第6話 ドミニオンズ

 三人の男女が公園を後にし、向かった先はARK社のビルだった。

 高い塀に囲まれ、さらにその上にバリアを張るという念の入れようだった。砲弾を撃ち込んでも破壊不可能であるらしい。

 入口の正門を通るとき、暗がりの中赤い光が八つ光っていた。ぐるりと光が三人の方を向いたが、すぐにまた正面を向き直った。

 ビルには人間の警備員が立っており、三人に対して敬礼した。三人は警備員に目もくれずビル内に入る。

「それにしても、例のヤツがあんな子供とはね」

 女が呆れたように独特の高い声で言った。李美耽リ・ビタンという中国人の中流家庭に育った十五歳の少女である。切れ長の鋭い眼光が印象的な少女だ。美人だが気の強そうな顔立ちである。身長はさほど高くないが、歩き方がしなやかでどこか拳法使いのような立ち居振る舞いをしている。

「李美耽とそんなに変わらないじゃないか。わしもだけどな」

 身長180センチを超える大柄な体のベルゼバリアルは大きな地声で言った。声が夜の静かなビル内に響いている。李美耽はうるさそうに顔をしかめた。黒人のベルゼバリアルは柔道を習っており、縦にも横にも大きい。盛り上がった筋肉がたくましかった。

「とにかく今は博士に報告だ」

 涼しげで能面のような顔つきのアザエルはエレベーターのボタンを押しながら言った。ベルゼバリアルほどではないが、背の高い細身の体つきはモデルのようだった。冷静な表情だったが、内心李美耽同様、探していた人間があんなに幼いとは思ってもみなかったのだ。しかも日本人街の住人であることに驚きを隠せなかった。アザエルはブロンドの白人である。

 アザエルもベルゼバリアルも同じ貧しい地区の出身だった。二年ほど前にARK社が試験的に行った貧困層の住民にノックヘッド装着の結果、このふたりが高い智力を発現したためARK社にスカウトされて今に至る。

 ARK社とてノックヘッド開発の最先端であるから、それに伴うアークエンジェルズ発現に対して無視はできなかった。無視どころか、専門の研究機関を設置して、日々研究を行っている。

 今ではパワーズクラスの智力を有する者を大勢抱えており、それこそ上海支部だけでもチームが編成できるくらいだった。

 彼らは自らの組織をドミニオンズと名乗っていた。

 これは極秘事項でもなんでもなく、上海市民なら誰でも知っていた。ARK社に対する感情は人によって様々だが、やはり世界有数の企業であるから、アークエンジェルズやパワーズの智力が発現した者はARK社直属のドミニオンズに入隊したいという憧れや願望が少なからずあった。

 エレベーターがやってきた。三人は乗り込むと、72階へ向かった。

「アザエル。あの少年……魔遊とかいったか? いつこちらへ誘うつもりだ?」

 李美耽がアザエルの隣に来て声をひそめた。

 アザエルは目を閉じたまま考え事をしていた。

「俺たちだけで判断はできない。ずっと探していた奴だ。まずは報告だ。博士に指示を仰がないとダメだ。仮に仲間に引き入れるとしても、拒否された場合も想定しておかなければならない。先月のイギリス人グリゴリ団の時のように、攻撃してくる事態も考えておかないと。やられることはないにしろ、もし手に負えないようならその時は抹殺だ」

 ドミニオンズはプリンシパリティーズのように街中を警備することはなかったが、プリンシパリティーズの手に負えない強力なパワーズを発見した場合、要請を受けて出動することがある。

 アザエルたちは腕利きのパワーズである。まずそこいらのフォーリンエンジェルズ程度では勝負にならないくらいの力の差がある。しかし目的のパワーズが強力な智力を持っていて、まだ訓練次第では伸びしろがありそうであれば、仲間に入れる準備をしている。だが、グリゴリ団の連中はまずARK社に対して敵対心を持っているわけだから、よほどのことがない限り、まず誘いを断る。するとアザエルたちと戦うことになり、なかば無理やり連行される。それでも拒否するようならば最悪の結末が待っているのだ。

 ポン、と心地よい音とともにエレベーターが到着した。

 72階のエレベーターホールは広々としていた。エレベーターホールでありながら、普段のくつろげる場所として使用されている。昼間であれば、ドミニオンズのパワーズたちがここに集まっているが、今は誰もいない。

 ホールにはゆったり座れるソファがあったり、観葉植物があったりするが、打ちっぱなしのコンクリートの壁のせいかどこか寒々しい。

 ホールから長い廊下が伸びていて左右に部屋が並んでいる。その部屋は各個人の私室である。ドミニオンズ隊員たちはずっとここで生活をしているのだ。そして日々智力を高める訓練を行っている。そのため、このビルから何ヶ月も外に出たことのない者もいる。

 廊下の奥には医療室や、脳を詳しく分析する装置のある研究室、その他怪しげな部屋などある。

 さらに廊下を進んだ奥に、博士の部屋はあった。アザエルだけが入り、李美耽とベルゼバリアルのふたりは部屋の外で待つ。

「なあ、李美耽。あの日本人パワーズはどうなるかな?」

 ベルゼバリアルは相変わらず大きな声で李美耽に声をかけた。ベルゼバリアルは声をひそめるということを知らないのだ。声の圧で李美耽は思わず体を避けた。

「さあな。博士次第だろうな。アザエルがどんな報告をするかにもよるだろうし。あとARK社上層部の判断もあるだろうし。あたしたちではどうにもならないだろうね。間紋護とかいうブラスト・ディザイア使いはまだ未熟だけど、訓練次第ではまだまだ伸びそうね。まだ智力を使いこなせていない感じだ。そして杏璃魔遊は、すでに強力な智力を持っている。危険なくらいに。しかもまだ秘めたものを持ってる気がする」

 李美耽は相変わらず高い声で言うと、博士の部屋の前にある三人掛けのソファに腰を下ろした。つられるようにベルゼバリアルも座る。李美耽は大柄なベルゼバリアルの圧を感じて、少し間を開けてから座り直した。

 

 博士の部屋はそれまでの打ちっぱなしのコンクリートの寒々とした雰囲気とは違って、壁紙から絨毯から調度品からいちいち豪華だった。落ち着いた木目調の柄がしゃれている。

 大きな机にはたくさんの資料が積み上げられ、パソコンも置いてある。今の時代、パソコンを使うのはごく限られた人のみだった。ノックヘッドではできない、複雑で専門的な作業はやはりパソコンを使用するのだ。

 報告をしにやってきたアザエルを見て、安堂茂六あんどうもろく博士は作業を中断した。机の前にある応接セットにアザエルを座らせると、安堂博士はテーブルをはさんで向かい側のソファに座った。

「例の巨大なログを残していた人物は、日本人街の少年でした」

 アザエルは率直に報告した。

「他にもパワーズを発現させている者がいましたが、杏璃魔遊という少年が最も強力です。ログのデータ通り、智力はネガティブ・ジェネレイター。新型ブレイブ・ファングやアングリー・ブルですら太刀打ちできないほど強力です」

 安堂博士は中年の痩せぎすの男性だった。頭は全て白髪となっており、実年齢以上に老けて見えていた。どこか皮肉っぽい笑みをいつもたたえている。

 大学時代から頭脳明晰で、ARK社の前身であったソフトウェア開発会社に就職したあと、仲間と一緒にノックヘッド開発に没頭していた。そして約二十年前に初期型のノックヘッドを完成させ、その後世界中に普及させたのである。ARK社にとってはなくてはならない重鎮のひとりであった。

 そして今はノックヘッド装着によって発現するアークエンジェルズやパワーズの研究に余念がない。世界中から見込みのある者をドミニオンズに引き入れ、智力の更なる向上、可能性の追求、なぜ人は智力を持つようになったかを調べている。

「日本人か……意外だったな。日本人街は見落としていた。確かにあそこにはエンジニアが大勢いるだろうし、きっと闇でマン・マシーンを装着しているのだろう。だからEDENのログにIDが残らないのだな。マン・マシーン装着者であったことは予想通りだったが、これで分かった、スラム街で貧困層のマン・マシーン装着者の増加には、日本人エンジニアが関わっていると言ってもいいだろう。最近爆発的にグリゴリが増えたのはそういう背景があるに違いない」

 そういう安堂博士も日本人である。しかし、見事に事実を見抜いていた。

「それで、その杏璃魔遊とやらはどんな奴だった?」

「見た目は大人しそうですが、一度火がつくと手がつけられないような印象を持ちました。ですが、智力は長続きしないようで、一度に放出すると意識を失いました。訓練の余地があります」

「つまりキレやすいということか?」

「恐らく」

「危険だな。もし仲間に引き入れてもトラブルの元になりかねんな。まあ、それを監督するのはアザエル、お前だがな」

 安堂博士はソファから立ち上がった。一瞬目をつむり脳内で時間を確認した。まだ夜の九時を過ぎたところだ。

「全員に招集をかけろ。ホールに集まるようにな」


 安堂博士の部屋の外のソファで雑談していた李美耽とベルゼバリアルは、部屋から出てきたアザエルを見て立ち上がった。

「どうだった?」

 李美耽が催促するようにたずねる。

「全員ホールに集合だ」

 アザエルは相変わらず冷静な表情で言った。そしてEDENから、72階にいるパワーズ全員に一斉に招集メッセージを送った。

 ARK社直属ドミニオンズ上海支部所属のパワーズはアザエル、李美耽、ベルゼバリアルを含めて十四人いる。年代は十四歳から十八歳までと全員少年少女である。

 なぜかわからないが強力なパワーズとなる者は十代の若者が多い。その多くが、幼少期にノックヘッドを装着してすぐに智力を発現し、天才と呼ばれた経歴を持っている。

 そしてなぜか二十代以降の人間がノックヘッドを装着しても弱い智力しか発現せず、アークエンジェルズ程度の智力にしかならないことが多い。若いうちに装着する方が強大な力を得やすいようである。

 また十代で強力なパワーズだった者が成長して、成人すると智力が落ちる、という報告もある。これは脳の発達と関係があるとの仮説がある。ただこの結果は誰にでも当てはまるものではなく、年老いても強力なパワーズを維持する者もいる。仙人のような存在の報告があるのだ。

 ただ大多数は少年少女の間だけ大天使になれるようで、短い期間だけに特権が天から与えられているかのようだった。

 招集メッセージから十分少々で、全員が無機質なホールに集合した。

 少年が八人、少女が五人である。国籍はバラバラである。ただ上海支部だけあって中国人が多かった。今集まっているのは十三人であとひとりいない。

 夕飯を食べ終え、風呂も入り、寝間着姿の者もいて、もう寝る態勢に入っていたようだ。いずれにせよ、夜のくつろいでる時に急に呼び出され、何事かという顔をしている。

「こんな夜に一体何事だよ。俺は電視台を見ていたんだ。いいところで邪魔をされて出てきたんだから、きっと面白い話なんだろうな?」

 一番年下の毛手碓モウ・デウスが嫌味を言った。これが彼の性格だった。自分の智力が高いのを鼻にかけて、最年少ながら大きな態度を取ることをいとわない。体つきはか細く小さいため、余計幼さが際立っていた。

「今日、市街地で市民のデモ隊と警察、軍、プリンシパリティーズが衝突したのは皆分かってるだろうな?」

 アザエルが集まった顔を見渡しながら確認を取った。

「その混乱に乗じて市内のグリゴリ団が集まり、騒ぎがさらに大きくなった」

「ああ、そこのホールの窓から見えてた」

 阿刃怒ア・バドが冷静に答えた。まるで他人事のような言い方だった。冷静な性格だがアザエルほどではない。しかも冷静なのは表面だけで、すぐにカッとなりやすいのが欠点だった。中肉中背、ごくごく平凡な見た目だった。

「そのグリゴリ集団の中に、以前から話していた、強力なログを残していた奴が現れた……」

「そいつは日本人だそうだ」

 アザエルの説明をさえぎるように安堂博士が現れた。一歩下がった位置にすらりと背の高い少年が立っている。彼もまたドミニオンズ隊員でこれで十四人全員そろったことになる。

「プリンシパリティーズやアークエンジェルズ、そして我々が街中に設置した智力監視装置などの情報から、約二ヶ月間謎のEDEN上の異常なログを確認していた。ネガティブ・ジェネレイターの智力の持ち主だとは分かっていたが、匿名IDだったためどこの誰かわからなかった。今日の騒ぎで姿を現すはずだと確信したので、アザエルたちに偵察に出てもらったところ、見事に網にかかった。予想通り、マン・マシーン装着者だ。いずれにせよ、今日の騒ぎで見つけ出すことができたのは運が良かった」

 博士の言葉にその場にいたドミニオン隊員たちはざわついた。

「そいつは敵ですか? それとも味方に付けるのですか?」

 馬火茂バ・ヒモがたずねた。珍しくみんなの前で発言した。彼はあまり人前では発言することは少ない。少人数になると愚痴は多くなるのだが。ただ博士の前だけではいい子ぶっている。身長はそれほど高くないが、猫背で人を上目使いで見る癖があった。

「わからん。日本人街に住んでいるので、スカウトに行ってみて、相手の出方を見るしかなさそうだ。グリゴリだからな、恐らくARK社のことは嫌ってるだろう」

 安堂博士は自嘲した。それにつられてドミニオンズ隊員たちもクスクス笑っている。

「ただ、ヴァーチャーズも目をつけている。奴らには渡したくない。奴らの手に落ちるくらいなら始末をつけるのも止むを得ん。それと、かたくなに仲間になるのを拒んだ場合も同様だ」

 安堂博士は真剣な顔で言った。魔遊に直接会ったことはないが、EDENに残っている魔遊の智力のログの数値は今ホールに集まっているドミニオン隊員たちに匹敵するものだと割り出していたので、何が何でも仲間に引き入れたかった。と同時に敵には回したくないのが本音だった。安堂博士自身、他人の智力を見抜くパワーズの智力を持っていた。

「まあ、その程度でやられるようならそれまでの智力だということだがな」

「ヴァーチャーズと奪い合いをするくらいのすごい奴なんですか?」

 また馬火茂が質問した。

「わたしの分析に間違いがなければ、それくらいの価値はある。セラフィム候補として扱ってもいいかもしれない」

 またホールがざわついた。

「いつ誘いに行くかは、追って指示を出す。それと……プリンシパリティーズの動きにも注意をするように。特に指導者メタトロンだ。奴も違う意味で危険な奴だ」

 言い終わると博士は自室へと戻っていった。側にいた少年も後を着いていく。

 ホールのざわめきは夜遅くまで続いた。すごい奴が仲間になるかもしれないという、期待感と焦燥感が入り混じった感情でいっぱいだった。

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