衣の弟子たちはしきりに大陸の西の果ての噂をヒソヒソ。

「おい、コロンバヌスのイキア。それで、ファラディア王家の後見をなさってるおまえのお師匠様はなんて? おまえのお師匠様がたきつけたんだろ?」

「ちがうよ。お師さまは国王陛下が勝手なことをしたんでカンカンだ。だからすぐに西にお発ちになるって息巻いてる。王をどやしつけに行くってさ」

「たしかに軍が動いてるんだから、密書じゃもう収まらんだろうなぁ」

 隣に座っている赤毛のトルの顔がとても蒼い。ファラディアが攻め込んだ先は、トルの故国。

 さぞや心乱されてることだろう。彼女の肩に手を載せると。

「大丈夫だよ、アスワド」

 トルは気丈に僕に微笑んでくれた。

「もうメキドは僕の国じゃない。それより、今日の試験は大丈夫? お師匠様にちゃんと教えてもらった?」

「うん、図書室から借りてきた韻律集開かせて、なんとかぎりぎり六韻律まで講義させたよ」

「それはよかった。ボクは七段階目の試験で十韻律が課題だ。お互いがんばろうね」 

 トルは白い歯を見せて僕の肩を叩き返した。

 その笑顔は優しくて。どことなくはかなげで。でもいつものトルの笑顔で……。

「うん、がんばる!」

 食事の後。僕は両の頬を叩いて気合を入れ、試験室へ行ったん……だけ……ど……


 僕はその日の試験に見事に落ちた。

 なぜなら――。


「では、第五段階の試験を始めようか」

「う……は、はい……」

 目の前にお座りになった試験官は、黒き衣のスポンシオン様……。

「ああむろん、不正はいかんぞ。不正チートはな」

 遊戯の玄人たる導師さまは、僕に向かってそれはそれはニコニコと、満面の笑みを浮かべてくださったのだった。頭のてっぺんを、神々しく輝かせながら。

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