第四話 照子さんの思ひ出の人

六月五日、土曜日。今日は朝から快晴。

真夏を感じさせるような強い日差しが照りつけ、蒸し暑さも感じられた。 

「翔一ちゃん、今日はこのあと、みんなでお墓参りに行くから」

 午前八時頃、いつものようにロビーのダイニングテーブルにてみんなで朝食を取っている最中、照子さんから不意に伝えられる。

「……分かりました」

 翔一は少し間を置いてから返事をした。

「毎年六月五日は、必ずお墓参りに行く日になってるの。今日は、お婆ちゃんにとって一年で最も大切な日だからね」

 千景はしんみりとした声で伝えた。

クースタスさんが言ってたあの日って、六月五日のことだったのか……もしかして――。

 翔一は何かに勘付く。

      *

 朝食後、みんなは裏庭から通じる石段を登って山の中腹へ。

展望台がある所からもさらに石段が続いていて、そこを百段ほど登っていくと小さなお墓に辿り着けた。墓石には、辰馬家之墓と刻まれてある。

「今日は、おらの最愛の夫だった、勇(いさむ)さんの命日なのさ」

 照子さんはやかんに入った清めの水を墓石にかけながら、ぽつりと打ち明けた。

「そのお方は、神戸大空襲で?」

 翔一は恐る恐る尋ねる。

「そうだ。おらの夫は、『火垂るの墓』の原案にもなった、昭和二〇年六月五日の神戸大空襲で亡くなったんだ。おらを庇ってね。あの日の朝、空襲警報が鳴ったから防空壕に逃げ込もうとした時、焼夷弾がおら目掛けて降り注いで来たんだ。おらは、あの時はもう死んだかと思った。けど、勇さんがおらを突き飛ばしてくれて。そんで勇さんの背中に焼夷弾が直撃したのさ。あの人は命を張って、おらと、お腹にいた赤ん坊を守ってくれたんだよ」

 照子さんは語っているうちに、表情がしんみりとなっていく。

「そんな過去が……」

 翔一は憐憫の気持ちが芽生えた。

「翔一くんは、勇さんと被る所があるみたいなんだよ」

 千景は供花を添えながら、ぽつりと伝えた。

「人柄がそっくりなんだ、勇さんに。勇さんはあの当時としても華奢な体つきで、兵役検査は丙種。召集はされなかったのさ。身体は弱かったけど、翔一ちゃんに似て、とっても誠実で品行方正で、心優しい人だったよ」

「そうなんですか……でも、俺には勇さんのように命を張って大切な人を庇うような、勇敢さや、逞しさは微塵もありませんよ。イノシシからも逃げてしまったので……」

 翔一は勇さんの人間味には到底及ばないと感じたようだ。

「そういう謙遜するところも、勇さんにそっくりだよ」

 照子さんの顔に笑みが浮かぶ。

「……」

 翔一はどう反応すればいいのか分からず黙ってしまった。

 照子さんは、勇さんの大好物だった水羊羹とわらび餅もお供えした。照子さんの丹精が込められた手作りだ。

 照子さんと翔一、寮生の三人は中腰になって墓前に手を合わせる。

こうしてお墓参りを済ませ、みんなは鶸梅寮へ戻っていった。


「このお方が……」

 翔一は管理人室、つまり照子さんの寝泊りしているお部屋へ招かれる。八畳の和室の小壁に掛けられた額入り白黒写真にすぐに気が付いた。

辰馬勇さんの遺影であった。

享年二十五。紋付羽織袴姿で坊ちゃん刈り、面長で細めのへの字眉、二重でぱっちりした優しい目つき。名前に反して女々しそうな風貌で確かに翔一と雰囲気がよく似ていた。

勇さん、あなたは俺なんか比べ物にならないくらい立派です。命を張っておばあちゃんを守り抜く勇敢さ。俺なんか、あなたの足元にも及ばないです。

 翔一は尊敬の意を表し、遺影に手を合わせた。

「おらと勇さんは、小学校時代からの幼馴染婚だったのさ」

「そうでしたか」

「勇さんは大相撲が大好きだったよ。特に双葉山に憧れてたね。頑丈な身体が羨ましいっていつも言ってた。まあ、おらは、男は強くなくてもいいから、品行方正で心優しく誠実で真面目な人であればいいと思ってる、翔一ちゃんのようにね」

 照子さんは柔和な笑顔で打ち明ける。

「……」

 翔一は少し照れてしまった。

「そういえば翔一ちゃんも、趣味で絵や小説を書いてるんだろ?」

「はい。才能は微塵も無いですけど」

「ますます勇さんにそっくりだよ。あの人は学生時代は漫画家や小説家、画家を目指してた時期もあったみたいだ」

 照子さんの喜びはさらに増した。

「勇さんが存命されていた時代の小説家や漫画家といえば、中島敦さんや太宰治さん、田河水泡さん、横山隆一さん、サザエさんを描く前の長谷川町子さんなどがご活躍されていましたね」

「そうさ、そうさ。よく知ってるね」

「国語便覧とかに載ってたので」

 翔一は照れくさそうに言う。

「勇さんもそういったお方の作品に傾倒してたよ。じつは、鶸梅寮の今の外観のデザインは、勇さんが考えていたものなのさ」

「そうでしたか。おっしゃる通り、芸術家気質なお方だったみたいですね」

「おらもそう思うね。和菓子のおウチはヘンゼルとグレーテルのお話から想いついたものだから、凡人の発想だよって謙遜してたけど」

「あのお話かぁ。俺も幼児期に、絵本で読んだことがあるなぁ。どんな内容だったかははっきり覚えてないけど、キャンディーやチョコやクッキーで出来たお菓子の家は印象的だったな」

「勇さんはそういった洋菓子よりは和菓子の方を好んでたよ。翔一ちゃん、勇さんの残した絵、見てみな」

 照子さんは勇さんが生前使っていたと思われる古びた木製机の引出から、数冊の大学ノートを取り出す。日に焼けて黄ばんでいて、時の流れを感じさせていた。

「かなり上手いですね。俺よりずっと上手いですよ」

翔一が一番上の一冊をパラパラ捲ると、黒鉛筆描きの豆大福やカステラ、羊羹、握り寿司、えび天。和太鼓、急須、湯呑、茶碗、だるま、鞠、提灯などなど和菓子や和食、和ものの形をしたおウチのイラストが多数目に飛び込んでくる。色鉛筆やクレヨンでカラフルに塗られたものもちらほら見受けられた。

他のノートには人物画や、T型フォードや今とあまり変わらぬデザインの阪急電鉄その他乗り物、動植物、建造物、民芸品、玩具、ビール瓶やラムネ瓶やサイダー瓶、家具、楽器なんかのイラストもたくさん描かれていた。

「おら、こんな斬新な和風なおウチに住んでみたいって言ってた勇さんの願いを叶えてあげたくて、あの日から六〇年経ったのを機に、ふと思い立って今の外観に変えたのさ。翔一ちゃん、これは勇さんが使ってた鉛筆だよ」

照子さんはレトロなブリキ缶に入った、彫刻刀で何度も削っただろう数十本の短くなった鉛筆も見せてくれた。HBや2Bではなく中庸、2軟と刻印された鉛筆も数本あった。

「これは戦時中に製造された鉛筆ですね」

「そうさ。英語は敵性語だったからね。翔一ちゃん、まだ使えるのもあるから何か絵を描いてみないかい?」

「さすがに恐れ多くて使えませんよ。こんな大変貴重なものを見せて下さっただけで大満足です」

 翔一はそう言って笑う。

「そうかい。予想通りの翔一ちゃんらしい反応だね。でも、これは着て欲しいよ。あの人がよく着ていた服さ」

照子さんは箪笥の中から、藍色の紋付羽織袴を取り出す。

「分かりました」 

 翔一は快く袖を通してあげた。

「似合ってる。似合ってるよ、翔一ちゃん」

「ありがとう、ございます」

 照子さんににっこり微笑まれ、翔一はちょっぴり照れてしまった。

「翔一お兄ちゃん本物の文豪みたいだー」

「翔一くん、かっこいい!」

「とってもお似合いですよ」

 管理人室へやって来た三人は翔一の紋付羽織袴姿を、目を輝かせながら見つめる。

「翔一ちゃん、ますます格好良く見えるよ」

照子さんは感慨深く眺めていた。 

今は亡き勇さんに、姿を重ねながら――。

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