第9話 攻撃の正体がつかめない     

 その日の夜、僕はなかなか寝付けなかった。理由はもちろん、明日の鯨武さんとのWSのガンソルの対戦から来る楽しみと興奮である。


 調子に乗っているとは自覚しているが、自分から声をかけてイベントフラグを立てた勇気と功績。今、僕の脳内では前夜祭が行われていた。酒は飲めずとも、心も体も勝利の美酒に酔いしれる桃源郷にたどり着いた心地でいた。


 明日のことも色々とシミュレーション済みだ。対戦にあたっての練習は当然ながら、ゲーム雑誌より仕入れたガンソルの情報(発売前後の記事、裏ワザ、開発秘話など)をいつでもアウトプットできるよう備えていた。対戦に向けて研鑽をしつつ、机に向かってノートに会話の話題等を箇条書きしていた。


 しかし、それと同時に、僕の中で鯨武さんに関する未確認事項が多いのも事実だ。彼女にだって好きな人や憧れの人がいるかもしれない。大きな期待はしてはいけないことも自身に言い聞かせていた。


 それに彼女は、僕の中では少年時代の理想のヒロインであるセルヴィアーナに姿を重ねた一目惚れであることを忘れてはならない。

 

 最悪はいつ傷付くかもしれないその瞬間をいつでも受け止める覚悟も必要だった。明日は初戦とともに最終戦となるかもしれないのだ。でも、今が常に最高の幸せであると信じて噛みしめたかった。



 1999年6月29日(火) 午前11時55分

 あと5分足らずで昼休みだ。僕がこの瞬間をどれだけ待ち望んだことか。退屈な(いつもだが)午前の授業はいつにも増して、一限ごとの体感時間が遅く感じるとともに、内心の高鳴りだけは加速気味だった。

 

 昼休みのチャイムとともに、僕はクラスで割と仲の良い連中と世間話をしながら、朝の通学で買った惣菜パンを口に放る。今日の昼食はいつも以上に美味く、そして一口一口が、待ち遠しい昼休みの後半に向けて僕を急かしたてるような気がした。しかしその反面、緊張のあまり消化機能が働くだろうかと、胃腸の心配もしてしまう。


 昼食を手早く済ませた僕は、屋上へと続く階段を駆け登る。そして、何度も握って回した出入り口のドアノブは、いつもより、重くも軽くも感じる不思議な感触だった。


「鯨武さんはいるだろうか…」


 僕はそれだけが心配だった。昨日とは気が変わり、ドタキャンされたりしないかと思うと、ドアを開けるのにいつもより緊張が走る。


 いつもと変わらぬ同じ場所で彼女は静かに座っていた。ただひとつ違うのは、そこでWSで遊ぶ姿ではなく、まるで誰かを待つように一点を見据えていた。


 WSで遊ぶ以外での彼女の姿は何だか新鮮に思えた。いつもなら外周を回るように歩く屋上だが、今日は一直線に慌てず急がず、だけど待たせないように堂々と向かった。


 鯨武さんは歩み寄る僕の空気に気付いたのか、数メートル手前で僕の方を向いた。その表情は優しい無表情と言うのが正しいかは分からないが、とても穏やかに見えた。


「こ、こんにちは」

「うん。今日はよろしくね」


 装えてない平静で鯨武さんに声をかける僕に、彼女は自然な返事をくれる。


 僕は神様なんか信じていませんが、もう今のカップル同士における『憧れのキーワード1丁目』 を歩めただけで、僕は幸せ一杯です。このときの僕はニヤケるのを必死に耐えていたと思う。


 僕らは互いにどちらから言うともなく、WSを取り出した。そして僕はポケットから通信ケーブルを取り出そうとする。落ち着きを払いつつもその手は小さく震え、自分に聞こえるかどうかの声で「えっと…ケーブル、ケーブル」と呟いていた。


 ようやく取り出したケーブルの片方のソケットを彼女に渡す際になった段階で、僕はあることに気が付いた。それはケーブルが予想以上に短いことである。


 通信ケーブルの長さはおよそ30cmなのだが、それを自分で持って両手で引っ張ればそこそこの長さだと感じる。しかし実際は人間二人の空間と距離に換算すると、あまりにも短い尺だった。要するに僕は必然的に彼女の隣に座らなければならないのである。


 わずか隣、数十センチ離れた場所に鯨武さんが座っている状況。まずい。あまりの甘酸っぱさと緊張で内燃機関(仮)から蒸気のような汗が吹き出そうだ。僕は一番に自分の体臭が気になって仕方なかった。


 しかし、同時に鯨武さんの、ほのかな夏の香りに混じった汗の匂いにも期待した自分は不埒な馬鹿野郎であるとは痛感していた。


 と、とにかくゲームに集中しよう。僕は溢れ出しそうな様々な物を押さえつつ、ガンソルの通信対戦モードの準備を黙々と進めた。


 僕はまず対戦モードにて【ルート・カットバトル】を選択した。

 このモードは、銃身パネルを繋げた砲撃で発生するスクラップや残骸のお邪魔キャラを相手フィールドに送り込み、銃身パネル経路を完全に遮断した方が勝ちとなる、相手を戦闘不能に追い込む形式の対戦である(三本勝負、二本先取)。


「じ、じゃあ始めるね」

 ゲームの制限時間やゲームスピード、BGMを選択したのち、ぎこちない声を彼女にかけて、僕らのガンソル対戦が遂にスタートした。

 

 二台の携帯ゲーム機を用いた対戦開始の瞬間。この至福と興奮を最後に味わったのは何年前だろうか。携帯ゲーム機の歴史的マシンと言えば、ナンテンドーから発売された、芸夢BOYげいむボーイだと思う。


 WSよりも小さな淡色画面ながらも、目の前に広がる自分だけの戦況と目前の相手と繰り広げる対決は、どんなチッポケな作品や微妙な完成度のゲームでも、対戦した者同士でしか味わえない最高のバーチャル空間だったことを僕は久しぶりに思い出した。


 ゲームが始まった瞬間、彼女もまた同じことを考えていたのではないかと思えるほどに、僕の表情は緩み、活き活きしていると思う。


銃兵 Gun-Soldierガンソルジャー】対戦モード ルート・カットバトル三本勝負

1st BATTLE ― GAME START -


 WS本体から響き始める軽快なステージBGM。聴きなれた曲なのに普段以上に新鮮かつ迫力を含んで聴こえるのは、自分の本体からだけではなく、隣のもう一台から寸分狂いなく同じ曲が流れるステレオ効果からだろうか。


 そして、操作キーでパネルやカーソルを動かす際に『ピョイピョイ』と発せられるSE(サウンド・エフェクト)が相手のWSから聴こえてくるのも、わずか離れた距離感特有のリアリティーである。


 鯨武さんの操作から奏でられる物理的カーソル音ならびに鳴り止まぬSE、砲撃やパネル消去で発生する『OK!』『ナイス!』『グレイト!』『エクセレント!』『ファンタスティック!』の音声、そして瞬く間に僕のフィールド画面を埋め尽くすお邪魔パネルの重鈍な落下音の連続……んんん????


 気が付けば一瞬と言うには大げさかもしれない、限りなく短時間で起きた、僕のWSに映し出される【ALERT】の点滅表現と鳴り止まぬ警告音が僕を現実へと引き戻した。


 心の中で「一体何が起きてるんだ!?」と自分に言い聞かすが、短期間ながらもハイレベルなCPU相手には何度も追い詰められた、つまりは危機的状況にあることは理解していた。ただ、その現実を認めたくない状況だった。


 気が付けば、僕の画面内のフィールドの四割以上をお邪魔パネルが巧み疎らに埋め尽くしていた。


 互いに気軽に、銃身パネルを1ラインもしくは2ラインずつ組み交わしながら、彼女と雑談に花咲かせようとした僕の目論みは、いつの間にか(少なくとも僕にとっては)真剣勝負と化していた。


 カーソルとパネルを指先フルスロットルで動かして並べつつ、砲撃と邪魔パネルの除去に僕は必死で奔走していた。そこに僕の笑みは既に無く、力強い無言を貫いて悪戦況の打破を試みた。一瞬チラ見した鯨武さんの表情はとても穏やかだった。

 

 しかし、鯨武さんの『冷静な猛攻』に僕の戦況は回復することなく、対戦時間をエンドレスに設定(他に3分、5分、10分が可能)したにも関わらず、わずか2分程度で一本を先取されてしまった。


     ◆


―――「うん。あったね、そんなことも」

 妻は僕がビールのツマミに出した、お菓子のイカスルメを食しながら答えた。なんだか手に取るペースが僕より早くて量も多いが、僕の長話に付き合わせてもいるので、そこには触れないでおこう。


「由美さん、よろしければ初勝利のときのご感想を」

 少し酔っている僕は、いつも以上にライトなテンションでパフォーマンスを行い、エアーマイクを妻に差し出す。


「呆気ないなと思ったと同時に、勝利の興奮はすごくあったかな。携帯ゲーム機の対戦で遊んだのは、あの日が初めてだったし、とにかく新鮮だったかな」

 妻は微笑しながら答えた。


 僕も衝撃の初戦のことを思い出しながら当時を振り返ると、色んな意味で胸から何かが込み上げそうだった。 


(つづく)

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