第16話 アザエル

 ARK社ビル72階の医療室。

 ここに今、アザエルと囚われの身のアスドナがいた。

 アスドナのマン・マシーンは外され、智力が使えない状態になっていた上に、拘束服を着せられ椅子に固定されていた。目と口以外は自由がきかない状態だった。

「さて、ヴァーチャーズのスパイがなにしにここに来たのか、そろそろ答えてもらおうか?」

 アザエルはいつもどおり冷静な口調でたずねた。しかし、アスドナは質問には答えない。

「お前がサーバー室で倒れているのを発見したのだから、サーバーの情報を読み取ったのはわかってるんだ。何を見た。そしてこれも疑問なのだが、なぜサーバー室で倒れていた? なにがあった? それとも脳をこじ開けてやろうか?」

「ふふ」

 アスドナが思わず笑った。

「なにがおかしい」

「自分のところのサーバーが今どんな状態なのか分かってないのね。化物が生息してることも把握してないとは、がっかりだわ」

「なんだと? サーバーは毎日チェックしている。化物とは何だ? 一体何を見た?」

「ドミニオンズサーバーの闇、といったところね」

 またアスドナが鼻で笑った。

「闇だと……? そんなものはARK社のサーバーにはない」

「どうかしら? 最初はソフトウェア開発会社から始まり、企業買収、統合、合併などを繰り返してきた全身の会社が果たしてキレイな体質かしら? 世界企業にのし上がってARK社となるまでに、闇に葬られた人たちはひとりやふたりではないはずよ。そして今や国家はおろか、世界政府にまで圧力かけられるまでになって、それでも健全だと言いたいの? 化物はARK社そのものよ」

 アスドナは囚われの身でありながら、毅然と言ってのけた。

 尋問しているはずのアザエルは思わずのけぞった。自分こそARK社及びドミニオンズに仕える敬虔けいけんな隊員であると自負している。が、確かに今アスドナが言ったとおり、ARK社は過去に非道なことをしてきた歴史があることを知っている。アザエルがドミニオンズに入隊してほんの数年だが、サーバーで過去の情報を知って愕然としたことも度々ある。だからこそ、自分がドミニオンズで隊長を任された時に、健全な体質にするべく、規律に関してはきちんとするよう隊員たちに求めてきたつもりである。だが、その規律も本当に根づいているのか疑問に思うこともある。表面上は確かに時間厳守だったり、仲間同士礼儀を尽くすよう求めているが、頭の中まではわからない。隊員たちの本心が分からないのである。

 そしてその隊員たちも、博士やその他の研究員に、日々訓練と称して、この医療室や実験室でかなり危険な実験を行っている。時には死者も……。

「ドミニオンズといっても、結局はARK社上層部の言いなりでしょう? あなたたちがどんなに良い方向に考えていても、上層部が決定したことには逆らえない。そうでしょう? 今やARK社の上層部の思惑ひとつで世界情勢が変わるんじゃなくて?」

 アスドナの言葉に、アザエルは今朝のプリンシパリティーズのメタトロン暗殺指令を連想した。これはARK社上層部で決定されたことだ。

 確かにメタトロンは自分勝手に行動しているが、それでも十四年前に乱れた世界情勢をかんがみてプリンシパリティーズを自ら立ち上げ、ARK社から独立し、独自の路線で世界平和に貢献してきたはずである。事実、パペット部隊を率いて、国際テロ組織を壊滅に追いやった功績は未だに語り草になっている。ARK社から独立したとは言え、完全に関係が切れたわけではない。独立部隊なのだ。だが、そのメタトロンもどこかで道を間違えてしまったのだろう。だから暗殺命令などが出るのだ。

 パペット工場から帰ってきた李美耽たちから、魔遊がメタトロンを殺害したとの報告を受けた。魔遊という新人にしては上出来な結果だが、もうその手を血に染めたのかと、衝撃を覚えずにはいられなかった。

「ARK社もセラフィムを探し求めてるわね。ヴァーチャーズもそう。ヴァーチャーズは世界平和のために世界中のみんなのために、捜し求めているわ。それもひとりやふたりではなく、何人でも候補者は必要だわ。そして世界中の人達のためにセラフィムは必要とされている。ARK社はどうかしら? 自分たちだけで独占したいんじゃなくて?」

 アスドナはアザエルを睨んだ。アザエルは答えられなかった。確かにセラフィムを探し求め、候補者を訓練したりするが、その先のセラフィムをどうするかまでは聞かされていない。

 ARK社72階の隊員たちは日々セラフィムになるために訓練している。だが、彼らは単にセラフィムに憧れているだけで、セラフィムになったら何をしたいとかいう目的意識が感じられない。この72階で日々生活している状況に慣れ親しんでしまって、向上心が感じられないのだ。日々の生活が保障され、衣食住に困らないでいられるという、特権階級か何かと勘違いしているようである。

 李美耽やベルゼバリアルのようなオファニム戦士は自分こそセラフィムだと言って聞かないが、では彼らもなにかビジョンを持っているかというとそうでもない。

 そこへ来ると松田は違う。彼だけいつも特別扱いだ。彼は何か特別に聞かされているのだろうか? 以前の松田は違った。アザエルたちとグリゴリ掃討に出撃したこともある。松田は複数の智力を持つ、ケタちがいの強さのパワーズだ。それがある時から、安堂博士の側近のようなことをしだした。戦闘にも出なくなった。その頃から、安堂博士はあまり物事を説明してくれなくなった。

 秘密主義ではないだろうが、とにかくドミニオンズ隊長であるアザエルに対する接し方が変わった。必要最低限のことしか伝えないようになったのである。

 メタトロン暗殺指令も、簡単に状況説明があり、ARK社上層部からの指令、とだけ伝えられただけだ。

 メタトロン殺害命令のきっかけは日本人街に次いでベトナム人街を襲撃したことによるものだったが、果たして本当にそれがきっかけだったのか? 単に上層部にとって目障りだったからではなかったのか? アザエルは段々とARK社上層部への信頼が崩れつつあった。

「セラフィムにはね、世界を救済する未知の力があるの。これはわたしたちヴァーチャーズの博士の言葉よ。彼は実際にセラフィムが力を発現するところを何度も見ているわ。セラフィムは新世界を作り出すの。セラフィムはひとりとは限らない。何人も現れることもあるわ。そしてこれは人間の可能性の問題なの。自分に可能性があると信じることができれば、誰にでもセラフィムになれる可能性があるわ。魔遊にはその可能性が感じられる。だから、ヴァーチャーズに欲しいの。あなたも新世界を見てみない?」

 アスドナは徐々にアザエルを懐柔かいじゅうし始めた。そしてアザエルは徐々にヴァーチャーズに興味を持ち始めていた。

「しかし、ヴァーチャーズは世界最大のグリゴリ集団だ。各国に支部がある。ここ上海市にも。それだけで当局に摘発されるだけのものがあるのではないか?」

 アザエルは抵抗をしてみた。ヴァーチャーズの存在はARK社上層部にしてみれば、メタトロン同様邪魔者と感じているはずだ。いつ、上海支部に攻撃命令が出てもおかしくないはずである。これは各国のARK社支部にも言えることで、所属のドミニオンズ戦士が各国のヴァーチャーズ支部へ攻撃命令が下っても不思議ではない。まさに世界同時攻撃である。今のARK社ならやりかねない気がするアザエルだった。

「グリゴリという行為自体が世界平和のためだとなぜ分からないの? ARK社という世の中を独占する企業から、市民を守るために結成されたのがヴァーチャーズなのよ。この乱れた世の中を少しでも良くしたいという集団なの。それを統括しているのが博士よ。そして世の中を良くするためにはセラフィムが欠かせないの。だから世界中に支部を作って、セラフィム候補を日夜探しているわ。まあ、ARK社みたいにノックヘッドからパワーズ発現した人を特定したり、街中に智力を計測するセンサーを設置することはできないけど。でも、わたしたちもアークエンジェルズたちの努力でEDEN上の智力の波のログは読み取れるわ。あとは現地入りして地道にパワーズを探し求めるの。今回の魔遊は近年まれに見る逸材だわ。彼は必ずセラフィムになる。断言するわ。彼こそこの乱れた世の中を救うわ」

 アスドナは熱っぽく語った。アザエルは思わず引き込まれてしまっていた。

「それで、なぜこのビルに潜入したかは教えてくれないのだね? サーバー室でのことも」

「それは拒否するわ。ねえ、あなた。アザエルと言ったわね。ヴァーチャーズに来ない? ドミニオンズよりもずっといいところよ。あなたはドミニオンズにしては真面目そうな人だから勧誘しているのよ。不真面目な人は誘わないわ。今すぐじゃなくてもいいから、考えてみて」

 アザエルは一体どっちが尋問を受けたのかわからない思いで、医療室を後にした。結局聞きたいことは何も聞けなかった。ただ、一方的にヴァーチャーズの良さと、ARK社とドミニオンズの腐った体質をあげつらわれただけだった。


 アザエルはその足で安堂博士の部屋をたずねた。

 博士は相変わらず松田と一緒で、何がそんなに忙しいのか書類作成やら、パソコンに向かって作業をしている。松田は松田で博士のそばで控えている。

「ヴァーチャーズの女はしゃべったかね?」

 博士はアザエルの方を見もしないで、単刀直入に言ってきた。

「いえ。彼女は何もしゃべりませんでした。ただ、ヴァーチャーズのことを聞かされました」

 アザエルはあえてARK社やドミニオンズの体制に対する批判のことは伏せておいた。

「安堂博士。わたしは以前から疑問に思ってることがあるんです」

 思い悩んだ挙句アザエルは口を開いた。

「なんだね?」

「それはドミニオンズのあり方です。以前は自分はセラフィム候補のオファニムとしてその地位を自負してきましたが、一体セラフィムとは何者なのか? と疑問を持つようになりました」

 アザエルの神妙な口ぶりに、安堂博士は作業の手を止めた。

「アザエル。あの女に変なことを吹き込まれたんじゃないかね?」

「違います。ここ最近思うのです。自分は本当にここにいてもいいのか? と。博士からセラフィム候補オファニムに任命していただきましたが、もっと他にやるべきことがあるのでは? と思うのです。今、世界中に智力を持ったアークエンジェルズが大勢います。ひとりひとりの力は弱くても、みんなが力を合わせれば大きな智力となるはずです。そうすれば今の社会も変わるのでは? それを働きかけて束ねていくのが、ARK社であり、ドミニオンズではないのでしょうか? セラフィムを探して世界を救済するのも結構ですが、セラフィムたったひとりで何が出来るでしょう?」

 アザエルは段々自分が熱っぽくなっていくのを感じた。汗もかいてるかもしれない。

「ふむ、アザエル。君はそう考えるのだな。駄目だな。わたしを含め、上層部はそうは考えていない。あくまでセラフィムはひとりいればいい。それだけだ。ここにいる松田がセラフィム候補筆頭だが、確実ではない。アザエル、君もセラフィム候補であることを忘れるな」

 安堂博士は素っ気なくアザエルの意見を突っぱねた。アザエルは拳を握り締めた。

「確かに、わたしもセラフィム候補としての自負はあります。ですが、意見が全く通らないのは納得がいきません。これはすべて上層部の筋書き通りなのですか?」

「そうだ。アザエルや松田、そして魔遊。すべて上層部の筋書き通りだ。今のところ順調に行っている」

 どんなに熱く語っても安堂博士は揺るがなかった。アザエルは歯噛みしながら部屋を後にした。

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