小麦の風景

もりを

第1話部屋にて

 だしぬけに原稿用紙の山があばれはじめた。いや、床一面に散らかしたマンガ原稿が自分の意思で動くはずはない。その下に埋もれた携帯が着信したのだ。カタカタカタカタと肩をゆらしながら、紙の下から角張った顔を出す。古くてゴツいシロモノのそのサマは、岩場に隠れてうごめく甲殻類のように薄気味が悪い。

(担当か、小麦か・・・)

 どっちでも一緒だ。そいつを手に取り、思わずクッションの下に押し込んだ。

 尻の下のいまいましい振動。神経をささくれさせる。執念深いコールがようやくおさまると、携帯の機能を完全に沈黙させ、オレは「電波の届かないところ」に逃げ込んだ。

 まずい、まずすぎる。〆切と小麦のどちらからも追いつめられ、オレは行き場を失っている。しかし、今すべきことはひとつだ。Gペンで、眼前のマンガ原稿のキャラの表情を描き込むしかないのだ。これが落ちれば、オレは終わる。

 窓の外から、久しぶりの積雪にはしゃぐガキの叫声が聞こえる。都会におとずれた束の間の銀世界。そこはガキどもの王国だ。全力で走りまわり、雪玉をぶつけ合い、泣きわめき、のたうち回り、ののしり合い、声のかぎりに笑う。

 うざい、うざすぎる。怒鳴り散らしてやろうと窓を開け、めいっぱいに息を吸い込んだ。が、冷気に声は凍りついた。あまりの冷え込みに、すぐさま窓を閉める。

 寒い、寒すぎる。うっかりと部屋の空気を入れかえてしまった。せっかく暖まってきたとこだったのに。エアコンを入れたいが、頭上の年代物は送風口を半開きにしたまま息絶えてる。仕方なくちゃぶ台上の原稿に没頭しようとするが、ペン先がふるえて、インクの線がのたくる。後でホワイトで修正しなければならない。これではキリがない。

「お~い、ヤマキさ~ん。小麦ちゃんから電話だよ」

 ドンドンドン、と玄関ドアを叩く音。薄板が破れそうだ。小麦のやつが、階下に住む大家にまで電話してきたのだ。ありえない。どこまで執念深いのか、あの女。

「あ・・・あの・・・あの・・・えと、オレの携帯にかけ直せ、って言っといてください」

「あいよ~」

 大家のおっさんが玄関先からいなくなる気配。オレはしぶしぶ、携帯の電源を入れる。と同時に、バイブ。この場で完結すべき世界を無理矢理に外と繋いでしまう、呪わしき通信機器よ。振動は執拗につづき、神経を逆撫でする。出ざるをえない。

「もしもし・・・」

「なんで出ないのーっ?」

 〆切なのだ。それくらいわかってるはずだろう。ひとつ屋根の下で暮らしてるんだから。

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