四章 銀髪/少年

 1

 

鳶雄が雑居ビルを出ると、バイクにまたがっている鮫島と、彼を引き止め

る夏梅が言い合いをしていた。

「ちょっと、どこに行くのよ!?」

「先に帰るだけだ。今日は疲れたから寝る」

「本当に帰るんでしょうね? 寄り道とかしてまた勝手に戦闘開始なんての

はカンベン願いたいわ」

「あー、はいはい。けど、事件の黒幕を知れたのは、俺が釣りだしたから

だ」

「それにしたって単独で危険な行動をしているのは確かでしょ? 『総督』

の話を聞いてなかったの? なんだか、ヤバそうな人たちが襲いかかってき

てるのよ? 皆で協力しあっていかなきゃダメなの!」

 鮫島は燃料タンクの上で座っていた白い猫をシャツの胸元に入れる。

「こいつがいればどうにかなる」

 白い猫も主人のシャツから顔だけ出して、「にゃー」と鳴いていた。

 強気な鮫島に夏梅も怒りを通り越して呆れ顔となっていた。

「……良く言えば、勝手ってよりは極端に前向きで行動的なのかしら……」

 鮫島が単独で動いていたのは、親友である前田の現状を知りたかったのと、

事件の黒幕たる者たちを追おうとしていたからだろう。そのため、独りで暴

れ回り、『虚蝉機関』の注目を集めて、結果的に機関員の釣り出しに成功し

た。相当自分勝手な行動であるが、それは彼が親友の現状を探りたかったの

と、自分たちを陥れた者たちへの怒りからくるものだ。彼の行動原理に関し

て、鳶雄もわからなくもない感情を抱いていた。自分も大きな力を得て、敵

の全容が朧気おぼろげながらも把握できたら、紗枝の現状を早く知りたくなって独り

で動いたかもしれない。鳶雄には、鮫島の行動が他人事のようには思えな

かったのだ。

 夏梅が鳶雄に告げる。

「幾瀬くんもこのヤンキー止めて!」

 心の中で「俺が止めるのか!?」と抗議の声をあげるが、そんなことを口に

したら目の前の不良少年の機嫌を損ないそうだ。

 鳶雄は冷静に思い直して、ビルの部屋を出るときに夏梅がぼそりと口にし

ていたことを話す。

「止めるっていっても、皆川さんのほうが伝えたいことがあるって言ってた

じゃないか」

 そう、夏梅は『総督』から得られた情報があると言っていたのだ。

「そうそう」と、夏梅は思い出したように自分のバッグをあさりだした。

 夏梅はクリアファイルに挟まれたプリント用紙を取り出すと、鳶雄と鮫島

双方に見せる。

 彼女が取り出したプリント用紙には、ずらりと人の名前と住所らしきもの

が羅列してある。よく見れば、見覚えのある名前と住所も記載されていた。

「これは、事故で死亡したことになっている生徒の住所録よ」

「これも『総督』が?」

 鳶雄の問いに、夏梅は「ええ」と答える。夏梅が用紙をめくっていき、と

ある一枚を見せてきた。

「で、問題はこれ。ここを見て。遺族の人たち、引っ越ししてるの。しかも

ほとんど同時期。信じられる? 二百三十三名もの生徒の遺族が、ほとんど

同時期に違う場所に移り住んじゃっているのよ」

 確かに、あまりに不自然すぎる。二百以上の家庭が、そろって引っ越すな

んて異常だ。

 ……そう、紗枝の両親も自分に連絡もなく引っ越しをした。鳶雄が幼い頃

から世話になっていた紗枝の両親だ。引っ越すならば、一言あっても良かっ

たのだが……。

 例の合同葬儀のとき、紗枝の両親も他の遺族同様、催眠にかかったように

違和感のある演技じみた悲哀の表情となっていた。

 これらの遺族の変化はすべて繋がっているのだろう。――つまり、

「……『虚蝉機関』が絡んでるよね?」

 鳶雄の言葉に夏梅はうなずいた。

「ええ、間違いなくね。それに、引っ越し先の住所がまったくわからないっ

てのも怪しいわ。できる範囲で手を尽くしたけど、遺族の引っ越し先だけは

わからなかった。二百以上もの家庭が集団失踪なんて、あまりにありえない

話よ。普通だったら、事件になってもおかしくない。いや、事件にできた。

けど、できなかった」

「……この国の裏で顔が広いという五大宗家……。その関係者が名を連ね

るっていう『虚蝉機関』……。それらが関与してるってことか……」

 遺族をすべてどこかへ移すことができるほどの力。裏で大きな力が動いて

いるのは確かなようだ。

「これを追えば、もしかしたら『虚蝉機関』か五大宗家のことが少しはわか

るかもしれない」

 強い声音で夏梅は言った。表情は真剣そのものだ。

「鮫島くんじゃないけど、私もね、好き勝手に私や同級生たちの人生をハ

チャメチャにしてくれた奴らが許せないのよ。……私たちが『四凶』だとか

独立具現型のセイクリッド・ギアを持っているだとか……だとしても、そ

いつらが宗家を見返すために私たちを求めたのがそもそもの原因でしょ? 

……人が死んでいるのよ。同級生を拉致して悪用しているのも許せないけど、

船に乗っていた無関係の人たちも死んでいるの。……それが、私たちが原因

だなんてさ……たまんないじゃん。……同級生にも、多くの船員さんにも、

申し訳なくて……何か、ひとつでも報いることをしてあげたいのよ」

 ……夏梅の口調は悔しさに満ちており、瞳は悲哀の色が濃かった。

 彼女の言う通りだ。豪華客船の沈没事故も、もともとは夏梅や鮫島に宿る

『四凶』を狙った『虚蝉機関』の行動が原因だ。同級生たちも、船の乗員も、

『虚蝉機関』の思想のとばっちりだ。

 夏梅がふいに鳶雄へ申し訳なさそうに言う。

「……ゴメンね、幾瀬くん。幾瀬くんと幼馴染みの東城さんは私たちの被害

者だね。いくら、幾瀬くんにセイクリッド・ギアが宿っていようと、『四

凶』とは別だったわけだし……」

 ……そうか、そういう考え方もあるんだなと鳶雄は思ってしまった。この

事件に関与したのが、昨日の今日だからか、それとも先ほど真実の一端を

知ったからか、夏梅の謝罪を聞いて鳶雄は初めて自分と紗枝が実は被害者側

であることに気づいた。

 ――自分は『四凶』とは別のセイクリッド・ギアの持ち主だった。

 奴らの求める力ではないから、自分は無関係? ……いや、そうとも言い

切れない。どうにも自分のルーツ――祖母の『姫島』が事件に関係している

ようなのだ。そうだとしたら、これは他人事ではない。

 鳶雄は夏梅の言葉に首を横に振る。

「……俺がまったくの無関係ってわけでもなさそうだし……それに俺は皆川

さんに一度助けてもらった」

 そう、昨日、佐々木に襲われたときに夏梅は鳶雄を救ってくれたのだ。そ

れは善意だと鳶雄は認識している。だとしたら、礼を言うのはむしろ自分だ。

「昨日は危ないところをどうもありがとう。あらためて礼を言うよ。それに

俺も紗枝を救うって大事な役目がある。共同戦線は有効ってことでいいよ

ね?」

 逆に鳶雄がそう訊いた。

「え、ええ、もちろん」

 驚きながらそう返す彼女に鳶雄は真っ正面から告げる。

「じゃあ、一緒に最後まで戦おう。どこまでやれるかわからないけど、同級

生を救うことぐらいはやるべきなんだと思うんだ。同じ陵空に通っていた者

なんだしさ」

 正直な気持ちを吐露する鳶雄だった。

 怖いという面も多い。当然だ。一歩間違えれば、そこにあるのは紛れもな

い――死なのだから。あのバケモノの触手が喉をかっ切ればそれで自分は死

ぬだろう。

 いままでは『四凶』だという条件があったから、殺されるまではいかな

かったのだろう。けど、奴らは自分が『四凶』ではないと知った。……ここ

からは死のリスクが高まる。何せ、奴らにしてみれば自分は部外者に等しい。

『姫島』の流れがあったとしても、夏梅や鮫島ほどの価値が自分にはあるの

か? ……答えは『わからない』。どうにも自分の力はイレギュラーのよう

だが、それが彼らにとって価値あるものか、現状わからずじまいだ。リスク

は依然高いままだと認識したほうがいいだろう。

 けれど、それをかんがみても紗枝奪還のために独りで戦うより夏梅や鮫島、ラ

ヴィニアと共同戦線を築いて戦ったほうが賢明な判断だ。何よりも二日間の

付き合いで、夏梅にも鮫島にも仲間を救う以外に他意はないように思えた。

ラヴィニアはいまだ捉えきれない面も多い上に顔からは感情も読めないが、

悪意を持って自分たちと行動しているようには思えない。いや、思いたくな

い。

 ……考えることは多い。大きな何かに関与して、危うい位置に立っている

のもわかる。でも、陵空の生徒であり、同級生を救いたい気持ちは一緒だ。

なら、今後も共に戦う理由――いまはこれだけで十分なんじゃないのか? 

そう、鳶雄は思っていたのだ。

 とうの夏梅は鳶雄の一言を聞いて目を潤ませている。

「……幾瀬くんって、お人好しだよね」

 お人好しなのだろうか? それもよくはわからない。ただ、夏梅は良い人

だ。そして、紗枝を奪い、無関係の人たちを殺した者たちは身勝手に悪意を

振りまいていると鳶雄は感じていた。

「トビーは良い人なのですよ」

 ラヴィニアの声だ。振り返れば、ビルから出てくる金髪魔法少女の姿が

あった。彼女だけ、『総督』と話があったようでビルの一室に残ったのだ。

 鳶雄の足下にいた黒い子犬――刃を抱え上げるラヴィニア。刃も安心して

身を任せているということは、やっぱりラヴィニアに邪気めいたものなんて

微塵みじんもないのだろう。

「……ははははっ!」

 おかしそうに笑い声をあげるのは鮫島だった。

「おい」

 鮫島が呼んでくる。見れば、口元を愉快そうに吊り上げていた。ズボンの

ポケットを探ると、携帯電話を取り出す。画面を鳶雄に向けた。

「――俺の番号だ。さっさと登録しろ」

 突然の申し入れに、鳶雄はポカンとしていたが、途端に笑顔を浮かべて自

分の携帯電話を取り出した。

「ああっ!」

 鳶雄は素早く鮫島の番号を登録し、ボタンを操作する。すると、鮫島の携

帯電話が鳴った。

「それが、俺の番号だ」

 鳶雄がそう告げて鮫島が確認する。ふいに鳶雄は訊いた。

「でも、なんで急に番号を?」

 鳶雄の問いに、鮫島は笑みを浮かべたまま言った。

「バカが好きなだけだ。幾瀬、おまえは最高にバカだな。――さて、俺は先

に帰るぜ。どこか、行くような用事があるなら俺に連絡しろや」

 鮫島は白い猫を懐に入れたまま、フルフェイスのヘルメットをかぶる。

「あっ! まだ話すことあるのに!」

 非難の声をあげる夏梅をよそに、鮫島はアクセルを吹かす。すさまじいマ

フラー音だ。

「マンションでひと眠りしたあとに聞いてやんよ。それと、幾瀬」

 鮫島が人差し指を鳶雄に突きつけてくる。

「――三日だ。とりあえず、三日はそのワン公と特訓しとけ。黒幕が割れた

以上、奴らも本腰を入れてくるだろうよ。なら、おまえのワン公が使ったあ

のおっかねぇ影の剣みてぇなのが必要になるだろうしな。俺も三日間、白砂

と向かい合うつもりだ。おい、鳥頭」

「何よ!」

 鳥頭というあだ名が気にいらない夏梅だが、かまわずに鮫島が言う。

「――幾瀬をヴァーリに会わせろや。クソ生意気なガキんちょだが、セイク

リッド・ギアに関しては、まあ、アリだろうからよ」

 それだけ言うと、鮫島はアクセル全開の猛スピードでこの場を去っていっ

た。

「もう! 何から何まで勝手なんだから!」

 夏梅は地団駄を踏んで、すでに見えなくなった不良に文句を言い続けてい

た。

 ……特訓、か。鳶雄もラヴィニアに抱えられる刃を見ながら、それが必要

だと感じていた。

 ――刃の能力を生かさないと、死のリスクは高いままなのだから。

 ……いますぐ紗枝の捜索を開始したいところだが、鮫島が言うようにここ

からは危険が昨日今日の比ではないほどに高くなるのだと予想できる。

 三日間、鳶雄は刃と向き合う決意を決めた。

   



 翌日の朝――。

 鳶雄はマンションの屋上にいた。傍らには刃。ビール瓶ケースの上にス

チールの空き缶を置いていく。

 ふいに誰かが屋上に上がってくるのに気づく。――夏梅だった。

「やっぱりここにいた。おはよー! ――って、何をしてるの?」

 軽快に朝のあいさつをしてくる夏梅が、空き缶を置く鳶雄にそう訊ねる。

「おはよう。これ? ちょっとね、試したいことがあるんだ」

「?」

 疑問符をあげている夏梅を尻目に、鳶雄は刃の横につく。

「刃、いくぞ」

 鳶雄の命令を聞くと、刃は額から日本刀状の突起物を出す。次に鳶雄は空

き缶のひとつを指差した。

「スラッシュ!」

 その掛け声と共に、黒い子犬は閃光と化して前方に飛び出していく。そし

て、スチールの空き缶を斜めに切る。斜めに真っ二つになった空き缶は、乾

いた音を立てて下に落ちた。

「おおっ、すごいね」

 夏梅はパチパチと拍手を送ってくる。

「まだだよ。次だ」

 鳶雄は足元に戻ってきた刃に次の指示を出す。鳶雄が複数の空き缶を空高

く放り投げた。

「跳べっ!」

 その命令を受けて、刃は西洋の騎士が持っていそうな両刃の剣をふた振り、

羽のように背中から出現させた。

「ラッシュ!」

 鳶雄の指示のもと、刃が凄まじい勢いで飛び跳ねる。空中で回転しながら

スチールの空き缶を次々と切り刻んでいった。

 額にも片刃の剣が出現し、最後の空き缶を鋭く貫いた。

 鳶雄は満足そうな表情で息を吐くと、「もういいよ」と刃に言う。それを

聞いて、刃は剣を体に戻していった。

「おおっ!」

 刃との連携にいっそう拍手を送ってくれる夏梅。興味深そうに訊いてくる。

「なんだか、刃ちゃんの剣が昨日見かけたときより、鋭くなってる?」

「うん。実は、昨日帰ってから徹夜でしつけたんだよ。マンションの共同フロ

アにDVDが置かれていたから、そこからチョイスして刃に時代劇や騎士が

出る映画とか見せたんだ」

 昨日、デパートでの激戦とビルでの『総督』からの説明を受けたあと、マ

ンションに戻ってきた鳶雄は、マンションの共同フロアに置いてあったDV

Dに目が行ったのだ。そこには、各種映画やらバラエティ、教養ものと様々

なジャンルが用意されていた。

 彼はそこから時代劇と中世ヨーロッパが舞台の映画をチョイスして刃と共

に映画を見始めた。直感だが、鋭利な突起物が生える刃に剣士や侍が登場す

る映像を見せたとき、何か変化が起きるのではないかと思い至ったのだ。

 テレビの中の役者たちが、軽快に殺陣を交わしていく。刃も主と共に画面

を見つめている。理解しているのかどうかはわからないが、視線をそらさず

に時代劇に見入っていた。

 子犬のイメージとして、かまってあげないとすぐに暴れるというものが鳶

雄のなかではあった。だが、この黒い子犬は大人しい。まるでこちらの心中

を察しているかのようだ。エサのときもがっつかず、キレイに食べる。手間

がかからないといえばそこまでだが、この犬はセイクリッド・ギアという異

能が具現化したものだ。本物の犬ではない。

 だからこそ、鳶雄はこの刃に映像を見せることに意味があるのではないか

と思ったのだ。

天誅てんちゆうでござる!』

 テレビでは、ちょうどクライマックスの殺陣シーンに突入した。ドラマも

佳境だ。

 キンッ! キンッ! という、刀と刀がぶつかり合う金属音が聞こえてく

る。かっこいい殺陣シーンを見ながら、鳶雄はぼそりとつぶやく。

「……おまえもあんな刀が生えたら、カッコイイかもな」

 冗談半分で口にしたことだが、次の瞬間――子犬の額から、刀の形に似た

刃状の突起物が出現したのだった。いままで生えていたものよりも無機的に

なっている。以前の突起物は、どこかバラのトゲのように有機的だった。

 鳶雄は、突然の出来事に度肝を抜かすが、確かに子犬の額からテレビで役

者が持っているような刀が生えているのだ。そう、日本刀に酷似した突起物

――。

 鋭さも独特の刃紋もないが、刀の形をしている。

 ――こちらの言葉に反応したのか?

 そうとしか思えない状況だ。

 鳶雄は、それを確認するために黒い子犬に向かって言う。

「もう少し、刃は鋭いかも……」

 その言葉に反応して、子犬の額から出ている刀は細くなっていき、鋭さを

増した。

 ふと閃いた鳶雄は、子犬に「テレビの刀を見て、もっと正確な刀にしてみ

ろ」と命令する。すると、黒い子犬はテレビを見つめながら、額の刀を何度

も修正していく。

 額の刀が、細くなったり、長くなったり、自由自在にうごめいている。はた

から見たら怪奇現象だが、鳶雄は理解した。

 この子犬は、自分の言葉を理解して、刃を変化させられる――と。

 いつの間にか、鳶雄は子犬の変化を食い入るように見つめていた。

 映画を何本か見終わっている頃、刃の体には以前よりも具体性のある突起

物――剣が生えるようになっていたのだ。

 わずか、四時間弱の間で、黒い子犬は進化を遂げたのだった――。

 鳶雄は変わったばかりの刃の剣を試したくなり、昨夜から徹夜で試し切り

をおこなっていた。それらのことを夏梅に説明したあとで鳶雄はこう続ける。

「それから何度か切り方を試していたんだけど、考えてみると具体的にどう

指示するか決めてなかったからさ」

 屋上には、無数の空き缶や木製の板が転がっている。それらは、ほぼすべ

て刃によって切り刻まれていた。

 鳶雄は切り刻まれた板や空き缶をゴミ袋に入れながら言う。

「このマンションの近くにあるゴミ収集所に、いっぱいあったからさ、拾っ

て使ったんだよ」

「……一晩、ずっと練習してたの?」

 生唾を呑み込みながら夏梅がそう訊いてきた。

「ああ、昨日童門とかいう男が使っていた人型の泥に攻撃が効かなかったか

ら、少しでも対策を立てておこうと思ってね」

 鳶雄はこれでも足りないぐらいだと思っている。現状、刀の強度はこれ以

上硬くは変えられなかった。西洋式で両刃の剣を出現させられるようにもし

たが、片刃の刀と比べると受けにある程度強くても斬りの威力は弱い。そこ

で、両刃剣を使うときはコンビネーションから突進力を得て一気に打ち込む

ように躾けた。

 出せる剣の種類は、まだ数種類だ。だが、一夜でこれだけできれば大した

ものだ。刃の異常な学習能力の賜物といえる。

「まったく、先にセイクリッド・ギアを得た私としては負けていられないわ

ね」

 呆れるように息を吐いて苦笑いする夏梅。

 鳶雄は、夏梅のグリフォンと連携を強めたいと思ってもいたため、

「そうだ、皆川さん。グリフォンとの連携を――」

 そう申し出ようとしたときだった。

「――なんだ、話を聞いて来てみたら、そんなものなのか」

 ふいに第三者の声が屋上に響いた。

 声の出先を探れば、開かれたままの屋上の扉に背中を預ける人影がひとつ。

 ――一瞬、少女と見まごうばかりに整った顔立ちをした銀髪の少年だった。

 夏場だというのに首にマフラーを巻き、しかしながら下は短パンというミ

スマッチな出で立ちだ。右肩にかわいらしい白いドラゴン(?)のぬいぐる

みを乗せていた。大人びたことを言う割には背は低く、声もかわいらしく、

一見すると小学校の高学年ほどにしか見えないのだが……。

「本体のほうからはまるでオーラを感じられない。弱そうだ」

 見知らぬ少年だ。しかし、不思議な雰囲気をまとっている子だった。おそ

らく、このマンションの住人のひとりなのだろう。

 鳶雄はいぶかしげに感じながら問う。

「……キミは?」

 だが、少年を見てツカツカと勢いよく近寄っていく夏梅の姿があった。

「ちょっと! いきなり、そんなことを言うもんじゃないっていつも言っ

ているでしょ? あんたね、初対面の人には悪い印象与えすぎよ、ヴァー

リっ!」

 夏梅に詰め寄られても少年はふんと鼻を鳴らすだけだった。

「ふん、知ったことじゃないさ。印象よりも初めて見たときの相手のオーラ

が肝心だ。そちらの彼も夏梅も下の中がいいところだね」

 半眼でそう評する少年。……もしかして、夏梅や鮫島が言っていた生意気

な男の子というのは……。

 そう思慮していた鳶雄に夏梅が少年を紹介してくれる。

「この子はヴァーリ。ほら、このマンションに生意気な男の子がひとりい

るって言ってたでしょ? この子のことよ」

 ああ、やはり、この子がそうなのか。確かにどこか皮肉げというか、反抗

的というか、生意気盛りの男の子というイメージを抱かせる子だなと鳶雄は

思った。

 銀髪の少年――ヴァーリは、鳶雄を見上げながら不敵に訊いてくる。

「『いぬ』の飼い主くん、俺と一戦交えないか?」

 かわいい声からは想像もできないほどに好戦的な物言いで、戦意を含ませ

ていた。小柄な身体ながらもその身はたとえようのない不気味な何かを強く

にじませている。

 夏梅はそのヴァーリの額を指で弾く。

「だからね、ヴァーリ! これから一緒にウツセミ操ってる連中倒すメン

バーなんだから、ケンカ越しは止めなさいって言ってるでしょ? そんなだ

から鮫島くんのときも大げんかになったんじゃないの!」

 弾かれた額を手でさすりながら、ヴァーリは不敵な笑みを浮かべ続ける。

「俺は言っているだろう? 一緒に手を組むなら、その者の実力を知るのは

当然の権利だ。何せ、弱すぎて足手まといにでもなったらたまらないのだか

ら。まあ、鮫島綱生はいちおうの合格点をあげたけどね」

 ……鮫島は、この少年と一戦交えたのか。そうわかると、俄然がぜん興味は沸い

てくる。

 ――幾瀬をヴァーリに会わせろや。クソ生意気なガキんちょだが、セイク

リッド・ギアに関しては、まあ、アリだろうからよ。

 昨日、鮫島が口にしていたことが脳裡のうりをよぎった。

 刃もヴァーリを視界に捉えており、じっと見つめていた。まるで少年の力

を探るように赤い双眸そうぼうを輝かせる。

「……わかった。キミをどうすれば満足させられるかわからないけど……俺

も自分の相棒を実戦形式で試したいところだった」

 鳶雄はヴァーリの挑戦を受けることにした。

 このヴァーリという少年がどれほどの力を持っているかは知れないが、鳶

雄は一夜かけても皆目見当のつかない事柄がひとつだけあったのだ。

 それは――例の『影からの刃』である。

 デパートの一戦で、鳶雄の想いが頂点に達して、刃が応えて発現したあの

影からの刃が、昨夜からの自主的な特訓ではまるで出せる気配がなかったの

だ。刃に口で命じても、鳶雄が心のなかで念じても子犬はそれに応えてはく

れなかった。鳶雄がやりたいことは心を通じて刃にも伝わっているはずだ。

 ただ、刃自身がそれをおこなえるだけの条件が満たされていないため、念

じられても困惑しているのだと鳶雄は何となく感じ取っている。

 この銀髪の少年との一戦で、条件に関する糸口が見えれば幸いだ。鳶雄は、

影からの刃を習得したいがためにヴァーリからの挑戦をあえて受けた。

 今後『虚蝉機関』という組織とやり合うには、あの力が絶対に必要だ。そ

れは紗枝を救うことと同義でもある。

 三日間のうちにどうしてもあの力の一端でもいいから、モノにしたい――。

 あの力の発動条件は、激しい怒りか、それとも恐怖か、はたまた……。

 少年――ヴァーリの前に立つ鳶雄と刃。ヴァーリはそれを見て口の端を愉

快そうにあげていた。

「いいじゃないか。いいオーラをまとい始めた。キミにはまだ視認できない

だろうけど、体からいい色合いの戦意が立ち上っているよ」

 ……と言われたものの、鳶雄にはそのようなものは見えていない。彼の能

力は、見えないものが見えるというものなのだろうか? それはわからない

が、小柄な肢体からは隙を微塵にも感じさせてくれない。

 夏梅が横から言う。

「……気を付けて。鮫島くんは、この子にけちょんけちょんにやられちゃっ

たの。あの『総督』の秘蔵っ子だって、ラヴィニアが言ってたわ。――強い

わよ」

 ……鮫島が手も足も出なかったということか? デパートでの一戦でわ

かったことだが、彼は並のウツセミを歯牙にもかけないほどセイクリッド・

ギア――白い猫を使いこなしていた。少なくとも、いまの自分や夏梅よりも

上手だろう。だからこその自信も垣間見える。

 その鮫島でも勝てなかった。童門と同クラス? それとももっと……。年

下相手に身震いしてしまうが、鳶雄は意を決して刃に命じる!

「いけっ! 刃!」

 指示を受けた黒い子犬は、額から刀タイプの突起物を生やして、高速で

真っ直ぐに飛び出していく。黒い弾丸と化した刃を前に少年は――微動だに

しなかった。まるで避ける素振りを見せない。

 いくら彼が強かろうと、鋭利な刀を生やした刃の突撃は正面から受ければ

致命傷となるだろう。止めるべきか、行かせるべきか、苦慮する鳶雄だった

が、その判断をする前に刃がヴァーリに飛び込んでいった!

 当たる! という間際に来て、ヴァーリは最小限の動き――体を横に反ら

すだけで刃の突撃を避けてしまった! 無駄のない動きだった! 刃は避け

られてもなお、軌道を修正してすぐさま猛追していく! しかし、それも

ヴァーリに軽やかに避けられてしまう。

 刃はヴァーリの周囲を駆け回り、いくつかのフェイントになる動きを混ぜ

たあとで、一気に詰め寄り、斜めに額の刀をいでいく! これは昨夜から

の特訓で覚えたことだ! 刃は愚直なまでに主に仕込まれた攻撃を仕掛けて

いく! ――が、それでもヴァーリは横に飛び退くだけで避けてしまった。

 だが、それを刃は見逃さない。まるで横に避けるのをわかっていたかのよ

うにその場で一回転して着地後、すぐにヴァーリを追っていく! 主の鳶雄

すらも驚いた刃の反応速度であったが、直撃するというところでその攻撃は

徒労に終わる。

 ――ヴァーリが正面から、刃の首根っこを押さえて攻撃を止めてしまった

のだ。

 当たる寸前に少しだけかがみ、直撃を避けた。そこに手を出して刃の首を押

さえて止めてしまった――。

 刃の首をつかむヴァーリはふと漏らす。

「……そうか、わかったよ」

 それだけつぶやくと、刃を解放して後方に軽く飛び退く。指でくいくいっ

と仕掛けてくるように挑発をしてくる少年。刃もそれを受けて、飛び出して

――。

「――ッ!」

 鳶雄の眼前で、予想外の出来事が起こる。少年が突如として、消えた。い

まのいままで目で確かに追えていたのに、瞬きしている間に銀髪の少年が姿

を消したのだ! 驚く鳶雄は辺りに目線を配らせるのだが……。

「――ッ!?」

 ……背後からの気配に気づいた鳶雄。恐る恐る振り返ると、手のひらをこ

ちらに向けた少年が立っていた。手元に――怪しげな銀色の輝きが生まれる。

……その輝きからは危険を強く感じてならない。空気を伝わり、ピリピリと

攻撃的なものを身に覚えてしまう。

 ヴァーリが手元を輝かせながら言う。

「独立具現型のセイクリッド・ギアは、分身となる獣を宿主の意思によりい

かようにも自由に動かせるものだ。一番のメリットは相手から距離を取って

攻撃を加えられることだろうか。安全な場所から指示を出せば余計なダメー

ジを受けずに敵を倒すことができる。だが、デメリット――いや、弱点もわ

かりやすい」

 刹那、自身の体が強い衝撃を受けて吹っ飛ばされる感覚が襲う。腹部への

痛み、跳ね飛ばされた浮遊感……。

「ぐわっ!」

 飛ばされたあと、屋上の床にたたき付けられて、鳶雄は悲鳴をあげる。そ

のまま何度か転がって、屋上の隅っこに追い詰められてしまった。

 ……銀髪の少年が手元から放ったのは……セイクリッド・ギアの力? そ

れともラヴィニアと同様の魔法なのだろうか? ともかく、彼が手元から衝

撃を生んだのは確かであり、自分はそれをまともに浴びて吹っ飛ばされてし

まったのだ。

 ヴァーリがゆっくりと歩み寄りながら言う。

「独立具現型は本体が弱い場合が圧倒的に多くてね。距離を詰めてしまえば

御しやすい」

 主を守るため、ヴァーリの横合いから飛びかかる刃だが……それも少年は

軽々と避けてしまう。健気にも何度も何度も飛びかかっていくが、そのすべ

てがヴァーリには届かない。

 ヴァーリは鳶雄の眼前まで迫ると、その場でしゃがみ込み不敵な笑みを浮

かべて言った。

「鮫島綱生も俺にこうやってやられてしまったよ。結果、彼は分身と共に戦

うスタイルを確立したようだが」

 ……そうか、鮫島が肩に猫を乗せて、その尾を自分の腕に巻き付けてラン

スと化していたのは、そういう意味合いがあったのか。

 自身を守るための武器とさせ、同時に猫にも援護攻撃をさせるスタイル

――。それが、鮫島がこの少年との戦いで学んだこと。鮫島が、この少年と

会わせろと言っていたことがいまならよく理解できる。

 ――つまり、独立具現型のメリットとデメリットを体で覚えろ、というこ

とだ。

 ……それがわかったところで、この少年に反撃できるような気配もうかが

えない。

 どうやら、この小柄な年下の男の子は、自分よりも遙かに格上の相手のよ

うだ。まるで手も足も出ない。鮫島がそうなったのもいまなら大いにうなず

ける。

 夏梅も「あちゃー」と顔を手で覆っていた。「やっぱり、そうなったか」

と言わんばかりの反応だった。

 ……悔しさと己の不甲斐なさに歯噛みする。

 ――が、こちらの思いとは裏腹に少年は横に目線を送って楽しげな顔つき

となっていた。

「……ああ、でも、遊ぶには十分かもしれない」

 鳶雄も視線を追うと――そこには全身から黒いもやのようなものを発生さ

せる刃がいた。赤い双眸が危険なほどの輝きを見せており、ヴァーリに対し

て威嚇とも取れる低いうなり声をあげている。明らかに、刃は怒りに満ちて

いた。

 ドクンッ。

 ……ふいに高鳴る鼓動。自分の体からも黒いもやが滲み出ていることに鳶

雄は気づいた。……これは、デパートの一件と同じ現象だ! 見れば、屋上

の物陰という物陰から、いびつな刃が生えていっている。――影からの刃だ。

 何がスイッチとなって発動したのか? 刃の怒り? 主である自分の危

機? それともその両方か? まだ見当もつかない鳶雄ではあったが、刃か

ら発生する言い様のないプレッシャーを浴びて、ヴァーリはうれしそうな笑

みを浮かべるばかりだった。

「いいな。それが本性の一端か。額の刃なんておまけみたいなものだろう? 

さあ、打ってこい!」

 両手を広げて、迎え撃つ格好のヴァーリ! その足下の影から、巨大な刃

が突き上がってくる! ヴァーリは瞬時に後方に飛び退いて直撃を避けた! 

しかし、着地した先にできた影からも刃は幾重にも発生する! ヴァーリは

それすらも喜びながら体捌たいさばきですべて避けきった!

 ヴァーリへの攻撃以外にも屋上の物陰という物陰から刃は無尽蔵に生えて

いく。このままでは、屋上全体が鋭利な突起物によって埋め尽くされてしま

う。影から襲いかかる刃に満足げな銀髪の少年という光景が展開するが、鳶

雄はこれ以上の継続は取り返しがつかなくなりそうだと判断して叫んだ。

「刃ッ! 止めろッ!」

 主の命令を聞き、いままさにヴァーリに飛びかかろうとしていた刃の動き

がぴたりと停止する。

 刃は額の剣を体に収めると、とことこと主のもとに歩み寄ってきた。

ヴァーリはそれを見て、途端に不機嫌な表情となり、つまらなそうに息を吐

いていた。

 ……この戦闘でわかったことは大きい。

 まず、主である自分を守る術が必要なこと。少年が言うように、自分自身

が敵に詰め寄られたらそれで終わりだ。幾瀬鳶雄自体は普通の高校生であり、

飛び抜けた身体能力を有していない。

 ……デパートで力が解放されたときは一時的に身体能力が引き上がったが、

いまはそれがなかった。影からの刃が使えたとしても、必ずしも自分も強く

なるとは限らないということだ。

 そして、影からの刃――。これは、主である自分と刃の意識が同時に高

まったときに発現できるのかもしれない。たとえば、鳶雄がヴァーリに攻撃

されたこと――主の危機、主が攻撃を受けたこと――刃の怒り、このふたつ

が重なって先ほどの発動を見た?

 その場で立ち上がりながら、鳶雄は刃を抱きかかえる。腕のなかで尾っぽ

を振る黒い子犬。……いまだ力の全容は見えてこないが、主である自分が

甲斐がいなければ、自分もこの刃も危険にさらされる。

 ……もっと、力を知らなければならない。ヴァーリとの一戦は、学ぶこと

が多かった。

 ヴァーリが気を取り直したのち、訊いてくる。

「キミ、名前は?」

「幾瀬鳶雄だ」

 鳶雄がそう名乗ると、ヴァーリは手を広げて自信満々にこう述べた。

「ふっ、俺はヴァーリ。魔王ルシファーの血を引きながらも伝説のドラゴン

――『白い龍バニシング・ドラゴン』をこの身に宿した唯一無二の存在さ」

 …………。

 ……………………。

 ……ま、魔王? ルシファー? ド、ドラゴン? 唯一……無二?

 首をかしげる鳶雄。いきなり、「魔王」と言われてしまった。しかも、「ド

ラゴン」らしい。……超常現象が連発している身の上ではあるが、さすがに

「魔王」と「ドラゴン」は突拍子もないものを超えて、反応に困るしかない。

 鳶雄はどうにか、

「…………あ、ああ、そうか」

 作り笑顔でそう応えるしかなかった。

 とうのヴァーリは気取った口調とポージングをしながらうんうんとうなず

く。

「ふっ、ついこの間まで一般人だったキミにはこの領域レベルの話はまだ早いよう

だ」

 ……どうしたらいいのか、鳶雄は苦慮するしかない。

 これは……少年のノリに合わせたほうがいいのだろうか? ふと夏梅が近

づいてきて、耳打ちする。

(……年齢的にちょうど中二病っていうのを発症しているようなの。なんと

なく、相手をしてあげてね)

 あー、なるほど。と、鳶雄は相づちを打った。

 自分も中学生の頃、似た症状を発症した記憶もあるので、言われてみると

少年の仕草もよくわかることだった。

 おそらく、セイクリッド・ギアか、魔法が使えるのは確かだろう。その上

で自分が魔王の血を引く、伝説のドラゴンだということなのだ。

 この歳で超常現象を身につければ、そういう症状になっても仕方ないこと

かなと鳶雄はうなずく。

 ――と、見守っていると、ヴァーリがいきなり独り言をつぶやき始める。

「……ああ、わかっている。今回はここまでさ。これ以上は何もしないよ」

 それを興味深く観察していると、視線に気づいたのか、彼が気取りながら

言う。

「俺のなかのドラゴンとキミの『狗』が反応しているのさ」

「……俺のなかのドラゴン……?」

 聞き返す鳶雄にヴァーリは自身の胸に親指をさしながら言う。

「言っただろう? 俺は伝説のドラゴンをこの身に宿す存在。いつだってあ

いつは俺に話しかけてくる」

 ……そうか、話しかけてくるのか。それは……仕方ないな。この歳なら、

そういうこともあるのだろうと鳶雄は無理矢理自分を納得させた。

 夏梅が小突きながら言う。

(そういう設定なの、多分ね。合わせてあげて!)

「……あ、ああ、今度、そのドラゴンと話せたらいいな」

 顔を引きつらせながら笑みを作り、そう返す鳶雄。

「ふふっ、生半可では済まないぞ? 俺のドラゴンはな」

 少年の夢と設定を壊してはいけない。こういうのは一過性のものだ。治る

までは見守ってあげるのが最良であり、無理に現実を押しつけて否定するの

は、かえって少年の心の成長に悪い影響を与えてしまいかねない。

 ――と、屋上にいつの間にか現れていたラヴィニア。ヴァーリに近づき、

頭をなでていた。

「ヴァーくん、いい子いい子なのです」

 その手を振り払うヴァーリ。

「な、なでるな! 俺は子供じゃないぞ!」

 おおっ、今度は年相応に怒った。口調も自然だった。やはり、いままで見

せていた顔は気取った中二病的なものだったのだろう。

 短時間だったが、このヴァーリという少年のことが少しだけわかったよう

に思えた。

 ラヴィニアが言う。

「朝ご飯の時間なのです。皆で食べるのです。シャークも起きたのですよ」

 ――と、言っても朝ご飯を作るのは自分で、これから作れという意味合い

の報告なのは重々承知である。

 ヴァーリがあごに手をやりながら言った。

「おい、幾瀬鳶雄。付き合ってくれた礼だ。――あとで日燐食品の『ねぎみ

そこくまろラーメン』をくれてやる。特別だぞ」

 …………年下の男の子に上から目線でカップラーメンを振る舞われる。な

んとも言えなくなりそうだったが、彼の善意なのだろうから、否定するつも

りは毛頭ない。

「あ、ああ、いただくよ」

 その上で自分は五人分の手料理を作らねばならないのだろうが……。

「ったく、カップ麺ばかりじゃおっきくならないわよ?」

 嘆くように息を吐きながらそうヴァーリに言う夏梅だったが、とうの本人

は――

「腹に入ればどれも同じだ。カップ麺はお湯を注げば約三分で出来上がる。

空腹をすぐに満たすことに関して、これほど理にかなっているものもない

ぞ」

 と、返すだけだった。少年ながらに独自の生活理論があるようだ。だが、

夏梅が言うようにこの歳でカップ麺は不健康だ。……彼用の朝ご飯も用意し

たほうがいいなと鳶雄は心に決めた。

 夏梅は再び大きく息を吐きながら、肩を落としていた。

「それはともかく、片しましょうか。いくら、私たち以外に住人のいないマ

ンションだからって、このままじゃダメだと思うし」

 鳶雄は屋上の惨状に改めて困惑した。屋上は歪な刃だらけだ。さて、これ

をどうしたものか……。

 眠いのか、刃は隣であくびをしていた。

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