ヤングエンペラー

ははそ しげき

第一章 戦神 白起

 

序 章 

  

 ――始皇が初め位に即いた時、みささぎをつくるため酈山りざんの麓に穴を掘り、天下をあわせるに及び、天下の徒罪の者七十余万人を労役し、三泉を掘らせたが、銅をもって下をふさぎ、かく(棺を入れる外棺)を入れた。はかの中に宮観や百官の座席をつくり、珍稀の物を宮中からうつして充満し、工匠だいく機弩矢きどしをつくらせ、地面を掘って近づく者があれば、ひとりでに発射するようにした。また水銀で百川・江河・大海をつくり、機械で水銀の水をそそぎ送った。上は天文を具え、下は地理を具え、人魚のあぶらをもってともしびとし、永く消えないようにした。二世(胡亥こがい)は、「先帝の後宮で、子供のない者を宮殿から出すのはよろしくない」といい、みな殉死させたが、死者は非常に多かった。棺を埋めると、「工匠は、機械をつくったのでみな埋蔵されたものを知っている。埋蔵品は貴重なもので、外部に漏れたら大変です」という者があった。そこで冢に通じる神道の中門をふさぎ、ついで外門を下ろし、従事した工匠をことごとく閉じ込めて、出られないようにした。冢の上には草木を植えて山のようにみせかけた。

      (『史記 始皇本紀』司馬遷、小竹文夫・小竹武夫訳 筑摩書房)

          ∵

 少年王の夢みた虚構の設計は、地下帝国の実現をめざし、少しずつ動き出した。

「ぼくの地下宮殿は、暗黒の宮殿なんかじゃない。天上には太陽が光り輝き、月や星が瞬く。宮殿はつねに真昼のように照らしだされているのだ」

「ぼくの地下世界は、静止した沈黙の世界であってはならない。地上同様、人が暮らし、動物が駈けまわり、鳥が飛ぶ、そんな世界であってほしい。楽器が奏でられ、人が歌い、鳥がさえずり、川がせせらぎ、ときに風が鳴る、そんな光景をもちこみたい」

                       (本文 第六章 地下宮殿)




     第一章 戦神 白起はくき


 ちょうの都 邯鄲かんたんの春はおそい。西にそびえる太行山たいこうさんの雪が解けはじめるころ、ようやく春が訪れる。

 待ちに待った春の到来だ。しかし人々の心に春の喜びはない。邯鄲の都城は重々しい戒厳令が敷かれ、戦時下の張りつめた暗雲に包まれていた。

長平ちょうへいいくさ」のあと邯鄲を包囲したしん軍は、趙軍の抵抗を受けて攻めあぐね、むりな侵攻を避けていったん包囲網を解いた。 太行山の麓まで兵を引いて陣取り、再度、侵攻の機会をうかがっていた。

 戦国時代も中期から後期に移り、「戦国の七雄」とうたわれたかん・趙・せいえん・秦の七国のうちでも、ようやく盛衰強弱が分けられる時期にまできていた。

 その天下分け目の決戦とでもいうのが、秦と趙、二大強国による「長平の戦」だった。双方あわせ百万に近い軍勢が黄河中流の北方、太行山西側の長平に集結し、激突した。結果は秦軍の圧勝に終った。

 敗れた趙軍は、四十万の兵士が投降した。しかし悲劇はそこからはじまる。投降した四十万の兵士は、坑殺こうさつされたのだ。坑殺とは、生きたまま穴埋めにして殺すことをいう。

 歴史に忌まわしい汚名を残した秦の将軍こそ、「戦神」の異名をとる常勝将軍 白起はくきだった。

         ∵

 邯鄲は戒厳令かいげんれい下におかれていた。街の角々に槍をもった兵士が立ち、物々しい警備がつづけられている。城門は閉ざされ、出入の吟味は念入りにおこなわれている。

 その邯鄲の邸宅街を、ひとりの方士ほうしが歩いていた。旅の途中と見受けられる。小さな女の子の手をひいている。やがて、とある邸宅の門前まで来ると立ち止り、塀に囲まれた邸内の上空を見遣みやり、つぶやいた。

「これはひどい。無数の怨霊おんりょうがとりまいている」

 方士は門を叩き、案内を乞うた。

「邸内に重病人がいるであろう。怨霊にたたられている。怨霊退散の祈祷きとうをさせていただく」

 方士は方術士ともいうが、この時代、有徳の知識人として人々の尊敬を集めている。

 門衛は驚いて家令かれいに取り次いだ。

「主人がお会いしたいと申しております」

 家令は慇懃いんぎん挨拶あいさつすると、奥の居室に案内した。

「そのお子は、――」

 いっしょについてきた女の子を見て、家令はいぶかしんだ。

「わしの弟子じゃ。まだ小さいが、物の役にたつ。引見に立ち合わせたい」

 貴族の邸宅だが、さほど大きな造りではない。中庭越しに、奥の一室が病室にあてられているのが分る。見舞い人だろうか、室内に入りきれない人が、外から中をうかがっている。方士と女の子が近づくと、病牀ベッドのまわりにいた人々が一斉に立ち上がり、席を譲った。

「お診立みたてはいかがかな」

 方士は軽く目礼しただけで、いきなり医師に容態を問うた。

 方士は病気治療にくわしい。方術という、方技と術数をあわせた特殊な修行を積んでいる。やや煩雑になるが、説明しておく。

 方技の範囲には、医経いけい(医学)・経方けいほう(薬物学)・房中ぼうちゅう閨房けいぼう養生法(ようじょうほう)・神仙しんせん(神仙術)の四術が含まれる。閨房養生法は、つまりセックス術のことをいう。

 術数は、数理科学に神秘術を加味したもので、天文(星占)・暦譜(暦学)・五行ごぎょう(五行占)・蓍亀しき亀卜きぼく筮卜ぜいぼく雑占ざっせん(夢占など)・形法(手相・人相などの観相)の六術を含む。雲気うんきの観察(気象学)や風水・算命(運命判断)・呪術じゅじゅつも、この中に含めていい。術数といっても通じなければ、分かりやすく占術せんじゅつと呼ぼうか。

 さしずめ方士とは、医薬学と養生法や占術に通じた、神仙術の探求者のことだと思えばいい。

 深山に隠れ棲んで不老不死を追求している本格派もいるが、一般にはこの方士のように、人界にあって病気治療や悪霊退散の祈祷を仕事にしているものもいる。いまでいえば、医師と薬剤師とセラピーの治療士を兼ねた専門の祈祷師といったところか。文化人としての教養は高い。

 病人はまだ幼いこどもだった。大きな布団にくるまれ、小さくうずくまっている。脈をとっていた医師は、顔をしかめている。

「それが、原因が分からず、処置の施しようがない」

 方士はうなずくと、すべての窓を開け放ち、病牀の横に祈祷の壇を設けるよう指示した。春の香りが風に乗って入り込み、陰気な室内は清められ明るくなる。

やまいの原因は、悪霊のたたりだ。屋敷じゅうに怨霊・悪鬼が満ちあふれ、この幼な子にとりいている。年端としはもいかぬ幼な子に、なにゆえとり憑いたか、ご両親からとくと事情をうかがいたい」

 すると、父親だろうか。枕元にいた二十代のなかばすぎくらいの若い男が立ち上がり、拱手きょうしゅして礼を交わした。拱手とは両手を胸の前で組み合わせる中国式礼法のことだ。

「わたしは秦の公子で異人いじんと申します。質子ちし(人質)として趙に送られてから七、八年たちました。この子はわたしの子でせいといいます。かぞえで三歳になりますが、生まれたときからからだが弱く、薬を欠かしたことがありません。さきの長平の戦いらい、秦と趙との外交関係はますます険悪になっています。人質のわたしはいつ呼び出されて、死をいい渡されるかと、生きた心地のせぬ日々を過ごしており、この子にもずいぶん心細い思いをさせています。病をわずらう一因は、そこにあるのかも知れません。母親はここにおります趙姫ちょうき、趙の女にございます」

 いわれて趙姫は顔を上げて目礼した。二十歳はたちそこそこにしか見えない、美しい姫である。母親になりきっていない、少女のあどけなさを残している。

「して、この御仁ごじんは」

 じつは方士が注目していたのは、同席しているこの中年の男だった。静かな物腰の中にも、豪胆な気概が感じられる。黙っていても発せられる気迫は、周囲を圧している。ふつう怨霊がもっとも敬遠したがるタイプなのだ。

陽翟ようてき(河南省 県付近)の賈人こじん呂不韋りょふいともうします。商いのため全国を歩き回っています」

「呂不韋どのといえば、天下に聞こえた豪商。公子はよき後ろ盾に恵まれていると見える」

 賈人とは商人のことだ。呂不韋クラスになれば、小さな商店主や行商人といった規模ではない。中原各国に取引ルートを持つ、いわば国際的大商社のオーナーといっていい。

「して、方士のご尊名はなんともうされますか」

 穏やかな口調で、ぎゃくに呂不韋がたずねた。

「世捨て人にござれば、とうのむかしに名は捨てもうした。しいて名乗れば、無名むみょう道人どうじんとでも」

「ほう、無名道人どのともうされるか」

 面と向かって道人の顔を覗き込んだ呂不韋は、納得した顔つきで女の子に目を移した。

 おとなたちの会話をよそに、女の子はひとりでてきぱきと祈祷の壇を設営し、横たわる政の額や手を拭い、けなげに立ち振る舞っていた。

「もう大丈夫、元気出すのよ」

 うなされる政に声をかけ、片手を握ると、政はうっすらと目を開け、「だれ」と手を握り返し、反応した。

「この子は母親にもよくなつかないのに、これはまた」

 異人は目をみはった。そんな異人を趙姫はにらみつける。

「お話をうかがって、ほぼ察しがついた。この女の子のおさいはおいてまいる。こどもながらわしの弟子で、方士の修行中だが、悪霊退散の祈祷ができる。ご心配にはおよばぬ。せいぎみは三日ののちには本復しよう。わしはゆくところがあるので、これにてひとまず失礼する」

「なんと急な、いずこへゆかれる」

 さすがの呂不韋が驚いて聞き返した。

「長平へゆく。悪霊を鎮魂ちんこんし、もとを正してまいる。わしが戻るまで五日間、お待ちいただけますかな」

 呂不韋は異人と顔を見合わせた。異人がうなずくのを見て、呂不韋も同意した。

「五日間お待ちしますので、どうぞよしなに」

          ∵

 冒頭ですこし白起のことに触れた。姓ははく、名は武安ぶあんくんに封じられた白起のことだ。白起は、秦の将として三十余年、「戦えば勝ち、攻めれば取り、城を破りくにくずすこと、その数知らず」で、天下無敵と恐れられ、秦の勃興に力をつくした。

 初陣は十五歳。口数が少なく忍耐強い反面、果断に事をおこなう豪放な性格は、戦場で申し分なく発揮された。おりしも時代は戦国の真っ只中。戦功の評価は、挙げた首級しゅきゅう鹵獲ろかくした捕虜、おとしいれた城の数で決まる。白起の凄まじさは、その戦果に示されている。

 秦の昭襄王しょうじょうおう十四年(前二九三)、韓・魏の連合軍を伊闕いけつ(河南省洛陽)に攻め、斬首二十四万、大量の捕虜を鹵獲し、五城を抜く。この戦勝で、一介の青年将校にすぎなかった白起は国尉こくいとなり、黄河をわたって、韓の安邑あんゆう(山西省夏県西北)以東の多くの地を奪う。翌年、白起は秦軍の最高指揮官である大良造だいりょうぞうとなり、魏を攻略して、城を陥れること大小六十一城におよぶ。

 二十一年、趙を攻めて、光狼城(山西省高平の西)を攻略。二十九年、楚を攻めては都 えいを陥れる。楚の頃襄王けいじょうおうは、ちん(河南省 淮陽わいよう)に新都をうつして逃れたほどだ。楚国西部の大半は秦に占領され、楚の勢力は失墜、この大功により白起は、武安君に封じられる。一国一城のあるじ、お殿様になったのだ。

 三十四年、白起はふたたび魏を攻めて華陽(河南省 てい州南)を陥れ、斬首十五万、趙将 賈堰かえんと戦って、その士卒二万人を河中に沈める。四十三年、韓の陘城けいじょう(山西省 曲沃きょくよく東北)を攻めて五城を陥れ、首を斬ること五万におよぶ。

 そして四年後の四十七年(前二六〇)、趙と長平(山西省長治の東)で戦い、降服した趙兵四十万人を坑殺こうさつする。前述したが、生きたまま穴に埋めて殺したのだ。ただ十五歳に満たない年少の兵卒二百四十余人だけは、生かして邯鄲に帰している。秦軍の恐ろしさを、こどもの口から伝えるためだ。

 この長平の戦で、戦死や捕虜も含めると、趙は一挙に四十五万人の成人男子を失ったことになる。趙国全体で三百万人といわれた当時の人口の十五パーセントにあたる。

 捕虜にあてがう食糧を惜しんだためとか、捕虜に謀叛の動きがあったためとか理由はあろうが、戦神白起はこの暴挙をあえて実行した。

 生き証人の年少兵から坑殺あなうめの実態を聞かされた趙人ちょうひとは震え上がった。そして同時に、秦人しんひとにたいする憎悪の念を、さらに深くした。

 生き埋めになった四十万の犠牲者の霊魂は、行き場を求めて長平の戦場に漂った。その一部は、坑殺をまぬかれた年少兵にとり憑いて、邯鄲に帰ったのだ。

 のちの話しだが、年少兵二百四十余名のうち有志数十名は、五台山の廟堂にもり、方士修行のかたわら秦への復仇を誓い、その首謀格は秦王政を仇敵とつけ狙うようになる。

 一方、白起は戦勝の勢いに乗って、一気に邯鄲を陥落させる意気込みでいた。しかし白起の功績はあまりに大きい。国人の人気も高く、宰相の座さえも奪いかねない。白起の台頭を恐れた秦の上層部は、大虐殺を盾に白起を更迭する。いったん戦争を終結させ、講和に転じたのだ。戦さえなければ、白起は張子の虎だ。このときの秦朝上層部は、私欲にこだわり国益を軽んじた典型とみていい。

 やむなく白起は兵を引いた。戦争には勝ったが、政争で負けた。都咸陽に空しく凱旋した白起だったが、国人は歓呼して迎え入れた。

 長平の戦が終った翌四十九年、秦は満を持してふたたび邯鄲を攻めた。しかし趙国に防御の備えを固める時間的余裕をあたえていた。うら骨髄こつずいの趙軍は必死に抵抗し、周辺の諸侯も救援したため、秦は苦戦した。やむなく秦王は白起の再出馬を要請する。

 しかし白起には、

「いまさら、なんだ」

 という思いがある。

 長平の戦場から邯鄲まで約百六十キロ、太行山を越えれば敵の都は目と鼻の近さだ。長平の戦勝の勢いがあれば、一気に落せた。だからこそ足手まといなうえに、裏切りで背後の脅威になりそうな趙の降服兵を始末してしまったのだ。

 白起は数に頼った戦争はしない。敵の動きを冷静に分析して、行動に移す。なかでも勢いということを、とくに重要視した。戦には時の勢いというものがある。いまその勢いはむしろ趙側にある。

「君命もときに受けざるところあり」

 白起は病を理由に王の要請を拒否した。面子めんつをつぶされた秦王は怒り、武安君を罷免し、左遷をいい渡した。

 五十年十一月、再三にわたる出馬要請を断られ、秦の昭襄王はついに見切りをつけた。戦神白起は国民的英雄だったから、その存在は無視できない。しかし自分にしたがわない英雄は邪魔なだけだ。ましてや人気が高いのは、危険ですらある。生かしておくわけにはゆかぬ。

 白起のもとに使者を立て、剣をあたえた。自害を命じたのだ。

「常々白起は、不服がましいことを口にしていました」

 白起の力量を恐れた上層部が嫉妬し、讒言ざんげんしたことにもよる。

「わしはなんの罪があって、このような罰を受けなければならないのか」

 戦国時代である。弱肉強食は世のならい。やらねばやられるだけだ。とはいえ、あまりにやりすぎたのか。戦につぐ戦、多くの人を犠牲にして、必死に駆け抜けてきた戦いの人生は、いったいなんだったのか。白起とて人の子、切れば血も出る、涙も流す。人の痛みが分からぬ野獣ではない。

「もとより、わしは死んでとうぜんである。長平の戦で趙の降服者は数十万あったが、助けると偽ってことごとく穴埋めにして殺した。それだけでじゅうぶん死ぬだけの理由になる」

 邯鄲侵攻の出馬要請を拒否したのは、死を恐れたからではない。負けることが分かっている戦の指揮をとることは、常勝将軍のプライドが許さなかったのだ。

戦機を分析するとだれが将軍であっても、こんどの邯鄲攻めは失敗する。やるなら自分が提案したあの時期にやるべきだった。長平の戦で四十万人を殺され、茫然自失のあの時期に邯鄲を攻め落せば、趙国の滅亡は数十年早められた。同時に戦国時代の終焉も早められた。

 白起はただの殺人鬼ではない。

 ――戦をもって戦を終らせる。

 戦争を終らせ、一日も早く平和な社会を到来させたい。そんな願いを、大量殺人のうしろで考えていたのだ。

「どこかに無理があった。やはり四十万人はやりすぎた。では十分の一なら許されるのか。一年で終るものを十年かけてすこしづつやれば許されるのか」

 白起は自問自答した。しかし答えは「ノー」だった。

「自分には自分のやり方しかなかった。人生にやり直しはきかない。大量殺人者と非難されても、悔いはしない。この身はたとえ八つ裂きにされてもいい。願わくは、自分ではできなかった、戦国時代に終止符を打つことのできる平和の使者を、あの世から応援してやりたい。それがみずからほふった四十万人、いや合わせれば百万人をかぞえる犠牲者へのせめてものつぐないとなろう」

 咸陽の西十里ほどの杜郵とゆうの地で、秦の昭襄王は白起に自裁を迫る。白起はめいにしたがい、剣をおしいただくと頚動脈にあてがう。

 無念の思いはあるが、すでに覚悟はできている。いままさに剣を引き切らんとした刹那せつな

「しばし、またれい!」

 耳には聞こえないが、脳裏に無名道人の声がなり響く。

「ご無念の思い、よく分かった。しかしその思いを黄泉路よみじへいっしょにもってゆくだけでは、百万の犠牲者は浮かばれまい。ご貴殿の霊魂は、いましばしこの世に留まり、戦国時代を一日も早く終らせることのできる有為ゆういの若者のために活用されてはいかがか。趙と秦とは宿命の敵同士、互角でいっては百年たっても決着はつかない。他の六国についても同じこと。たとえ非情残酷と非難されても、一国が抜け出さなければ、戦国は終結できぬ。たとえみずからの名を悪名で汚しても、あえて一石を投じようとしたその勇気と実力は知る人ぞ知るところ。その思いを後生こうせいの若者に託そうではないか」

 人は死を実感した刹那に、一生を回顧することができるという。ちなみに「刹那」とは最小の時間単位で、七十五分の一秒とか六十五分の一秒とかいわれる。無意識にまばたきをするように、きわめて短い瞬間のことだ。

 その一刹那に、白起は自分の一生を振り返り、あえて「鬼神の道」を選択した。「鬼」とは人の霊魂、「神」とは天地の神霊。死んでなおこの世に霊魂を残す非情の決断だ。

「おれの思いを託すに足る若者がいるか」

「いる。昭襄王の曾孫にあたる。やがて天下を統一し、一天いってん万乗ばんじょうの天子となるお方だ。せいぎみという」

「おれはどうすればよい」

「政君の守護神になっていただく。『だく』(オーケー)、と同意すればよい。あとはわしにお任せ願いたい」

 白起は「諾」と心に叫び、剣を引いた。白起の首は鮮血を噴いて、中天高くね上がった。

 こののち白起の霊魂は幽明界(この世とあの世)の狭間はざまにあって、白き天馬にまたがる戦神となって甦り、秦王政、やがて天下統一後にファーストエンペラーとなる秦始皇帝の守護神となる。

          ∵

 五日目の未明(夜明け前)、無名道人は音もなく邯鄲へ立ち返った。

「咸陽まで出向き、武安君白起の最期を見届けてきた。その後、長平へ行き、霊魂を鎮めてまいった」

 聞いて驚かぬものはいない。邯鄲―咸陽間、いまの鉄道路線でも七百八十キロある。日本だと東京から広島の手前、福山あたりといったところか。そこを四日で往復したというのだ。

神速術しんそくじゅつ」の奥義をきわめた無名道人ならではの健脚といえる。けっして誇張ではない。のちの世に、一日八十里を駆ける神行太保しんこうたいほう(水滸伝の戴宗たいそう)の例もある。

「夜分ながら、急ぎ話しておかねばならぬことがある」

 疲れた様子も見せず、無名道人は、呂不韋と異人を呼んだ。別室で政の看病をしていた趙姫とお彩も顔を出した。

「政の熱が下がり、いまは安らげに寝入っています」

「お彩の祈祷で、怨霊に退散願った結果です。いましばらくは小康しょうこう(よい状態)を保てましょう」

 無名道人は、ことの経過を手短に説明した。

「怨霊は長平の戦で坑殺された趙の兵卒で、とむらうことなく放置されていたため、憑依ひょうい先を求めて浮遊していた。長平にほこらを建てて鎮魂してきた。一部の霊魂は、生き残りの年少兵にとり憑いて邯鄲に帰っている。この邸宅に入り込み、政君にとり憑いたものは祈祷で追い払ったが、鎮魂の場を設けてやらなければ、すぐにまた戻ってくる」

 みなは納得してうなずいた。

「怨霊が好んでとり憑くのはにっくき敵方だ。それも弱い相手だととり憑きやすい。邯鄲で標的を探せば、秦の人質である異人公子か政君ということになる。ほんらいとり憑くべき相手は白起なのだが、白起は強すぎてさすがの怨霊も敬遠した。また公子には呂不韋どのの気が結界けっかいを張っていて容易に入り込めない。呂不韋どのは公子を守り、後ろ盾となって、なにごとか大事だいじを画策されているごようすだ。おそらく公子を秦の国にお連れし、王位を継承できる立場につけることではないかと見たが、いかがであろう。あたっているかな」

 無名道人はそこまでいうと、呂不韋と異人に推理の当否を確かめた。異人が目をまん丸にして、うんうんと首をたてに振った。

「その呂不韋どのの気も政君にまではおよんでいない。政君は幼いうえに生来の病弱だったから、多くの悪霊にとり憑かれ、からだをむしばまれてしまった。いま回復してもすでに手遅れで、このままでは政君のお命は十歳までしかもたぬ」

 寝耳に水の宣言だ。寝ずの看病はしてきたが、十歳の寿命だとは考えてみたこともない。異人と趙姫は顔をひきつらせて、道人のつぎの言葉を待った。

「その一方、不思議なことだが政君には天子の相がある。なんど占っても答えは同じだ。この相の人はとくべつに強運で、少なくとも人生五十年を約束されている。たとえ短命の人でも五十歳までは、寿命を延ばすことができるのだ。政君の場合、十歳からだと四十年ある。この四十年を、近親の縁者なら分かち合うことができる。そこでお三方にご相談だが、それぞれの寿命から政君の延命できる分を分けてやってはもらえぬか。その代わりにといってはなんだが、異人公子の秦国王位継承に、わしも力を貸そう。いかがかな」

 無名道人は、一同を見まわした。

 呂不韋は目をつむったきり身じろぎもしない。趙姫は突っ立ったままぼうぜんとしている。異人はからだをこわばらせて虚空をにらみつけている。緊張した沈黙がつづいた。

 沈黙を破ったのは、異人だった。

 とつぜん立ち上がると、無名道人のまえにひれ伏した。

「わたしの命を投げ出そう。王位につけるなら、たとえこの命を縮めても、悔いはない」

「ただし、二十年。公子が分担できるのはそこまでだ。残りの二十年は、十年づつ、他のおふたりで分け合っていただこう」

 無名道人は、趙姫と呂不韋には意見を問わず、とうぜんとでもいうふうにそう決めつけた。ふたりとも反対はしなかった。

「いいわよ、十年あげる。年取ってまで生きていたくないもの。ねえ、ずっと若いままでいられる術ってないかしら」

 趙姫は、冗談ともつかない提案をして、道人を面狂わせる。

「政君に天子の相が見られるか。天子とは王の王だ。周の天子をいうか」

 呂不韋は、あらためて道人に向き直った。

「いや、周朝の命脈はすでにいくばくもない。周とはべつに、中原の七ヶ国をべる新たな統一国家の天子のことだ」

「その国が秦だとすれば、異人公子が王になられたあとのことになる。よかろう、わしの余命から十年、差し引いていただこう」

 もともと呂不韋は、秦の公子異人の秦王即位に人生を賭けている。「奇貨きかくべし」――ほりだしものは買っておけ、チャンスは逃すな、という意味だ。奇貨異人の国盗りに賭けた呂不韋の決意だが、なぜ道人はこのことを知ったのか。

「わしは方士だ。わが天眼通てんがんつうをもってすれば、過去・現在・未来のすべてを見通すことができる。しかし、いまだ修行が足らぬゆえ完璧とまではゆかぬ。政君の天子の相は、天眼通ではなく観相術によって見た。これは運命を占うもので、人の未来を見通したものではない。もっとも、どのような運命であろうと、無条件で天子になれるものではない。まず順番からいえば王か太子になったうえでのことになる。太子に一番近いのは異人公子だが、呂不韋どのが後ろ盾なら、実現可能性は高い。運命も味方してくれよう。たしかに秦の太子となれば、王位も夢ではない。政君にも太子の可能性が生まれる。いずれにせよ政君の延命は、お引き受けした。お三方とも、分けた残りの人生、よりいっそう哀惜あいせきされよ」

 三人はそろって無名道人に恩を謝して拝礼した。道人は目礼を返したのち呂不韋に、邯鄲脱出を急ぐよううながした。

「秦軍はこの二、三日中に邯鄲に攻め寄せる。そうなれば、趙国は人質の異人公子を殺し、見せしめにする。女こどもを連れての城門突破は難しい。趙姫さまと政君には、次の機会まで待ってもらう。呂不韋どの、公子おひとりを連れて秦に逃げてくれ」

「承知した。ふたりには不憫ふびん(かわいそう)と思うが、公子に秦の王室にお戻りいただくことが先決だ。そのうえで、秦に有力な足場を築き、かならず迎えにくる」

 ほどなく脱出のため、かねて用意の二頭立ての馬車が、中庭に引き出された。 趙姫は異人といい争っている。あらかじめいい含めてあったのに、この期におよんでこのありさまだ。一方、政は泣きもせず、おとなしくお彩にしたがって庭先に出た。呂不韋が政を抱き上げ、「高い高い」をした。

 高みから政が「あそこ」と指差し、お彩に示したものがある。

 一瞬、横合いから黒い影が飛び出し、呂不韋から政を奪おうとして手を伸ばした。その賊の手を払ったのは、お彩のもつ長い錫杖しゃくじょうだった。修行中の方士がもつ法具のひとつで、頭部に数個のリングがついている。重なると音韻を発する。護身用として用いるが、呪文を唱えるとき、調子を整えるのにも使う。

 ――チャリィーン。

 錫杖のリングが鳴った。同時に、賊の伸ばした猿臂えんぴ(ひじ)の砕ける音が共鳴した。賊はその場にうずくまった。お彩は政をかばい、錫杖を立てて身構えた。

 べつの黒影が公子を襲った。無名道人が片手拝みの姿勢からてのひらを賊に向け、「気」を発した。「気」にあおられ、黒影の男はうしろの柱に叩きつけられた。遠当ての術だ。気合いを入れて「気」を発すれば、気合い遠当ての術になる。

 この「気」というのは、人体が発する特殊なエネルギーで、超常現象と見られるが、修行訓練によって、潜在する超常能力をひきだし、特定の条件下で現象として発現、増幅することができる。

「敵は、ほかにも何人かいる。この場はわしらに任せ、急ぎ脱出されよ」

 道人が叱咤しったする。異人公子と呂不韋はあわてて馬車に飛び乗り、馬をきたてた。馬車は車輪をきしませ、屋敷の門をくぐり抜ける。門の外にはすでに大勢の捕り方が迫り、右方から殺到してくる。馬首を左に回し、呂不韋は鞭を鳴らした。ふたりを乗せた馬車は砂塵を蹴散らして疾駆した。

 黒影の襲撃隊は、趙の朝廷が放ったものに違いない。

 人質の異人を生け捕りにし、城門にはりつける。攻め寄せる秦軍に見せつけるための生贄いけにえだ。それが人質としての異人の役割だった。いまさらながら異人は、自分が置かれた立場の危うさを思い、恐怖におののいた。

 邯鄲城の西北側に小門がある。警備が手薄なところに目をつけて、かねてより門衛に大金を渡して籠絡ろうらくさせてある。商売の便のためだといって、日ごろから呂不韋は、馬車での往来に使っている。呂不韋が近づくと、門衛は目を細めて小門を開いた。

「やあ、ご苦労さん」

 手を振って見送る門衛をあとに、馬車は一気に駆け抜けた。追っ手のかかる前にからくも虎口ここうを脱したのである。城門を出さえすれば、秦の軍勢が守ってくれる。

 これまでも大きな商売を通じて、修羅場しゅらばはなんどもくぐってきた。しかしこんどの緊張感はかくべつだ。「奇貨」異人への肩入れは、多額の投資にとどまらず、命さえもが懸かっている。失敗はぜったいに許されない。呂不韋は無我夢中で馬車を奔らせた。

 一方、はじめの恐怖感が去ると、異人は残してきたふたりが心配になってきた。自分がいなくなったあと、あのふたりは無事に暮らしていけるのか。危害が降りかかるのではないか。

 やはり無理をしてでもいっしょに連れて逃げるべきだったのではないか。

「趙姫よ、政よ、許してくれ」

 後悔で胸が締め付けられ、涙が止めどなくあふれ出た。

 趙の追っ手が弓を射って迫ってくる。追っ手の騎馬が馬車にならんだ。追っ手の武者は真横から弓を射る。敵の矢は呂不韋の頬をかすめて飛来する。呂不韋は手綱たづなをたぐり、ひっしに馬車を制御した。騎馬の追っ手は舌打ちし、ふたたび弓に矢をつがえ、馬上できりりと弓を引き絞った。

「神よ、助けたまえ!」

 無神論者の呂不韋が、生涯はじめて神に頼んだ。夢中で神佑しんゆう天助てんじょ(神の助け)を願ったのだ。

 敵の矢が放たれた。矢は正確に飛び、呂不韋のからだに突き刺さろうとした。 呂不韋は観念し、まなこを閉じる。

 まさに間一髪かんいっぱつ。白い天馬にまたがった戦神白起が、天空から駆け下りてくる。手にした長い矛が振られ、飛翔する矢が叩き落される。

かっ!」

 馬上で白起は激怒する。口から火を吹き、目を剥いて相手を睨みつけた。馬が怯えて、棹立ちになる。

 弓を持った趙の騎馬武者は、どうとばかりに転げ落ちた。

 前方に秦の先鋒隊があらわれた。背後の追っ手は追跡を諦め、馬を止めた。白起の姿はもはや掻き消えている。

「あれはたしかに白起将軍だった」

 背筋に戦慄が走った。戦場で白起にまみえたことのある趙の武者は、両断された矢を手にし、ぼうぜんとして立ちすくんだ。

「助かった!」

 一瞬、目を閉じた呂不韋には、白起の出現は見えていない。あまつさえ窮地を脱した呂不韋は、たったいま神に頼ったことさえも忘れていた。のちに戦神白起は、呂不韋の不実を怒るあまり出番が遅れ、手痛いミスを犯すことになる。

 異人と呂不韋は秦軍に保護された。これで異人の秦王承継工作の第一段階は突破した。第二段階は、秦の王朝内での立太子工作だ。数年がかりで仕掛けてきた。あとは最期の仕上げを残すのみだ。

 ずしんと響く手ごたえを感じ、思わず呂不韋は身ぶるいした。

          ∵

 異人と呂不韋が無事、秦に脱出したあと、もとの邸宅は接収され、趙姫と政は趙の役人に引き渡された。

 呂不韋から大枚のまいない(賄賂わいろ)を受け取っていた役人は、残されたふたりをとがめず、そのまま同じ屋敷に軟禁しつづけた。病弱な三歳児では、秦にたいし報復するだけの価値はないと判断し、むしろ豪家といわれる趙姫の実家に恩を売って、謝礼の余得にあずかる実益のほうを選んだのだ。

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