第11話 悲しい過去



 泣き疲れたのか、皇太子さまは私の肩に頭を預けた姿勢で、寝息を吐いた。

 飲んでいたお酒のせいもあっただろう。ずしりと重くなった身体を私はそっと床に横たえた。

 皇太子という身分の方をこのまま床に寝かせていてよいものかどうか。はてさて。

 私は腕を組んで暫し悩む。

 エスクードに相談しようかと迷って、却下。

 軽口を叩き合って、慰め合っていた相手が実は泣きたくて堪らなかったのだという事実は結構ね、キツイと思う。

 自分の配慮が空回っていたことを知ったら、エスクードは落ち込むだろう。

 それを見越していたから、皇太子さまは誰にも知られず、一人でこっそりと「アリスエール」に逢いに来ていたんじゃないかな。

 周りの者たちに心配をかけまいとする優しさが、涙を堰き止めていたんだろう。悲しみに泣くことと、周りに気遣い涙を堪えること。どちらも間違っていない。自分が決めたことなら、幾らでも我慢できただろう。

 だからこそ、今宵泣いたことを、皇太子さまは誰にも知られたくないと思う。

 とはいえ、ここで一晩明かしたら風邪をひくよね。

 毛布があれば大丈夫かな?

 私は皇太子さまが持って来ていたランプを拝借して、肖像画の間から自分の部屋へと小走りに舞い戻る。寝室から毛布と枕を抱えて、再び肖像画の間へ。

 クズクズしていたら、誰かに見つかっちゃうかも知れないから、走る、走れ。

 今日はダンスレッスンに始まって、色々と運動をした日だ。二十九歳の体力には少々、辛いものがありますよ。体型維持にジム通いしている同僚もいたけれど、私は自分の外面に拘らない性質だからそっちの面では、常々運動不足。自炊生活で和食をメインにとっていたから、体型は普通だけど。

 肖像画の間に戻った頃には、ゼイハアと肩で息をつく始末。

 私も年をとったわ……。

 明日、筋肉痛になっていないといいけれど――いえ、私の年なら時間差で、明後日?

 床に横たわった皇太子さまの頭の下に枕を割り込ませ、毛布を上からかける。

 長い睫毛の淵にたまった涙の雫を指先で拭って、子供を相手にするように――実際、子供を相手にしたことなんてないのだけれど――頭をそっと撫でてやった。

 髪が艶やかで、サラサラしている。気持ちいいな……と、駄目駄目。変な方向に思考が走りかけているわ。

 皇太子さまの寝息が深くなるのを確認して、私は傍を離れて、「アリスエール」の肖像画の前に立った。身体が疲れているせいか、数秒後には絨毯の上に腰を下ろして見上げる。

 ほのかな明かりのなかで幸せそうに微笑む彼女を見つめて、私は考えた。

 エスクードや皇太子さまを傷つけたくなくて、アリスエールのことを聞き出した。彼女を巡っての四角関係、喪失。

 大きかったアリスエールの存在を知れば知るほど、私はここに居ていいのかな? と、思う。その反面、一つの可能性を感じていた。

 瓜二つとまではいかないまでも、アリスエールとよく似た私がこの異世界に居る理由。

 ……もしかして、私がこちらの世界に来たのは、呼ばれたせい?

 アリスエールを求める人たちの想いが、彼女に似た私をこちらの世界に招いたのではないかということ。

 だから、私の存在は驚かれずに、受け入れられたのではないだろうか。

 彼らが求めたから、還ってきて欲しいと願ったから。

 記憶がないという、本来なら疑われてしょうがないことも、言及されずに終わったことも……。

 私がこの世界に呼ばれたのではないかと思うのは他でもない、この世界に魔法があるからだ。

 魔法通路を使えば、距離があるところへも行き来できる。遠く離れた場所とでも、連絡が取れる。

 この世界の魔法は、空間に作用できるということだ。

 つまりそれは、異世界という、次元が異なる世界にも干渉することが可能ということではなくて?

 ――この世界にある魔法なら、私をこちらに呼ぶことも可能なのでは?

 私は昼間、エスクードから聞いた話を思い出していた。

 エスパーダが手を出した「禁術」というものを。

 皇太子さまを侮辱したり、その婚約者を誘拐しようとしたエスパーダは、宮廷魔術師の地位も剥奪された。その彼はサフィーロ家からも出奔し、現在は消息を絶っているという。

 皇太子さまと同様にアリスエールの死に傷心して、どこかで世捨て人になっているのではないかと思った私を、エスクードは首を振って、否定した。

『――あいつは「禁術」に手を出そうとした。それは手を出してはいけない領域の魔術だ。それに手を出した者は、罰せられる。実際に「禁術」を実行したわけではないけれど、実行しようとした事実は大勢の人間が証言するところだ。だから、エスパーダは逃げているんだろう』

 エスパーダはアリスエールの死病を知って、「禁術」に手を出そうとした。

 その「禁術」は生命にかかわる魔法らしい。

 怪我や病気を癒す魔法は普通に許されているという。まあ、治すことができる程度は、薬を飲んだりして治すことができる範囲とのこと。

 けれど、アリスエールの病気は魔法で治せなかった。彼女の病気の進行が薬や魔法で癒す速度を凌駕していたらしい。

 早く病気が発覚していれば、助かる見込みはあったという。でも、アリスエールが病の兆候に気付いた時、もう魔法で治癒できるレベルを超えていた。

 皇太子さまはアリスエールとの残された時間を誰にも邪魔されないように、帝都を離れてこのお城に彼女と住んだという話だった。

 私は話を聞きながら、アリスエールの病気は一種の「癌」だったのではないかと思った。若いほど、病気の進行が早くなるというし、早期発見さえすれば、助かる病気だ。

 残念ながら、アリスエールの病気発覚は遅かった。

 死の床に就いたアリスエールの前に、エスパーダはこのお城に張り巡らされた結界をぶち壊して、乱入してきては、彼女を連れ去ろうとした。

 制止するエスクードと皇太子さま、他の衛兵を前に、エスパーダは「禁術」の可能性について声高に語ったのだという。

 他人の寿命を――生命エネルギーと言った方が理解しやすい気がする――奪うことで、アリスエールを延命するのだと。

 その魔法はもう、人を癒すという領域から外れている。

 生命エネルギーを奪われた人は当然ながら、寿命が縮む。しかも奪われた寿命と延びた寿命が等価かというと、違うらしい。アリスエールの身体に巣くった病巣はそのままなので、人一人の命で延命できる時間はたかが知れていた。

 倫理的に考えれば、そんな魔法は許されない。故に「禁術」でもあったのだろう。

 結果を見れば、エスパーダの計画は頓挫した。アリスエールがエスパーダを拒絶したのだという話だった。

 アリスエールは最期まで皇太子さまの傍にいることを望んだ。例え、一年、十年と寿命が延びても、皇太子さまのお傍にいられない時間に価値はないと、キッパリとエスパーダを拒絶したそうだ。

 さすがにエスパーダも血相を失い、ショックでその場にアリスエールを放り出して消えた。以来、行方知れずということだった。

『あいつのことだから、追っ手から逃げているだけだと思うが……』

 エスクードは難しい顔のまま、遠い目をした。思い込んだらという人は、何をするか予測できないから怖いし、心配だ。

 エスパーダは話に聞く限り、典型的なストーカーだし……。

 大丈夫かな――っていうか、そこが一番のポイントだ。

 失恋のショック――というか、アリスエールの死のショックに、身代わりを求めて、姿が似ている私をこちらに呼んだのは、他でもなくエスパーダじゃないかっていうこと。

 この推測は、ぶっ飛びすぎ?

 でも、エスパーダに常識は……通じなさそうよね?

 それに宮廷魔術師としての地位を、一度は極めた人間だ。その魔法能力は一流だろう。本来は表立って知られていない「禁術」に手を出そうとしたことから、そちら方面の知識も十分だ。

 ……頭がいい人が得てして、考えられない犯罪行為に走ることは、日常的なニュースで知っている。多分、思考回路が凡人より複雑すぎて、ときにショートするんじゃないかしら。まあ、頭の悪い人が稚拙な犯罪に走るのと、結果を見れば、どっちもどっち。突き詰めてしまえば、人間というものは思い込んだら、何でもやっちゃう。

 エスパーダは自分が持つ魔術を駆使して、私の世界に干渉し、そうして私の都合など考えずに、こちらに引きずり込んだ。

 そんな図式が頭のなかに思い浮かんだら、もう駄目だ。

 偶然にしては、色々と出来過ぎていることから考慮して、他の可能性を考えられない。ただ、私がエスクードに拾われたこと、これは何かの手違いなのかしら。

 それとも、私が知らないだけで、エスクードもエスパーダと同じくらい、魔法に長けているの?

 双子だから素質という点では、同じだけのものを有している可能性がある。騎士として運動面に特化してダンスが上手かったりするけれど、芸術面にも一通りの才能を見出しているのは話に聞かされた。

 多分、極めたら……何でもできる人なんだろう。エスクードはそつがないというか、努力は怠らない人だと私は認識している。

 騎士になることを反対する母親を説得するために、様々な要求を呑みクリアしていったことから、間違いない。

 ……でも、エスクードは違うだろう。

 他人の迷惑を配慮できる思慮深さが彼にはある。

 ただ、無意識に魔法を使ってしまうということがあったのなら、どうだろう?

 ――皇太子さまの可能性は?

 疑惑に頭のなかが一杯になる。破裂してパンクしそうになるのを私はアリスエールに問いかけることで、外へと吐き出した。

 誰かが助けを求めているのなら、それに私が応えることができるのなら……。

「ねぇ、私は何をしてあげたらいいんだろう?」


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