第6話 そーれヴァーミリオンフレア! ヴァー(略)

 

 

「――は?」

 

 目に映るは、青と白の二色に彩られた世界。

 空の青、雲と雪原の白。

 下から吹き上げる冷気が十夜の体を蹂躙する。

 呼吸をすると、冷たい空気が体の中を満たした。

 世界を満たす空気ですら、人の存在を許さないとばかりに。十夜の体温を奪っていく。

 

 

 十夜は、天高く空を舞っていた。

 いや、正確に言うならば。落下していた。

 

「うおおおおおおおおお!?」

 

 慌てて手をバタバタさせるが、それでなんとかなるならライト兄弟も飛行機なんて作らなかっただろう。

 人は飛べない。悲しい事に。

 十夜はなすすべもなく、地面に激突する。

 

「ぐべっ」

 

 落下した先にあったのは、大きな氷の塊。

 高速で飛来した十夜の石頭は、ハンマーの如く氷を打ち砕いた。

 

「どおおおおおおお!? 筆舌に尽くし難いほど地味に痛いぃぃぃぃぃぃっ!?」

 

 氷に頭をぶっさしたまま、身動きがとれずにプルプル震える十夜。

 常人なら即死という状況にも関わらず、意外と元気そうであった。

 

「ようやく戻ってきたか。待ちくたびれたぞ?」

 

 ようやく氷の塊からきゅぽんと頭を引き抜いた十夜は、悶えつつ地面を転がる。

 そこに声を掛けてきたのは、ニア。

 

 ニアの方を見上げた十夜は、転がるのを止めた。ついでに考えるのも止めた。

 なぜなら、この世のものとは思えない素晴らしい光景が広がっていたからだ。

 

 後光が差しているかと錯覚するほどの輝き。

 まるで富士のご来光が如し。それは純白のオーラを纏っていた。雲よりも、雪原よりもなお尊き純白。

 

「Oh……おパンティ……」

 

 地面に横たわった十夜からは、ミニスカートを身に着けたニアのパンツが丸見えであった。

 おまけに、ニアはいつのまにか黒系統の服に装いを替えていた。光を奪うエキゾチックな布地からチラリと覗く純白。黒と白のコントラストは十夜をイケない気持ちに誘う。

 十夜は地面にベタリと顔をくっつけ、ニアを見上げた。

 心底情けない姿だった。

 

「お主……いや、なんでもない」

 

 ニアはアイスをペロペロと舐めながら、汚物でも見るような視線を十夜に向ける。

 だがそれは十夜にとってはご褒美に他ならない。

 

 

 と、ここで十夜は違和感に襲われる。

 煩悩に塗れた自分でも、幼女のパンツを見た所で興奮するわけがない。

 いくら十夜が卑猥で下劣で矮小で人糞にも劣る下等生物だったとしても、地面に這いつくばって服従のポーズを取ってしまうわけがない。

 

「……あれ、お前でっかくなってね?」

「ああ、省エネモードのままでは力が使いにくいからな。転移魔法を使うため、少し力を解放した」

「え、ちょっと待てよ……待ってくれよ……お前、なんてことをっ!?」

 

 十夜は深刻な表情を浮かべた。

 額には汗が浮かんでいる。由々しき事態だ。

 

 完成されたとまではいえないが、スラリと伸びた手足にメリハリの付いたボディ。

 不完全であるが故に、かえって艶かしさを感じるその肉体。

 非常にけしからん。ひ、非常に、まこともってけしからん。わがまま全開のいけないボディ。あと一年もすれば、その体は完全に開花するだろう。今は開花する一歩手前。今にも花開いちゃいそうな、つぼみちゃんだ。

 

 

 ニアは、十五歳ぐらいに成長していた。

 

 

「お前何考えてんの? 幼女というアイデンティティを簡単に捨て去っていいの? 某RPGだったら『それを捨てるなんてとんでもない!』ってシステムメッセージが表示されるぐらい大事なものだよ、それ」

「これは異な事を。生きている限り、誰しもが捨てざるを得ないものだろう? 人にとって時間は、克服できない障害なのじゃから……あと、儂のポリシーは『一粒で二度おいしい』じゃ」

 

 アイスを完食したニアは、手に垂れたアイスをペロリと舐め上げた。

 舐め取った指を最後に咥えると、口から離す。

 ちゅぽっという音とともに、唇と指の間にわずかに架かる唾液の糸。

 ハンカチで手を拭うと、最後にキスをしてから懐にしまう。

 妙にエロい。いけない子猫ちゃんである。

 

「それに、この姿はそんなに駄目かのう? 自分では似合ってると思うんじゃが……」

 

 ニアはスカートを摘まみ上げ、くるりと一回転した。

 

 ミニスカートでそんな事をするなんて、ああっ、してしまうなんてっ!

 完全に誘ってやがる、この元幼女。うへ、うへへ。

 十夜は煩悩に支配された。

 

 

「ほれ、あざとい小悪魔系じゃぞ?」

「あざといとか自分で言っちゃうんだ……」

「駄目なら今すぐ幼女モードに戻すか。力の消耗も抑えられるし」

 

 スカートから伸びる足はとても美味しそうで、十夜の心臓は今にもビッグバンしそうだ。

 ある意味、これもギャップ萌えと呼べるのだろうか。

 性的対象に見ていなかった幼女の、まさかの大変身である。

 

「……ありだな」

 

 十夜は意見を180度ひるがえした。幼女としてのアイデンティティなど、どうでもいい。

 この男にとって、手の平を返すなど赤子の手を捻るより簡単な事だ。

 

「そのままでいいや。エロいし」

「お主正直じゃの」

 

 グッと親指を立てる十夜に対し、ニアは呆れた顔を向けた。

 

 

 

 目の前の問題に結論を出した十夜は、立ち上がって周囲を見渡す。

 先ほど空中乱舞していた時に見たとおり、視界は青と白の二色に染まっている。青は空、白は雪と雲だ。っていうか、雲が眼下に見える。雲の上に島のように突き出た山々は、幻想的な雰囲気をかもし出していた。

 

 空を見上げると、世界を照らす太陽。そして青空の中、十夜の知るそれの数倍の大きさを持つ月がうっすらと輝いている。

 空気が澄んでいる。世界を満たすのは、どこまでも見通せそうなほど清涼な空気。

 耳に届くのは、風が山を撫で付ける音のみだ。ここには、十夜とニア以外誰もいない。

 

 だがそんな事は正直どうでもいい。

 風が冷たい。空気が冷たい。

 鼻水も一瞬で凍りつく寒さ。冷静に考えて、下半身丸出しで居ていい場所ではない。

 というか、十夜は転送の最中に高級腰蓑を失っていた。いまだ下半身丸出しのままである。

 

「さ、寒いぃぃぃぃぃぃっっ!?」

 

 奥歯をガタガタ言わせながら体を震わせる。温もりを追い求めた十夜は、手近にいたニアの体をひしっと抱きしめた。

 人気ひとけのない所で、下半身丸出しの男性が十五歳程度の女性に襲い掛かる……事案発生である。

 

「うお、あったけぇ! 人の体ってあったけぇ! あと柔らかくて、なんか良い匂いがする!」

「あっ、やめよ抱きつくでない! 動きにくいであろうが。というかお主、なぜ下を履いておらぬ!?」

「行き遅れの痴女に奪われたんだ。この世界は恐ろしい所だぜ……」

「儂は、下半身丸出しで女性に抱きつくお主の方が恐ろしい」

 

 正論であった。

 

「しかし、最適化途中とはいえかなり身体能力は強化されてるはずじゃが……まぁ元々が弱すぎたのかもしれんの。安心せい。すぐに力が馴染んで、この程度の寒さは平気になるわ」

「……あ、本当だなんかマシになってきた」

「ぷらしーぼ効果とかいう奴じゃな。力が馴染むまでに三日はかかるぞい。完全に一体化するまでは半年といった所かの」

「お前ふざけてんのか殺すぞ」

 

 余裕/zero状態の十夜がうるさいので、ニアは空間を切り裂いて荷物を取り出す。出てきたのは、毛皮もこもこの服。

 それを見た十夜は、名残惜しみつつも抱き枕ニアを手放す。そして、手早く服を着込んだ。

 毛皮を挟んで、地獄の冷気から隔絶された十夜。一息ついた後、先ほどの感蝕を思い出しながらほっこりした顔を浮かべる。

 

「さすがは女神様、さわり心地が半端なかった。偽乳とはいえあの隊長も相当なもんだったが、桁が違う。さすが人々の信仰を集める神様だ」

「全く褒められている気がしないのじゃが。というか、どさくさにまぎれて女神の体をまさぐるとか。罰当たりにも程があるぞ」

「緊急避難だ。許せ」

「お主、態度でかいぞ」

 

 呆れた様子を見せるニアだが、溜息をついて気を取り直す。

 諦めが肝心な状況だってあるのだ。今がそうだ。

 

「さて落ち着いたようだし、町に向かうとするかの。道中でこの世界の事について説明してやろう」

 

 そう言って歩き始めるニア。

 だが数歩も進むと、ずぶぶぶーと足を雪の中に埋もれさせていった。

 ニアの身長が一気に半分となる。

 

「む、ちょっと待て。雪が邪魔で……」

 

 足を強引に踏み出すが、それは逆効果だ。もはや雪の上から首だけがぴょこんと飛び出ているのみ。

 どうやら、地面が凍り付いている所と新雪が降り積もっている所がまばらに存在しているらしい。

 

「……」

「……」

 

 沈黙。

 しばらくして、ニアはギギギとロボットのような動作でこちらを向く。

 

「十夜よ、早速出番じゃ。儂を助けよ」

「いや、俺も動いたら同じ結末になるだろ」

「ちっ、使えん奴じゃ。ほれ、これを使え」

 

 自分の事を棚に上げつつ、ニアが空中から引きずり出しポイっと投げつけたのは、藁で出来た丸い物体。

 あれだ、忍者が水の上を移動したりするときに使う奴だ。たしか、水蜘蛛と言うのだったか。てか何でこんな物を持っているんだろう。日本マニアの外人か何かなの?

 疑問に思った十夜だが、とりあえず水蜘蛛を足につけて足踏みしてみる。確かにこれなら、雪に体が埋もれてしまう事はなさそうだ。

 

「よしOKだ。ちょっと待ってろ、今そっちに……あっ」

 

 十夜はすっ転んだ。

 その場で足踏みするのに問題はなかったが、前に進むとなると勝手が違ったのだ。

 身体能力が大幅に増加していたのも大きい。

 

 転んだ十夜の体はツルツル滑り、スキージャンプのように勢いよく空中へとフライアウェイ。地面に到着した十夜のボディはインターザスノウ。雪の中へと完全に埋もれ、見えなくなった。

 ニアの冷たい目が十夜に突き刺さる。雪の壁に阻まれてはいるが、その光景は容易に想像できた。

 

「……ぉぅ、デンジャーだぜ異世界」

「いや、世界関係ないからの……仕方ない、ここは儂がなんとかしよう。幸い、まだ幼女モードに戻っておらんかったしの」

 

 ニアが空に手をかざす。

 なんとか頭を雪の上に出した十夜は、ゾクリと体を震わせた。寒さとは明らかに違う悪寒。

 これは、恐怖だ。その指先に灯った光には、理解不能な程の力が収束している。十夜はそれを感じ取った。

 

 ニアに集中した視線。

 その結果、空中に文字が浮かび上がってくる。

 聖女達と同様、ステータスが表示されたのだ。

 

 

 名前:イオニア

 種族:リンクス

 職業:管理者

 レベル:2284

 干渉力:57065

 

 

 あ、これ。やばい。

 

「ヴァーミリオン・フレア」

 

 耳にすんなり浸透する、美しい声。

 声が広がっていくのが可視化されたかのように、光が空や地面を染めていく。

 やがて、その閃光は脈動を始めた。

 鼓動と共に光は広がり、やがてその色を変貌させていく。

 赤い、あかい、あかい。闇と並んで世界を塗りつぶし、染め上げてしまえる輝きだ。

 

「……魔法、か?」

「そうじゃ。儂の魔法は特別製じゃぞ? 見ておれ」

 

 なんとか声を絞り出した十夜に、なんでもないといった雰囲気でニアが返答を返した。

 ザワリとした感覚が十夜の肌を襲う。

 十夜は確信した。これは、危険だ。

 

 

 次の瞬間。

 地面が消える。天が燃える。

 それは、まるでこの世の終わりのような光景。

 世界は赤一色に塗りつぶされた。

 

 十夜はただ呆けた声を上げる事しかできなかった。

 世界が燃えている。十夜達の立つ周辺を除き、音も無く。すべてが焼き尽くされている。なんの音も聞こえないのが、逆に恐怖心を煽った。

 どういう作用か、十夜は熱さを全く感じない。感じるのは、腹の奥底に響くような振動のみ。

 しかし十夜の立つ大地の雪がすべて溶けている事から、熱が伝わっていないわけではないようだ。

 

 全てを舐め尽した後、赤い光が消え去る。

 雪が見えない。ニアが向かおうとした方向、見渡す限り白かった光景が赤黒く融解した大地と、黒く煤けた空で埋め尽くされていた。

 十メートル以上は積もっていたであろう雪も、氷も。すべてが焼失し、消失する。

 白銀の世界から、一瞬にして夕闇の中に取り込まれたかのような。十夜は再び、体を震わせた。

 

 逢魔おうまが時。

 たしかに化け物と出会うには、相応しい舞台なのかもしれない、が。

 

「……おい、おいおい。やりすぎだろ」

「うむ、そうかもしれん。力の調整が難しいのぅ」

 

 十夜は呆然と呟く。

 この元幼女、頭おかしい。

 雪が邪魔だからという理由で、山一つ焼き尽くしやがった。

 

 見渡す限り、滅びの大地。

 これでは。これではまるで。

 

「なんて事だ……まるで、噂に聞く群馬県のようじゃないか」

「お主、群馬県を馬鹿にしておるのか?」

「え? 群馬県ってこんな感じじゃなかったっけ?」

 

 十夜は、群馬県に行った事が無い。

 群馬県について知っている事といえば、「群馬県」とテロップが打たれた滅びの大地の画像だけだ。

 まさに今、目の前に広がっているような。

 

 

 と、地面を揺らす振動を感じて十夜は後ろを振り返った。

 斜面を見上げると、山が動いている。雪の壁が迫ってきている。

 

「……はぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!?」

 

 雪崩。雪崩だ。

 後方には直接魔法の効果が及んでいなかったが、岩が融解するほどの熱だ。

 地面を伝わり、深層の雪を溶かしたのだろう。

 

「む、少々力を使いすぎたようじゃ……儂は少し眠る。このまま真っ直ぐ進め。そうすれば温泉町に到着じゃ」

「いやお前そんな事言ってられる場合かよあれが見えねぇの?」

「後は任せたぞ……ガクッ」

 

 それだけ言ってばったり倒れるニア。

 十夜はニアを背負って全力疾走を開始した。

 もう訳がわからない。とりあえず考えるのは後だ。

 地獄の鬼ごっこが開幕した。

 

「馬鹿じゃねーの!? 馬鹿じゃねーの!? 雪山で地面燃やしたらそりゃ雪崩もおきるわ!」

 

 悲鳴を上げつつも、十夜は足を動かした。

 すんなり足は回る。いや、すんなり回りすぎた。

 驚異的な身体能力を持て余し、ときおり足をもつれさせつつも地面を這うように手をついてなんとか体勢を立て直す。

 

 

 地面を転げまわりつつも、十夜はなんとか雪崩から逃げ切った。

 

 

 

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