終歌3 封印袋

 まさか。そんな!

 我が師の体に、僕が入ってしまうなんて――!

 

 僕はしばらく呆然と、その場に両膝を折って自分の体を眺めていた。

 胸に大穴が開いた、血まみれの死体を。

 床はひどい血だまり。心臓がない体は、どうしたって助けようがない。

 僕は兄弟子様が広場にいくのを呆然と見送り。

 トルたちが瀕死のリンを運びこむのを呆然と目撃し。


――「リン、しっかりして!」


 トルの泣き声を聞いて、そこでようやく我に帰り。

 おそろしい事態におののいた。

 シドニウス様は、宴の広間にいたトルたちをも歯牙にかけていた――。

 

「アスワド?!」


 回廊に横たわる僕の遺体を見て、息も絶え絶えのリンを抱えるトルが悲鳴をあげる。

 赤甲冑のサクラオが、がくりと膝を落とす彼女を背後から支えた。


「と、トル! 違うんだ。僕は無事なんだ! 僕じゃなくて代わりにお師匠さまがっ……おぶっ!」


 あわててトルにがぶり寄ったら、サクラオにさりげなく腕をつかまれ、割って入られた。


「なんてことだ……陛下の大事な方々がお二人とも……。導師様、お弟子様はどんな状況なのです?」

「いやだから僕は、お師匠さまじゃなくて……」

「ああそんな……ひと目で分かる。アスワドは、息をしてない……」


 青ざめたトルが涙声で呻く。

 都の領主が、侍医を呼んできたと大声で呼ばわりながら回廊を駆けてきた。


「サクラオ、アスワドをお願い」


 泣き濡れるトルはサクラコさんと一緒にリンを抱えて、庁舎の奥へ消えた。

 リンも僕に負けず劣らず血まみれ。だが幸いにもまだかろうじて、生きている。

 あたりに甘い芳香が漂ってきた。

 メニスの血の匂いだ……。

 リンの血は、人間と同じでまだ赤かった。成人前のメニスだから白くないんだろう。でも香りは鉄の鳥を操っていた少女と同じで、とても甘ったるかった。


「なんだと?! 導師様がお弟子様に体を与えた?」


 僕の体のそばに残ったサクラオは、兄弟子さまから事情を聞いて驚愕していた。

 悲痛なまなざしを赤い鉄仮面の奥からのぞかせ、わが師の姿の僕と、死んでしまった僕を見比べる。

 僕はすがるような目で、この巨人を見つめた。

 この人の中に、わが師の魂が入っていてはくれまいかと。そんな奇跡が起きていないかと。

 わが師はいっときならず、この人に取りついていた。

 だから天に昇らず、この人の中に飛び込んでいてはくれまいかと……。

 けれども一縷の望みは叶わず。

 僕を見て息を呑むサクラオは、本物のサクラオその人で。


「なんという犠牲の行為か……」

 

 わが師の所業にただただ感じ入りながら、ほかの巨人たちとともに僕の体をそっと布でくるんで、リンを必死に看病するトルのもとへ運んでくれた。

 医師の処置を受け、ぐったり眠るリンの寝台のそばに、布にくるまれた僕の体が置かれるや。

 トルは死んだ僕の動かぬ手を取って、すすり泣いた。

 

「な、泣かないでトル。なんとかする。なんとか……」


 トルを守るために。わが師を救うために。僕はここに来た。

 その結果が……これ?

 リンは瀕死。トルは嘆き、わが師は天上へ?

 そんな……!

 納得できない僕は、兄弟子様に反魂の韻律を唱えてくれるよう頼んだが。

 たちまちかんばしくない返事が返ってきた。


「ハヤトの魂を天からとり戻す? いやあ、それめっさめんどく――」

「そんなこと言ってる場合じゃないです!」


 わが師の魂が輪廻の波に飲まれる前に、天から取り戻さなければ。

 そう思えど、見習いの僕にはまだその術がない。だれかに、頼るしかない。

 じわじわ視界がにじむのはなんでだろうと目をぬぐったら、暗い床にぼろっと水滴が落ちた。

 我が師の顔から、涙がぼろぼろ出ていた。胸がぎゅうっと、ひどく痛んだ。

 僕の魂が入ってしまったわが師の体は、胸など怪我していないのに。

 

「あのさぺぺ。なんていうかさ、きれいな姉ちゃん……いや、ハヤトの意思を尊重してやったらどうかなぁと、思うんだが」

「できません!!」

「でもさ、反魂の韻律でハヤトを呼び戻したらさ、おまえの魂は天に昇らないといけないだろ? だって体は完全に死んでるんだから」

「かまいません!!」

「めっさかまうわ。もしお前の言うとおりにやってやったら、俺はハヤトに首絞められる」

「でも!!」

「あのさぺぺ。俺様だってさ、もし自分の弟子だの娘だのが俺をかばって、おっちんじまったら……」

 

 兄弟子様はしごく真顔で仰った。


「きっと同じことするわ」 




 食い下がる僕をなだめるためか、兄弟子様は僕の遺体を冷凍保存してくれた。

 体をくるむ布の各所に韻律印をつけ、冷気を保つ方法だ。

 わが師を犠牲にせずにこの世に呼び戻すには、僕の生還が必須。

 体の損傷をどうにかして直すか、僕が別のものに乗り移らなければならない。


「あくまでもいちおうの措置だからな」

「あの……人の魂が輪廻の波に飲まれるのってどのぐらいで……?」

「さあ? 天に呑まれるのはすぐさ。そこでいつ生まれ変わりの波に乗るのは個人差があるだろうが、それはまぁ、この世に未練を持ってるかどうかで結構違ってくるかもよ? まぁ、最低一週間? 二週間はいるだろうけど」

「すっ、数日のうちになんとかして生き返る術を探――」

「数日のうちになんとか現実を受け入れてほしいわ」

「受け入れません!」


 乗り移りが一番現実的な方法に思えた。

 小動物。たとえばウサギやネズミなどに僕の魂を割り込ませるのだ。

 しかし魂を飛ばす術は、黒の技でも難易度がとても高い。

 それができれば導師になる資格を得るという、ひとつの指標となっている。

 師の魂が輪廻する前に取り戻さねばならないから、地道に修行している暇はない。

 となると、できる人に頼むしかないのだが。


「むむむむーりー!」


 兄弟子様はとことん逃げ腰だった。

 僕は数日間もんもんとして、暇さえあればこの人を説得するかたわら、トルと一緒にリンの看病をして、都の復興に協力した。

 トルとメキドの使節たる巨人たちも、金獅子軍も、焼かれた都のためにせわしく働いた。とはいえ、おじいちゃん将軍を失った金獅子軍には、かなりの動揺が走ったようだ。

 軍は若年の士官たちが統率することとなり、しばし混乱。新しい指揮官たちは金獅子州公閣下の指示を仰いだ結果、都の復興作業がひと段落着いたところで、金獅子州公がおわす州都へと戻った。

 金獅子軍は、袋詰めにされている「宵の王」を金獅子州公のもとへ届けたがった。

 だが兄弟子さまがきっぱりと、「おまえたちでは決して御せぬ。黒の導師である自分が預かる」と主張。

 鉄の兵士たちの残骸のみ、州公閣下のもとへ持ち帰らせた。

 庁舎の客室に横たえられたリンの容態は一進一退。幾度も、危篤の危機に陥った。

 背中に深い刺傷を負ったリンの治療は、かなり難航した。


「白の技なら、魔法のごとくすぐに癒せるそうですが。私には傷を縫うのがせいいっぱいですな。人間と同じ薬を使ってよいものかどうか、躊躇してしまう」


 侍医は、芳香漂うメニスの混血の治療に正直面食らっていたし、僕ら黒の技の継承者は、癒しの技をほとんど使えなかったからだ。


「黒の技じゃあ、役には立たねえなぁ」

「ですよね……人体回復の技は、ほとんどありませんよね」

 

 寺院で癒しの技を研究なさっておられるのは、ほぼ、メディキウム様だけ。

 その薬草学は、最低限の医療に必要な知識として細々と継承されている状態。

 こぞって学ぶ者は、ほとんどいない。

 結局リンの回復に一番役立ったのは、おのれ自身。師から教わった薬草の知識だった。

 意識を取り戻したリンは、侍医にいろいろな薬草をそろえてくれるよう頼んだ。

 体に毒素が回らないようにする草。毒素を殺す草。滋養強壮の草。

 それは、侍医がなるほどと手を打つものばかりだった。

 トルと僕は都の領主に協力してもらい、またおのれの足を動かして、薬草をかき集めた。

 トルの様子はかなり痛々しく、始終涙をぬぐっていた。

 リンがかばってくれたことを、ずっと気にしているらしい。 


「トルのせいじゃない」

「そうよ。気にしないで。私はあなたを守れて嬉しい。アスパシオンの。あなたもよ。私は大丈夫だから、どうか休んで」

 

 トルを励ます僕も、傍目からみればひどい様相だったようだ。

 たしかに食事はのどを通らないし。気づいたら部屋の隅に膝を抱えて、しゃがんでるし。

 頑として首を縦に振らない兄弟子様を、あの手この手で何度も脅した。

 

「ね、ネズミ捕まえてきました! どうかこれに僕の魂を入れてくださいっ! それから反魂の技をっ!」

「やめろぺぺ! はやまるな! ネズミがかわいそうだろがっ。それにその光弾消せっ。俺を攻撃したらだめだろがー!」

「ね、ネズミさんには悪いですけど! でもお願いします! どうかお願いします!」

「やりたくねええ!」

「じゃあ自分でやってみますから、やり方を教えてくださいっ!」

「俺はハヤトに恨まれたくねえええ! あのきれいな姉ちゃんは一瞬にしてシドニウスをぶっ倒したんだぞ? そいつの意に反することをしてみろ。俺様、マジで殺されるうううっ!」


 きれいなお姉さん……たぶんそれって、わが師の守護精霊か何か、なんだろうけど……


「師匠の気持ちをちゃんと受け取れ! それでこそ、弟子だぞ!」


 そんなこと言われても。

 わが師の体を渡されても。

 全然嬉しくない。

 納得できない。

 冗談じゃない。

 僕はわが師を助けるために、あの人の前に飛び出したのに。

 結局あの人が天に召されることになるなんて、だめじゃないか。

 守るつもりが、守られるなんて。

 そんなにわが師は僕のことを……。


『弟子は、おれのもんだからなー?』


 いや。

 いやそれは。

 あえて考えたくない……。

 




 一週間ほどして、リンがようやくのこと、半身を起こせるぐらいに回復した時。

 トルは安堵の涙を流して、かばってくれて本当にうれしかったとリンに言った。

 少女二人は手を握り合い。笑い合い。硬く深い友情を確かめ合っていた。

 部屋の隅で見守った僕は、正直、その光景がうらやましくてならなかった。 

 リンは、トルを守った。

 でも僕は……。


「リン様には、なんと感謝を申し上げたらよいか」

「陛下の命の恩人ですわ」


 トルの婚約者のサクラオとサクラコさんも暇さえあれば見舞いにきてくれていたんだが、その日は正式に礼を述べにきた。

 一目置いた感じで鉄仮面をとり、尊敬と感謝のまなざしを彼女に向ける。

 僕に対する態度とは大違いだ。彼らは、僕の前では鉄仮面をとらない。

 僕は。

 だれの役にも立ってない。

 結局わが師は救えなくて。情けないことにその体を奪ってしまって。

 だれの役にも立ってない……。



 そんな心の葛藤に、つけこまれたんだろうか。

 その夜、僕は不可解なささやきを耳にした。


『出せ。ここから、出せ』 


 それは聞くもおぞましい声で。


『そうすれば、望みを何でもかなえてやるぞ』


 頭の中にがんがんと響いてきた。

 なぜかそのときの僕には、とても魅力的に聞こえた。

 甘いメニスの甘露の匂いをかいだときのように。

 僕はぽうっとして、ふらふらとその声がしたところへ足を運んだ。

 

「あら? ぺぺさま、どうなさったんです?」


 声が聞こえたところは扉で閉ざされていて、入り口を守る巨人が二人。

 そこに桃色甲冑のサクラコさんが見回りに来ていた。


「あ……ええと。いえなんでも……」

「ここには、お近づきにならない方がよろしいですわ」


 サクラコさんは柔らかな声で忠告してくれた。


「封印の袋に入れた『宵の王』を保管してありますの」


 ささやき声は、『宵の王』のもの?

 でも完全に袋詰めにされているのに、なんで声が聞こえるんだ?

 『宵の王』はわが師――この体の中に入り、鉄の兵士たちを操った人工魂だ。

 兄弟子様は、寺院の封印所に封印するのが一番だと言っていたのだが。

 しかし僕らは、もう完全に寺院には戻れなくなった。

 あのヒアキントス様が、抜け目なく手を回してきたからだ――。

 


 僕が変な声を聞いた翌日。

 いったん金獅子州の州都へ戻った金獅子軍が戻ってきた。

 数を倍にして。今にも、トルとメキドの使節を拘束しそうな勢いで。

 

「金獅子州公閣下が、岩窟の寺院より由々しき事態を伝えられました」

 

 その軍の将軍は、おじいちゃん将軍の副官だった若者。昇進したのだろうその人は、怖い顔でトルに詰め寄った。

 

「殺されたシドニウス様らは、『宵の王』を封印回収するためにこの金獅子州にこられていたとのこと。メキドの女王陛下が、黒き衣のシドニウス様らを殺して、『宵の王』を奪ったのであろうと、寺院が主張してきております」

「なん……だと?」


 将軍は、とある疑惑を提示してきた。

 黒き衣のアステリオンと導師見習いひとり、そして使い魔一匹が寺院から抜け出し、メキドの女王のために暗躍している。

 すなわち不祥事を起こしたバルバドス様の弟子であったトルが僕らを抱き込んで、「鉄の兵士」を奪い、操ったのではないか――

 寺院の長老たちが、そんな主張をしているという。


「そんな! 鉄の兵士を金獅子州に向けさせたのはメキドだと?! 完全ないいがかりだ」

 

 憤然とするトルに、金獅子州公閣下も陛下のことを信じたいのだと、将軍は威圧的に言ってきた。

 

「寺院の主張が誤解だというのなら。今すぐ『宵の王』を、金獅子州公閣下へ引き渡していただきましょう。ご心配にはおよびません。わが州では、古代より変わらず神獣を御しております。古代の遺物とて、その危険度は重々承知。その取り扱い法は十分に心得ておりますので、難なく扱えましょう」


 いったいどの長老様がそんな主張を、とトルが突っ込むと。

 若き将軍曰く、寺院の総意として州公閣下がそのような書簡をお受け取りになったという。

 しかもそれは、最長老レクサリオン様の急死の報と共にやってきたそうだ。


「州公閣下は、ただちに新しい後見人をご指定なさった。だが寺院は金獅子州出身のその導師様を長老とせず、金獅子家の意向を無視して勝手に人事を決した。ゆえに閣下は、大変憤っておられる」


 新しい最長老様に就かれたのは、三位のトリトニウス様。

 三人空いた長老位には、蒼鹿州出身のヒアキントス様、小国ホルムンド出身の導師様、それとスメルニア出身の導師様がそれぞれ就かれたという。


「特に蒼鹿家の後見人が長老になったことに、閣下は遺憾の意を示されたのだが。追求そらしに、寺院は最長老レクサリオン様の死に、メキドの女王陛下が関わっていることをほのめかしてきたそうだ」

「なっ……」

「導師アステリオン様。陛下が抱き込んだと言う疑惑のあるこの方が、最長老様を呪い殺したと、見られております」


 スメルニアはともかく、小国ホルムンドはたしか蒼鹿州公妃殿下の出身国。蒼鹿州とは同盟関係を結んでいる。つまり蒼鹿家にとっては身内も同然だ。

 氷結の御方は念願かなって長老となられたどころか、おのれの都合のよいように穴を埋めたのかもしれない。

 兄弟子様に罪を着せたのも、氷結の御方の策だろうか?

  

「ゆえに女王陛下にはまず、わが州公閣下に身の潔白を証明していただきたい」

「『宵の王』を、州公閣下に引き渡せばいいのだな?」

「御意。できればご一緒に州都までいらしていただければ、なおのことよろしいかと」

「州公閣下にお会いするのは、こちらが是非にとお願いしたいところだ」


 金獅子州の要請にトルは承知しかけたが。兄弟子様がたちまち渋顔になった。

 

「金獅子家に人工魂を御せるのかぁ? 導師じゃねえと無理だろ」

「アステリオン様が、州公閣下を説得なさってはいかがでしょうか」


 トルの提案に僕は少し驚き、感心した。


「無実の罪だと訴えて、人工魂の管理者に名乗りをあげられるのも、一手かと思います」

「州公閣下に俺を雇ってくれと願えってか?」

「はい」

 

 トルの目はまっすぐで。その頭の中で的確に、国々と寺院の情勢を読んでいるようだった。

 トルの父は、革命に遭って王位を追われた。トルも胸に傷を受けながら、凄惨な運命を生き延びている。

 寺院にいた六年間、彼女はただ無邪気に韻律の勉強をしていたわけではなく。

 それ以上に、いつか王になるための勉強もしていたのだろう。

 あのバルバドス様が、傀儡にしようとしていたトルに帝王学をじっくり教えてくれたとは思えないけれど……。

 もしかしたらトルはひとり隠れて、血のにじむような努力をしてきたのかもしれない。僕の、知らないところで。


「それはいい案だな、女王様。俺は世捨て人生活の方が断然好みだが、下手に疑惑をかけられたままにしときたくはない。俺様も州都についてって、州公閣下に会ってみるわ」

「もし閣下があなたをお雇いにならなかったら、メキドの王宮に仕えてくださるようお願いしたいです」

「おお?!」

「変身なさったアステリオン様のあのお姿を見れば、だれもがそう思うでしょう」

「女王様が召し抱えてくださるってか? そりゃあ、ありがたいなぁ」

「当然です」


 にへらっとする兄弟子様に微笑むトルの顔は、凛としてとても美しく見えた。

 まさにこれこそ。

 王の顔だ――。





 トルに感心し。好きという気持ちが大きくなればなるほど、僕の心はずんと落ち込んだ。

 役に立てなかった自分。

 

 もしかして僕は。だれにも必要ないんじゃ……

 

 あのささやき声がまた聞こえたのは――そう思った直後だった。

 

『我を出せ』


 頭に直接刺さるようなひどい感覚だというのに、その声はとても甘く聞こえた。


『なんでも、望みをかなえてやる。我は、なんでもできる』


 袋の中にあるのは、『宵の王』。

 どうしてその声が、封印の袋を貫通してこれるんだろう?

 一度乗り移られたこの体。まさか、あの人工魂とどこか繋がりがあるんだろうか。

 何者も超越するような接合部を作られたとか……。

 ささやき声はひと晩中、断続的に響いてきた。

 そのたびに僕は、これはただの甘言だと気にしないようにしたが。

 明け方気づくと、封印袋のある部屋の前に足を向けていた。

 

「ぺぺさん、どうされました?」

「あ、いえ。なんでも……」

「お顔がなんだか青いような」

「だ、大丈夫です。なんでもないです」


 また部屋の見回りに来ていたサクラコさんに呼び止められ、事なきを得たその日。

 トルを筆頭とするメキドの使節と僕らは、金獅子軍に護衛されるようにして州都へ出発した。

 移動しても体力が消耗しないよう、リンは揺れが極端に少ない戦車に乗せられた。

 トルが付き添って同じ戦車に乗り込んだ。サクラコさんとサクラオも一緒だ。

 僕は兄弟子様と、後続の戦車に乗り込んだ。いまだ冷凍保存されている、自分の体と共に。

 トルはリンのそばにつきっきり。それがうらやましかった。

 もやもやするこの胸の痛みは、たぶん……嫉妬の気持ち、なんだろう。

 細い縦列となって金獅子軍と巨人たちが街道沿いを進んでいく間、僕の耳には何度も、あのささやきが聞こえてきた。

 封印袋は箱に入れられ、兄弟子さまがしっかり抱きかかえていて。箱には念のために、幾重も結界が張られていた。

 なのに。

 その中から聞こえるはずのない声が、一定の時間を置いて断続的に襲ってきた。


『なんでも、願いをかなえてやる』


 やはり『宵の王』とこの体は、どこかが繋がったままに違いない。

 それにしても、結界すら突き通してくるなんて……尋常じゃない……。





 その夜。僕たち一行は街道沿いの平地で野営した。

 戦車の中に来いとトルに誘われたが、僕の足は重くのたくり、動かなかった。

 いや、動けなかった。

 リンと手をつなぐトルを。

 リンと微笑みあうトルを、見たくなかったからだ。

 霧雨落ちる空のもと。戦車にいる少女二人の軽やかな笑いは、その夜ずいぶん遅くまで聞こえていた。


「リン、よかったらぜひメキドに来てほしい」

「うれしい……お師匠様は、きっと許してくださると思うわ」

「もしサクラオがいなかったら、ボクは君を伴侶に選んだかもしれないな。メニスは両性具有だものね」

「トル……」

「あは。ごめん、冗談だよ。でもそう思うぐらい大好きだ。君はボクのために、覚悟して寺院を出てきてくれたんだよね? 本当にありがとう……」


 伴侶、だって?!

 ああ、僕がトルを助けていれば……

 その言葉は、僕に投げかけられたかもしれないのに……




 気づけば――。




「本当に、かなえられるのか?」


 僕は深く寝入っている兄弟子様が抱えている箱に向かって、問いかけていた。 

 

「本当におまえは、なんでも願いをかなえてくれるのか?」

『むろんだ』

「……冗談じゃなくて、死者もよみがえらせてくれるのか?」


 気づけば――。

 僕の手は、兄弟子様が抱える箱に手を伸ばしていた。

 無性に何かに、すがりたくてたまらなかった。

 たぶんおのれは、ぼうっと半ばうつろな目をしていただろう。

 目がなんだか、とてもカパカパした。

 

『我にできぬことはなにもない。復活の方法は至極簡単だ。材料さえそろえば、死者などすぐによみがえる』

「材料?」

『なされるものには対価が要る。復活に必要なものは……』


 


 気づけば――。

 僕は軍から離れ、街道を逆行していた。

 兄弟子様からそっと奪い取った箱を両手に抱えて。

 ご丁寧に、寝息を立てて深い眠りに落ちている兄弟子様に、簡易枕を抱かせてすり替えて。

 

『材料は、ごく近くにいるのでは?』


 あまったるい声で箱の中に在るものが聞いてくる。


「そうだけど……リンはだめだ。まだ成人してない」

『あの娘でも十分――』

「だめ。それはだめだ……リンはまだ重症で血なんてとても抜けない。他のを探す」


 宵闇落ちる外灯のない街道を走りながら。

 僕は再三、袋からびんびん響く声に抗った。



 リンを犠牲にしろという、恐ろしい声に。


 

「他のメニスを……すぐに見つけるから」





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