二章 天の皇子

二章 天の皇子 1

 ピジジジジ……

 遠くで鳥の声が聞こえた気がして、かさねは頭上を仰いだ。しかし、四方に伸びたセワの樹が空を覆うばかりで、鳥影は見当たらない。木道はその名のとおり、樹木神の守護を受けた道だ。深い緑は雨露や飢えから旅人たちを守ったが、旅慣れていないかさねにとっては、地面を這う太い根も頭上にかぶさる枝も障害にしかならない。

「もう、うごけぬ……」

 膝に手をついてへばっていたかさねを、先を歩くイチが振り返った。

「もうすぐ日が暮れる。急ぐぞ」

「これ以上? かさねの足はぱんぱんじゃ」

「泣きごと言えるなら、まだ歩けるだろ」

 こたえるイチは相変わらずそっけない。

 半ばかどわかされるようにして生まれ育った莵道の里を出て三日。不満はおおいにあったが、かさねはイチと行動をともにしている。

 天都へのぼる、とイチは言った。この国で天都へ通じる道はふたつ。神々を総べる天帝が守護し、天の一族が管理する「天道」と、千年前、莵道の姫が天帝へ輿入れする際に一度だけ使われた「莵道」だという。ゆえあって天都から追放されたイチに天道は使えないから、莵道一族の持つ莵道を使わせてほしい、とつまりはそういうことらしい。かさねをさらったのは、かさねが一族の末姫で、莵道を開く力を持つからだと。

 なんとも信じられない話である。

「そもそも……」

 行く手を遮る蔓を押しやりながら歩く男の横顔を眺め、かさねは口をひん曲げた。黒髪に晩秋の夕暮れにも似た金の眸。顔立ちこそ美しいが、イチの身のこなしはかさねの思い描く貴公子とはかけ離れている。無駄のない動きは野生めいていて、村のごろつきか、よく言って武人というほうがしっくりくるのだ。

(『元皇子』のくせに従者のひとりもいないなど、怪しさしかないわ)

「ほんに皇子なのか、こやつは――って顔をしてるな、お姫さま」

「ひ、ひとの頭を勝手に読むな!」

「別に読んでなんかない。あんたがだだ漏れなだけ」

 すげなく返され、かさねは悔しさから唇を噛む。擦りきれた草鞋の間から入り込んだ小石が指の間にあたって痛い。朝から歩き続けた足はほとんど感覚もなかった。急にぽろぽろと涙がこみ上げてきて、かさねは俯いた。

「……もう歩きとうない」

「なら、そこでひとりで座ってろ」

 山にひとりで置き去りにされることがどんなに恐ろしいか、かさねにだって想像がつかないわけじゃない。夜の山は獣の領分だ。日が暮れる前に山を降りるか、山腹の山小屋にたどりつかなければ、命の危険がある。わかっていても、かさねは耐えられなかった。

「でももう歩けんのだもの……」

 ついにしゃがみこんでしまったかさねを置いて少し歩いたあと、イチは舌打ちをした。大きな腕がぞんざいにかさねを担ぎ上げる。額をくっつけたうなじからは汗と土のにおいがした。

「お姫さんてのは、こんなに手のかかる生き物なのか」

 うんざりといった様子で呟くイチに、おまえこそ、とかさねは心の中で言った。天帝に仕える一族の皇子なら、もっとやさしくて、慈しみ深いものであるはず。だから、おまえは偽者じゃ。そうに決まっている……。

 抗いようもなく睡魔に引きずりこまれながら、かさねは断じた。


「んー……むむ」

 次に目を開いたとき、かさねは温かな敷き藁の上に横たえられていた。近くでぱちりと炭が爆ぜる。暖を取るときなどに使う炭入りの陶器をぼんやり見ていると、「あんたの連れが起きたぞ」と炭を転がしていたおやじが声を張った。

「まったくひどい奴だよ。こんな小さなお嬢さんを連れて山越えなんて」

「ほんに……そう思うであろ!」

「ずっと担がれていた奴がよく言う」

 深々とうなずいていると、焼いた木の実の串刺しを持ってイチが戻ってきた。旅人用の山小屋らしい。さして広くない木組みの小屋の中には、イチとかさねのほかに、数人の旅人がいた。隣に座ったイチが腰にさげた小袋から、塩をひとつまみつかんで木の実にかける。

「かさねにも」

 手を差し出せば、イチは頬を歪めたが、木の実のひとつを取って渡した。熱々の木の実を割って息を吹きかける。生焼けの木の実は噛むと苦い上、固かった。うぬ、と呻いて吐き出しかけたのを何とか飲み込む。かたい……と呟くと、イチが冷たい目をしたので、唇をへの字に曲げて黙った。煙を逃すためにくりぬかれた通気口からは、ざわめく森の気配がする。

「ふもとまでは間に合わなかったのか」

「あんたを担いでたからな」

「……すまぬ」

 何もそんな言い方をせんでも、と思いはしたが、イチに担いでもらったまま寝入っていたのはかさねなので、素直に謝る。軽く息をついただけで、それ以上イチは言ってこなかった。

「あんたらはどちらに向かっているんだね」

「西――地都ツバキイチだよ」

「ああ、大地将軍がおさめる都か。もしかしてあんたも大地将軍の編成軍に入るつもりかい?」

「大地将軍? 大地将軍とは誰だ?」

 横から口を出したかさねに、旅人はぎょっとした顔をする。

「大地将軍を知らないのか、あんた?」

「わるい。妹は箱入りのせいで世間知らずなんだ」

 イチがこたえて、黙っていろとばかりに木の実の残りを押しつけた。

「それにしたってねえ。大地将軍は実質、この国の支配者さ。武力で各地のあらぶる神々を平定してきたおひとだから、天帝を戴く天の一族の長とはそりが合わない。両者がいつかことを構えるんじゃないかって、地都と天都のあいだはぴりぴりしているって聞くよ。それに大地将軍は先だって皇子を――」

「かさね」

 旅人の言を遮るようにイチはかさねを呼んだ。木の実を齧ることも忘れて話に聞き入っていたかさねはそこで我に返り、「なんじゃ」と眉根を寄せる。

「あっちに草鞋売りがいた。おまえの擦り切れてぼろぼろになってたろ。新しいのをもらってこい」

 物々交換ということなのか、イチはひとつまみの塩をかさねの手に握らせる。旅人の話をかさねに聞かせたくないのがあからさまだった。

「でも……」

「大地将軍の話が聞きたいなら、あとで俺がしてやる」

 どうせそなたは自分に都合がいいことしか話さんであろ。

 口から反論が飛び出しかけたが、いちおう旅人たちには兄と妹で通しているようなのでこらえた。一瞬、旅人たちにかさねは莵道からこやつにかどわかされてきたのじゃ、と告白してしまおうかと思ったがやめた。とても信じられない話であるし、正直、山小屋の中にいる旅人たちよりはイチのほうが強そうに見えたのだ。

 

 夜、空にこだまする獣の遠吠えでかさねは目を覚ました。久しぶりに屋根の下で眠れたのに、どうにも夢見が悪い。目をこすっていると、炭入りの陶器を囲んで、男たちが何かを話しているのが見えた。いつの間にか身体にかかっていた麻の上着をたぐり寄せ、かさねは「イチは?」と近くの男に尋ねる。

「外で火の番をしてる。交代でやんねえと、獣が近寄るからな」 

 窓からのぞくと、山小屋の前で焚いた火を守るようにイチともうひとりの男が座っていた。そう厚い壁ではないが、おそらく今なら声は届かない。確かめて、のう、とかさねは安酒を引っ掛けていた旅人に声をかける。

「大地将軍とやらの話をもっと聞きたい。そやつが地都をおさめておるのか」

「おやまあ、お嬢さんときたら熱心だねえ」

 茶碗に並々と注いだ濁り酒を回して、旅人は苦笑した。

「そうさ。もとは貧しい官吏の家の生まれらしいけどねえ。十数年前に地都で暴れる沼神を退治してから、瞬く間にあらぶる神々をおさめ、各地を平定していった。まるであのひとのほうが武神だよ」

「ひとの身で神々を斬ったというのか」

「ああ。なんでも強い呪力をこめた太刀を持っているらしい。神々もそれを前にすると、ひとたまりもねえんだと」

「……まことか」

 神を斬るなどかさねには恐ろしいことのように思える。だが、狐神を前にしたとき、イチもまた、ためらうことなく刀を抜いた。

「ただ、天帝を戴く天の一族は、将軍にはまつろわない。両者はいつぶつかるかってひやひやしていたんだが、去年だよ。大地将軍のもとに、廃嫡された天の一族の皇子が現れたんだ」

「皇子、だと?」

 顔を険しくしたかさねには気付かず、ああ、と旅人はうなずいた。

「名を壱烏。七年前に大罪を犯して天都を追放されたらしい。今は大地将軍に味方して、天都を落とすと息巻いている」

「そんな馬鹿な」

 呟き、かさねは汗が滲んだこぶしを握り込んだ。

 地都の大地将軍とやらの前に現れた壱烏。

 かさねの前に現れた壱烏。

 いったいどちらが本物なのだろう。

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