第3話 神秘ゆえの恐怖と魅惑

彼女と別れ自宅に戻ったのは夕方4時を少し廻っていた。

流石に今日の出来事は妻に説明できない。問題を起こした訳じゃないが問題がゼロでは無い。

妻への後ろめたさでドアの鍵を開けるのを訝り一呼吸おいてドアを開けた。

そこに妻が大きなお腹を抱え立っていた。此方の負い目を見抜いた構図に一瞬ギョッとした。

「ただいま、夕べ呑みすぎて、運転出来なくて」

「ふーん、夕べ、松谷っていう男の人から電話が有ったわよ」

「えっ、何で、それって誰」

「今夜貴方が麻布病院の看護婦と泊まってるって」 その言葉の衝撃が純一の脳味噌を一瞬にして吹き飛ばした。

「えっ、うそー、誰だ、そいつは」

「星野美由紀て言う女の婚約者だって」 一体ミユキの正体は、これは罠か、彼等はグルで次は慰謝料の要求でもしてくるのか。

壊れた脳回線を懸命に修復させ、迷走していた。

そしてたった一晩、妻に対し始めての背徳がいとも簡単に全て露呈した。

昨夜女と泊まった現実は払拭できない。恨みを残さない説明が必要だ。

「入院してた時世話になったのでお礼に食事を奢ったんだ。酒を飲みすぎて車が使えないし、酔っぱらってホテルには行ったけど、問題は起してない。それは信じてくれ。今日は母親が入院しているので送って欲しいって言われ送ってきた。心配かけて済まなかった」

現実に意志に反し関係は未遂に終わった。その件だけは負い目が無かったが、言い逃れの間中、関節や毛穴、体中の分泌腺から妙な油湿りが滲んでた。

「随分遅くまで付合ってあげて、優しいのね」たっぷりと皮肉が込められていた。

「それより、大丈夫、おかしな事件に成らないようにしてね、これから生まれる赤ちゃんの為にも注意してよ」

「判った。あとはチャンとするよ」

精神的に最も不安定な妊娠中の妻をいきなりトンでもない展開に巻き込んでしまった。

女と一晩共にし、何も無かった等、どう言い訳しても許せる程簡単な事じゃ無い。然し妻はその先を追求しなかった。今、妻は「お腹の赤ちゃん」これ以上大切な者は存在しない。強いて上げれば3歳の娘もだが現状ではお腹の子が優先する。

その子の為にマイナスに作用するあらゆる事柄は押し耐えその心情はどの母親より強い。

夫婦間に問題があるわけでも倦怠期を迎えたわけでも無いが今はあらゆる事柄をさしおいて「お腹の赤ちゃん」が全てだ。

夫が女と一夜を過ごす、許せざる行為に違いないがその為に「お腹の子」のダメージになるくらいなら怒りを飲み込んで穏やかにする事を選択する。昨夜妻が出した結論だ。

純一は婚約者が何故自分と判ったかそして自宅の電話を知ったのか。漠然とした恐怖感から彼女の携帯とメールを削除した。

翌週月曜は仕事に没頭しミユキの事を思い出すまいと意識した。

然し甘苦しい唇や驚くほど豊かな裸体が脳裏をかすめその都度掻き消すに疲弊した。

そして夕方ミユキからメールが飛び込み、先方が消去しなければ無駄な事だと己の単純さに呆れた。

「今日凄く会いたい」絵文字も無いサッパリしたメールだった。

純一は迷った。会いに行って男に遭えば修羅場に成りそうだ。だがあの別れ際の接吻が過って、メールで思いをぶつけた。

「ミユキさん貴女が怖い。貴女の彼から自宅に脅迫電話が入った。どうして」

暫くして返信が来た。

「嘘、ご免なさい。病院に電話して貴方の自宅の電話を調べたみたい、本当にご免なさい」何も解決してないが急に会いたくなった。

「会いに行きます、訳を説明して」

「待っています、病院に着いたら携帯で呼びだして」

「了解です」

会社の近所で見舞いの菓子を買って車に飛び乗ると、ハンドルを病院に向けた。駐車場に着くと既に携帯番号は削除してしまい、返信メールで連絡した。ミユキが眉間をよせ心なしか緊張した顔つきで現れ、流石にいつもの笑みは姿を消していた。

それでも純一の心が取込まれ会うたびに輝きを増して見えた。

助手席に乗ると直ぐ弁解し始めた。

「ご免なさい。黙ってたけど付きあっている人がいます。純一さんが入院してた時彼に貴方の事話したの記憶していたみたい。

彼が知っている友達の看護婦に電話番号を調べさせ、お宅に電話したようなの」言訳に懸命さが伝わり信じ始めていた。

「何やってる人なの」気質なら良いが職業が気になった。

「1級建築士。自分で事務所構えてやってるみたい」

「何処でやってるの」

「事務所は日本橋、住まいは西船だけど」

妻子持ちがこれ以上問題を掻き回せない、とやかく言える立場ではないが、おぼろげに聞いてみた。

「婚約しているの」

「いいえ婚約はしてないわ。確かに付合ってます。でも今は純一さん」きっぱり言い切った。

その言葉に胸がきゅっと音をたてた。

然し純一は既婚者だ、その言葉の真意が掴めなかった。

「本当、俺で良いの」

「それより、奥さん大丈夫だった。お腹の赤ちゃんにも悪いことしちゃったかしら」

「正直に話して、分かってもらった」

「そう、複雑だわ」寂しそうな目をした。

「・・・・・」返事に困った。

「食事まだ、何か食べない」疑問が完璧に解消した訳ではないが凡の見当が付いて急に空腹を感じ話題を逸らした。

「うん、お腹空いた、お肉が食べたいな」

「いいよ。じゃ行こう」

ミユキを乗せ病院を後にレストランに向かった。

食事を済ませ病院に戻る途中また森の木陰の駐車スペースに車を置き甘く切ない接吻に酔いしれ、その後病院に送った。

「お見舞い、お母さんに渡して」買ってきた包みを渡した。

「有り難う、また必ず来て」そう言うとまた純一の頬に接吻して車を降りた。純一はそれから、毎夜病院に通った。

そうして1週間が過ぎた頃いつものように食事の後、木陰の駐車場で堅く抱きしめているとミユキが言った。

「今夜一緒にいて、お願い」

「分かった、僕もそうしたい」

残業で仕事が押し込むと外泊もよくした。敢えて妻に外泊の連絡を入れたことは無かった。

妻に後ろめたさを感じていたがミユキのまだ確かめられない神秘の部分に曳かれた。

ミユキの指示に従って抱擁していた林の駐車スペース先の曲線の坂道を登っていった。

暫く走らせ昇り詰めた処に城跡の壁に覆われた様なラブホテルが現れた。

建物全体が怪しげな灯にライトアップされ浮きあがって見えた。駐車場に車を差し込むと脇の階段を登りドアを開いた。

2人は入室すると直ぐミユキが言い出した。

「先にお風呂入っていいかしら」

ミユキがバスルームでシャワーを浴びている最中ドア越しに声をかけた

「入って良いかな」

「ご免、恥ずかしいから待ってて」

「・・・・」仕方なしに一人ビールを飲んで待ことにした。

暫くしてミユキはバスタオルを巻いて出てきた。その後純一がバスルームに入りシャワーを浴びて出てくると既にミユキがベッドに横になっていた。

純一はミユキの脇に身体を滑らせるとミユキは今日も下着だけ付けていた。

唇を重ねブラジャーのホックを外しミユキの肢体の上に身体を預け、そしてショーツに手を掛けた。

耳元でミユキが小さな声で囁いた。

「恥ずかしい、それはお願い、止めて」

「・・・・・・・・」

純一は既に耐えられない状況におかれ、集積された血液が行き場を求めている。

まるで駄々子の様に切なさを薄いショーツの上から摩擦させた。

柔らかな中心が今にも扉を開いてくれそうな反応を示したが、最後までその扉が開かれることは無かった。

虚しい煩悶に苦しみ、寝つけない徒に長い夜だった。

翌朝は早朝打ち合わせのため千葉駅の駐車場に車を置き、時間が読める電車で向かう事にした。

2人は千葉駅の朝のラッシュアワーの人並みに揉まれて改札に向かった。

見送ってきたミユキが別れ際群衆の真只中、純一に軽くキスをし、笑顔を綻ばせ、パチンと音がしそうなウインクを投げつけた。

その大胆さに廻りの人達が一瞬驚きで目が凝固していた。

その仕草が格好よく、純一は妙な嬉しさが込上げ自然に顔がほころんだ。

その日、仕事を終えると千葉駅まで車を取りに来てそのまま自宅に帰った。

寄らずに帰るのは昨夜の仕打ちにせめてもの意地で反発していた。帰りの運転中メールが入った。

「今日楽しみにしていたのに、帰っちゃったの。寂しい」涙マークが付いた初めての絵文字だった。

そのメールに後悔で胸が焦げ付く感じがした。

「ご免、今日は予定が出来て行けないけど、明日必ず会いにいきます」

言訳じみたメールに自身で幼い反応をしていることが気恥ずかしかった。

既に純一のコントロール機能は喪失していた。

そして数日たった頃、妻が出産の準備で東北の実家に帰ることが決った。最初の娘の出産も実家で生んだ。

今回は早めに帰って準備したいと言いだし、凡半年間純一は単身生活に入る。純一の気持ちは複雑だった。

このまま、妻が居なければ、今の心境と境遇は危険すぎる。責任意識も離れていれば薄くなる、今では弾みも不要なレールが繋がって結果が見えすぎていた。それを心待ちしている自分への戒めは霞のように綻びていた。

妻を上野駅に送った後、当然のようにミユキにメールを入れた。

「今日会いに行きます」

「嬉しい、待っています」

その日は初めて純一が外泊に誘うと簡単に承諾した。

ミユキはその晩も要のシーンをぼかしいつもの逃げのコピーを使った。

「ご免、恥ずかしいから許して」

「分かった、お願いが有るのだけれど」

「・・・・・」ミユキは黙って聞いていた。

「嫌いって言って、そうしたら苦しまなくていられそう」

「無理、好きだもの」

「でもこのままじゃ辛いだけ、お願い言って、そうしたらゆっくり休める」

「・・・・・キ・ラ・イ」暫く黙っていたが呟いた。

「有り難う」純一はそう言うとゆっくりと起き上がった。

そして徐に下着を付けた。

「どうしたの」ミユキが声を掛けたが無視して下から順に衣服を見繕った。

「・・・・・」何も応えずゆっくり服装を整え、そのまま玄関に向かった。

「なに、なによ」ミユキはショーツ1枚で少し慌て気味にベッドから飛び起き、純一に縋付いた。

純一の身体をベッドに引摺り、仰向けに寝かせると衣服を全て取払って素裸にすると自分からショーツを脱ぎ取った。

そうして仰向けの純一に跨がり、口に含んだ。

純一の顔はミユキの股間に覆われ淫靡な世界が眼前に飛び込んだ。

しかしそれは余りにもシンプルな型取りを見せ、鄙猥を全く感じさせない造形の裸像をみる感覚がした。

それでも中心から滲む粘液はこの形態に交感し目的に向かっているのは確かだ。

ミユキは一通りの手順をこなし、器用に身体をターンさせ準備の整った突起物を手際よく自分自身に吸収した。

信じがたい柔軟な動きと幾つもの手だれに純一より20歳のミユキが遥に豊かな経験を積んでいたことを知った。

外見の清楚さと秘内で蠢く物の怪、その大きな隔たりが純一の思考を遙かに超え、対応の術も越脱し訳もなく荒ぶれた反応をした。純一は甘美な摩耗にかつて経験したことの無い衝撃が走った。しかも純一自身が最終極点に一際大きく容積が増し、まるで違う魔物が潜んでいた。

純一は驚嘆し悟った。今まで自分の経験が如何に幼稚で幼い戯言だかを思い知った。

妻との営みも純一主導の決してラインを越えない淡泊な繋がりでしかなかった。

妻は短時間、単作業、明確な目的以外の行為を望まない。目的は子孫継承のためだ。

お互いがそれ以上はタブー世界で親の立場として許されない行為に感じていた。人と人の営みも相手によって植物、獣、魔物、まるで違う生物になる。

ミユキが36年間の常識を破壊し、骨の髄から脳まで壊し虜にされてしまいそうだ。

男の願望が征服ならこの結果は逆に作用し彼女の意のままなった。そして、その後は純一の欲求の思惑は全て外され苦しい悶絶が続いた。いつものように木陰で抱擁するが、それから先をミユキが拒んだ。

抱擁ですっかり充満した血液が行き場を失って、凝固し4、5日経つと股間に重しが痛みとして残った。

それでも誰もいない自宅に帰る前に必ず病院に顔を出した。その日は久しぶりにミユキの母の病室に顔をだした。

「お元気ですか」

「アッ、柴田さんお土産いつも有り難う」

髪の毛ががさがさに絡んで以前よりまた老けて見えた。

「何か好きなものがあれば言って下さい」

「本当、じゃお願いしちゃおうかな。ミユキが可愛そうで寝具のマットレスが欲しいな」老婆が指さした折り畳みの簡易ベッドに薄っぺらな布団が挟まっていた。

「これじゃ可愛そうだ。分かりましたマット付きの寝心地のいいの買ってきます。」

「お母さん止めてよ、純一さんとはそう言う仲じゃないの」

ミユキが強い口調で否定した。

「いいじゃないこのベッドじゃ身体壊しちゃうよ」純一は寝心地の悪さを想像して言った。

「純一さんとはそういうの、厭」今度は純一に向かって言った。

「そうか、また怒られちゃうね、勝手すると」ミユキの語気の強さに、以前デパートで犯した勇み足を思い出した。

「ご免なさい」謝られたが頑なな感じがした。

病室を後に、いつもの木陰に来て堅い抱擁と接吻を交わしたがその晩はミユキがその先に誘導した。狭い車内で純一を所定の位置に整え、跨がると自身に収め、後は以前体験した桃源郷に向かった。

数日間湛えた容積が頭にツーンとした痛みを伴って大きなウネリを起こし、津波のようにミユキを襲った。

ミユキがポツリと言った。

「いつも心配してくれて、嬉しい」

「たまには受入れてくれても、全然負担にしなくていいんだよ」

「有り難う、でも気持ちが薄まるから厭なの」

「わかった、もう言わないよ」

ある日ミユキが純一の目を確り捉えて、ポツリと言った。

「純一さんの家、行ってみたいな」その目に決意のような強さを感じ、純一が戸惑った。

「えっ、」流石に返事が出来ない。

「嘘よ、気にしないで」寂しげに目を逸らすと独り言のように呟いた。

「今日何食べたい」息苦しさを押さえ話しを逸らした。

「やっぱ、無理よね」その会話から外さなかった。

「考えとく」無視できなくなってその場を凌ごうとした。

「私も馬鹿だわね」寂しそうな横顔に純一が責められている心境になった。

「ご免ね」

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