風流しの村

久佐馬野景

序章 死期

 青川あおかわ市を通る国道から見えるそのビルは、明らかにこの街に似つかわしくなかった。

 青川市は決して田舎という訳ではない。むしろ県内でもトップクラスの人口を誇る、それなりに発展した街ではある。

 ただそれはここD県内での話であり、隣のB県の大太良だいたら市などに比べるとまるで格が違ってしまう。

 そんな訳で青川市は市街地でもビルの高さは大したことはない。大太良市のベッドタウンにする目的で建てられたマンションが町で一番高い建物であることもザラである。

 それでも、このビルだけは違った。

 頭抜けるなどというレベルではない。そのビル一つだけ異界に座しているが如き、あまりに圧倒的な存在感を放っている。そのビルの建っている地点から離れた国道を走るこの車の窓からも、延々消えることのない桁外れの威容である。

 そんなものを相手に喧嘩をしかけている自分は本当に愚かだと安中あんなか栄一郎えいいちろうは小さく笑う。

 宗教法人火清会かせいかい。戦後に誕生した新興宗教であり、今や全国規模の巨大組織。その発祥の地がここ青川市であり、現在もその本部はこうして明らかな異物としてこの地に建っている。

 火清会という宗教。その現状は、三代目会長である高山たかやま孝明たかあきを崇拝する単なるカルト教団――などと書けば喜ぶ層もいれば本気で殺しにくる層もいる。つまりそういうことだ。

 安中はともかく、彼の育てている者の中には嬉々として面白がる手合いもいるし、自分でもそんなことを書いている。カストリ紛いの雑誌の隅に火清会を批判する記事を載せてもらって糊口をしのぐ――まではいかないので、後は名義を変えたりして種別を問わずに文章を書いて日銭を稼いでいる。このレンタカーを借りるだけの金を用意するのにも苦労した程である。

 そんな安中達のような者達の間で、まことしやかに語られている噂がある。

 高山孝明の死期が近い。

 火清会をここまで巨大な組織に成長させたのは、ひとえに高山の功績である。それは信者もアンチも含めて誰もが認めることである。

 その高山が死ねば――火清会はどうなる。

 それは無論高山本人も懸念するところであろう。そこで高山が数年前より行っているのが、自分への崇拝を永遠のものにするための下準備であった。

 最高指導者としての高山の栄光を、何代先までへも続けていく。

 そのためにご大層な肩書きや役職を作り、自らに比肩する恐れが少しでもある者は徹底的に排斥する。その行動がこの頃活発になっていることで、瀕死説が流れるのだからおかしなことだ。

 やっと火清会本部ビルが車窓から消えた頃、安中は欠伸を噛み殺して一人笑う。

 何が怖いかといえば、安中達のような者達からすれば単なるカルトである火清会が、現在厳然たる地位を確立していることだ。

 信者は政財界を筆頭にあらゆる界隈に存在し、その影響力は計り知れない。安中には知り合いに青川市に勤める警察官がいるが、火清会にだけは逆らってはならないというのが不文律になっているという。

 そんな相手に喧嘩を吹っ掛ける――安中は自嘲気味の笑みを止められない。それがいかに無益なことか。どれだけ危険なことか。

 だからこそ、面白い。

 わかり合うことのおよそ出来ない相手を糾弾する。狂信だと断じ、真っ向から対立する。そのスリルはたまらない昂揚感を安中に与えてくれる。

 ただ、安中は鉄砲玉という訳ではない。敵の本陣に一人で突っ込むような真似はしないし、どちらかと言えば機を窺ってはその都度効果的な一打を放っていくタイプだ。

 だから今、こうして車を走らせている。

 高速道路に乗り、何度か渋滞に捕まりながらもB県を目指してどんどん西へと向かっていく。

 スマートフォンに地図を表示させ、目的地がまだまだ遠いことに少し意気を削がれる。

「さて、どうなることやら」

 それでも依然止まらない一人笑いをこぼれるに任せ、安中は調子の外れた鼻歌を口ずさみながらアクセルを踏み込んだ。

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