第4話 障害者福祉サロン

 それから、3ケ月が過ぎた。年が変わり、2022年も2月の終わりになっていた。

 タケルとアユミは心理センターを退所し、アユミはタケルの住むマンションに引っ越した。もちろん、結婚式などない。タケルもアユミも障害者手帳(以下障害者カードと略。ICカード)を取得し、健常者カードを返納した。障害者カードはピンク色。健常者カードは水色だ。ピンク色のカードの方が可愛いし、特典が多いので、ピンク色のカードが羨ましいという人も少なくなかった。

 電車やバスが無料ないし割引になる。税制面での特典もある。障害者だけが利用できるサービスがある。その代わり働くことは制限される。安い工賃で働くことが推奨される。節約が推奨される。自由の反対だ。

 要するに貧困と安全を与える代わりに、安い労働力で働くことが義務付けされる。それが、精神心理障害者の拡大を目指した根本の考え方だったのだ。長く続くデフレと高齢化の中で、誰もが生き延びるための政策。官僚たちの緻密な計算が、そこには働いていた。安価な労働力を大量かつ安定的に確保すること。それが命題だったのだ。

 タケルとアユミが籍を入れたのが、12月24日。引っ越しをしたのが、12月25日。正月といっても、三人で餅を焼いて食べただけで、お節料理も無かった。タケルはハローワークで障害者担当部門の人から在宅でのIT系の仕事を紹介された。障害者就労支援C型という制度の利用で、全国統一の最低賃金である、1時間500円の時給が保障されている。ただし、障害者ということで、1ケ月の労働時間は100時間に制限される。1ケ月働いても、5万円。大卒初任給の3分の1にも満たないが、障害者であるタケルには選択肢がなかったし、それほど嫌な仕事でもなかった。毎日、SKYPEで仲間と打ち合わせをし、プログラミングを進めて行く。それは、むしろ楽しい仕事だった。

 アユミもハローワークへ行ったが、気に入った仕事が見つからなかった。当面の小遣いとしては、母親からもらった結婚祝いがある。アユミは障害者就労センターで、「春」という障害者のための福祉サロンを紹介された。毎日、主に精神心理の障害者が集まって書道やお茶、朗読といった日々のメニューを楽しむと共に、集まった仲間でお喋りをする。そんな場だった。高齢者が多く、また、生活保護を受給している人の比率も5割を超えていた。それ故だろう、コーヒーが10円、昼食が100円という安さだった。

 電車で2駅の距離だが、バスを使えば交通費はいらない。サロンは広いし、利用者も面白い人たちが多い。もちろん、喫煙場所もある。アユミはいつのまにか、「春」の常連になっていた。

 タケルの父は相変わらず公務員であり、教師である。家に帰れば碁盤に向かう。給料は伸び悩んでいる。マンションは相続しているものの、固定資産税の増税に苦しめられている。それでもまだ、タケルの学費と小遣いがいらなくなったのが救いだ。アユミとの結婚も普通ではないが、喜ばしいことと受け止めていた。打った石は変えられない。それが碁打ちの心情だった。

 アユミの日常。朝は義父が出かけてから起きてくる。タケルがコーヒーとパンだけの簡単な朝食を用意してくれている。顔は合わせるがセックスはしない。タケルが求めてこないからだ。アユミはセックスは好きだが性依存症ではない。一人で満たすことはあるが、それは正常だろう。病院は月に1回、薬をもらうために行くだけ。何が治療なのかは分からない。

 朝食が終わると化粧と着替えをして、「春」に出かける。バスでピンク色の障害者カードを使うときは気持ちが良い。私は障害者なのよ。なんだか健常者という呪縛から解放された気分になる。

 「春」に着くと、名前と到着時間を書き、応接室に入る。朝の時間帯に来ているのは、鬱の2、3人だ。ただ座っているだけで会話はない。荷物を置き、喫煙ルームに行って、タバコを1本。それから、10円のスティックのコーヒーを飲む。味はともかく、10円という価格が美味しい。

 1日の利用者は15人程度だ。それに対して4人の職員が対応する。精神保健福祉士の資格を持つ人が3人、臨床心理士の資格を持つ人が1人。利用料は年間1000円なので、どこからそんな人件費が出るのかアユミには不思議だった。いろいろと調べると、社会福祉法人には行政から多額の助成金が出ているのだった。これが日本型資本主義の裏側、社会保障費の裏側なのだなと思った。職員はほぼ一日、お茶を飲んで新聞や雑誌を読んでいる。これで給料がもらえるなんておかしい。アユミはそう思った。

 テレビとパソコンが置いてある。アユミはそれらには興味がなく、本を読むか、職員や他の利用者さんとオセロやトランプを楽しむかだ。今日は本棚に、「狂った季節」シライタカシ著という冊子を見つけた。アユミはこれを読むことにした。

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