深淵の歌5 鳥の王

 大きな翼をはばたかせ、すらりとした白い首を持つ巨大な鳥が、ものすごい速さで岩山をぐんぐん飛び越えていく。

 翼は瑠璃色。尾は虹色。尾羽が長くたなびいていて、なんとも優美だ。

 この鳥は、グライア。

 今まで図鑑でしか見たことがなかった、絶滅種の巨鳥だ。

 ウサギの僕とハツカネズミのリンは、今、その巨大な鳥の背に乗って、大空を飛んでいる。

 なにゆえ絶滅種の鳥が現存していて、僕らがそれに乗っているかというと。


「あーあー。残念だったなぁ。ヌシが不在だなんてよぉ」


 見目麗しいすらっとしたクチバシの鳥顔から、だらけたおっさんくさい口調が飛び出す。

 これが妙齢のお姉さんの声だったらばっちり合っていると思うんだけど、残念ながらこの鳥の正体は、いい年をしたおじさん。

 そう、兄弟子様である。

 封印所では黒馬に変化していた兄弟子様は、今度は伝説の巨鳥に変身なさっているのだ。

 変身術は前世で生きたものにしかなれないんだけど。

 この人の前世って、一体いくつあるんだろう?


「ヌシがいれば援軍要員としちゃ、頼もしかったんだが。あいつの振動攻撃、すごいからなぁ」


 ヌシ、ヌシ、と兄弟子様が後ろ髪を引かれるように仰ってるのは、塩の湖に棲んでいるらしい巨大生物のこと。

 その生物こそ、数十年前、寺院に地震を起こして騒ぎを起こした張本人だそうだ。

 カラウカス様とその二人の弟子、そしてウサギのぺぺが一致協力して、この塩の湖に逃がしてやったらしい。

 若かりしころの我が師たちはその時に、僕らが乗ったあの真珠玉を使用したそうだ。


『ぺぺが、ヌシと俺たちとの通訳をしてくれてなぁ。ほんと助かったわ。ヌシはぺぺをえらく気に入ってな、そのおかげで説得できて、この湖に連れて来れたんだ』

『えっ、そうなんですか?』

『おろ。おまえほんとに、前世の記憶はほとんどないんだなぁ』


 兄弟子様が巨鳥に変身したのは実のところ、湖に飛来しているガンたちにそのヌシの所在を聞くためだった。動物になれば鳥の言葉を解せる。しかも鳥の世界では、伝説級の大鳥グライアは、別名「百翼の王」と呼ばれているほど、格の高い鳥らしい。

 今や存在しない鳥なれど、鳥たちの間ではいまだに語り継がれ、神格化されているようだ。

 そんなわけで、鳥たちが見せた反応に、僕もリンもびっくり仰天させられた。

 大鳥が顕現するなり、塩湖にいたガンたちは、まるで王様のもとに馳せ参じる兵士たちのようにうわっと岸辺に集まってきたのだ。

 群れの隊長鳥はものすごく緊張してどもりながら、巨鳥になった兄弟子様と話していた。


『よお、ちょっと聞きたいんだけどさ、この湖にはいつからいるんだい?』

『ひ、ひひひひと夏おりましたっ。ああああと一週間ほどで、少し南へ参る予定ですっ』


 ウサギとハツカネズミになっている僕らにも、その会話はしっかり聞こえた。

 まるっきり人の言葉のように聞こえたが、鳥たちはちゃんと鳥の言葉で喋っていたはずだ。単なる発声音だけではなく、精神波のようなものが混じっているのかもしれない。


『今年、ここの大将には会ったか?』

『しょ、初夏に南からここへ戻って来ました時、いつものご挨拶をしたきりでございますっ。あのお方は暖かい温水を好まれますので、なかなか湖面には上がってこられぬようでございまして……』

『そっか。もし会ったら伝えといてくれ。ウサギのぺぺが会いたがってるって。三日したらここに戻ってくるからさ』

『承知いたしましたっ! 百翼の王さまっ!』


 ガンの部隊長は尊敬の念をこめて、湖の中にずっぽんと頭を垂れた。

 王なんて大げさだぜ、と、大鳥は謙遜しながら、僕らと荷物を乗せて塩の湖をあとにした。

 ちなみに真珠玉は湖の底に沈めてきている。

 僕らが寺院に戻る日が来るかどうか……そんな必要性が出てくるかどうか……それはまだわからない。

 でもその気になれば、塩の湖から寺院に入り込める、という寸法だ。

 そうして現在。

 兄弟子様は僕らと荷物を背に乗せ、ひたすら南へ飛んでいる。

 一路、金獅子州をめざ――。


「あれ?」


 南に進んでるはずなのに。

 夕方近いはずだから、太陽は右手に見えるはずじゃ……左手の方に沈んでる?

「ちょっと兄弟子様、北五州は南東ですよ?」

「私も気になってたんですけど。なんで北に向かってるんですか?」

「おっと。ばれた?」

 うわ。まためんどくさがり病が出た?

「早く回頭して下さいよ! 南はあっちでしょうが!」

「ほ、ほんとに行くのぉ? 俺と極地でスキー三昧した方がよくない? すぐそこにすっげえ万年雪の大絶壁があるんだけど、せめてそこでひと滑り遊んでから――」 

「遊びません」

「遊び心って大事だぞぺぺ」

「お願いします兄弟子さん、急いで下さい」

「しょうがないなぁ。リンちゃんのお願いだったら、仕方ないかぁ~」

 ちっ。このクソおやじ2号。美麗な鳥顔がまのびして台無しだぞ。

 いや、このパターンはこの人が何かいやぁな予感を抱いている時に繰り出される反応だ。何かを懸念してるってことだろうか。

 それが何かはよくわからないけど、警戒しておくのがいいかもしれない……。

 兄弟子様はぎゅん、と南東に方向を転換し、ものすごい勢いで飛び始めた。

 

「まあ、三日ぐらいでびしっと決めようぜ。とりあえずハヤトを拉致ってその扇でしばくだけだから余裕だろう。って……ちょっとぺぺなにしてるんだ? ガサゴソうるさいぞ」

「あ、魚食べようと思って」

「おまえ……人をあごでこき使ってる上に、勝手にひとりで食べるつもり?」

「塩味効いてておいしいですねこれ。あ、ひとりでじゃないですよ。二人で食べてます」

「鉄面皮ウサギが! 後で皮ひんむいて――」

――「わぁ、おいしいですねこれ」

「……だろぉ~? いっぱい食べてリンちゃん!」


 前言撤回。

 やっぱり兄弟子様はただのエロオヤジだ。きっとそうに違いない。 





 大鳥は大きな火山を越えたところで針葉樹の森に降り立ち、大きな洞のある木の前ですうと人の形に戻った。

 だいぶ飛んだので休憩する、疲れた。とにかく疲れた、と兄弟子様が仰ったからだ。

 もう空はすっかり、夕暮れの赤。一番星が見えている。

 荷物の籠からボロボロの黒き衣を取り出し、いそいそとはおった兄弟子様は、どっかりと木の根元に胡坐をかき。めいっぱい魚をかっこみ。空気袋の酒をがぶがぶ飲み干した。

「あの~」

「おまえはさっき食っただろ」

 兄弟子様は魚の籠を抱きしめて離さない。お酒が入ったので目がすわっている。

「いえ、僕も人間に戻して欲しいかなと」

「だーめだ。勝手に食った罰。ウサギのままでいろ」

 ちょっと待て。リンはちゃんと人の姿に戻ってるんだけど? しかも上品に正座してお酒を飲んでて、白いほっぺたをほんのり赤くしてるんだけど?

 おのれ男性蔑視か?!

 これって差別だっ、と糾弾しようとした時、兄弟子さまは僕の両耳をいきなりつかみ、自分の懐にすとんと僕をつっこんだ。

「うわ!」

「うぉーあったけえ。これこれ。これがやりたかったのよ。あー、ハヤトとお前を取り合ったのを思い出すわ。夜の湯たんぽ争奪戦。うはは」 

「臭いっ! 衣、洗濯してないでしょこれ!」 

 僕が悲鳴をあげると、兄弟子様は衣の上から意地悪くぎゅうっと腕で締めつけてきた。

 ぐふ!

 酒臭さも付加されたオソロシイ匂いに、鼻がひん曲がりそう。ちょっと勘弁して欲しい。

 川か泉を通りかかったら、絶対にひんむいてやって、衣を洗わなくては。

 酒臭い息を吐く兄弟子様は、ぐりぐりと僕の頭をなでさすりながら、リンにお酒をすすめた。

「もう少しどう~?」

「ありがとうございます」

 うわ。なんか、タコみたいな口が頭上に形作られてるんだけど。鼻の下も伸びきってるんだけど。

「んー、やっぱりさすがメニスの子、甘いニオイがするなぁ」

「調子に乗るなぁ!」

「ぐがっ」

 天誅の後ろ足キックを兄弟子様の顔にかましてやる。のけぞった隙に懐から飛び出した僕は、近くの木の洞に飛び込んだ。なかなかいい感じの穴だ。

 ここなら酒臭いオヤジに邪魔されずにゆっくり休めそうな……。

 あ、でもリンをひとりにして大丈夫かな。あのおじさん、もしかして見張ってないとやばい?

「ちょっと、外でなにさわいでるの? 静かにして」――「あ、すみません」

 洞の中には先客がいた。フクロウだ。これから目覚めて夜の狩に出るところらしく、足で寝ぼけまなこをしきりにこすっている。

「あら、おいしそうなウサギ」

 おいしそう、な?

 あ。そういえば、フクロウは猛禽類、だっけ――。

「うわああ!」

 あわてて洞から飛び出した僕は、リンの膝の上に避難した。フクロウの鋭い爪がすっと僕の頭上をかすめていく。

「おいこら! どさぐさにまぎれんなぺぺ!」

「いやフクロウ! フクロウがっ!」

「ほう? おお、でっかいフクロウだなぁ」

 兄弟子様が天を仰いでひゅうと口笛を吹く。フクロウは黄色い大きな目をくりっとさせて、すぐ向かいの木の枝に止まった。とたんに僕は息を呑みんだ。   

 たくさんの鳥たちが、近くの木の枝にびっしり止まってるじゃないか……。

 オオルリ、ムクドリ、ミソサザイ……小鳥だけでなく、もっと大きな鳥たちもたくさん。たくさん……。

「アスパシオンの? どうしたんです? あら……!」

 リンも気づいて、周囲を見渡し目を丸くする。 


「ニュース!」

「大ニュース!」

「ここに降り立ったの?」

「そうみたい」

「どこにいるの?」


 鳥たちのさえずりが、はっきり聞こえてきた。


「虹色の尻尾の」「どこ?」

「瑠璃の翼の」「どこ?」

「白いとさか頭の」「どこ?」


 森の鳥たちは、巨鳥グライアの姿を見て集まってきたようだ。

「百翼の王」と謳われる美しい鳥の噂は、瞬く間に森中に広まったのだろう。

洞で眠っていたフクロウは何事かとびっくりして頭をキョロキョロ回している。


「ニュース!」

「大ニュース!」

「きれいな鳥ですって?」「そうよ」

「すごくきれいな鳥!」「王さまよ!」

「王さま鳥がきたの?」「そうそう!」

「フクロウのおばさま、見なかったの?」

「すぐ近くに降りたのにねえ」


 何百という鳥たちの笑い声……。


「すごい、兄弟子様! こんなにたくさん! ねえ、見てくださいよ!」

「ほんと、こんなに鳥が集まってる光景なんて、すごいですね!」

 耳をぴんと立てて興奮する僕。目を輝かせるリン。

 でも兄弟子様はさすがに疲れたのだろう。鳥の姿などあまり気にすることなく、ああこりゃすごいなぁと、ひとこと言って大あくび。木の幹に背を持たせかけて、こっくりこっくりし始めた。

「鳥のさえずりがすごいですね……!」

「ネズミに変身したら、何て言ってるか聞こえるよ?」

 僕の提案にリンはにっこりして、魔法の気配を降ろした。

 流麗な韻律の旋律があたりに流れる。さすが優等生、一回で韻律を成功させてしゅるしゅるとハツカネズミに変じるなり。

「わあ!」

 赤い目を見開いてはしゃいだ。

「すごい! はっきり聞こえますね!」

 

「人間がネズミにかわったわよ!」

「まほうつかい?」「まほうつかいね!」

「でも人間とウサギとネズミしかいないわよ」

「瑠璃色の鳥はどこ?」「王さま鳥は?」

「どこ?」「どこ?」「どこ?」

「ニュース!」「ニュース!」


 夜が更けるまで。僕らの周りでは、たくさんの鳥たちがさえずっていた。

 あたかも、にぎやかな歌の調べのように。


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