第3話 佐倉千里は、プリンを運ぶデストラクション。

 黒金との話を終えた俺たちは、ぐるぐると校舎を回っていた。

 漫研部のドアを開けた瞬間、高槻は何も言わずスタスタと歩き始めた。どこに向かうわけでもなく、俺は先を行く高槻の後を付いて行く。歩きながら高槻が何を考えているかは、全く想像もつかない。ただ、目の前のこいつがイライラしているというのは何となく分かる。

 いつまでこの競歩が続くか分からないので、面倒ではあったが、仕方なく俺から声をかけることにした。

「……ま、とりあえず今聞いた感じだと、一度PC部に行ってみた方がいいかもしれないな。村主って奴の情報が、何かしら手に入るかもしれないし」

 廊下を縦断しながら、一歩前を行く高槻に話をする。 

「いや……」

「は……?」

 高槻は俺の提案を即座に否定した。

「いやいや、せっかく盗撮男の新しい情報が入ったんだから、行った方がいいだろ?放っておいても問題が解決するわけじゃないんだし」

「行かない……」

「さっさと解決したほうがいいだろ?」

 少しでも早く有力な情報を手に入れて、盗撮男にたどり着きたい。そうすればこれ以上被害が出ることも無くなるだろう。まあ本音は、さっさと盗撮男を捕まえてしまって、俺も解放してもらいたいってだけなんだけどね。

 すると予兆もなしに高槻がくるっと振り返って、俺の目を真っ直ぐに見る。

「今日はもうあんな変な奴らと話したくないって言ってんの!!」

「……え?」

 突然荒ぶる高槻さん。しかしその瞳には涙が集約され、俺に訴えかけるように高槻は追い打ちをかける。

「なに?あの変な喋り方!『のん!』って何?!あー!!キモイったらありゃしない!!!あまりの気持ち悪さに鳥肌が立ちすぎて、自らヤタガラスにでもなってやろうかとさえ思ったわ!」

「ああ、そう言うことね……」

 こいつ、後半やけに大人しいと思ったら、そんなこと考えてたのか……っていうかヤタガラスになりたいってなんだよ。いくらなんでもさすがに追い込まれすぎだろ。その割にヤタガラスとかいう謎の鳥種チョイス。鳥肌の例えに神話なんか出されても、ヤタガラス自体誰もサッカーのユニフォーム以外で見たことないっつーの。

 ただし、『のん』についてだけは、俺も同意する。確かにあのインパクトは、女の子にとってはとてつもなく不気味かもしれない。ちょっとしたホラーとも言えるかもしれない。

「だから今日はもうやめ!これ以上あんなのと関わりを持ったら、それこそあの部長が夢に出てくるわ。あんな暑苦しいのが夢に出てきたら、真冬だって汗だくで目を覚ます自信があるわ!」

 それは俺も同感である。2度寝するのも怖い。ずっとノンレム睡眠でいられる枕とかないかな。そしたら黒金の夢に怯えて眠る必要もなくなるのに。

 一通り漫研部の暴言を吐いた高槻は、少しだけスッキリとした顔で深く息を吐く。

「ま、どうせ犯人は明日も学校に来るでしょ。明日捕まえたとしても、あと2年10ヶ月はいたぶってやれるわ」

「まあ、主導のお前がそう言うなら別にいいんだけど……」

 そもそも、俺は高槻が追っている盗撮男を捕まえたところで、何のメリットも生まれない。もちろん、俺が盗撮されるわけでもない。可能性があるとすれば、さっきみたいにまた盗撮男と勘違い……というかあれはもう冤罪に近かったけれど、そんな被害を被る恐れがあるかもしれないということくらいだろう。

 俺の顔をじっと見つめる。

「……俺の顔になんか付いてたりする?」

 俺の質問に答えることなく、高槻はひたすら俺の顔を眺める。

「なお。あんたこれからヒマでしょ?」

「いや、前提がおかしいから。それはもはや疑問じゃなくなってる。ただの確認だ」

 語尾を上げて疑問符をつけたからと言って、確実に疑問形になるわけじゃないんですね。だって、そもそも言ってる本人が全く疑問に思っていないから。修辞疑問文とかいうやつですかね。もしくは反語。

「いいじゃない、実際どうせすることないんだし」

「……俺の予定を勝手に空っぽにするなよ」

 とはいえ、全力で否定が出来ないのが悔しい。というかそもそも暇じゃなかったら、こいつの後ろに付いて漫研部に乗り込んだりなんてしてないだろうけど。最初からバレてたから、こんなことになっているのだろうか。

 そんな俺のバツの悪そうな顔を見て、高槻はニヤリと笑う。

「じゃあ、アンジェ行くわよ」

「アンジェ?あのケーキ屋の?」

「そっ。普段絶対に関わらないあいつらと喋ったせいで、なんかすっごい疲れちゃったから、甘い物が食べたいの」

「まあ、別にいいけど……」

「なら決定ねっ!」

 こうして俺は高槻とアンジェに向かった。

『君が疲れているのは、喋ったせいじゃなく怒ったせいだよ?』と、そんなことが頭の中を支配していたが、俺は自分のためにそのセリフをそっと心の内にしまっておくことにした。


               ×       ×       ×


 アンジェは店頭販売だけでなく、店内で食べることも可能だ。

 学校終わりの時間帯のわりに閑散とした店内は、1組の客がいるだけで、8席あるテーブル席のほとんどが空いていた。

 客ながらに、この店の経営状態が心配になる。こんなので大丈夫なのか?やはりケーキ店でケーキが美味しくないというのは致命的なのだろうか。

 厨房から、メイド姿に近い服装の店員がやってくる。

「こんにちは、いらっしゃいませー……ってあれ?なおくん?」

 見覚えのある顔が、俺を見て驚く。

「……千里?お前ここでバイトしてたのか」

「うん!でも、まだ最近始めたばっかだけどねー。えっと、2名様で、って……え?た、高槻さん?!」

 高槻の顔を見て、千里は驚愕の表情を見せる。

「ああ、そうだ。……高槻、やっぱお前、有名人なんだな」

 このメイドにも近い服装で現れた店員の名前は佐倉千里(さくら ちさと)。俺と同じクラスの生徒である。とりわけ仲が良いというわけではないが、入学早々席が近かったこともあって、それなりに話はするといった感じだ。

 千里が不思議そうな表情で、俺と高槻の顔を交互に見る。

「なおくんと高槻さんって、仲良かったんだね?」

「いや、今日知り合ったばっかだけどな。何か知らないうちにこうなった」

「うん……?」

 千里は首を捻る。俺の言っていることが理解できないらしい。それは当然だろうよ、だって俺もよく分かっていないのだから。

 しかし、一言で表すとこうなのだ。実際、知らないうちにこうなったのだから、そうやって言うしかないのである。パートナーとかいう訳の分からない一方的な契約を結ばされ、何故かここに来ることになったのだから。俺だって悪気があってそう言っているわけではない。

「……ねえ、だれ?私は知らないんだけど」

 高槻が隣で目を細め、これでもかと言うほどに疑心を視線に乗せて俺にぶつけてくる。

「ああ、同じクラスの千里だ」

「佐倉千里です。みんなからはチリって呼ばれることが多い……かな?」

 千里はメイドさながらの仕草で、高槻に対して丁寧にお辞儀をする。もちろんここはメイドカフェではない。ケーキが美味しくない、ただのケーキ店である。これは決して悪口ではない。ただありのままに事実を述べているだけです。

「ふーん。そう」

「……お前、初対面なんだから、挨拶くらいちゃんとしろよ」

「……別に」

 相変わらず不愛想な奴である。っていうか、そのセリフどっかで聞いたことあるんだけど、ちょっと懐かしいね?

 ツンとした表情で、高槻はつまらなそうに窓の方を眺める。

「と、とりあえず席に案内するね!」

 そう言って千里は気まずさを笑ってごまかしながら、俺たちを真ん中あたりの席へと案内する。

「……ここでいいかな?」

「うん、ありがとう」 

「…………」

 無言のまま高槻は、俺の向かいの席に腰をかける。

「改めてご来店ありがとうございます!……ご注文はどうしましょう?」

 千里はテーブルの横で立ったまま、俺たちに注文を訪ねる。

 友人が目の前で仕事をしているというのは、なんとなく妙な違和感がある。とはいえ、せっかく来たのに注文をしないわけにもいかないので、俺はテーブル脇に置いてあったメニューを手に取って眺める。

 実は、店内で食べるのは初めてだ。普段プリンはテイクアウトでしか買わないので、こうやってじっくりとメニューを見るのは新鮮な感じだ。それなりに飲み物も充実しているじゃないか。

「あー、じゃあ俺はアイスミルクティーで」

「はい、ミルクティーのアイス。高槻さんは?」

 向かいで俺と同じように、じーっと食い入るようにメニューを見つめる高槻。眉間を寄せて見るほどのものなのか?悩むようなものでもないと思うんだが……それとも単に視力が悪いだけなのか。いや、きっとおそらく性格が悪いんだな、うん。

「アイスココア。それと、スプラム・ランシュを3つ」

「えっ……?」

 高槻の注文に、千里が思わず聞き返した。

「だから、スプラム・ランシュを3つ!!」

 それが言い間違いで無いことをアピールするかの如く、高槻は指を使ってしっかりとその数を伝える。

「……お前、それ全部自分で食べるつもりなのか?」

「あたりまえじゃない。……もしかして、狙ってるの?やらないわよ?」

「いや、いらねーよ。普段からそんなに食べてるのか?」

「美味しいものをたくさん食べたいと思うのは当然のことよ」

「そりゃそうかもしれないけど、限度があるだろ……」

 自分の言い分がさも当たり前と言わんばかりに、高槻はすまし顔で返答する。自分が考えることは、全てが正しい。それが高槻綾という存在を足らしめる原点なのだと、俺は改めて感じる。そりゃこんなんじゃ問題も起きるよなあ。

 俺と高槻のそんな会話を、千里は笑顔で聞いていた。千里はクラスの中でもこれといって目立つ方ではないし、誰かと話していてもいつもこんな様子で話を聞いている。良く言えば聞き上手、というやつなのだろう。

「……なあ、千里」

「ん?なに?って、今は店員とお客さんの関係だったね。あははは……」

 失敗したと言わんばかりに、姿勢よく立ったままの千里は軽くペロッと舌を出す。……正直ちょっとドキッとした自分が悔しい。

 そんな自分の気持ちを整えるため、俺は一度咳払いをした。

「コホン……いや、それはいいんだ。ちょっと聞きたいことがあって」

「私に?」

 俺は千里に頷いて、質問をする。

「千里は、盗撮ってされたことあるか?」

「…………え?」

 千里が固まる。俺の唐突な質問に、時間が止まってしまったようだ。

 千里は相変わらず目を丸くしたまま、ただただ瞬きを繰り返す。パチパチという、瞼が重なるその音が聞こえてきそうだ。

「あんた、さいってーな男ね」

 向かいに座る高槻が、大きなため息をついて落胆しながら俺に話す。普段睨み付けるのはいいが、その憐れむような視線はやめてくれ。さすがに俺も落ち込む。

「お、俺はただお前に協力しようと!」

「あのね、いくら何でも言い方ってもんがあるでしょ?もうちょっとデリカシーってものを考えた方がいいんじゃない?」

「っ……!」

 俺は何も言い返せなくなる。高槻の言いたいことは分かるが、デリカシーなんてものは男にとっちゃ一番難しい言葉だ。一方で、女性にとってはこれ以上に便利な言葉もない。その言葉を並べておくだけで、男側を完全に制圧できるんだもの。

 ただ、いつも暴言を吐きまくっている高槻に言われるのだけは、なんだか腑に落ちなかった。全く説得力がない。

「ご、ごめん!今の忘れてくれていいから!」

 とりあえず、千里が固まっているこの状況をなんとかしなくてはいけない。俺は必死で空気の修繕作業に入る。

「……あるよ」

 固まっていた千里の不意な発言に、俺も思わず固まる。

「え……?」

「撮られたこと……あるよ?」

 恥ずかしそうに顔を赤らめた千里は、俺と視線を合わせることもなく、ただひたすらに自分の足元だけを眺めながら、もじもじとしていた。

「ほ、本当か?!」

 俺は椅子からから立ち上がり、前のめりになって千里に聞き返す。

「……うん」

 千里は俯いたまま、呟くように一言だけ返事をして、コクリと頷いた。

「も、もしだ!もしよかったら、詳しいことを教え……」

「ちさとちゃーん!これ持ってってー!!」

 と、突然レジ裏にある厨房の方から、いつもの男店長の声が聞こえた。不意を突いたその呼びかけの声に、千里はびくりとして振り返る。

「はいっ!……ご、ごめんね!呼ばれちゃったから、私行くね!」

「あ、ちょっと待って……!」

 手でごめんと謝る姿勢を俺たちに見せ、その場から逃げるように、小走りで去っていく千里。

 その後姿を追うように咄嗟に出た俺の右手は、無情にもリーチが2mほど足りず、気付かないまま千里は厨房に消えていった。

 一度ため息をついて、俺は改めてテーブルに座り直す。

「あーあ。フラれちゃったね」

 テーブルの正面では、高槻が顎肘をついてニヤニヤしながら俺の顔を眺めていた。

「いや、フラれてないから。っていうかそういう関係じゃないし」

 告白してないのにフラれるなんてことがあってたまるか。……いや、意外と直近であったな。思い出しちゃったよ……そういえばあの件を解決しないまま、なんか別の問題に巻き込まれちゃったんだよな。今日のことなのに、なんだかすごく懐かしい気分になる。……今考えるのはやめておこう。

「それよりあの子、撮られたことがあるって言ってたけど」

「ああ……そうだな」

「…………」

 高槻は何も言わず、俺の顔をじーっと眺める。

「俺の顔をじろじろ見て、なんだよ?」

「……今、あの子が盗撮されてるとこ想像したでしょ?」

「な……!」

「あ、もしかして当たってた?図星ってやつー?」

 高槻はニヤつきながら、嬉しそうな顔で俺を攻めたてる。

「そ、そんなわけないだろ!」

「いやー、でも仕方ないよねー。あの子可愛いし、しかもそれなりにスタイルも良い。うんうん、メイド服似合ってたねー!」

 俺に比較させるように、自分の胸を触りながら話す高槻。っていうか、あれはメイド服じゃないだろ。確かにちょっと店長の趣味が入っている感じは否めないけど。

「だから、やめろって!」

 高槻の発言を静止するために、思わず俺は立ち上がる。

「な、なおくん!?だ、大丈夫?!」

 驚いた表情の千里がお盆を持って隣に立っていた。

「あ、ああ。うん、大丈夫だよ。ちょっと高槻と話し合いをしてただけだ」

「そ、そう?それならいいんだけど……」

 俺は顔を手で半分ほど覆いながら、静かにゆっくりと腰掛ける。……さっきの高槻の言葉聞かれてないよね?大丈夫だよね?

 そんな俺の心配をよそに、千里は運んできた飲み物をそっとお盆から手に取る。

「はい、ご注文のミルクティーとココアです。それと、スプラム・ランシュが3つね」

 千里は一つ一つ読み上げながら、飲み物とプリンを丁寧にテーブルに並べていく。

「ああ、ありがとな」

 いつも買う見慣れたはずのスプラム・ランシュが1つのテーブルに3つも乗っているのは、なかなか圧巻である。微かに香るラズベリーの匂いを漂わせて、赤い鮮やかな表面が高槻の前にずらりと並べられる。

「…………」

 さっきまでニヤついていた高槻は、完全に黙って目の前の好物に目を奪われている。羨望と期待の眼差しである。

 普段からそうしていればモテるだろうになあ。いっそのこと、こいつにいつもプリンを持たせて生活させれば、学校生活に平穏が訪れるんじゃないかと思う。お金がかかってしょうがないけど。プリン代、風紀委員の経費で落ちないかな、落ちないですよね。

「それと、これは新作プリン!」

 そう言って、千里は可愛らしい白のティーカップに入れられたプリンをテーブルに差し出す。

「……なんだ、これ?頼んでないよな?」

 突然提供されたプリンに疑問を抱き、俺は千里の顔を伺う。千里はニコニコと満面の笑みで、俺たちに微笑んでいる。

 そして、俺の質問には答えないまま、千里は俺の隣にグイグイと座ってきた。

「ほらなおくん!もうちょっとそっち詰めて!はい、おじゃましまーす!」

「お、おい!おまえ、仕事大丈夫なのか……?」

 突然同じテーブルに入ってくる千里に俺は困惑する。千里が何をしたいのか、さっぱり分からない。

 こうやって近くで見ると、改めてその制服がメイド服を意識した構造になっていることを感じる。白と紺のその配色バランスと全体的に散りばめられたフリルが、店長の趣味を確実に物語っていた。

「うん!さっきキッチンに行ったときに店長がね、『あの子たちと友達なのか?』って聞くから、『はいそうです!』って。そしたら店長、高槻さんのこと覚えてて、『あの小さい女の子、いつもうちのプリンを買いに来てくれるから、サービスでこれ出してくれ。ついでに今は客少ないから、一緒に座ってていいぞ』だって。だから、来ちゃった!」

 「いや、『来ちゃった!』って……いいのかよ?」

 体を捻って、キッチンの方を見る。俺に気付いた店長がウインクをしながら、俺に向かって親指を突き立てた。

 俺はそんな店長に向かって、愛想笑いをしたまま軽く会釈をする。……なんとも陽気な店長である。ケーキ店なのにケーキが人気ない理由が今なんとなく理解できた気がする。

「まあ、店長が良いって言うならいいんだろうけど……」

「そういうわけで、私は高槻さんと友達ってことになっちゃった!」

「……は?」

 大好きなスプラムランシュの一口目をスプーンで口に運ぼうとしていた高槻が、目を丸くして固まる。まるでさっきの千里を見ているようだ。

「よろしくね!あやち!」

「あ、あやち……?」

 目に見えるよう、分かりやすく戸惑う高槻。スプーンを口元に近づけたまま、あからさまに困惑する高槻に対し、ニコニコしたまま微笑み続けている千里。

「ぷっ……」

「……何笑ってんのよ?」

 吹き出した俺に、高槻はキッと睨み付けて、すかさず突っ込みを入れる。

「いいじゃないか。お前、友達とかほとんどいないんだろ?せっかくだし、お前も『チリ』って呼んでやれよ」

「私は別に、友達なんて……」

 そう言って横を見ながら、高槻は手に持っていたスプーンの先をようやく口の中に入れる。ムスッとした表情のまま、口元だけをひたすらモグモグと動かす。

「え!嬉しい!あやちにそうやって呼んでもらえるなんて!」

 千里は屈託のない表情で、ニコニコして高槻からの言葉を待つ。

「ど、どうすんのよ!これ!」

 相変わらずドギマギする高槻。その珍しい光景に、俺も少し楽しくなる。

「どうするもなにも、簡単じゃないか。ほれ、さっさと『ち・り』って言ってみ。ほれほれ」

 ここぞとばかりに、俺は高槻を攻めてみる。自分の持てる限りのニヤニヤを表情に出しながら。

「他人事だと思って……」

 俯いたまま、高槻は眉間を寄せた視線だけをこちらに向ける。

 一方、千里は相変わらず何も言わないで、子犬のようにワクワクした表情で高槻の顔を眺め、待っている。

「…………ちり」

 諦めた高槻は横を向いて誰に言うわけでもなく、出来る限り聞こえないように小さな音量で、ボソリとそう呟いた。

 その瞬間、千里がキラキラと満面の笑みを見せる。

「わー!ホントに呼んでくれたー!嬉しい!これでもう立派なお友達だね!」

 高槻の手を取って上下に振る千里。これだけ振り回される高槻を見るのは初めてだ。

「これからよろしくね!あやち!」

 返事をすることなく、恥ずかしさで目を回す高槻。いや、あやち。

「友達ができてよかったじゃないか、あやち」

「……あんた、次それ言ったらマジでぶっ殺すわよ?」

「ごめんなさい」

 即座にそんな怖い怖いあやちに対して返事をする。反撃タイムは、これにて終了である。これ以上調子に乗ると、本当に俺の命が短くなりかねない。臨界点は超えないようにしないと。

 願いが叶った千里は上機嫌で、俺の隣で左右に体を揺らしている。

「ふふー♪あの高槻さんと友達になれて嬉しいな♪とりあえず、なおくんもプリン食べてよ?せっかく店長がサービスしてくれたんだしね」

「ああ、うん。ありがとう」

 俺は千里から改めて手渡された新作プリンを口にする。スプーンを口に入れた瞬間、卵の優しい味が内側から頬を包み込む。甘さ控えめの焼きプリンだ。大人から子供までをターゲットにした上品な甘さに、そのプリンの柔らかさのように俺の脳内もとろけそうになる。やっぱここのプリンは美味いな……

 そんな新作プリンを口に運びながら、俺は千里がさっき少しだけ話してくれた盗撮の詳細を聞くことにした。

「千里。話が前後して申し訳ないんだが、もし良かったら、さっきの話のこと、詳しく聞きたいんだけど……」

「あ……うん」

 頷くことなく、千里は小さく返事だけをする。その正面では、高槻が黙々とプリンを口に運びながら、俺と千里が会話するのをじっと眺めていた。

「と、撮られたのか?」

「…………」

 千里はもじもじとして、テーブルに俯いたまま黙りこくる。

「ご、ごめん!言いにくかったら全然言わなくていいから!」

 さっきのデリカシーという高槻の言葉が頭をよぎり、咄嗟に俺は高槻の方を見る。高槻は相変わらず黙ったまま、アイコンタクトを送るように、俺を睨み付けていた。

「……んーん、大丈夫」

 千里は軽く首を振って、話を続ける意思を見せる。

「……教えてくれるか?」

「うん……」

 さっきまでの過度なテンションはなくなって、千里は俯いたまま話を始める。

「2週間くらい前の休み時間……だったかな。私、1つ前の授業の片付けに手間取っちゃって、次の体育の授業に遅れそうになったことがあって。時間もなくて急いでたし、それに誰もいなかったから、『いいや教室で着替えちゃえー!』って思って」

「ほ、ほう……」

「それで、実際教室で着替えちゃったんだ」

「俺たちの教室で……か?」

「うん。1年E組の教室で」

「くっ……!!」

 男子高校生には、なかなか刺激の強い話である。自分たちが普段生活をしているその教室で、まさかそんなことが起きていたとは……どことなく悔しい気になるのはどうしてだろうか。俺はそんな後悔を抑えるため、一度全力で右手の拳を握った。落ち着け、俺の思春期……!

 そんなことを考えている最中も、正面からずっと放たれている強烈な視線は、これ以上ないほど感じていた。が、俺は気付かないフリをした。今そっちを見たら多分死ぬだろうなと、直感的に思ったのである。おそらく蛇睨みってこういうことだろう。例えるならヤマタノオロチとアマガエルくらいの関係である。もちろん俺はアマガエルの方ね。

 俺のそんな心の葛藤を知ってか知らずか、千里はそのまま話を続ける。

「そのときは何もなかったんだよね。見られてなくてよかったな、って。意外と何とかなるもんだなーって」

「いや、何とかって……いくらなんでも無防備すぎだろ……」 

 千里は、あははと照れながら笑う。

「でもね?そしたら次の日、登校したら机の中に私が着替えてるところの写真が入ってて……」

「……つまり、下着姿を撮られたってことか?」

 俺の質問に、千里は口を閉じたまま小さく頷く。

「クッ……!!」

 俺はテーブルの下で、2人に見えないよう、一度自分の太ももを殴る。理由は俺にも分からないが、少なくともそれが正義感から来る正当な悔しさではないということは理解が出来た。

「だから、こんなこと誰にも相談できなくて……」

「誰が撮ったか、心当たりはないのか?」

 千里は目をつぶって、静かに首を横に振る。

「全然ないよ……」

 落ち込んだ様子の千里は、深いため息を吐く。内容が内容だけに、誰にも相談することができなかったここ2週間の千里の心境を考えると、複雑な気持ちになる。

「自業自得ね」

 これまで黙々とプリンを食べていた高槻が突然口を開く。いつの間にか、知らないうちに新作プリンもしっかり食べ終えていた。

「おい、そんな言い方はないだろ」

 俺は高槻の発言を静止する。

「だってそうじゃない。実際うちみたいな共学で、男女が一緒に生活している中、いくら教室に誰もいないからって着替える方が不謹慎だわ」

 さっきまでデリカシーとかなんとか言っていた高槻が、急にとてつもない正論を吐く。お前はどっちの立場なんだよ……

「いや、そりゃそうかもしれないけど……」

 俺がそう言った瞬間、千里が横からスッと俺の前に手を差し出した。閉口したまま、千里は左右に首を振る。

「なおくん、いいの。あやちの言う通りだよ。私が安易に着替えなかったら、写真は撮られなかったわけだし」

「だけど……」

「…………」

 また千里が黙ってしまう。気まずい雰囲気が漂う中、沈黙が続く。

『バンッ!!』

 高槻がテーブルを力強く両手で叩いた。俺と千里は、高槻の方に目を向ける。

「ただ、だからと言って撮影して良いってわけじゃないわ。ラッキースケベは、ラッキースケベで留めておくべきなのよ!」

「……はい?」

 あー、惜しい!高槻さん超残念!途中まではかっこ良かったのになあ……ラッキースケベ以降、意味不明です。

 しかし、そんな俺の心境とは裏腹に、高槻の表情は真剣そのものである。

「偶然見ちゃったものは仕方ないとして、撮るのはおかしいって言ってるのよ!その上……本人に写真を送り付けるなんて、許せない」

 ……一理ある……のか?なんだろう。これを認めたら、俺は男として何か大切なものを失いそうなそんな気がする。だからこの発言については、これ以上踏み込まないようにしよう。うん、そうしよう。

 俺はそう決意し、高槻の発言を意図的にスルーした。

「だから、私は明日こそ絶対あの盗撮男を捕まえてみせるわ。絶対ぶっ殺してやる!」

 高槻はスプラム・ランシュの入れ物を胸の辺りで握ったまま、決意を込める。どうしてこいつは空になったプリンの入れ物を握りしめているのだろう。空の器が高槻の手中で、ギリギリと音を立てて悲鳴を上げる。

「絶対懲らしめてやる、くらいにしといた方が……」

 殺すとか物騒なことを、仮にも現代を生きる華の女子高生が言わないように、俺は緩やかに諭す。

「……はい?今なんか言った?」

「いえ、何も言ってません。おそらく気のせいでしょう」

「そう?ならいいわ」

 高槻はそう言って、ふんと鼻を鳴らした。いや、どう考えても絶対聞こえてるだろ……まあとりあえず、改めてやる気になった高槻の邪魔はしないでおこう。

「……私も」

「え?」

 隣にいた千里が、口を開く。千里は真剣な眼差しで、俺の顔を真っ直ぐに見つめる。

「わ、私も!……一緒に手伝っていいかな?」

「手伝うって、盗撮男を捕まえるのを、か?」

「うん!」

「いや、別に止めることはしないけど……」

 もちろん人数が増えることで、今後動きやすくなるのは間違いない。使える手段も増えるだろう。確かに人数は多いに越したことはないが……

「本当にいいのか?盗撮男と直接対面することもあるかもしれないんだぞ?」

 仮にも、自分のことを勝手に盗撮した犯人と出くわす可能性があるというのは、気持ちの良いものではないだろう。心の中では、どこか恐れる部分があるはずだ。

 高槻みたいに、自ら捕まえてやろうなんてのは完全に例外である。こいつは根っからのイレギュラーなので、放っておいても問題ないと思うが。

「私は大丈夫だよ。だって、もし他の子も被害にあっていて、私みたいに誰にも相談できなかったりする子がいるのであれば、それはやっぱり助けてあげたいもん」

 千里がさっきまでの様子を自ら払拭するかのように、俺に微笑む。こんな優しい子のことを盗撮するなんて、いくら男子高校生で思春期真っ盛りだからといって、やっぱり許すことはできない。見たい気持ちは痛いほど分かるけどな!

 高槻のやり方が全部正しいとは思えないが、とにかく今は犯人を捕まえることが最優先だ。

 念のため、正面に座る高槻の表情をそっと伺ってみる。高槻はそっけない態度で相槌をうち、あまりそのことに興味を持っていないような表情だった。

「ま、本人が良いって言うのなら、それでいいんじゃない?ただ、それで何か変なことがあったとしても、私達は責任を負わないってだけで。それでも良ければ好きにしたら?」

「うん!ありがとう、あやち!」

 今にも飛び跳ねんとするほどのテンションで、高槻のツンとした態度に千里は満面の笑みを見せる。

「う……完全にその名前忘れてたわ……まあ、好きに呼んだらいいわ……」

 高槻は軽く苦笑いをしていたが、それは意外とまんざらでもないような表情に見えた。

 こいつも実は前から友達欲しかったんじゃないの?素直になれば楽なのになあ……そんなこと俺は絶対言えないけど。

「じゃ、人員も増えたことだし、明日から、しっかり動いていくわよ。絶対にあのキモオタを捕まえてやる……!」

「気合入れすぎて、また他の人に迷惑をかけないようにな」

「分かってるわよ!」

 ふんと鼻を鳴らして、高槻は俺から顔を背ける。やはり本人にも、一応自覚はあるんだろう。直す気があるかどうかは別としても。

 いずれにせよ、俺みたいな巻き添えがこれ以上増えないことを願う。

「じゃあ、名前を付けなきゃいけないね!」

 千里が思いついたかのように、両手をポンと合わせて言う。

「……名前?」

「うん!せっかくだし、そういう組織名とかチーム名みたいなのがあった方が、気持ちが盛り上がるかなって!」

 またも唐突な千里の提案に、俺と高槻は呆然とする。

「よく分かんないけど、そういうものなのか……?」

「そういうものなの!」

「そういうものなんですか……」

 なんだかすでに、千里のペースに飲まれている気がしないでもない。まあ高槻のペースに合わせるよりは、2千倍くらいマシなんだろうけど。ま、これくらいならかわいいもんか。

 千里が眉間に縦線を入れて、某探偵ドラマのように、うーんと唸りながら顎に指を添えて考え込む。

「例えば、そうだなあ……あ、ランシュとかはどう?!」

「……ストレートだな。完全にこれ見て思っただろ?」

 俺はテーブルの上に置いてあった、空の器を手に取って千里に見せる。

「あははー、ばれちゃったかー」

 千里は俺の指摘を受け、笑ってごまかす。自ら提案をするわりには発想が拙い。

「そういうなおくんは、何か意見あるの?」

「え?……あ、いや……特にないです」

「もー全然ダメじゃーん。意見の無い人に否定する権利はありません!」

 千里は俺の顔を見て、頬をぷっくらと膨らませる。

 名前を決めるのは案外難しい。というか俺は、そもそも名前なんて別にいらないんじゃないかとさえ思っているのだが。

「あやちは何かアイディアあったりするー?」

 千里は頼りにならない俺を相手にしないように体を正面に向けて、椅子に深く腰掛け黙っていた高槻に問いかける。

「…………破滅部」

「……はい?」

 今どこからか、とてつもなく部活からかけ離れたこの世の終わり的なワードが聞こえた気がするんですが。今俺たちって、アルマゲドンの話してたんだっけ?

 気のせいであってくれればいいのだが、残念なことに俺はそういうワードセンスを持った人間を知っている。だから、おそらく聞き間違いではないだろう。間違いなくあいつは『破滅』と言った。

「いや、ちょっとそれどういう……」

「あっ!あやちのそれ、かわいいかも!響きが『まめつぶ』みたいで!」

 俺の言葉を遮って、千里が嬉しそうに勢いよく高槻に賛同する。どんなセンスしてるんだ、こいつ。いや、こいつら。

 英語で言うと『デストラクションクラブ』?……なんか途端に、安っぽいパンクバンドの名前みたいになる。いや、英語にする必要もそんな機会も全くないとは思うけど。

「じゃあ、これで決定ね」

「ふふふ、破滅部かー!かわいーなー♪」

 自らの意見が通りすまし顔の高槻と、機嫌良くニコニコと微笑む千里。

「お、おい!俺の意見は?!」

「私、民主主義なんて採用してないから」

「え……?」

「さっきちりが言ったでしょ?っていうか、そもそも意見のない人は、否定する権利なんてないの。だから今は私とちりが納得すれば、それで終わり。それ以上はない、残念でした」

「…………」

 自分の意見を持たないということが、これほど不憫なことだったなんて。まさか同級生から大人の怖さを知るとは……あと数年後、ちゃんと選挙権が得られたら、しっかりと投票に行こうと俺は硬く誓った。

 こうして、俺たちはまた明日からの盗撮男とのバトルに向けて、1人メンバーが増えたのである。破滅部という、実に高校生らしからぬ、おぞましい名前を頭に据えて。

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