第十二話 真田忍群(前)
真田一族が、信濃小県の海野家に仕える新興の武家だったことはすでに触れた。その海野家が武田・村上・諏訪の連合軍によって滅ぼされたため、所領・真田の庄を失った真田幸隆とその一族は上州を頼ったが、武田信虎を追放してその娘・晴信を甲斐の守護の座につけた山本勘助からの再三の勧誘を受け、今はこうして武田に仕えている。
幸隆は、なんとしてでも真田の庄を奪回しなければならなかった。
真田の庄奪回のために必要な城。それが、かつて幸隆が守りの要として整備した砥石城だった。この城を奪い返せば、小県における村上の勢力は封じ込まれる。局地戦では村上義清相手に連戦連敗を喫してきた武田が、戦略によって村上に勝てる。
この日。幸隆は一族と、そして「真田忍群」を集結させていた。
「母者。調略で、砥石城を奪う上で」
「最大の障害は、加藤段蔵率いる『鳶ノ一族』こと戸隠忍群」
真田幸隆の娘にして、戸隠で異能の力を身につけた異色の姉妹。
「あの
バナナをほおばりながら畳に寝そべっている、猿飛佐助。
真田幸隆が
「なぜ十蔵が武田だの真田だののお役に立たなければならないの。
南蛮渡りの最新鋭兵器・
筧家は、真田家の家臣筋にあたる。真田家そのものが、山の民だった真田幸隆が里へと下りてきていつの間にか旧主からお家を奪い取ってしまった新興の武家であるから、つまり筧家もまた真田とともに山から下りてきた旧・山の民の一族ということである。
ゆえに、真田幸隆の二人の娘が戸隠へ飛び込んで「ご神体」に挑戦したとなれば、筧家もまた娘を戸隠へ送り込まねばならぬ、それでこそ武士というものであろう、と「武家になるのだ」と思い詰めていた十蔵の父親が幼い十蔵を非情にも戸隠へ送ったのだ。
通常の武士であれば、一族の血と家系を絶やすことをはばかってそのような一か八かの
この時、筧家と同様に、真田家に仕える家臣団の多くがわが子を戸隠へ送ったというが、そのほとんどは戻ってこなかった。
十蔵は、幸運児であったのか、「ご神体」の「力」に適応できる生まれながらの才能があったのか、生きて戻ってきた。しかも「力」を身につけていた。が、父親への不信と真田家への複雑な感情を抱えての生還だった。
幸隆の「山の民も農民も分け隔てなく生きられる楽園を真田の庄に築く」という真田幸隆の志に共感して真田に仕えた戸隠出身の忍びのうち、幸隆が山で拾って育てた佐助と、真田家臣の娘である十蔵とが、飛び抜けた異能力を持つ実力者だった。佐助は移動力に特化し、十蔵は種子島を用いた攻撃に特化している。さらに、敵の忍びと戦う術には劣るが、情報の伝達や敵陣からの内応といった地味な活動には「双子」が活躍してきた。
そして、もう一人。
砥石城調略のために動員された、真田忍びがいた。
「……私ごときが幸隆さまのお力になれるのでしたら、この術を
物静かで幸薄そうな、盲目の
彼女は、信濃の名族・望月家の姫である。
海野家が滅びた際に、望月家も運命をともにした。
名族とはいえ、望月家は忍びを束ねる「上忍」の一族という性格をも持っていた。佐助や霧隠のように直接戦場へ駆り出されて忍術を駆使して戦う忍びたちは、いわゆる下忍である。上忍とは、忍び社会における元締めの一族であり、忍びの里そのものが犯されない限りは自ら戦うようなことはない。望月千代女はその上忍の一族の姫であった。本来ならば、戦う必要のない立場にあった。が、その望月家が滅び、生きていくためには下忍のように自ら術を得て戦うしかなかった。
一族再興のために、千代女は、戸隠の山に入った。
そして、「ご神体」の光を浴びた。
全身の穴から血を噴きだし、倒れた。
千代女はかろうじて生き延びたが、「ご神体」の「力」の影響で、視力を失ったのだった。千代女はその視力と引き替えに、真田忍びとして生きていける異能力を得たのだ。
むろん、視力を失ったことは、忍びにとっては致命的といえる。千代女が忍びとして最前線で活動できるようになるまでには、言語を絶する苦闘があったはずだ。
「……お、お優しい幸隆さまに助けられていなければ、私は
「千代女はぎりぎりまで隠れていなさい。あんたの力は、真田忍群のとっておきだから。村上方に誰が参戦しているのかもわからない状況だもの、お互いに手の内を隠しながら札を切っていかないと負けちゃうわよ」
千代女は失明する以前から気が弱く引っ込み思案な姫だった。千代女よりもずっと年下の十蔵のほうが、気丈だった。
「あちらには、拙者と同等の術を用いる鳶加藤こと加藤段蔵。空中の霧を操る霧隠才蔵。そして少なくともあと一人、『移動』に特化した忍びがいるでござるな。加藤段蔵を
「村上方についた戸隠忍びは、他にもいるはずだわ。この十蔵が真田方にいると判明したのに、
「まあまあ十蔵どの。さて。砥石城内部にはすでに、内応者がいるでござるよ。武田の甲州金をたっぷりとばらまきましたからなあ。にゅ、ふ、ふ。一夜にして内応勢が内側から城門を破壊して、砥石城を一気に陥落させる、村上義清が後詰めに来る暇を与えぬうちに。その手品の種は、これにある『
先ほどから、佐助が茶釜のように
唐風に呼べば、地雷火。
和風に言えば、
すなわち、内部に火薬を詰め込んだ地雷兵器である。
南蛮の最新技術を採り入れたこの真田の地雷火は、従来の埋火よりもはるかに爆発力が激しく、しかも導火線に頼ることなく「好きな時に自在に爆破できる」というおそるべき利点を持っていた。地雷を敵に踏ませる必要はない。時限爆弾とも違う。術者が「今こそ」と判断したその時に、起爆させるのだ。むろん戸隠において特別な異能力を得た、選ばれた忍びだけが、地雷火を起爆させることができる――。その者が、真田にはいた。その忍びの正体は隠されている。仲間内では、暗号で『
「内応者の手引きで拙者が城に潜入。これを砥石城の山体の要に埋めて、『地雷也』が爆破させるでござる。無理矢理に地龍を
地雷火と真田忍びの特異な力とを組み合わせて新たな「兵器」を実現するという発想もさることながら、大地を揺らし地龍を暴れさせるなど、信濃の山の民が思いつくことではなかった。下手をすれば次々と信濃の霊山に連なる地龍の背中が連動して暴れはじめ、信濃の国そのものが
真田幸隆は「その地雷火を茶釜のように乱暴に弄んでいる佐助、あなたほどではありませんよ」と笑っていた。
「うふ。どこまで地龍に打撃を加えるのか。よい加減で止められるのか、やりすぎてしまうのか。その具合は、爆破の勢いと地雷火を埋める場所の正確さ次第。危険な綱渡りながら、これ以上、武田家の武将から犠牲者を出すわけにはいきませんもの。晴信さまのお心が壊れてしまいますから。町や村は復興できても、人の心はそう
今風に言えば無敵の鋼鉄メンタルを誇る佐助――野生の動物に限りなく近しい彼女の心の中には、人間が持つ迷いや闇や苦悩はほとんど存在しない
――には、ぴんと来ない話ではあった。
「だが加藤段蔵が率いる戸隠忍群が、必ずや妨害に出てくるはず」
「忍び同士の暗闘に勝たねば、こたびの調略もまた失敗に終わる」
双子が、互いの手のひらを押し付け合いながら、声を合わせた。
真田と戸隠。互いの手を知っている忍び同士の暗闘になる。鍵は「地雷火」を目的の場所へと設置できるかどうかにかかっていた。佐助や十蔵では面が割れている。むろん、目が見えない望月千代女には地雷火を運び埋めるという仕事は果たせない。他の忍びにしても、そのほとんどは戸隠から来た者であるから、佐助と同様である。ここはなんとしても、裏の裏をかかねばならない――。
「幸隆どの。こたびはそれがしも砥石城へと潜入し、『囮』の役目を果たしましょう。手引きをお願いいたす」
真田の庄を訪れてこの軍議に出席していた軍師・山本勘助が、口を開いていた。
「幸隆どのが理想とする真田の庄建築の夢と、ただ己の才覚を戦国の世に知らしめたいと欲するそれがしの野望とは、重なり合うものではござらぬ。われらは長らく、お互いの力を必要としながらもつかず離れずの関係でありました。ですが、御屋形さまを村上義清にこたびこそ勝たせねばならないという点で、両者の決意は一致しておりましょう」
「勘助どの。そう、露悪的にならずとも。お互いに武田家という主君を必要としている点では、われわれは同士であるはずですよ。それに今のあなたは片足の自由を失った身。忍び働きは、危険な任務となりますよ」
「真田を武田に引き入れたのはそれがし。その真田の者どもをこれほどの危機に追い詰め、命懸けの仕事をさせるとなれば、それがしも男として責任を取らねばなりますまい」
「ふふ。戦に、男も女もありませんが……
幸隆が、問うた。
「残念ですがお味方は占えませぬ。まして術者自身の星は、見ることがかないませぬ。なんとなれば宿曜道の技術もまた、術者自身の心によってその結果と解釈を左右されるものでありますれば」
「ならば村上義清の、星は?」
「冬の北天に輝ける
「星を見る軍師・山本勘助との相性も最悪というわけですわね。なるほど、二度も敗れるはず。ですが、次こそは勝たねばなりませんわ。みたび敗れれば、武田も真田も信濃から追われましょう。もう、後はありませんよ」
「承知。なにしろ塩尻峠でわれらに敗れた守護の小笠原が、村上のもとに身を寄せておりますからな。村上がみたび武田を破れば、信濃は村上のもとに一つにまとまりましょう――しかしこの勘助が、決してそうはさせぬ。信濃は。神の国は。御屋形さまが、統べなければならぬ。そうでなければこれまでの御屋形さまの苦渋に満ちた決断の連続が、すべて無意味であったということになってしまう……おのれ。ただ孤高を貫くというそれだけの意地のために御屋形さまの覇道を妨げおって。村上義清……!」
「うきゃ。軍師どのの面相は相変わらずおそろしいでござるな」
「そなたに言われずとも、わかっておるわ!」
佐助が、地雷火を放り投げながらきゃっきゃっと笑った。そんな佐助がよそ見をしながら危うく地雷火を取りこぼしかけた時、さしもの勘助も思わず顔色を変えた。
「これっ! 佐助! 落としたらなんとする! われら全員消し飛んでしまうではないかーっ!」
「その時はその時でござるよ。うぷぷぷ」
「そなたと話していると、どうにも緊張感が
十蔵が「決死の対決前夜だというのに、佐助ってほんとうに幸せそうでいいわね」と種子島の銃口を拭きながら憎まれ口を叩き、望月千代女は「人間が求めるある種の理想の境地に、佐助さんは達しておられるのです。
「さて、みなの衆。調略決行は、新月の夜。段取りを決めて、実行に移しますわよ。鍵となる『地雷火』の設置を最優先。全員が呼吸を合わせて戸隠へと臨機応変に対処できるかどうかに、この調略の成否がかかっていますわ」
「鳶加藤」こと加藤段蔵は、「戸隠山防衛」という彼の宿願に呼応して集まってきた腕利きの戸隠忍びたちとともに、闇に覆われた山中を進み砥石城へと向かっていた。
「武田晴信め。戸隠忍びと真田忍びを闘犬の
木々の隙間を縫いながら駆ける加藤たちの行軍は、霧に覆われている。
こたびは神々の戦いになるな、と南蛮忍びの霧隠才蔵がつぶやいていた。
いかにも南蛮人らしい金髪と
一応は下級貴族であるが、先祖代々、異端である。邪宗門の家系である。
およそ百五十年前に、始祖が「異端の魔女」としてルーアンなる土地でカトリック教会の手によって焼き殺されて以来、才蔵の一族は「異端の魔女の一族」と忌み嫌われて仏蘭西国内を転々とした。
最終的に、南仏蘭西のアルビという土地に一族は定住した。
かつて、アルビジョワ派あるいはカタリ派と呼ばれた
実際に異端の集落に逃げ込むことでしか、才蔵の一族は生きられなかったのだ。
カタリ派は、東方異教の影響を受けた基督教異端で、「肉」と「霊」、すなわち「物質」と「精神」の二元論からなるこの世界を「邪悪な世界」と考えていた。
「霊」のみの世界、「物質」を持たない一元論の世界が、この世界とは異なるどこかに存在する。その霊の世界こそが真の世界であり、この世界は邪悪な存在が創造した偽りの世界である――カタリ派の思想を簡単に言い表すと、そういうものになる。
だからカタリ派にとっては、カトリックが標榜するような地上の王国などはあり得ないのだった。
霊だけの世界があろうがなかろうがどうせ自分はその世界には
カタリ派の教義のルーツが、十字軍が東方から持ち帰ってきたいわゆるグノーシス主義と呼ばれる神秘思想にあり、そのグノーシス主義のもととなった二元論を追いかけると
ついに才蔵は仏蘭西国内にいられなくなり、イスパニアからガレオン船に飛び乗って印度へと亡命。その印度で、「
「霧隠。南蛮人のうぬにとっては、武田晴信と村上義清の所領争いなど無縁なもののはずだが、なぜ戦う?」
「私は、カトリックが標榜する唯一神というものが妄想にすぎないという証拠を失いたくないのだ。いにしえの神々はジパングに、この信濃に実在する。極東の島国に、生き延びている。その証拠である戸隠を破壊させたくはないのだ。ジパングにカトリックの教えを持ち込もうとやってくる宣教師どもに『ご神体』を突きつけてやりたいのだ、カトー」
「戸隠山が大地の九頭龍を封じていることに、貴様、気づいているな?」
「ドラゴンならば、ヨーロッパにもいたぞ。すでに、セントジョージたち切支丹の活躍によって南蛮のドラゴンは平らげられ滅び去ってしまったが……ヨーロッパの先住民たちも、ドラゴンを封じるために、ドラゴンの背中に当たる大地の要の地点に巨石を立てていた。巨石を用いた神殿を建てていた。あるいは、山の如き高い石の塔を」
「ふん。南蛮もまた、外の世界からやってきた異民族どもに征服されたのだったな。そして侵略者どもによって地龍は完璧に封じられたか。貴様もその南蛮の先住民の子孫か?」
「知らない。貴族に列せられた始祖さま以前は、わが家はただの羊飼いの家だった。ヨーロッパでは、先住民も侵略者どももすでに血が混じり合っている。仏蘭西では特にそうだった。だが、私にはガリア人の血が入っているかもしれないな……ガリア人はみな、私のような金色の髪を持っていたそうだ。が、血などどうでもいいことだ。私はジパングにおけるカトリックの布教を阻止したい。奴らはジパングの神々の痕跡を消してまわろうとするだろうからな。だから、戸隠の『ご神体』をタケダに奪わせはせん。それだけだ」
日頃は無口な才蔵だが、カトリックと異端の話になると、
神がただ一柱しか存在しないとはな。切支丹というのはどうにも非寛容な連中らしい、と加藤は笑った。
「才蔵! 切支丹の話とか今はどうでもいいのよ! あんたの霧隠の術とあたしの
常に水に潜み、陸上を駆けるのは苦手な少女忍び・根津
狂犬のように鋭く、飢えた瞳の持ち主である。
根津甚八は
根津家を滅ぼし、湖賊に
彼女は、諏訪家に仕える「水の民」根津家の姫だった。根津家は、代々諏訪家のもとで諏訪湖畔を統括していた。
武田晴信が諏訪家を事実上取り
根津甚八が一か八かで戸隠に挑戦したのも、ひとえに、武田晴信に
「砥石崩れは、この戸隠忍群の総帥である俺を囮に用いて、葛尾城まで千曲川を潜って神速で駆けたうぬの手柄だ。その
「そうよ加藤。あんたが討ち死にしようが、あたしはぜんぜんどうでもいいものね。あたしには味方とかいないから。あたしはあたし以外の忍びなんて信用していない。あんただって、あたしにとっては晴信を殺すためのただの道具よ。それなのに村上義清の奴、頼りないのよ! 二度も晴信を討ち漏らすだなんて! もう我慢できないわ。あたしが
根津甚八は、同じ時期に戸隠の山を
「なにが、筧家よ。なにが、真田の家臣よ! 筧家だなんて言っても、ちょ
っと前まではただのマタギだったくせに! ちゃんちゃらおかしいわよ!」
水を操る術の持ち主のくせに、当人は炎のように熱い。妙なものだ、と加藤は思った。
「ああもう。息が切れていたっ! ちょっと、あんたたち! どうして千曲川を使わないのよっ! 川を通れば、砥石城まで一泳ぎなんだからっ!」
「にょっほっほ。根津よ。そちゃ、陸上ではてんでダメじゃのう。とろいのう。わらわのギダンの術を見るがよいぞ。目くらましにすぎぬ鳶加藤とは違って、わらわの高速移動はほんものであるからな。同じ戸隠の『ご神体』に選ばれし忍びでも、格の違いというものが出るのじゃのう」
色白の、お姫さま然とした
忍び働きの最中だというのに
「うっさいわね、うんこ!」
「
「ハン。信濃随一の名門のお姫さまが、忍び働きぃ? 人間、ここまで落ちぶれたくはないものね。ああ、いやだいやだ。だいたいなによその振り袖姿は。忍びをバカにしてるの? あんたはその高貴な血筋と美貌を生かして、男をその身体でとろかすくノ一でもやればいいんじゃない?」
「黙るのじゃ根津公! 頭が高いのじゃっ! く、く、くノ一なんぞ、高貴なわらわがやれるかっ! 嫌じゃ嫌じゃ! この清らかな身体を下劣な男どもに汚されるくらいならば、戸隠の山で『ご神体』に挑戦したほうがよほどマシじゃっ! 現に戸隠の神はわらわの高貴な血筋にひれ伏し、ギダンの術を与えたもうたのじゃ。わらわこそ戸隠最強じゃぞ。要は高飛びの術にすぎぬ鳶ノ術なんぞよりも、目にも留まらぬ速さで地を駆けるわらわの術のほうが実戦においては上じゃ。にょっほっほっ」
こやつら。寄せ集めとはいえ、不仲すぎる、と加藤は愚痴りたくなった。
そもそも、加藤段蔵を除けば戸隠で「力」を得た忍びが若い女ばかりというのは、どういうことなのだろう。
(古来より巫女の仕事は、処女がやるものだった。なにか関係があるのやもしれんな。ならば男でありながら「力」を得た、しかも戸隠最強の「鳶ノ術」に開眼したこの俺はいったいなんなのだとも言いたくなるが、つまりは俺が常識外の天才であったということか。あるいは、俺は戸隠の山の神に呪われているのやもしれぬな……)
つぶやきながら、背後へと手裏剣を投じていた。
「貴様はどうする。われらに加勢するか、それとも敵対するか? 敵対するならばこの場で殺す、由利鎌之介」
大木の幹に張り付いて
「なあんだ、バレていたの。ボクは戸隠忍びではないもんね。見物しにきただけだよぉ」
と、はじけるように笑っていた。
由利鎌之介。
その名の通り、鎌の使い手だが、彼女の「力」は鎌とは無縁である。戸隠ではなく、
戸隠は天岩戸を「ご神体」として
管狐――すなわち、飯縄。
この管狐を飼い慣らし、管狐の小さな身体を利用して様々な工作に用いるという術こそが、鎌之介の「力」であった。むろん、管狐が並の人間に懐くことはない。鎌之介が発する、人間には聞こえぬ独特の声が、管狐の神経を
戸隠忍びには持ち得ない異能力であった。
「貴様、まだ男装ごっこをしているのか。
「趣味でやっているんじゃないよ。飯縄の法力を保つために、清らかな乙女の純潔を守るために男の子のふりをしているわけ。そんな憎まれ口を叩くのなら、管狐をつけるよ、加藤段蔵さん」
「嘘をつけ。いずれはほんものの男になりおおせられると信じているのだろう」
「とにかく今回は日和見させてもらうから。飯縄山は今のところ、武田と村上の争いとは無縁だから。もっとも、ボクが本気になれば、死人の山を築けるんだけれど」
「ちっ。貴様が飼っている管狐。それを用いれば、武田晴信の暗殺も容易なのだがな」
「さあ。どうかなあ。武田晴信は、甲斐いちばんの美人だというから。ボクは、美しい女の子を殺したくはないなぁ。年頃の女の子ってほんとに
戦うつもりがないのならば男女はとっとと帰りなさいよ、鬱陶しいわね、気持ち悪いのよ! と口の悪い根津甚八が由利鎌之介めがけて石を放り投げ、鎌之介は苦笑いしながら「ま、気が向いたら加勢してあげるよ。真田忍びも元はといえば戸隠出の忍びだよ? こんな田舎の戦いでせっかくの戸隠忍びたちが潰し合うのはいかにも惜しいもんね。戸隠忍びには、きっともっと華々しい出番があるのだから」との
「わらわの威光を恐れて逃げおったわ。あやつ、男装している娘だと言い張っておるが、実は男の子ではないのか? 衆道趣味の男に襲われるのが嫌で、男装女子のふりをしているのではないのかのう。にょほほ」
「はあ? うんこ、バカじゃんあんた。男に襲われるのが嫌なら、そもそも女装したら逆効果じゃん?」
「わらわは海野じゃっ!」
飯縄山もいずれは武田晴信は狙ってくるだろうか、と才蔵がつぶやき、加藤段蔵が「当然そうなるだろう」と答えていた。
「……砥石城が、見えてきたぞ。感じるか。数人の真田忍びが、近くに潜んでいるぞ。猿飛は確実に、その中にいる。俺の鳶ノ術を封じられるのは、あやつだけだからな。根津と海野は、もう会話をするな。気取られる」
「わかったわよ蜘蛛男。でも、才蔵?
「真田が砥石城でなにを企んでいるかを突き止めて、封じねば。敵の出方を見定めるために、城内に散ろう」
「にょほ。知恵者のわらわには、おおかた想像がついておる。こちらの武器が霧隠と根津が用いる『水』であることはもう、前回の戦で知れておるからの。奴らは『火』を使う気がするのじゃ。あちらには、種子島使いの筧十蔵もおるしのう」
「海野。よもやうぬは、火を自在に操り南蛮仕込みの地雷を自在に爆破させる力を持つ伝説の忍び――『地雷也』が実在すると言いたいのか? しかも、真田陣営にその地雷也がいると?」
「うむ。こちらが水蜘蛛の術の使い手である根津を隠しきって、砥石崩れの際に奴らの裏をかいたのと同じじゃ。あちらはあちらで、切り札として地雷也を隠しておるのであろう」
まさかきゃつらは、砥石城の兵士を内応させて城門を内側から開く、というだけではなく――九頭龍の背中に、地龍に打撃を与えて目覚めさせるつもりか!? と、加藤段蔵は思わず叫んでいた。
信濃の大地を貫く九頭龍とはなにか。
現代の地学用語でいえば、九頭龍とは、日本列島の東西に位置する巨大な二枚のプレートとプレートが衝突している地溝帯、「フォッサマグナ」である。
そのフォッサマグナの西側を走る巨大な断層線。親不知-黒姫山-諏訪湖-安倍川へ至る、いわゆる「糸魚川-静岡構造線」こそが、九頭龍と呼ばれる一本のラインであり、信濃の諏訪湖と黒姫山周辺にその九頭龍を目覚めさせる「要」とも呼べる地帯がいくつかある。
諏訪神社および、黒姫山・戸隠山・飯縄山をはじめとする北信五岳は、九頭龍の活動を封じ込めるために霊山として特化され、神人や修験者たちが施した様々な手段によって九頭龍を調伏し続けてきたのである。
そして諏訪神社の「御柱」と、戸隠山の「ご神体」すなわち天岩戸なる天から飛来した「石」こそが、その九頭龍封じのための最大の「力」であった。
また、フォッサマグナの東西の断層線に挟まれた中央部は、九頭龍の「本体」とも呼べる地帯で、妙高山や浅間山、箱根山、富士山などの火山が多数存在し、ゆえに九頭龍の伝説は箱根などにも伝わっているのだった。
そして――砥石城は、「要」としての規模は小さいとはいえ、その九頭龍封じの「要」の山に、建てられているのだ。
真田幸隆は、砥石城が九頭龍の背中の上にある「要」であると知っていたのだろう。
そして、今や武田晴信に仕える真田幸隆は、戦に勝利するためならばその九頭龍を眠りから覚ましても構わぬ、と思い定めているらしい。
「真田幸隆め。落とせぬならばとばかりに、地龍を駆って砥石城そのものを破壊するつもりか!」
「ほう。地龍じゃと? そのようなものが目覚めれば、驚いた城兵たちはいっせいに逃げだすのう」
「一歩間違えば、砥石城が崩壊するどころでは済まん。下手をすれば信濃の国が滅びるぞ。たかが城盗りのためにそこまでやるのか。やはり武田晴信は、倒すべきわれらが敵だ」
「へえ。やるじゃん真田幸隆。だったら、とことんやり合いましょう。みんな行くわよ、早い者勝ちよ! 城内で真田方の忍びと遭遇次第、片っ端から殺しちゃえばいいのよ!」
「ドラゴンの目覚めか。ヨーロッパではまず起こりえない光景だな。いちど見てみたくもあるが……ともあれ、佐助は私が斬る。あの、現世における苦悩のいっさいを忘れて生まれてきたかのような娘は、どうにも性に合わない」
「にょほ。佐助は才蔵のことが好きっぽいのに、そちもひどいのう」
「……お、女同士で好きも嫌いもあるか!」
「そうか? あの通り、鎌之介なんぞは女のくせに女にしか興味がなさげじゃがな。それでは――行くぞ、者ども。散、なのじゃ」
海野六郎が白い指を天に突き出す合図とともに、四人の戸隠忍びたちの姿が、闇の中にかき消えていた。
(地雷也が操るほうろく玉「地雷火」は、南蛮の技術を採り入れて刻々と姿形を変えているという。この俺をもってしても見切れぬ。爆破するとすれば砥石城の「要」である
加藤段蔵は音もなく山城の内部へ潜入すると、根津甚八を山の西へ、霧隠才蔵と海野六郎を東へと向かわせ、自らは「鳶ノ術」を用いて本命である丑寅、すなわち北東の方角へと突き進んだ。
体内で「気」を練りながら、夜の闇の中を高々と跳躍する。
呼吸を乱せば、気が乱れる。気が乱れれば、術は破れる。己の心身の限界を超えて術を使い続けた時にも、やはり爆死する。
互いに、山城の各方角へ忍びを散らしての、総当たりである。
空を舞う途中、砥石城の険しい山道を、片足を引きずりながら必死で
(軍師・山本勘助であったか……まともに走ることもできぬ男が、
山本勘助を無視して、加藤段蔵は地龍の「要」である「丑寅」の方角へとそのまま一足飛びに飛んだ。
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