「夢想」2

――



―――― ガン!



「いたっ」



またしても頭を打った。天井で点滅するカラフルな星が、僕を見下ろす。もしかしたら、この先もこうやって頭を打つってのが、おきまりになるのではないだろうか。そんな自分に嫌気がさしながらも、実感する。



マイ・レメディーから帰還した。



いつもより頭にある鈍痛が酷く、起き上がることさえ出来ない状態だ。じっとしていると、ゆっくり天井が開いた。



「おかえりハルくん」



ウサミ先生が顔を覗き込んでくる。凄く久しぶりに会ったような気がした。いまだに背中に羽を背負っていて、話し辛そうな口ばしマスクを付けている。



「今日は辛そうだね、暫くそのままの状態を希望かい?」


「はい、出来れば。あ、だけどウサミ先生、今日は多忙で時間ないんでしたっけ」



そう告げると、顔をくしゃっとさせ嬉しそうに微笑んできた。



「素晴らしい!マイ・レメディーに入ったのに、入る前の記憶を瞬時に思い出せるとは。やはり君は若い脳を持っているねー。あ、確かに時間はないよ。だからこのままの状態で話を聞かせて」


「はい。えっと、一言で表すとしたら、今日は本当に疲れました」


「はは、今日じゃないのかい?」


「いや今日は特に。何というか、場面がころころ変わって、記憶に振り回されたって感じだった。それについていくのが大変で」


「人の記憶の中というのはそういうものだよ。至ってスタンダードな意見だね」


「だけど、今まではあそこまででは無かったのに」


「そりゃそうさ、今まで君が入った時間が少ないんだから。長ければ長い程、多数の記憶の切り替えに出くわす。ちなみに、言うの忘れてたけど、今日は45分入ってもらったから」


「成る程。何となく、いつもより長く感じた」


「気付くとは優秀だね」



最初は10分、次に30分、今回は45分だった。これから入る時間が延びるほど、ああいった事が増えるのかと思うと、それだけで疲労感が増す。だけど長く居られるようになりたい。だって――。



『まずは此処に長く居られるようにならないと。私のために、協力して欲しい』



真剣な表情で言っていたあの言葉が、脳裏を過った。ユミさんはまるで、全て分かっているようだった。



「ウサミ先生、相手が何もかもを知っているというケースは、今までにありますか?」


「どういう事だい?」


「自分は昏睡状態で、マイ・レメディーという機器を使って記憶の中に居るという事を分かってる、というケースです」



ウサミ先生は何も言わずに固まってしまった。少しの沈黙の後、慌てるように何処かに行ってすぐに戻ってくる。手にはカウンセリングを受ける時に持っている、バインダーとペンが握られていた。



「そんな事はあり得ない。考えられない事だ―― だが、今までのケースに囚われてしまうと、科学は進歩しないのだよ。その話、是非とも聞かせてくれないかい?」


「いや、絶対ではなく、何となくそう思っただけで」


「そう思った些細なきっかえでもいいから、きっちり報告しなさい」



今此処で真実を述べるべきなのか悩んだ。ユミさんを裏切るような気になってくる。



それにそうだ、僕が抱いた疑心暗鬼はまだ払拭出来ていない。今は完全にウサミ先生を信用できる状態ではなかった。今抱いている疑惑が消えてから言ってもいいだろう。あたかもその日に起こった出来事のようにして。



「マイ・レメディーという言葉が出ても、向こうが動揺しなかったから」



嘘でもない、当たり障りのないような事を告げた。ウサミ先生は目を細め、ペンで指さしてくる。



「君、相手の女性を試したのかい?」


「そうじゃないよ。記憶の中の会話で、誰かがさらっとマイ・レメディーという言葉を発したんだ」


「うむ。まあ、今やこの機器の事を知ってる人は少なくもないから、相手の女性もこうなる前に、テレビか何かで観て知っていたんじゃないかな」



ウサミ先生は分かり易く肩を落とす。新たな発見を期待していたのかもしれない。



「まあ、また気になる事があったら教えて。今日は他にどんな事があったかな?」


「大変でした。時々、映画のシーンが混在してくるんです」


「そう。相手の女性は映画鑑賞が趣味だったのかもね」



明らかに興味を無くしている。僕の身体を心配する振りをしながらも、本当は、予測不能な事態が起こる事を望んでいるのではないだろうかと思えた。ウサミ先生はやっぱり、医者よりも科学者向きだ。



そこで、報告してなかったある事を思い出した。



「そうだ、また新たに僕の友達が出てきた。実は前回も出てきてたんだけど、何故か遠くからじっと僕を見ているだけで、話し掛けてこないんです」


「うーん、それは君の記憶の方なんじゃないかな。その友達のこと嫌いなの?」


「いやいや、仲良いですよ。何で嫌いってことになるんですか」


「そういう事例があったのだよ。苦手だと思っている人を、思い出すのも嫌で記憶の底に沈めようとしてしまうんだ。この間教えたRepressed Memoryリプレッシド・メモリーに似た類だが、それよりももっと軽いもので、沈め切れず、取りあえず関わりたくないって思いが、相手を遠くに置くという結果を招く」


「いやだから、仲良いんですってば」


「もしかしたらだけど、相手の女性も知っているのかもしれないね、その友達の事を。彼女がその人を苦手だと思っているのかもしれない。だから友達は君達の傍に寄って来ないんだ。まあ、あくまでも仮説だよ」



ユミさんとユウダイが知り合い?いや、ユウダイからそんな話聞いた事がない。だけど聞いていないだけで、もしかして知らない所でユミさんと出逢っていたのだろうか。そもそも昨日ウサミ先生に、相手は自分が見えている人とは違う可能性があると言われていたんだった。そうとなると、答えは一生出ない気がする。



もう疲れてきたので、考えるのは止める事にした。そもそも考えること自体、無駄なのかもしれない。






                  ***




最寄り駅に到着し、目の前のファストフード店に目をやる。



ユウダイは居なかった。



今日は昨日よりも具合が悪い。家に帰る道のりを歩くのもしんどいので、もしユウダイが居たら飲み物でも一緒に飲んで休みたかった。僕は1人で飲食店にさえ入れない、気の小さい男だ。1人なら大人しく帰ろう。それに、今日もイッタの家にお世話になったら申し訳ないのと、あのイビキはもう勘弁だ。そう思っていたら、後ろからポンッと肩を叩かれた。



振り向くと、アイスを頬張るユウダイが手を上げている。



「あれ、今日もフラついてたの?」


「いや、おまえそろそろ此処に来る頃かなっと思って。ちょっとだけ遊ぼうかと思ってよ」



ユウダイがこんな風に“遊ぼう”と言ってくれたのが初めてで、少し感動すら覚えた。



「いいけど、昨日の今日だからオールは無理だよ」



素直に遊びたいと言えない自分にもどかしさを覚える。だけどユウダイは、そんな事など気にしていない様子だった。



「ああ、今日サボっちったし、またイッタに世話になるの無理。あのイビキまた聞いたら俺、明日も学校サボっちまう」


「同感」



2人でコンビニに寄って、また昨日と同じ土手に行くのかと思いきや、ユウダイは反対方向に向かって歩き出す。



「何処行くの?」


「よく行く場所」



黙ってついていくと、駅の反対側にあるホテルの前に到着した。20階建ての大きなホテルで、アール・デコ様式の外装のお陰で高級感漂っている。平日でも一泊5万円~という値段らしい。前に母親が泊まった事があると言っていた。利用者は社会人や観光客が多いようだ。



オレンジ色に照らされる玄関口に、ユウダイは物怖じせず入っていく。引き留めたけど、無視してポーカーフェイスで歩き続けていた。



スーツを着た人が数名カウンターで手続きをしている。基本的に、身なりのきちっとしたお客さんが多いように見受けられた。ちらっとコンシェルジュが僕達を見る。咄嗟に目線を前に戻すと、ユウダイがエレベーターに乗り込む所だった。



「ユウダイ、ちょっと待ってってば」



小声でそう言いながら慌てて乗り込むと、ユウダイは1番上の階のボタンを押す。エレベーター内は僕達だけだ。



「何やってんの、見つかったら警察呼ばれるじゃん」


「いや平気。宿泊者が何人も出入りしてるし、バレたことない」


「こんなこと、毎回やってんの?」


「ああ、まあ」


「まあじゃないし。よく入ってみようと思ったよな」



エレベーターは静かに停止し、扉が開く。



「こっちこっち」



ユウダイは慣れた様子で手招きしてきた。赤い絨毯が敷かれた廊下をどんどん進み、1番奥にあった扉を開ける。そこは非常階段のようで外だった。上がっていくと、ユウダイの身長と同じ位、180cmほどの白い柵が現れる。



「これ、越えられっから」


「越える?」



僕の問いを無視し、その柵をよじ登っていく。いとも簡単に登り切り、そのまま姿を消した。小声でユウダイの名を何度か呼ぶも、返事は返って来ない。



周囲を意味なく見回した後、何とか僕もその柵によじ登った。階段が更に上に続いている。ここから先に明りはない。恐る恐る足を進めていくと、開けた場所に出た。



そこは、柵もないにもない屋上だった。ユウダイはど真ん中で胡坐あぐらを掻き、コンビニ袋を漁っている。



「こえー、何もないから落ちそう。てか、高すぎ」


「いいから座れよ」



ごくっと唾を飲み込み、慎重に歩いて隣に座った。ユウダイは今日はお酒を買わず、コーラと唐揚げを買っていた。僕は小腹が空いていたので、同じ唐揚げとおにぎりを2つ買った。



視界に広がるのは真っ暗な空のみ。恐る恐る下を覗くと、車のライトと建物の明かりが見える。だけどその奥は住宅街で比較的暗い。夜景が広がっていて綺麗という感じではなく、ただ恐怖だった。



「何で此処に来てみようと思ったわけ」


「やってみたら来れたから」


「ああ、そう」



綺麗な景色があるわけでもないけど、暗いを空を眺め黙々とご飯を食べ続けた。さっきからずっと気になっている事がある。時折ユウダイが、自分のお腹辺りを摩るのだ。



「腹痛い?」


「ああ、まあ」



それ以上何も言ってこず、暫く経ってから違う話をしてきた。



「明日から、バイトすることになった」


「え、うちの学校って一応、バイト禁止じゃなかったっけ」


「おまえが言わなきゃバレねーよ」


「何処で働くの?」


「隣の駅の居酒屋。先月オープンしたばっかの」


「へぇ、何時から何時まで?」


「知らねぇよ。学校終わってから行くから、夕方から閉店までじゃね?」



そう言いながら、唐揚げをぽんぽん口につめていく。



風に乗って僕達の髪が激しく揺れていた。下に居る時よりも頻繁に吹く強めの風だ。ぼさぼさに絡む金色の髪を見ながら、高校生だから閉店まではないとして、夜遅くまで働いたら寝坊して学校に来れないんじゃ?と心配になった。ユウダイはもともとサボリ癖があるし、単位が足りなくて卒業出来なくなったってな展開も起こり得る。



予想していたら、眉をひそめながらこっちを見た。



「あ?なんだよ、無言でじっと見てきやがって」


「何でバイトなんかすんの?欲しいものでもある?」


「あー、違うけど。そうなんじゃない?」


「どっち」


「別に」


「別にって答えに――。」


「おまえウザイ。時期生徒会長の座でも狙ってんのか」



“生徒会長”そう言われてハッとした。



「あのさ、今の生徒会長って誰だっけ」


「はあ?キチガイのカシワギだろ?あの強烈キャラを忘れるか普通」


「あ、そうか。じゃあさ、去年は誰だっけ」


「知らねぇし興味ねぇよ。おまえ、マジで生徒会長狙ってんじゃねぇだろうな」


「違うけど。あのさ―― ユミっていう名前の先輩、知らない?」



ユウダイは食べる手をピタッと止め、何かを思い出すように視線をじっと上に向ける。



「誰、だっけそれ」


「聞き覚えある?」


「ある、ような、ないような?つうか元カノの友達にそんな名前の女が居たような?」


「え、どんな人?」


「あー、でも、どの元カノかすら思いだせねぇから、多分勘違いかも」



ユウダイは、長身で切れ長の鋭い目がクールだと噂されていて、女子にもモテる。ちょっと悪そうな所も女子は惹かれるのだろう。中学の時は3年間彼女が途切れなかったらしい。去年までは年上の彼女が居たが、気付いたら別れてた。今年に入ってから、初めて彼女が途切れたと言っていた。



「その女がどうかした?」


「うん、ちょっと」



そこで、ドンっと体を押された。



「おまえ止めとけよ、意気地もねぇくせに」


「え?」


「女なんかめんどくせーだけだろ。ハルなんて振り回されて終わるのがオチ」


「いやいや、そういうんじゃないって」


「まあ別にいいけど。おまえ浮いた話一つもないから、何かあったらあったでウケるし」


「いや、それを言ったら、高校に入ってからイッタだって――。」


「あ、そのおにぎりくれ。腹減った」



話を遮るように大声で言われ、おにぎりを奪われてしまった。僕は渋々もう1つのおにぎりに手を伸ばす。



「ユウダイ、話戻るけどさ、バイトはいいけど学校もちゃんと来いよ」


「ああ。てか、バイトのこと内緒な」


「え?それってイッタ――。」


「全員」



ぴしゃりとそう言い放ち、再び無言になってしまう。何となく僕もそれに合わせ、また何もない空を眺め続けた。



ずっと風に当たっているせいで、肌寒くなってくる。ユウダイも同じだったようで、体を抱えながら立ち上がった。



「明日バイト初日なのに、風邪引きそう」


「そろそろ行こうか」



食べかけのおにぎりをコンビニの袋に入れ、この場を後にした。

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