第十二話 信じるということ

 夜空に輝く満天の星が視界いっぱいに広がっている。気がつくと、オレは地面に仰向けになって倒れていた。

「メグ!」

 リーブル先生とばあちゃんがまるでこの世の終わりみたいな表情でオレの顔を見下ろしている。ゆっくりと上半身を起こすと、同時に二人に抱きしめられた。

「神よ、感謝します」

 ばあちゃんが片手で星十字を切りながら、何度も何度も呟いた。リーブル先生は確かにそこにいることを確認するみたいに、両手でオレの頬を包み込んだ。

「ルリアからすべて聞いたよ。君たちが無事で本当によかった」

 そう言って、先生は再びオレの体を抱きしめた。彼の背後には、大木に寄りかかってこちらの様子を見守るラルフ君と、目を真っ赤に潤ませたルリアの姿があった。

「死んじゃったのかと思ったよ」

 ルリアは涙をぼろぼろ流して泣いていた。その姿は幼い頃の自分が泣いている姿をぼんやりと思い出させた。

「ごめんね。心配かけて」

 薄暗い森は辺りの木々が燃えてしまったために、月の光が差し込んで少し明るく見えた。煙りの燻る洞窟の中を聖ユーフェミア騎士団の騎士たちが行ったり来たりしている。どうやら彼らのおかげで火を消し止めることが出来たらしい。

「魔法教徒は?」

 オレの問いかけに対し、先生は何も言わず、ただ黙って首を横に振った。

 喉がからからに渇いてしまったみたいだった。上手く唾を飲み込むことが出来ずに、首から下げられた数珠を握り締めることしか出来なかった。自分に対する無力感に苛まれ、やるせない感情が神への不信と共に沸々と心のうちに沸き起こった。

「ゴドウィンさんは助かったんだよ」と先生が言った。

 洞窟の前には確かにゴドウィンさんがいた。白い煙の立ち上がる洞窟の奥をぼんやりと力なさ気に見つめている。猫背なのが輪をかけて、その姿は一段と小さく見えた。「悪魔が君らを殺し損ねたために、彼の契約は成立しなかったんだ」

 すると、それまで一言も喋らなかったラルフ君が、重た気に口を開いた。

「自分の命と引き換えに誰かを殺そうとするなんて愚かだ」

 彼の言葉に深く頷いてから、ばあちゃんが言った。

「でも、きっとそのときにはほかに何も考えられなかったのさ。愛する人が殺されてしまったら、あたしだってそいつを殺したいほど憎むだろうよ。憎しみからは何も得られやしないのに」

 ばあちゃんの声色は深い悲しみと怒りに打ち沈んでいた。感情と理性の狭間で心痛する彼女の横顔をしばらく黙って見つめていた先生が、やがて星の光に照らされたゴドウィンさんの細長い影を目で辿りながら、オレとルリアに語ってくれた。

 その話によれば、この洞窟に隠れていた魔法教徒の中で、ゴドウィンさんは唯一失われた言語以外の言葉を話す事が出来る人だったのだそうだ。神への不信から家族や仲間とすれ違い、彼は共同体を抜けル・マリアを装って聖エセルバートの街の外れに住みついた。以来、陰ながら食料を調達したり、森に怪しい者が近づかぬよう番をして洞窟に潜む魔法教徒たちを守ってきたのだという。

「ねえ先生、ゴドウィンさんてすごい魔法使いだったの? 悪魔を呼び出すには強い魔力が必要だって前に言ってたよね?」

 ルリアの問いに、先生は少し考え込むようにして答えた。

「もしかすると、彼の怒りや憎悪、殺意といった歪んだ感情が魔法に反映された結果かもしれないね。悪魔の正体は人間のネガティブな感情そのものなんだ」

 そのとき、白い馬に跨った聖ユーフェミア騎士団の騎士がひとり、ゴドウィンさんに近づいた。口髭を蓄えた屈強そうなその騎士は彼の隣に立つと、威厳のある表情を少しだけ緩めて切り出した。「ランズ・エンドの一件以来、まさかこのような形で再び会うことになろうとは……」

 どうやら二人は知り合いのようだった。

「残念だが、貴方を聖地へ連行せねばならぬ。悪魔喚起の罪は免れない」

 騎士の言葉にゴドウィンさんはただ静かに頷いた。

「それから、もうひとつ伝えねばならぬことがある――」

 騎士は続けて言った。「洞窟にいた魔法教徒は我々が無事保護した。すべての者は皆無事だ」

 それを聞いた瞬間に、ゴドウィンさんは地面に両膝をつき、そのまま大地にひれ伏すようにして激しい嗚咽と共に涙で地面を濡らした。「神よ……おお神よ……!」

 ルリアが泣きながらオレに抱きついてきた。

「みんな無事だったんだ。良かったね……本当に良かった……」

「うん」

 奇跡のような出来事に無限の喜びを感じて打ち震えながら、オレもルリアを抱きしめ返した。

 騎士に促されたゴドウィンさんはゆっくりと立ち上がり、厳粛な面持ちで従った。彼は洞窟から立ち去る際に、オレとルリアの前で足を止めた。

「おまえさんたちまで危ない目に合わせてしまった。……赦してくれ」

 オレは首にぶら下げていた『星の欠片』を繋いだ数珠を取り出して、それをゴドウィンさんに差し出した。

「これ、洞窟に行ったとき、ジンとフィズがくれたんだ。この石が悪魔からオレを守ってくれたんだ」

 ゴドウィンさんはオレの手の中に輝く『星の欠片』を見つめると、再び目に涙を光らせて微笑んだ。

「神への祈りが、大いなる奇跡を起こしたのか……。息子たちは金髪のあんたを見て、マリア様の血を引く『暁の魔法使い』を連想したんだろう。あいつらはあんたに石を託すことで、神に――聖女マリアに救いを求めたんだ」

 その言葉を聞いて、オレの瞳から音もなく涙が零れ落ちた。


『この世に神がいるのなら、どうして世の中はこうも平等じゃないんだろう』


 ああ、そうか――。

 今、ようやくわかった。故郷を失ってどんなにつらい境遇でも、信仰を失わなかった魔法教徒たちの思いが……。

 オレは世界が平和や平等でないことを、マリア様のせいにして甘えていただけなのだ。真に救いを求めるということは――『信じる』ということは、決してそういうことではないのだ――。


 ずっと心を取り巻いていた空ろな想いがこの瞬間に消え去った。不思議なほどに涙が溢れて止まらなかった。それは次から次へと頬を伝って流れ落ち、森の草地を湿らせた。

 聖ユーフェミア騎士団の印である星十字の飾り止めをきらりと光らせ、騎士が馬を操りこちらに体を向けた。そして、オレとルリアに視線を注ぐと、古い記憶を辿るように目を細めた。

「以前に、どこかで会ったことがあるな?」

 突拍子もないその言葉に、オレは流れる涙を腕で拭いながら首を横に振った。

 すると、騎士は「そうか。それは失礼した」とすぐに自分の言葉を詫びた。彼はゆっくりと馬の頭の向きを変え、ばあちゃんに向かって一礼した。ばあちゃんはまるで昔の馴染みにでも挨拶するかのように微笑んだ。それから、騎士は続けてやおらリーブル先生の方に顔を向けた。

「久しぶりだな、リーブル」

「お変わりなく、ファインズ総長」

 驚くべきことに、リーブル先生もどうやら騎士と面識があるようだった。

「元気でいたか?」

「ええ。総長もお元気そうで何よりです。まさかこのような辺境にわざわざお出ましになられるとは」

「昔のよしみで心配になり駆けつけた。私はあれ以来、ずっと君らのことが気がかりだったのだ。あのかたのことは風の便りで聞いたよ。亡くなられたそうだね」

 先生は曖昧な笑みで返したが、それ以上話をしたくないとでも言うように話題をそらした。「聖地巡礼の際には、またお会いすることもあるかもしれませんね」

 総長は先生が話題を変えたことに気がつき、すぐに「そうだな」と相槌を打って話を切り上げた。

「では、またいずれどこかで」

 彼が背を向けて洞窟から離れると、ゴドウィンさんを連れた騎士たちも闊歩した。騎士団の馬列の最後尾には、悪魔の契約が成立せずに命拾いした信者たちや、セルジオーネとカウリー聖父を乗せた馬が続いた。両手を縄で縛られた一行は、一様にして項垂れた様子だった。彼らが横を通り過ぎるとき、ばあちゃんが声高に呼び止めた。

「あんたたちが奇妙な手紙を出したのかい?」

 すると、顔を上げたセルジオーネが不愉快そうに呟いた。

「手紙? ――ああ、あの手紙のことか。我輩たちは手紙を届けるように頼まれただけだ」

「頼まれた? 一体誰に?」

 煩そうに顔を顰めたセルジオーネの代わりに、カウリー聖父が答えた。

「私たちもよく知らないのです。手紙を届けることを交換条件に、洞窟の扉を開く合言葉を教えてくれた。男は闇のような漆黒のローブを身に纏い、自らを預言者と名乗っていました」

 それを聞いたばあちゃんの顔から、みるみるうちに血の気が失せていくのがわかった。

「そいつは今どこにいるんだい?」

「さあ。会ったのはそのときたったの一度きりで……」

 二人を乗せた馬が次第に遠ざかり、語尾は聞き取れなかった。まるで不浄を遮るかのように、騎士たちの白いマントが次々と視界に靡き、目の前を通り過ぎて行く。その流れを目で追いながら、オレはポツリと呟いた。

「君を迎えに来た……」

 リーブル先生が聞き返す。「今、何か言ったかい?」

「うちに届けられた手紙の内容だよ。修道院やばあちゃんに届いた手紙と同じ羊皮紙が使われていて、同じ蝋印が押されてたから差出人はたぶん一緒だ。オレ、てっきりラルフ君からだとばかり思ってたから、先生にからかわれるのが嫌で内緒にしてたんだけど、手紙には『君を迎えに来た』って書かれてあった」

 ばあちゃんが瞬時に先生の顔を盗み見たが、先生の方はほとんど表情というものを消し去ってしまっていた。まるで、心の内を読み取られないようにしているみたいに。

 そのとき、ラルフ君がオレたちの間に割って入るようにして言った。

「そろそろ研究室エデンに戻ることにする」

 どうやら聖ユーフェミア騎士団の後を追い、一緒に森を抜け出るつもりのようだった。

 彼は幼い頃から変わらない優しい笑顔を携えて、別れの挨拶をするためにオレの肩をそっと抱いた。

「メグ、俺はあの日――おまえの涙に誓ったんだ。おまえが辛いときは、いつでも力になってやるって。その気持ちはこれから先もずっと変わらないからな」

「あの日って……一体何のこと?」

「え? だって、おまえ、あの時のことを憶えてるんじゃなかったのか?」

 鳶色の眼が慌ててすがるようにリーブル先生の顔を見た。先生は軽く咳払いをして、それからやんわりと話をそらした。

「ラルフ、君はまだエデンの研究室にこもって怪しい研究に没頭してるのかい? それで? 少しは魔法の原理を解明することが出来た?」

 すると、ルリアが驚いたように声を上げた。「ラルフって魔法の研究をしてたの?」

「魔法使いに憧れてるのさ」

「違う!」ラルフ君が怒って即座に否定した。

「オレは、ただ――知りたいだけなんだ。……魔法の正体を」

 彼は落ち着きを取り戻すように深呼吸をしてから、再びオレと向き合った。

「いいか、メグ。おまえは泣き虫だったから、しょっちゅう泣いてたんだ。だから、その――とにかく、何かあったらまず真っ先に俺の元を訪ねて来い! いいな! 男と男の約束だぞ!」

 ほとんど圧倒されて頷くと、彼は有無を言わさぬ勢いでオレの体を抱きしめた。

 男と男の約束――。ラルフ君はやはりオレが男だとちゃんとわかっていたらしい。彼は身を翻して小走りに聖ユーフェミア騎士団の後を追いかけると、やがて薄暗い森の奥へと姿を消した。

 ルリアがふいに思い出したように先生に尋ねた。

「ねえ先生、ゴドウィンさんはこれからどうなっちゃうの?」

「悪魔喚起はマリア教最大の禁忌魔法だから、どういう状況であったにせよ彼は聖地で裁きを受けることになるだろうね」

 それを聞いて、ルリアは無言のままに俯いた。彼女は首からぶら下げている数珠を握り締め、唇をきゅっと結んで静かに目を閉じていた。きっと祈りを捧げているのだろう。ゴドウィンさんに神の加護があるように……。

 リーブル先生はそんな彼女の姿に微笑むと、優しい声でオレたちに言った。

「さあ、僕らもうちに帰ろう」

 少し離れた大木に先生とばあちゃんの箒が立て掛けてあった。森に来るときに乗ってきたルリアの箒は近くに投げ出されたまま地面の上に転がっていた。

「メグは箒がないのかい? そりゃ飛ぶ必要がなくて良かったね。僕の後ろに乗せてあげるよ」

 先生が普段通りの調子でオレをからかうと、ばあちゃんがそれを請合った。

「すぐに上達するさ」

 二人が箒を取りに大木の方へと向かったとき、突然暗い森の奥から誰かに見られているような気配を感じた。オレにはなぜだかそれが、手紙の送り主である漆黒のローブの魔法使いではないかと思えた。しかし、辺りを見回してみても、そこには夜の闇が佇んでいるだけで誰の姿も見えなかった。

 オレは星降る森の洞窟に向かって星十字を切ると、聖エセルバートに手を差し伸べるマリア様の彫像を見上げた。

 闇よりも恐ろしい悪魔の影と、それを消し去った石の光。そして、光とともに現れた何者かの姿……。オレはその姿を見たときに、聖女マリアが現れたのではないかと思った。

「ルリアは、石の光の中に現れた人物の姿を見た?」

「え? 誰かいたの?」

 彼女は不思議そうに聞き返してきた。


『神は人々の心の拠り所なんだ。今も昔もね』


 ばあちゃんの言葉が再び心の中に蘇った。神の存在がどういったものなのか、なんとなくわかったような気がした。肝心なのは目に見えるかどうかではないのだ。たとえ目に見えなくとも、オレが信じ続ける限り、それはずっと在り続ける――。

「ルリア、メグ」

 先生がオレたちを呼んだ。ばあちゃんが流れ星の降り注ぐ空の下で、箒を用意して待っている。

「今行くよ」

 オレとルリアは星降る森の洞窟を背にして、二人の方へと走って行った。




マリア教の魔法使いと魔法祭・完

(執筆期間:ニ〇〇三年六月~十月)

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