第一章 天空の騎士

第2話 青い翼の天使 《シルバーソード》

 フェアリー・フェリスはうなされていた。

  毎晩、同じ夢を見る。

 

 黒い翼をもつ悪魔、魔天使デミウルゴスに躯をバラバラに引き裂かれて、生きながら喰われる夢だ。

 思い出しただけで悪寒が走る。

 

 今日も、そんな悪夢のおかげで真夜中に目が覚めてしまった。

 とは言っても、あくまで、それはこの限定された空間だけで通用する時間であった。外の世界では時間はあっても無いようなものである。

 

 外は漆黒の宇宙空間。

 彼女は身体中に寝汗をかいて、シーツまでびっしょりになっている。 

 短く切りそろえた銀色の髪が汗で乱れ、グレーに変色している。

 瞳の色はやはり白銀色で、神秘的な雰囲気を醸し出していた。

 




 しばらくして。

 彼女はようやくベットにから起き上がると、両手で身体を抱えながらふと備え付けの鏡を覗き込んだ。

 

 鏡の奥に自分の姿を見つけてもそれが自分であるという実感はなかった。 

 むしろ、どうしようもない違和感を感じる。 

 理由は明らかだった。


 背中から生えている一対の<翼>のせいである。

 

 それは、まるで晴れた空のように、抜けるように鮮やかな青色をしていた。 

 なぜ、人であったはずの自分が天使に転生したのか。

 フェアリーには全くわからなかった。

 

 ただ、記憶の糸を辿ることはできる。

 フェアリーの意識は追憶の中に沈んでいった。

 




 彼女が天界に転生したのは、今から二トゥン~天界暦では約二年に当たる~ほど前になる。

 

 彼女は銀河系の辺境である、太陽系第四惑星、火星で生を受けた。 

 そこでは、大国同士の間で激しい戦いが巻き起こり、彼女は戦場で命を落としたはずだった。

 

 それが、いつの間にか天界に転生して、その指揮官としての才能を見い出されて、今では天軍最強の傭兵部隊『アポクリュフォン』に所属して、二万人もの部下を指揮している。 

 異常なのは、その部下がかつて彼女の指揮していた軍の戦死した者ばかりであることだ。 

 つまり、彼女は、約二万の将兵と共に天界に転生したことになるのだ。

 



 何者かの巨大な力を感じたのはフェアリーだけではなかった。

 

 天界では熾天使セラフィムクラスの首脳陣が緊急召集されはしたが、この異常事態の結論は出ないまま彼女たちを受け入れることになった。

 

 異世界から来たとは言え、翼を持っていたし、天界の伝説によれば『青い翼を持つ天使は幸運をもたらす』という言い伝えもあったからだ。 

 今ではフェアリー達は天軍でもレベルの高い戦闘集団として一目置かれている。

 




 異世界の戦士、ルナの戦乙女いくさみこ、通称『白い魔女』といえば、天界では、子供の天使達への脅し言葉として「云うことをきかないと白い魔女を呼ぶよ」などと云われて大変、有名であった。

 

 当人たちはとても不名誉に思っていたが、それは信頼の裏返しでもあった。天軍でも最強を誇る最新鋭の機動突撃艦『シルバーソード』の配備がそのことを裏付けていた。

 

 フェアリーはそこでさっきの悪夢の原因になった出来事について思い出さなくてはならなかった。 

 できれば、二度と考えたくない事件であったが、やっとの想いで記憶をたぐり寄せた。

 




 銀河系の中央に君臨していた天界は、最も古い天使、天界の宰相メタトロンの裏切りと云う、まったく予想だにしなかった奇襲によりあっけなく崩壊した。

 

 傭兵部隊『アポクリュフォン』でフェアリーの能力を高く評価してくれた総司令官ヴェルエルの声が今でもフェアリーの耳に焼き付いている。 

 多次元宇宙へのワープルートがある天界第二天"エデン" は、魔天使デミウルゴスによって完全に制圧されていた。

 

 かつて、第一次天使大戦においても、この天界の最重要拠点を占領されたことが、天軍苦戦の原因になったことは年老いた天使なら誰もが知っていることであった。

 

 ここに存在するワープルートを使えば、天界全域どこにでも部隊を送り込むこができるし、その中央に位置する惑星"エデン"は難攻不落の惑星要塞で、実質上、陥落させるには多大な犠牲を強いられるのは間違いなかった。

 

 そして、予想通り、惑星要塞"エデン"の周辺空域は天使達の阿鼻叫喚の悲鳴が絶えまなくひびく修羅場と化していた。

 惑星要塞"エデン"に配備されている戦術空間転移装置は一度に数万単位の部隊を望む空間に出現させることが可能だ。

 



 魔天使デミウルゴスの艦隊は、突如、闇から溶け出すように出現し、天軍の艦隊の死角を突きながら優勢な戦いを繰り広げていた。

 

 船体が二つに割れ、次々と誘爆に巻き込まれる天軍の艦。 

 どこから現れるかわからぬ敵の恐怖と戦いながら、それでも天使達の軍団はよく戦っていた。 

 しかし、劣勢は明らかだった。

 

 一方的な蹂躙、それはもはや、戦闘ではなかったかもしれぬ。

 さながら、地獄の蓋が口を開けたように、天軍の戦艦はまともに戦わないうちに次々と沈んでいった。

 すでに、天軍の宇宙機動艦隊は壊滅しかけていた。





「フェアリー、できるだけ多くの残存兵力を率いて退却してくれ」

 

 総司令官ヴェルエルの言葉が全天スクリーン越しにフェアリーの耳に届いた。

 

 機動突撃艦「シルバーソード」の艦橋は、球状の空間に「フローティングシート」と呼ばれる浮遊するオぺレーティングのための操作カプセルが幾つも浮かんでいた。

  そして、その球の外壁には宇宙空間を映す全天モニターの映像が光学処理されて投影されていた。


 天界最強を誇る傭兵部隊『アポクリュフォン』の旗艦エルメイダスの艦橋からの暗号通信によるその映像は、戦場の妨害宇宙線のためか、ときおり波打ち少し歪んでいた。

 

 黒髪に青い瞳を持つ、無骨な"おやじ"と呼ばれた司令官はいつになく真剣な表情で彼女を見つめていた。


「死に急ぐばかりが、戦いではないと思います」

 

 控え目だが一歩も引かぬ、凛と張りつめたような声でフェアリーは答えた。

 

 だが、『アポクリュフォン』の中で、まともに機能している艦は、フェアリーの機動突撃艦「シルバーソード」のみというのも事実であった。

  他の艦はほとんどどこかを破損しており、旗艦として機能させることは無理だろうと思われた。


 フェアリーには彼が何をしようとしているのか言い当てることが出来た。

 

 自分が囮となり、残存部隊を逃がすつもりなのだ。

 そんな作戦を、彼の参謀のひとりでもあるフェアリーは許すことはできなかった。

 でも、自分の上官の性格からして、考えを変えるとも思えない。

 一度決めたら、最後までやりぬく男である。


「生き延びてくれ。お前がいれば『アポクリュフォン』は再建できる。頼んだぞ」


 ヴェルエルの澄みきった青い瞳には苦渋とフェアリーへの信頼の光が満ちていた。 

 それを見てとって彼女は覚悟を決めた。


「了解しました」

 

 フェアリーは、上官に向かい、そっと敬礼した。

 艦橋にいる天使達もまた、静かにそれに倣った。 

 もはや、ふたたび生きて会うことはない今生の別れであるのは誰もが解っていた。

 通信機から誰かが啜り泣く声が聞こえた。


 フェアリーは溢れそうになる涙をこらえ、最後の言葉をヴェルエルにかけた。

 

「御無事で」

 

「お前も、達者でな」

 

 短い言葉の中に、想いが込められていた。

 普段、寡黙なヴェルエルがいつになく饒舌な言葉を吐いた。

 

「もう少し、お前の戦いを見ていたかったな。もしかするとお前を天軍に加えたことがこの戦いの帰趨を決めるかもしれんと俺は秘かに思っている。だから、お前は生きろ。最後まであきらめるな。そういえば、お前の探していた昔の上官に会えることを祈っているよ 」

 

 ヴェルエルは満足げな笑みをたたえていた。

 スクリーンの映像が途切れた。

 

「全艦、最大戦速で、戦場を離脱する」

 

 フェアリーの号令が艦橋に響く。


 シルバーソードと残存する数艦は急速に戦場より撤退を開始した。

 白銀の船体に八枚の翼が輝く美しい戦闘艦である。 

 宇宙を駆ける白銀の剣とは、何ともふさわしい艦名であった。

 

 加速の瞬間、一瞬のみ、光子波動エンジンから噴射された銀色に輝く粒子がたなびき、航路に光の軌跡を描く。 

 次の瞬間には、それは拡散して宇宙に溶け込んでいた。

 



 一方、旗艦エルメイダスは同じく古くから仕える腹心のわずかな艦艇のみを率いて逆に最前線へと向かっていく。 

 いくら説得しても、どうしても後を追うという艦はいて、ヴェルエルはその選択を尊重して死出の旅に伴った。

 

 まるで、ピクニックにでも行くかのように古参の傭兵たちは御機嫌であった。 

 傭兵たちにそこまでさせる人望は、天界広しといえどもヴェルエルのみであろう。 

 流線形の漆黒の船体に美しい六枚の翼をもつ旗艦エルメイダスの勇姿を、フェアリーたちは最後まで見守り続けた。 

 しだいに霞む映像とともに、天使達の涙と悲しみが数を増していく。

 



 約一天使時間エル後、全天レーダーの旗艦識別コードが消滅。

 

 おそらく、凄まじい激戦であったろう。 

 オペレーターが震える声で告げた。

 

「旗艦エルメイダス、爆散しました」

 

 シルバーソードの艦橋は悲嘆の叫び声につつまれた。    


 その声を引き金にして、フェアリーの中で突然、記憶がフラッシュバックした。 

 彼女は危うく悲鳴を上げそうになった。


 火星で戦っていた折、彼女の敬愛する上官にして想い人でもあった男のとぼけた顔が脳裏に映像として浮かんだ。 

 やはり、漆黒の髪と瞳をもつ男はこの天界のどこが生きているのではないかとフェアリーは秘かに期待していた。

 

 それは馬鹿げた想像でしかないと思ってはいるが、彼がヴェルエルと同様に最後に残した言葉と映像がまざまざと甦ってきた。

 

「フェアリー、後は頼んだぞ」

 

 鋼鉄の意志をもつと言われた戦闘指揮官、フェアリー・フェリスはいつのまにか号泣していた。


 コーシ・ムーンサイト。 


 彼はどこかで生きているのだろうか。 

 涙を拭いながら、何処かで生きていて欲しいとフェアリーは思った。 



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