第7話 意外な特技



 通されたのは、小さなダンスホール。片側の壁が鏡張りになっているところをみると、ダンスの練習場らしい。それとも、こういう作りの部屋なのかしら。

 障害物が取り除かれた部屋で、エスクードは不安で固まっている私の緊張を解くように、そっと微笑む。額にかかった金髪の影で、蒼い瞳をなごませた。

 こういう穏やかな笑顔を見せられると、さっきの皇太子さまとの会話で見せた一面は嘘なんじゃないかと思えてくる。

 実際、あの会話を境に、それまで苦しそうだったエスクードは饒舌になっていた。

 あれは雰囲気を変えるためだったのかな?

 二人とも私より年下だけど、国を担う重責を背負っている成人男子――大人だ。感情を割り切ることは難しい所業ではないだろう。

 エスクードと皇太子さまの付き合いは長いみたいだし、同じ人を好きになった間柄でも、関係を損なっていないところをみると、阿吽の呼吸で二人の間にあった重たい空気を払ったのかもしれない。

 私とは違う「アリス」の喪失。

 これまでも、もう一人のアリスがいなくなった穴を二人は軽口を交わして、痛みを慰め合っていたのかな。そう思うと、切ない。

 せんさくはするのは嫌だけど、気にならないと言ったら嘘になる。

 エスクードを見つめ返すと、彼はゆっくりと、

「緊張しないで、とりあえず姿勢を崩さないことを心がけるんだ。あと、足元をあまり気にするな。身体がリズムを覚えれば、自然とステップが踏める。意識しすぎると、足の動かし方がわからなくなるから、気にしない方がいいんだ」

 身振り手振りで、身体の動かし方を教えてくれた。

「背筋を伸ばして」

 エスクードの手が背に触れて、私は姿勢を正した。服の布地越しにエスクードの指が背骨をなぞる。曲がっていないかを確認しているのだろうけれど、こそばゆくなって、私は背伸びをするように身体を反らした。

「そう、膝は柔らかく。棒のようにしないで、柔軟に」

 私の前に回り込むと、右手を取って身体を引き寄せた。お腹の辺りがエスクードの身体にくっ付く。慌てて離れようと一歩引くと、エスクードの腕が私を逃さない。

「身体を離さない。接触している部分で、俺の動きを感じるんだ。俺がリードする方向がどちらなのか、それがわかれば足を踏み出す方向もわかるだろう?」

 こちらの照れなんて、微塵も感じていない真面目な顔。ダンスマイスターという評判は、あながち伊達ではないのかも。意外ね。

「左手は俺の右腕に添えて」

 私の腰を抱いていたエスクードの右手が、背中の位置へと上がってくる。柔らかく折られた右腕に手を添えれば、あら。テレビで見た社交ダンスの姿勢が出来上がる。

「そう、基本姿勢はこれ」

 エスクードが鼻歌をうたって、身体を動かす。リズムに合わせて、ステップを踏む。いきなりのことに戸惑う私に構わず引っ張り回す。

 私はステップなんて関係なく、動かされる。たたらを踏んで、足元がおぼつかない。間違ってエスクードの足を踏まないようにと、床に視線を落そうとする私の右腕をエスクードの左腕が引っ張る。

「俯かない。リズムを覚えて、ステップは相手の足を踏まなければいいさ」

 そういうわけにはいかないだろうに、エスクードは軽口を叩く。鼻歌はテンポのいい曲調で、少々早い。

 くるくるとダンスホールを回転するエスクードに手を引っ張られる形で、私は殆ど小走りに追い掛ける。まったくもって、ダンスにはなっていないけれど、曲の速度というのがわかってきた。

 もの覚えはそう悪くない方だ。だから身体の揺らし方はホールを一周する頃には何となくわかった。

「そう、じゃあステップを教えるから見ていてくれ、女性の動きは後ろへ下がるのが基本だ」

 エスクードの手が離れ、彼は見えない誰かと踊っているような足取りで、一人で踊る。流れるような優雅な動きに、目が釘付けになった。

 凄い、テレビで見た人たちよりずっと、綺麗な動きだ。見惚れてしまう。

 感嘆に唇が半開きなる。そんな私の前に、エスクードがくるりと回転しながら、立った。はにかむような笑顔には自信が表れている。

 私は思わず、両手を打ち鳴らして、拍手。

 何だか、凄くいいものを見させてもらったと心の底から思った。

 ダンスを踊るなんてイメージがなかったから、最初は違和感があったけれど。よくよく考えれば、金髪碧眼の貴公子然としたエスクードだ。これほど、ダンスが似合う人もいないかもしれない。

 興奮する私に、エスクードは蒼い目を見張る。

 ああ、こっちの世界では、ダンスは貴族の嗜みの一つなのかな。踊れて当たり前なのかもしれない。だから、私が踊れないという可能性をエスクードも皇太子さまも考えなかったのだとしたら、納得がいく。

 それでもやっぱり、エスクードはダンスが上手い。多分、他の人よりも何倍も。どうして、そんなに上手いのかしら。騎士であるから、運動神経は抜群だろうけれど、リズム感といったものは別物だろう。直ぐに身につくとは思えない。

 私は思いつく限りのジェスチャーで、

「どうして、そんなにダンスが上手いの?」

 と、問いかけていた。

「母は俺を騎士にしたくなかったんだ。それで武術を習う交換条件に色々と身につけさせられた。ダンスもその一つ。後は音楽や絵画――絵画に関しては、俺より殿下に一日の長があるけれど」

 エスクードの指がヴァイオリンやピアノを弾く手つきを見せ、それから筆を持つように動く。

 目を丸くする私に、彼は苦笑した。

「似合わないかな?」

 私は剣を振る真似をして、「騎士一筋」と思っていたと伝えた。言葉はなくとも、伝えようと思えば、伝わるもの。エスクードは笑いながら頷いた。

「俺もそっちの方が良かったよ。社交場はあまり得意じゃない」

 その辺は、私が抱いていたイメージと一致する。でも、苦手とする意味合いが、次の一言で違っているのを知った。

「社交場に出ると、どうしても弟のことが持ち出されるから」

 ――弟?

 首を傾げた私に気がついて、エスクードはジェスチャーの手を止め、口元を押さえた。手のひらの陰で歪む唇を見やれば、あまり話題にしたくないことだったのかもしれない。

 そういえば、皇太子さまは「一時期」と言っていた。それはつまり、今は社交界から距離を置いているということだろう。何か、あったのだ。

 それが「弟」と関係あるのだと思う。

 ここはひいた方がいいかなと迷う私。

 だけど、エスクードは、一度こちらに伝えてしまった以上、最後まで語ることにしたのだろう。

 ホールの鏡に視線を向けるとそこに映った影を指差して、「もう一人の俺だ」と説明してくれた。それの意味するところは、双子なのだろう。

 エスクードは私の手を取ると、ダンスホールの片隅に置かれた背凭れつきの椅子に私を座らせた。それから自分も隣に椅子を並べて、上着に用意していた筆記用具で会話を始める。

 ジェスチャーだけでは私と意思の疎通を取るには難しい場合もあるので、筆談用にエスクードはノートと鉛筆を用意していた。鉛筆は私が知っている形とは違うけれど、一応、ちゃんと線が描ける。

 エスクードは「エスパーダ」と、紙にこの国の文字を並べた。まだ筆記体を読み解くほどには私も慣れていないので、カクカクしたわかりやすい文字で書いてくれていた。こういう細かいところの心配りは、エスクードらしい。

「弟さんの名前?」

 視線で問えば、エスクードがゆっくりと発音する。文字の印象も似ているけれど、音も似ていた。

 よく家族や兄弟で名前に一文字、同じ文字を用いたり、韻を踏んだ名前にしたりするのと同じ感覚なのかな。双子だから、似たような印象にしたのだろうか。

「エスクードというのは「楯」を意味する。エスパーダは「剣」だ。ちなみに俺の騎竜、フレチャは「矢」という意味がある」

 エスクードが弓を引く仕草を見せたので、私は笑った。空を矢のように飛んで行ったフレチャを見たから、あまりにピッタリな名前だと思った。名付けたのは、エスクードかな?

「父は俺たちを後々、皇帝となられる殿下の剣と楯にしたかったのだろう。もっとも弟は、剣術ではなく魔術の方に力を見せて、サフィーロ家に養子に入った」

 ジェスチャーで表現するのが難しい事柄には、筆談を交えて、説明してくれる。二人で鉛筆を持ちかえながら、紙の上には黒鉛の文字が躍る。

「養子?」

「サフィーロ家は代々宮廷魔術師を輩出している魔術界の名門で、弟は家族の反対を押し切って、十四のときに勝手に養子縁組をしたんだ。元々、性格が聞かん気というか、自己中心的というか」

 エスクードの表情が苦々しく歪む。さては、煮え湯を飲まされたのかしら。

 私は一人っ子だったから、兄弟の関係というのが解からないけれど、双子だとしたら関係が近い分、大変だろう。

「まあ、あいつが目立つ分、俺の方は多少のことなら見逃して貰えていたけれど。あいつがいなくなってからは全部、俺の方に目が向いて……母は俺が騎士になることを嫌った。父の手前、表立って反対できないから、ダンスやら音楽を学ばされたけれど」

 エスクードは疲れたようなため息を吐いて、金髪をくしゃりと掻き乱した。

 乱れた髪が明後日の方向に跳ねたので、私は無意識のうちに手を伸ばして、エスクードの髪を撫でていた。

 エスクードは背が高いから、必然、私は伸びあがって、気がつけば驚きに目を見開く彼と真正面に向かい合っている。

 蒼い瞳に映った自分の影を見つけて、我に返る。

 ――何やってるの、私っ!

 慌てて、手を引く。

 髪が跳ねていたからとか、しょげた顔を見せられて、慰めてあげたくなった気がしたとか、そんな言い訳が通用するはずもなく、私は自分の手を背後に回した。

 幾ら年下だからって、子供扱いはエスクードに失礼だろう。

「…………エスパーダは、アリィ……アリスエールが好きだった」

 ぽつりと、エスクードが呟いた。

 視線を返せば、蒼い瞳が真っ直ぐに私を見つめている。

 いいえ、見つめているのは――もう一人のアリス?


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