第18話 異変3

宏太の言葉が終わりを告げる。

同時に周囲に劇的な変化が起こった。

夜の闇が次第に薄くなり、西から太陽が顔を出した。

夕焼け空があたり一面を染めたと思えばそれは瞬く間に明るくなり、眩しさに宏太は目を細める。

夜が昼へと巻き戻った。そうとしかいいようがない状況だった。


「て、てめえ、何しやがった?」


突然の事態に理解が及んでいないのか田淵の声に動揺が見られる。。

その言葉に呼応して影がゆらゆらと動くが明るくなったことで暗闇が減ってしまったせいか先程より動きは精彩を欠き、大きさも一回り小さくなっていた。

宏太は体中に迸る力を感じながら不思議と何が起きているのか理解していた。

自らに宿る異能は『成長』などではなく、望む未来へと至るための『歴史』を作り出すための異能なのだと。

同時に自分の中で何かが失われている感覚があったが、そんなことはお構いなしに、宏太は拳を握りしめた。


「吹き飛べ」


視界の隅で恵美と祐輔の怪我が少しずつ怪我をする前に巻き戻っているのを確認して安堵する。

ようやくやりきれたのだと、そんな思いが胸のうちに広がるのを感じながら宏太は渾身の力を込めたそれを振り下ろした。

勝利を確信する寸前、急に横から吹き出した黒い何かに宏太は呑まれた。













宏太によって時が巻き戻り始めると同時に祐輔の体も同様の変化が起き始めた。

血溜まりから雫が浮き上がり、傷口に吸い込まれ、茨が再構築される。

すぐそこまで迫ってきていた死の足音が去りつつあるのがわかった。

だがそれは表面上のこと。

流れた血の一滴一滴が祐輔の体に戻り怪我が直っていくたび、毒が回っていくように祐輔は自分でも意識できないほど深く自らの根底にある『歴史』を強制的に思い出す。

幼いころに両親から言われた決して消えることのない傷となって刻まれてたあの言葉が脳裏によぎる。


――なんでそんなことも出来ないの。


初めてそういわれたのは祐輔がまだ幼稚園児のころだった。

やがて小学生となり、そして祐輔はその言葉が真実であることに気づいてしまった。

勉強も運動も、何もかもが他人より劣っている。

最初は両親からしかいわれなかった呪いの言葉は自然と誰といても聞こえてくるものとなった。

なぜ出来ない。お前は何もするな。こいつはダメだ。

結局、その言葉通りに祐輔は何をやってもダメなオトコで、いつも誰からもあまりの愚図さに呆れられてきた。

時は経って高校生になり、進路を選択しなければならなくなって祐輔はあることに気づく。

自分には何もない。情熱を注げるものもなく、かといって何をするのでもない。

なんの望みもない祐輔は選択を先送りにするために進学することを選んだ。時間さえあればこんな自分でもやりたいことが見つかるだろうと思っていた。

だが結果はこの通りだった。

社会人になっても何一つ出来ず役立たずで、いたずらに時間を浪費するだけの虚ろ。


記憶がよみがえるたび、その絶望を糧に成長していくように血を吸った茨から蕾が顔を出す。

図らずとも祐輔の『自虐』と宏太の『歴史』が最悪の形で組み合わされる。

本来なら多大な時間をかけて成長するはずの茨の蕾が瞬く間に大きく膨らみほころぶ。

祐輔の過去を存分に吸い尽くして絶望が花開いた。

咲いた花は薔薇だった、その色は暗く深い闇の色をしていた。

闇薔薇は風に揺られて花粉を飛ばすように夜を吹き出した。

空から日差しが降り注ぐように夜そのものを周囲に撒き散らした。

全てのものが祐輔の心も体も周囲のありとあらゆるものが、広がっていく影に呑まれていく最中。


『祐輔さんはとても不器用な人だと思います。でもそんな祐輔さんを見ていて一つわかったことがあります』


なぜかあのときの言葉が蘇る。


『祐輔さんは頑張り屋さんなんです。どんなに辛くても諦めない。あなたがどなたか知りませんが、何も見ていないあなたにそんなことをいわれる筋合いはありません』


希望もへったくれもないこんなときにどうして、いまさらこんな言葉が浮かぶんだろうかと祐輔は考える。

思索から答えに至るまでは実に簡単で自分の心の内からその答えはあっさりと出てきた。

思い返される全ての過去が祐輔自身に刻まれてきた証そのものなのだとしたら、この記憶は一番新しく自身に刻まれた決して消えることのない言葉なのだ。

おそらく志弦はこんな言葉を喋ったことなど覚えていないだろう、なんとなしにいったに過ぎないのは祐輔でもわかる。

でもあの瞬間、祐輔は確かに救われたのだ。

特に努力することもなく、やりたいこともなく、ただ自分を卑下するだけで流されるままに生きてきた。

こんな自分でももし頑張っていいのだと、頑張っているのだといってくれたから、言ってくれるのなら。


「まだここで諦めるわけにはいかないよなぁ」


闇の中、一筋の光が見えた気がした。

ここにいてもいいのだと、それはいっているように見えた。


「いつだってお前は誰かの邪魔をするんだなあ。まさか俺の役に立つ日が来るとは思わなかったぜ」


いつの間にか田淵が祐輔の目の前に立っていた。

濃密な闇を体に纏っており、闇を操る能力者だからなのか絶望の闇に囚われた様子は見られない。

余裕の表情を浮かべる田淵を見ても、祐輔はなぜか恐怖を覚えなかった。

さきほどまであれほど恐ろしかった自分の異能が、茨が、闇が怖くない。

田淵が纏っているのは元は自分自身のものだ、ならば祐輔が操れない道理はない。


「確かに俺は役立たずだ。それでもっ!!」


確信を持って念じると田淵が纏っていた闇は解けて祐輔の元に集まっていく。

身を守る闇を失った田淵は、驚愕の表情を浮かべて絶望の闇に侵食されて倒れる。

周囲に撒き散らされた闇を吸い尽くしたあと、残るのは元の夜の静寂と倒れて意識を失った人たちと祐輔のみだった。

絶望の闇の影響を受けてしまっているがみんな生きている。安堵とともに異能の反動か、強い頭痛と疲労感がずっしりと体に広がるのを感じた。

同時に強大なチカラを持った何かが恐るべき速度で結界をぶち抜いて近づいて来ているのを感じる。


『秘技――夜割り』


響いてくる言葉と同時に結界が砕け、夜が割れた。

割れた夜の隙間から日が差し込む。あまりに非現実的な光景に祐輔は警戒を強めるが、現れたのは高堂冬厳だった。

腕輪が砕けたことで救援に来てくれたのだろう。

腰には太刀をぶら下げっていた。それが恵美の記憶のなかで二人の父の腰にぶら下がっていたものと同じであったことに胸に僅かな痛みが走る。

眩しい光を目を細めるとある違和感に気づく。

光が次第にどこかに吸い込まれていくのだ。視線をその向かう先にやれば、あるのは倒れたまま動かない志弦の姿。

夜を割られて現れた光は全て志弦に吸い寄せられ、光の膜となって志弦の体を覆っていた。

それは祐輔が恵美の記憶のなかで見せられたものとまったく同じ光景だった。


「そ……、ら離れ、……っ!」


こちらに向かう高堂冬厳が何かいっているがうまく聞き取ることが出来ない。

何をいっているのかがすでに祐輔には理解することが出来なくなっていた。

志弦から発せられる忘却の光に焼かれて祐輔の意識は次第に忘却の彼方に消えていく。

ただ完全に意識を失う前に祐輔は一つの結論に至る。



――俺がいなければこんなことにはならなかったんじゃないか?



祐輔のせいで恵美は死にかけ、その光景を見て志弦は絶望した。

宏太が救いかけてくれるが、祐輔の異能のせいでそれは頓挫し、絶望の闇に浸された志弦は能力を発動してしまい、助けに来た冬厳の光によってそれが助長されてしまう。

この結果の始まりが祐輔のせいでないとどうしていえるだろうか。

一旦は収まった暗い闇が胸の内側で再びざわめき始めるのを感じる。


「――それでも誰かの何かになれたら俺は嬉しいよ」


きらめきに飲み込まれ、祐輔の意識は真っ白に塗りつぶされた。







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