第23話 オリジナル

 ヴァーチャーズ上海支部まではバスをいくつか乗り継いだ。

 ここへ来る途中、魔遊とアザエルのノックヘッド・ドミニオンズ・カスタムを取り外すことにした。これはドミニオンズに追跡されないためである。日本人街での戦いから、予想通りドミニオンズに探知されることがわかったからだ。ヘッドギアは教会に残っていたのが幸いした。魔遊もアザエルもEDENからログアウトしても平気な顔をしていた。普通のEDENに依存しているエンジェルなら禁断症状を起こすところである。

 バスが中流層たちのベッドタウンにきたところで、三人は降りた。マンションが立ち並ぶ中でも、ひときわ古ぼけたマンションにヴァーチャーズの上海支部はあった。ワンフロア全部を借り切って改装し、ヴァーチャーズたちが占拠していたのだ。

 上海支部のメンバーは八人ほどで全員中国人。智力は大半がアークエンジェル程度とパワーズがふたり。日々、EDEN上の智力の動きを監視し、なにか異常、例えばパワーズクラスの智力の行使の跡が見られれば本部へ連絡するというのが主な活動内容だった。これは世界各国の支部にも同じ事が言える。強力なパワーズを擁するよりも、アークエンジェルで世界の動向を監視することに重視しているようだ。

 そのほかに、ヴァーチャーズの活動に理解ある人のメンバー勧誘も常時行っているし、活動報告を行う機関紙の発行などもある。メンバーは全員ボランティアで、普段は普通に会社勤めをしている。その合間を縫ってヴァーチャーズとして活動しているのだ。

 アスドナの案内でヴァーチャーズ支部あるフロアに向かう。

 留守番をしていた本田権次が、魔遊、アザエル、アスドナを出迎えた。上海支部のメンバーたちも顔を出している。

 本田とアスドナは上海支部のメンバーではない。約二ヶ月前、たまたま上海支部のメンバーが魔遊の智力を察知して、本部へ連絡したことから本田とアスドナが派遣されたのだ。そして今回特別に本部長もやってきている。それだけ魔遊の智力には期待がされていたのだ。さらに本田の話によると本部長が魔遊に直々に会いたいと言っているらしい。

 本田の案内で本部長のいる部屋に向かう。その間、アザエルが上海支部のメンバーに自己紹介している。

 前を歩く本田がいきなり魔遊に声をかけた。

「ずっと君のことを仲間にしたかったんだ。君がどんな出身だろうが、ドミニオンズに在籍していたとか、そんなことは気にしない。それはアザエルも同じだ。目的を同じくして、一緒に歩いていける仲間になってくれるのであればいくらでも歓迎する」

 本田は優しい口調で話しかけた。その語り口に魔遊は少し安心した。高飛車なドミニオンズとは大違いだ。

「ただ、ひとつ。これだけは約束して欲しい。アスドナには近づかないで欲しい。彼女は君に相当入れ込んでいて、命を投げうってでもヴァーチャーズに引き入れようとし、今ようやくその願いが叶った。きっと彼女は君のことを特別扱いすると思うが、その気持ちを勘違いしないで欲しい。分かるね?」

 本田は相変わらず優しい口調だったが、魔遊には理解できないことを言ってきた。魔遊が何か言いかけたが、本部長の部屋の前に到着したようで、案内された。

 部屋に入ると、机がひとつあるだけの殺風景な部屋だった。その机に座っている人物を見て魔遊は驚きの声を上げた。

「安堂博士!」

 魔遊はとっさに身構えた。

「いかにもわたしは安堂茂六あんどうもろく。通称安堂博士だな」

 痩せぎすで白髪。皮肉っぽい笑みをたたえた顔は、まさしくドミニオンズの安堂博士だった。

「わたしのことを知っているということは、ドミニオンズでわたしのコピーに出会ったな。まあ、当然といえば当然だが」

「コピー? どういうことだ?」

 魔遊の問いかけに、安堂博士は少し思案した様子になった。

「まず、わたしが何者であるか、という質問の前に、この世界について話をしなければならんな。もし、この、今魔遊が生きている世界が、作られてたったの十四年しか経過していない。と言ったらどう思うかな?」

 博士はいきなりとんでもないことを言い出した。

「十四年だって? そんなこと信じられるか! 十四年と言ったら俺と同い年だ。いくら学校に通ってない俺だって、丸越のおっちゃんから習って、人類の歴史が数十万年もあることは知ってるし、地球ができて数十億年、宇宙ができて百数十億年ということくらい知ってるぞ」

「合格だ。その通りだ。君の言うことは正しい。しかしそれはオリジナルの宇宙の世界の話だ」

「オリジナルだって? なんだそれは?」

「オリジナル、すなわち大元おおもとの世界のことだ。今魔遊の生きてる世界は、オリジナルそっくりにコピーされた世界なのだよ。それが十四年前に行われたのだ」

 魔遊は安堂博士の言葉がにわかには信じ難かった。

「だからわたしがオリジナルの安堂博士で、ドミニオンズにいるのがコピーの安堂博士なのだよ」

「じゃあ、俺にもコピーがいるのか? いや、俺の方がコピーか? どういうことだ?」

 魔遊はすっかり混乱してしまった。

「魔遊だけは特殊な存在だ。君はオリジナルだ。これは断言できる。ただ、アスドナや本田、アザエルたちはコピー世界に生きているから、彼らはコピーだ。とは言っても、彼らのオリジナルがこのコピー世界にいるわけではない。彼らのオリジナルはオリジナル世界で生活しているのだから。なぜオリジナルであるわたしとコピーのわたしが一緒の世界にいるのかというと、わたしの智力が別次元の宇宙を行き来できる能力だからなのだよ。オリジナル世界からこちらのコピー世界にワームホールを使ってやってきているのだよ」

 博士は言葉を選びながら説明しているつもりだが、魔遊はうまく理解できていないようだった。

「俺が特別? それはどういうことだ? アスドナやアザエル、本田がコピー? 宇宙を行き来?」

 魔遊はますます混乱している。

「まずは、なぜこのコピー世界が生まれたのか説明しなくてはなるまい。だが、それは魔遊にとってつらいことかもしれないが、ちゃんと聞いて欲しい。今が話す時だ。約二十年前、まだわたしが若かった頃、オリジナル世界ではARK社がノックヘッドを開発した。当初は社内の研究に携わった者のみが実験として装着したのが始まりだ。ノックヘッドを装着することでお互いの考えていることを理解しあえるようになり、これはぜひとも商品化するべきだと誓い合った。そして紆余曲折ありながらも販売へと踏み切った。これはイレギュラーな出来事だったのだが、ノックヘッドを装着した者の中で、まれに特殊な能力を発現する者が現れることが判明した。そこでARK社では彼らを研究する機関を発足させ、わたしはそこの研究員として働くことになった。なぜならわたしもまた特殊な能力を発現させていたからだ。そして時は十四年前の日本。杏璃魔遊という少年が研究所にやってきた。すなわち君のことだ。そしてその山あいの片田舎に設けられた研究所施設には、わたしの娘である安堂詩亜もいた。彼女もまた智力を持った人間だった」

 詩亜という単語が出てきて、魔遊は身を乗り出した。言われて思い出したが、詩亜の苗字は安堂だ。なぜ今まで気付かなかったのか。

「ある日、魔遊を調査実験している時に、君の智力が暴走し、西日本のほとんどが海に沈んだ。そこまで強力な智力を有しているとは思ってもみなかったんだな。後で分かったんだが、君のその時の智力は海洋・大陸プレートを動かし地震を起こすものだったんだ。ちなみにその時わたしは運が良かったのか分からないが、ニューヨーク支部にいて命を落とさずにすんだ。だが、魔遊の起こした地震は世界中で観測されるほどの規模だったのだよ。当然大津波も押し寄せた。君の智力もすさまじいが、もうひとりすさまじい智力を発揮させた者がいた」

 博士はひと息おいて、冷めたコーヒーを飲んだ。

「詩亜だよ。彼女がレベル7……このコピー世界で言うところのセラフィム能力を発現した。魔遊が起こした大災害から身を守るために、人々を守るためにという思いから、一気に智力が上がったんだ。魔遊、君はセラフィムの能力とはどんなものか知っているかね?」

 いきなり魔遊は質問され戸惑った。それよりも自分がオリジナル世界で、大災害を起こしていたことの方がショックだった。

「え、新世界を作ること……」

「まあ、そうだ。新世界すなわち、新しい宇宙を作り出すことだ。これはセラフィムになった者の特権で、どんな世界にするのか自由に選べる。詩亜が作り出した世界、それは自分が暮らしていた世界にそっくりなコピー世界だった。詩亜はできることなら研究所施設の仲間全員も助けたかったらしいが、魔遊をコピー世界に連れてくるだけで精一杯だったようだ。そして詩亜はコピー世界の神、創造主となったのだよ」

「ちょっと待ってくれ。詩亜は俺と一緒に上海の日本人街で暮らしていた。それが創造主なのか?」

「うむ。詩亜は今でもこのコピー世界が存在し続ける限り、創造主として地上を見下ろしている。わたしはオリジナル世界から、この詩亜の作り出したコピー世界に来て、彼女から直接話を聞いた。わたしはワームホールを行き来するだけでなく、その世界の創造主を見たり接触したりすることができるのだ。だから、先ほど話した研究所で起きた経緯いきさつはすべて詩亜から聞き出した。そして詩亜はこのコピー世界で魔遊の監視役をするためにずっとそばにいると誓っていた。また大災厄を起こさないように。だから、自身のエーテル体をロボットハニーに憑依させ、ずっとそばにいたのだよ」

 魔遊は護との戦いの後、壊れたロボットハニーが転がっているのを思い出した。そして、詩亜がしつこいくらいに魔遊に対して日本人街から出てはダメ、という言葉を言っていたのを思い出す。

「十四年前、赤ん坊に戻っていた魔遊と同じく赤ん坊になりすましていた詩亜は、教会で育てられることになった。なぜ上海なのか? と詩亜に問いただしたところ、彼女の母親が上海出身だったからだよ。その時までわたしは、わたしの妻の生まれ故郷を失念していた。仕事人間だったからな、そんなことまで忘れていたよ。だから詩亜に怒られた」

「では、詩亜は死んではいないんだな?」

「もし死んでいたら、この世界は消え失せている。この宇宙世界そのものが詩亜だからな」

 魔遊は少し安心した。詩亜は死んではいなかった。だが、自分はオリジナルの世界でも、そしてコピーの世界でも、詩亜を不幸にしてしまったのだと痛烈に感じていた。そして自分こそ最大の不幸を背負っているのではないかと思わずにはいられなかった。

「魔遊、難しい話をしてすまなかったな。しかしどうしても君は知っておかなければいけないことだと思ったから話したんだ。そして詩亜のことを大事に思ってくれてありがとう。これは詩亜の父親としての感謝だ。仕事に追われて詩亜を構ってやれなかった上に、研究所では実の娘を実験道具にしてしまった罪は消えないのかもしれない。魔遊、また、この話の続きを今度しよう」

 魔遊と安堂博士が、ヴァーチャーズ隊員のいる大広間に来ると、アスドナ、アザエル、本田たちも含めて輪になって、議論が行われていた。

 アスドナが熱っぽく語っている。

「ARK社に潜入した際にサーバーから読み取った情報によると、MADという人類天使化計画が実行中で、世界政府でも議会決定されているみたい。ノックヘッドを全世界に配り、この地球上に暮らす全ての人はノックヘッドを装着する義務づけされてしまったということね。それにより、今まで以上にアークエンジェルズやパワーズが増加すると見込まれるわ。これはきっとだけど、恐らくセラフィム候補をひとりでも多く見つけ出す最終手段だと思われるわ。そしてもうひとつARK社のサーバーには巨大なビッグデータが巣くっていた。データの痕跡をたどっていくと、その場所は日本だったわ」

 そこに魔遊も加わった。

「安堂博士が言うには……ドミニオンズの方だけど。セラフィムとは受け皿であって、もっと大いなる力を扱える者だと言っていた。そしてセラフィムは世の中が乱れるほど、また俺のように不遇な環境で育った人間ほど、強力なセラフィムが生まれやすいとも言っていた」

 魔遊の言葉に安堂博士が補足した。

「セラフィムとは自分の命に関わるほどの強烈なストレスを加えると、発現しやすい実験結果がある。だが、過度なストレス負荷は被験者の精神の破壊も招きかねんがね」

 アザエルは思い出したように口を開いた。

「日頃、ドミニオンズの安堂博士から聞いていた話ですが、ドミニオンズ上海支部を始め、世界各地の支部はあくまでデータ収集機関であって、そのデータの行く先は別の国だと聞かされていました。その別の国とは日本だそうです」

 これらを聞いた安堂博士は、首を縦に振りながらうなずいた。

「どうやらARK社日本支部が怪しいわけだな。アスドナの言う、日本のサーバーにいるというビッグデータの存在も気になる。今アザエルが言ったデータの行く先が、そのビッグデータという可能性は高い。ちなみにケルビムとは違うのだな? もっと大きく、攻撃性のあるものか。一度探ってみる必要があるな。ARK社日本支部で何が行われているか。戦士たちもそろったことだし、精鋭部隊で潜入を試みよう。偶然にも我々ヴァーチャーズも日本が本部でね。お互いの距離もそう遠くない。どっちみち本部に帰ろうと思っていたところなのだよ」

「日本は今でも存在しているのか?」

 魔遊は素朴な疑問を質問した。

「てっきり日本は滅んでいるものとばかり思っていた」

「ははは。それはEDEN上の間違った情報だな。確かに日本は一度は破綻した。だが、世界政府からの援助でなんとか持ち直し、今ではIT産業でなんとかやっている。とは言っても国土は半分以下に減ったし、人口も世界中に流出したりして激減したが……」

 と、博士はここまで言って、魔遊の表情が曇るのに気づいた。配慮が足りなかったと少し悔やんだ。

「では、明朝、出発しよう。みんな今晩は早めに寝るように」

 安堂博士の指示に全員が「はい」と返事をした。

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