第1話 春の嵐 後編

           6

 六時限目終了のチャイムが鳴る。

 その途端、大門高校を包んでいた気怠い午後の空気が一変した。

「うおおおおっ! 放課後! 放課後だ!」

「放課後イェェェェ――ッ!」

 生徒たちは突然熱狂的な歓声を上げて教室を飛び出していく。待ちに待った放課後……にしては、授業中に待ちきれずにソワソワする素振りなんて見せなかったのに、だ。

「シンクロー!」

 予想とは真逆の方向から聞こえてきた声に驚いて振り向くと、雷花が外から窓ガラスを叩いていた。ちなみにここは二階である。雷花のいるⅡBは真上だからダイナミックにショートカットしてきたらしい。

 窓を開けてやると、雷花はするりと教室に入ってきて、俺の前の席の机に腰掛けた。

「ねえ、どういうこと? 授業が終わるなりみんな急いで出て行っちゃったんだけど」

「言ったろ。この学校は放課後からが本番だってな」

 俺は約束通り雷花に校内を案内して回ることにした。

 校内はさっきまでとは打って変わって、どこもかしこも騒然としている。生徒たちは皆忙しげに動き回っていて、まるで学園祭の前日のような雰囲気だ。

「放課後にやることって倶楽部活動でしょ?」

「香港の学校には部活はないのか?」

「学校公認のものはね。やっぱり日本の高校生は部活に夢中なのね! アタシも高校に入ったら倶楽部に所属するのが楽しみだったのよねー」

「学園の頂点に君臨したら部活をエンジョイするどころじゃねーと思うんだが」

「うるさいわね。人生は楽しむためにあるのよ!」

 ホント何しに日本に来たんだ、こいつは?

「で、希望は? まずは運動部から潰していくのか?」

「なんでわざわざ潰さなきゃなんないのよ? 恐怖と暴力で支配するとか発想が古いわ。圧倒的なカリスマで人民のハートをわしづかむ! これよ!」

「だからお前の人気はネームバリューだけだと……」

「プカプカ言ってないで案内なさい!」

「グダグダだろ。もしくはガタガタ?」

「い・い・か・ら! まずは文芸部よ!」

「ぶっ……何故!?」

「部活と言えば文芸部でしょ!?」

「????」

 よく分からんが、とにかく文芸部に強いこだわりがあるらしい。

 大門高校にはやたらとサークルが多い。旧校舎が丸ごと文化系サークル棟になっているが、ひとつの教室の中がパーティションで仕切られて複数のサークルが同居しているため、掲示板に出ている地図はカオスな状態だ。廊下には各サークルの備品や掲示物が溢れ出し、すでに万年文化祭の様相を呈している。本番の文化祭とかどうなるんだ、これ?。

 文芸部は三階の端の教室に居を構えていた。廊下に出ている本棚にカビた

本が大量に詰め込まれている。

「タノモ――――ッ!」

 雷花はノックもなしにいきなりドアを開けて乗り込んだ。入り口付近に積み上げられていた本の山の一部が崩れ、その向こうにいたヒョロい男子生徒が驚いて立ち上がる。

「ああああああなたはレレレレレレイファ様!?」

「いかにも!」

「何かごごごご御用ですか!?」

「入部希望よ!」

「ええええっ!?」

 文芸部員は気の毒なほど狼狽ろうばいしている。

「え~と、その……今、部長は席を外しておりまして……」

「どこにいるの!?」

「文芸部部長は図書委員長を兼任しておりまして、図書館にいることが多くて」

「連絡を取って。直ちに!」

「は、はい!」

 部員は携帯を使い、しばらく小声でボソボソと会話していた。数分待たされた結果、

「部長は多忙だそうで、顧問に連絡しました」

「それで?」

「レイファ様の入部は認められないということです」

「どうしてよ!?」

「今のところ文芸部は新入部員を募集していないので――」

「部員は他に何人いるの? 見たところアンタしかいないじゃない!?」

「申し訳ありませんがお引き取りください」

「だから納得のいく理由を」

「お引き取りください」

 部員は深々と頭を下げてはいるが、言葉は頑なだった。

「フン……そう、また来るわ。失礼する」

 暴れ出しやしないかとヒヤヒヤしたが、雷花は意外にもあっさりと引き下がった。廊下に戻ってから訊ねる。

「図書館へ行って部長に直訴するのか?」

「まさか。あんなカビ臭くて陰気な部室に用はないわ。次は漫研よ!」

「文芸部にこだわりがあったんじゃねーのかよ!?」

 大門高校にあるのは漫画研究会ならぬ『萬画部』だった。漫画を読んでるだけかと思いきや真面目に作品を描いている部活らしく、漫画制作用のパソコン機材まで完備してある。

「レイファ様が入部希望だと? 何か描けるのか?」

 デブメガネの部長はややビビりながも値踏みするような視線を雷花に向けた。

「舐めるんじゃないわよ!」

 雷花はスケッチブックにマジックでサラサラとイラストを描いて見せた。ムキムキの大男の半身の絵で、女子が描いたとは思えないほど筋肉の描写が写実的だ。素人の意見だが……正直びっくりするほど上手いぞ!?

 部長もその実力を認めたらしくガマガエルのように唸った。

「むう……少しはできるようだな」

「でしょ?」

「だが入部は認められない!」

「何で!?」

「とにかくレイファ様の入部は認められんのだ!」

「だから理由は!?」

「悪いがお引き取り願おう!」

「ぐぬぬぅ~」

 今度こそ暴れるかと思ったが、雷花は今度もキレることなく引き下がった。

「次は?」

「アニ研よ!」

 どうしてまた軟弱そうな部活を選んで入りたがるのか。

 しかしアニメ研究会ならぬ『A研』でも雷花の入部は拒否された。

 さらに数カ所を訪問するも結果は同じで、皆「レイファ様」と畏敬の念を込めて様付けするものの、理由は明かさず「とにかくお引き取りください」の一点張りなところまで異口同音だ。

 雷花の来襲が知れ渡ったのか、早くもドアに『レイファ様お断り』の張り紙を出して入室拒否する部室まで現れた。押し売りかよ。

「これはいったいどういうことなのかしらね? あたしの存在があまりにまぶしすぎるせい?」

「……かもな」

 それ、自分で言うか?

「文化系はやめてスポーツの部活にしろよ。それなら歓迎されるだろ」

「嫌よ! そんなの簡単すぎてつまんないじゃない!」

「簡単に目立てて結構なことじゃないか。何が不満だ?」

「弱い奴に勝って楽しい?」

「そりゃまあごもっとも」

 他人に聞かれると誤解を招きそうなやりとりだが。

 どの部活だか分からないが、部員たちのはしゃぐ声が廊下まで漏れ聞こえてくる。

「ええい、こうなったらどこでもいいから意地でも入部してやるわ!」

 雷花がノックなしで手近のドアを開けて部室に踏み込む――と、いきなり異様な光景が飛び込んできた。

 見上げるほどに巨大な何かが、そこにいた。

 いるだけじゃない。動いていた。四つ足で。

 そして、鼓膜に突き刺さるような雄叫おたけびを上げていた。

 頭に音叉おんさみたいな一対の角を持ち、真っ赤な毛皮に包まれた巨躯きよく ――

 しかも、それは一体じゃなかった。もう一体いる! 鷲みたいな頭と翼、

それに加えてライオンの体を持っている怪物だ。鷲の部分は金色でライオン部分は白い。

 二体は向き合っている――戦っている?

 場所も変だ。室内とは思えないほど広く、石造りの闘技場にも見える。

 天井が見えない。暗雲に覆われた空に雷光がひらめく。

 赤い巨獣が口を開いて炎を吐き出し、視界を真っ赤に染めた。熱風を肌に感じる。

 俺は棒立ちの雷花の首根っこを掴んで廊下に引っ張り出し、ドアを閉じた。

 途端に怪物の咆吼ほうこうはピタリと止み、何事もなかったように放課後の穏やかな空気が戻ってくる。

「…………」

「…………」

 雷花と俺は顔を見合わせる。

「見た?」

「何を?」

「ベヒモスとグリフォンが戦ってたわ」

「ベヒモスって……『ベヒモスのたりのたりかな』のベヒモス?」

「それは『ひねもす』!」

 俳句ネタで香港人に突っ込まれるとは。

「見たのよね?」

「ちょいとしたスペクタクル映像だったな」

「本物?」

「そんなわけがあるか」

「なら幻覚?」

「それにしちゃあ――臨場感がありすぎた」

「もう一度確認してみる?」

「しない手はないな」

「じゃあ開けなさい」

「俺が?」

「他に誰がいるの?」

「……やれやれだな」

 俺は改めてドアを確認した。『KGB』と張り紙があるが、何の部活だ? カーゲーベーなら旧ソ連の諜報機関のはずだが。

 再びドアに手を掛けて開く。

 そこにいたのは――机を挟んでカードゲームに興じている二人の男子生徒だった。

 二人は俺たちの方を二度見してから、大袈裟に驚いた顔になる。

「お……おおっ!? レイファ様だ!」

「ほ、本当だ、レイファ様だ」

 あんなのを見た直後だからか? リアクションが妙に嘘臭く見えるな。

「ここは何部?」

「カードゲーム部ですが、何か?」

「カードなら頭文字はCよ! カードゲームクラブなら『CGC』でしょ!?」

「初代部長がロシア人だったので」

「そんな理由!?」

「ウソですけどね」

 部員たちはウヘヘと乾いた笑い声を上げる。定番のギャグなんだろう。

 俺は雷花の肩越しに机の上を覗き見た。トレーディングカード、いわゆるトレカってやつか? モンスターのイラストが描かれたカードを並べて対戦中らしい。場に出ている二列十枚のカードのうち、開いているものの中にさっきの怪物のカードは……見当たらないな。

「ところでレイファ様、何か御用ですか?」

「入部希望よ!」

「お引き取りください」

 判で押したようなテンプレ対応だ。

「フン!」

 雷花が鼻を鳴らすと、部室内に不意に突風が吹いて、伏せられていたカードがすべて反転した。

「……邪魔したわね」

 雷花に追い立てられて一緒に廊下に出る。

「見た?」

「何を?」

「ベヒモスとグリフォンのカードがあったわ」

「そうだな」

 確かに、伏せられていたカードのうちの二枚にあの怪物のイラストが描かれていた。

「だがそれと……さっき見たモノとの間にどんな因果関係がある?」

「あたしが知るわけないでしょ」

「奇遇だな。俺もだ」

 真相は気になるが、部室にあんな映像を映し出すプロジェクターのような仕掛けは見当たらなかった。想像で言わせてもらえば、あれは幻覚の類だろう。臭いを感じなかったからな。

 手っ取り早くKGBの部員を締め上げるのもいいが、実害を被ったわけでもなし、実力行使に訴えるのはまだ早い。ひとまず〈大門高校の七不思議〉候補のひとつとしてカウントしておくか。

 次なる倶楽部を求めて雷花は廊下を進む。俺はすぐに奇妙なことに気付いた。

 やけに長くないか? 何がって……、だ。

 確かKGBは二階の端だったはずだが、さらに五十メートル以上先まで廊下が続いている。

 渡り廊下で隣の建物に繋がっているとしか思えない長さだ。

 俺は目をこすった。奥行きの距離感がおかしい。

 まるで騙し絵を見ているような目眩めまいにも似た感覚。

 だが雷花は感じていないのか、どんどん先へと進んでいく。

「おい、ライカ――」

 ちらと背後を確認し、再び前を向くと――いきなりは目の前にいた。

 金色のカニだ。しかもデケえ! 身長四メートル近くあるぞ!?

 明らかに旧校舎の廊下より横幅が大きい。どこからどうやって現れた?

 やたらトゲトゲしくて凶暴そうだ。ワタリガニ似だから食えば美味いんだろうが、このサイズ差じゃあ食われるのは人間の方か。

 黄金ガニは一対の巨大なハサミを開いて、俺たち二人に掴みかかってきた。

 バチィン!

 金属的な音を立てて左のハサミが閉じる――だが、空振りだ。

 雷花は天井近くまで跳んでかわしていた。電光を纏った蹴りをカニの脳天に見舞い、その反動を利用してハサミの間合いの外まで後退する。

 俺は後方に倒れ込むようにして右のハサミをやり過ごし、下から蹴り上げた。ハサミが閉じる音は重々しいのに、まるで発泡スチロールを蹴ったように感触は軽い。

 バク転して間合いを取りつつ、右の掌を正面に突き出すと、黄金ガニの腹に虹色の手形が焼き付けられる。人間ひとりがすっぽり入るくらいの大きさだ。

 ドォン!

 光の爆薬に点火する。

 強化版〈虹でドーン!〉を喰らった黄金ガニの巨躯は一瞬にして燃え上がり、周囲の空間ごとまるでブラックホールに呑み込まれるようにして歪んで消えた。

「……マジか? ぞ!?」

 しかも、俺たちが立っているのは文化系サークル棟の外だった。

「何がどうなってる?」

「黙って!」

 ピンク色の風が吹きすさび、周囲に渦を巻く。

 雷花の能力はよく分からんが、おそらく風の神気で気配を探っているのだ

ろう。

 俺は足元に金色に光るモノが転がっているのに気付いて拾い上げた。

 こいつはホイル紙を使った折り紙だな。しかもかなり複雑で精巧なやつ。

 形は鶴……じゃなくてカニだ。オリガミならぬオリガニが半分に裂かれた代物だった。

 雷花がサークル棟を振り仰いだ。その視線の先にあるのは二階の――『降神部』の張り紙の出ている窓だ。

 その窓際から金髪碧眼へきがんの美人が俺たちを見下ろしていた。

 明らかに日本人じゃない。制服を着てるから二年か三年か……いや、それ以前にまず人間かどうか確認するのが先か?

 そう思わせるくらい、どこか作り物じみた完璧なまでの硬質な美しさがある。レイハ並に精巧な人形だと言われれば信じられるレベルだ。

『――烈雷花と南雲真紅郎に告ぐ』

 校内放送用とは別に設置された黒いスピーカーから、陰気な女の声が呼びかけてきた。

『私は科学部部長のマギー・ムラサメだ。お前たちに話がある。科学部分室までご足労願おう』

 ん? 金髪美女をガン見していたから似合わねー声だなと思ったが、当人はマイクも持っていなければ口も動いていない。つまり……別人かよ! 勘違いしたぜ。

「真紅郎、科学部分室ってどこ?」

「確か……すぐそこのプレハブだ」

「来いってんなら行ってやろうじゃないの」

「理系は文系以上に向いてないと思うぞ」

「誰が入部するって言った!?」

 雷花の後について文化系サークル棟から離れる。

 ああ、そうか……『降神部』は『オリガミ部』って読むのか。

 今さらそんなことに気付いて窓を見直したが、そこに金髪美女の姿はな

かった。

           7

 科学部分室・未来科学研究所――

 建物の外見は安普請のプレハブ小屋だが、中に入ってみると用途不明の奇妙な機械が所狭しと並べられた……うーむ、何と言うか……得体の知れない異空間だった。

 部長兼所長の二年生マギー・ムラサメは、開口一番こうのたまった。

「二人ともよく来たな。南雲真紅郎、そこの容器に精液を入れて冷凍庫へ。それと烈雷花、排卵日はいつだ?」

「人のDNAをいたずらに弄ぶ気満々じゃねえかよ!」

 挨拶代わりの台詞がそれか。油断も隙もねー。

 雷花は胡乱うろんな目つきでマギーを見た。もちろん俺もだ。

 切るのが面倒なだけで伸ばし放題のボサボサの髪。

 青ざめた顔色。スコープみたいなごっついメガネの奥の血走った目。

 擬人化したカマキリみたいな痩せぎすの身体つきで、制服の上に白衣を羽織っている。

 正直、時代錯誤のマッドサイエンティストのコスプレをした痛い人にしか見えない。

「何者? このイカレポンチは」

「スタンフォード大卒の天才とかいう噂を聞いたような聞かないような」

「そんな逸材がこんな腐れ高校の科学部にいるわけがないでしょ!?」

「地球上でこの高校でしかできない研究があるのでな」

 ホンマかいな。

「科学者の端くれってんなら、さっきの怪現象を解明してもらおーじゃないの! 科学的に!」

 文化系サークル棟で遭遇した現象のことを聞いても、マギーは眉ひとつ動

かさなかった。

「モンスターが現れた……? ここではよくあることだ」

「よくあること!?」

「ありふれたMagicだ。人畜無害だから気にしなくていい」

「その説明のどこが科学的よ!?」

「ではAugmented Realityと言えば分かるか?」

「AR? なるほど」

 いや、分からんぞ。

「何だその……オニギリナントカってのは」

「オーギュメント・リアリティ――略してAR。翻訳すると拡張現実よ」

「それなら聞いた憶えがあるな。確かスマホのアプリでそういうのが……」

 スマホのカメラを通して見ると、あたかもそこに存在するかのようにCGで描かれた物体がリアルタイムで合成されるやつ。要は実体じゃなくてそう見えてるだけのマボロシってことか。

「生身で虹を出したり嵐を呼んだり津波を起こしたりする君らの方がよほど非常識な存在だというのに、些細なことを気にするものだな」

「もしかして、アタシがどこの倶楽部にも入部できないのはそれが理由!?」

「妥当だな」

「仮に科学部に入部を希望したら?」

「喜んで受け入れよう」

 うおっ、マジでか!?

「ただし人体実験への全面協力が前提となるが」

「部員じゃねえじゃねえか!」

「南雲慶一郎の娘であり直弟子でもある〈神威の拳〉の使い手だ。実験材料として申し分ない」

 師匠が聞いたらきっと烈火の如く怒るぞ、その台詞。

「卵子提供は後日でいいとして、精液の方はすぐ出せるだろう」

「いや待て、それは……」

「シンクロー、この雌カマキリの子袋に直接ザーメンを食らわせておやり」

「アホか!」

ちつ内から残留精液を採取するとなると不純物が混じるな」

「もっとアホか! 心配するとこが違う!」

 双方向でボケられると突っ込みが追いつかねえ。

 だが雷花は何故かこの冷静すぎる返しが気に入ったらしい。

「DNAの提供は拒否するわ。次にその話を口にしたら一族郎党皆殺しにしてやるからそう思いなさい。ただし、もうしないなら友達になってやってもいい」

「何だ、その究極の二択」

「よかろう」

「いいのかよ!?」

 およそ友好的には見えない仏頂面で握手を交わす女二人。分からん。何だこの図は?

「サンプルが採れないのであれば今日のところは用はない。帰れ」

「何よその言い種!?」

 マギーはおもちゃ箱みたいなケースから小型メガホンを取り出して口に当てた。

《さっさと私の研究室から出て行け!》

「うっさい! 出てきゃいいんでしょ、出てきゃ」

 キンキン声が鼓膜に刺さるのでたまらずプレハブを出る。

 その後も手当たり次第に文化系サークルに突撃したものの、雷花を引き受けてくれる先は見つからなかった。そのうちどこかの運動部から声がかかるんじゃないかと期待したが、そんな気配もなく、やがて帰宅を促すチャイムが鳴った。放課後の部活動は午後五時までと決められている。

 ぞろぞろと下校する生徒たちの流れに従い、俺たちも校門を出た。

 首都高五号線の高架下をくぐり、赤塚公園脇の歩道を進む。まっすぐ帰宅ルートを歩く俺に、雷花は離れずついてくる。

「鬼塚家に挨拶していくのか?」

「ん~? どうするか考え中」

「それくらい学校来る前に決めとけよ……つーかお前、手ぶらで来るつもりじゃねーだろうな!?」

「悪い?」

「お前な……由緒正しい神社の宮司の家だぞ? 手土産なしで挨拶とかあり得ねーからな。あるだろ? 香港土産の美味いやつが」

「なんで食べ物限定なわけ?」

「爸爸か媽媽から持たされてきてないのか?」

「そりゃあ……あるけど」

「なら取って来いよ」

「……チッ」

 雷花は舌打ちついでに何やら広東語で悪態を吐くと、ピンク色の神気の旋風を身に纏い、文字通り疾風のごとく走り去った。あいつ、親父から直接〈神威の拳〉の修行をみっちりと受けてるんだろうな。まだまだ手探り状態の俺なんかと違って熟練を感じさせる鮮やかさだ。

 携帯が鳴った。掛けてきたのは――カメコだ。受信ボタンを押す。

『ふぇぇぇん……捕まったッス~』

「なーんでーやねーん!?」

 驚きすぎて思わず棒読みの関西弁で聞き返してしまった。二日続けて拉致られるヤツがあるか?

 電話の相手が若い男の声に変わる。

『南雲真紅郎だな?』

「どちら様ですか?」

『来りゃあ分かんだよ。ブスを預かってるから引き取りに来い』

 とりあえず口振りからして頭が悪そうなことだけは分かったが、誰だろう?

『赤塚公園だ。すぐに来い』

「俺が今いる場所も赤塚公園なんだが……どこだよ? 公園ったってスゲー

広いんだぞ」

 電話の向こうで揉めているような気配があり、再びカメコが電話に出た。

『新大宮バイパスと首都高が合流する辺りの、東屋のあるとこです』

「あーはいはい、あそこね」

 赤塚公園は首都高の高架沿いに東西に長くのびているが、カメコの言う場所は西側の端の方だ。二百メートルほどの距離を〈虹でギューン!〉三回で駆けつけると、十人ほどの不良っぽい一団に囲まれているカメコを発見した。

「うおっ、速っ!?」

 まだ通話中にいきなり目の前に俺が現れてビビッたのだろう、カメコは他の連中と同じオバケでも見るようなリアクションをした。もっと喜べ。

「来やがったな……南雲ォ」

 リーダーらしいちょっとガタイのいいリーゼントの男が、口元を妙にクチャクチャさせながら前に出てきた。

 連中の半数はスカジャンに派手なキャップ、下はライダースの革パンツにブーツというファッションで揃えている。クラシックなヤンキー風……かな? リーダーのスカジャンには炎を纏った虎がプリントされている。

「あんたらどこの誰? なんで俺の名前を知ってる?」

「おめーが名乗ったからだろーが!」

「へー、そうだっけ?」

「憶えてねーのかよ!?」

「悪いね。あっちこっちで名乗ってるからいちいち憶えてねーわ」

 ストリートファイトでぶちのめした相手に名前と学校を教えるのが最近のマイブームだが、こうして仕返しに来たのは初めてだ。

「わざわざこんなとこまで来てくれるとは律儀だね。バスで来たのか? んなわけないか」

 公園の脇に原付が何台も停まっている。二人乗りして来たらしい。

「まー憶えてねーってんならよー今度はこっちから名乗ってやるぜ。俺たちゃ〈ネオ・バイパーズ〉っつーんだ。憶えとけ」

「バイパーズ……ってことは池袋か?」

「お? 知ってんじゃねーか」

「その昔〈ストリート・バイパーズ〉ってのが池袋で派手に暴れてたって話ならな。おたくらはそのリバイバルってやつか」

「リブートって言えよ。今風によ」

 いや全然リバイバルで合ってるし。リブートだとそもそも意味が違うと思うんだが……真面目に突っ込んでやるのも野暮か。

「〈ストリート・バイパーズ〉を知ってるなら話は早えや。伝説のキング・オブ・バイパーズと呼ばれた男のことはもちろん知ってるよな? おめーらのガッコのパイセンだぜ。奇遇にもよー」

「パイセン……それが?」

「俺たちがその伝説をリブートするってことよ」

「へー、どうやって?」

「手始めにおめーをぶちのめす!」

 炎の虎のスカジャン男が、ポケットから黒くて四角い何かを取り出し、右手に握った。名刺よりも小さくて微妙に厚みのある……何だ? すぐに掌の中に隠れてしまったので確認できない。

 他の連中がこれから起きる事を分かっているらしく後ろに下がった。取り残されたカメコは慌てて横の方にダッシュで離れる。正しい判断だ。

 スカジャン男の右手から何かを擦るような音がしたかと思うと、青白い粒子のようなものが周囲に広がった。

 一瞬にして空気が変わった――いや、塗り替えられた? そんな奇妙な感覚。

 ボワッ、と男の右手から火柱が上がった。

 鮮やかな紅蓮の炎に、バイパーズのメンバーがオオッとどよめく。

 数メートル離れた俺の位置まで熱気が押し寄せてくる。

 ちょいとしたキャンプファイヤー並だが、不思議なことに炎を出している当人は平気らしい。

「むほおおっ! ななな、何かヤバいッス! 激ヤバッス!」

「おいカメコ……あいつの出してる火はお前にも見えてるんだな?」

「呑気なこと言ってるバヤイッスか!?」

 するとあれは〈神威の拳〉じゃないってことか? しかし――

 スカジャン男が右手を開き、俺に向かって突き出した。

「往生しくされェェェ!」

 ごう、と大気が震える。

 視界が、爆発的に広がる炎で真紅に染まった。

 男の掌から放射された火炎が俺を包み込む。

 パチン、と指を弾く音が聞こえたかと思うと、炎は一瞬にして鎮火した。

 炎が消えて現れたのは、スカジャン男の愕然とした表情だった。

「なっ……何で燃えてねえんだよ!?」

 無傷の俺を見て、男は口から泡を吹いて喚いた。

 周囲の芝生は焦げているが、俺の足元、半径一メートルの円内はそのまま残っている。〈龍虹〉でガードしたからだ。ちなみにカメコは腰を抜かしている。またパンツ見えてるぞ。

「バイパーズの後継者を名乗るには、ちぃ~っとばかしが足りんのと違う?」

 浴びてみて確認できたがスカジャン男の出した炎は神気じゃない。威力は本物っぽいが、ガソリンのような燃料の臭いもしなかった。好きなタイミングで鎮火できるようだし、どういうトリックなんだ?

「クッ、何でガードできんだよ!? ちっとくれえ驚いたらどうだ!?」

「いや、驚いてるけど? 思ってることが顔に出ない質だから分かりにくいかもだが」

 スカジャン男がたじろいで下がった。足元に掛かった虹を避けたのだ。この虹は無意識のうちに出てしまう種類のやつだが、当然ながら普通の人間に見える代物じゃない。

「カメコ、この虹は?」

「み、見えてます!」

 なるほど。つまりこの辺りの空間がどうにかなって見えるようになっているってことか。

 俺はバイパーズに向かって一歩踏み出した。それに伴って虹も動き、連中は三歩も後ずさる。さっきの炎で俺を丸焦げにして大笑いってのが奴らの算段だったんだろうが、当てが外れたな。

「……さて、おめーらに質問がある。俺にやられた仕返しにきたって話だったが、ぶん殴られた理由を教えてもらおうか。返答次第でとりあえず五、六発で済ますか再起不能にするか決めっから」

「て、てめ~~……」

「ほう、やるかい? 十人いっぺんでも構わんぜ俺は。虹が見えてるなら手加減の必要はねーだろうしなァ」

 不意に――きん、と鼓膜が痛くなって俺は顔をしかめた。何だ?

 急激な気圧の変化を感じた直後、目の前で爆弾が炸裂したような衝撃が襲ってきた。

 吹っ飛ばされはしなかったものの、反射的に目を伏せて片手でガードする。

 顔を上げると、そこにいたのはピンクの竜巻を身に纏った雷花だった。

「あんたたち……五体満足で帰れると思って!?」

 俺に背を向けているので雷花の顔は見えないが、風に巻き上げられて蛇のように荒ぶるツーテールと、恐れおののくバイパーズたちの表情を見れば想像に難くない。

 雷花が羽ばたくように両腕を振るう。弧を描いて走る二つの小竜巻がバイパーズを左右から挟撃し、合体して大きな竜巻になった。大の男十人が宙に浮き、まるで洗濯機に放り込まれたパンツよろしくブン回される。

 俺は背後から雷花に抱き付いて制止した。竜巻が乱れて消え、宙を舞っていた野郎共はボトボトと地面に落ちる。

「解散だ! 解散――!」

 俺の声で我に返ったバイパーズたちはこけつまろびつ公園から逃げ出し、

原付に分乗して退散していった。

「いい加減に……放しなさいよ!」

 肘打ちを食らって手を放す。

「シンクロー、あんた……ドロヌマにまみれて人の胸をじっくり揉んだわね!?」

「ドサクサに紛れて、な。いや違うわ! ブラの上から揉んでも揉んだ内には入らな……これも違う! 弟が姉の乳を揉んでもノーカウントだろ」

「訂正するとこが違いますよ!」

 カメコが横から助言してきた。

「それもそう……いや、やっぱりそれも違う! そんなことよりライカ、俺のケンカに横から割り込んでんじゃねえ!」

「横じゃなくて上からよ」

「同じだ同じ! 横取りすんな」

「弟が売られたケンカを姉が横取りして何が悪い!?」

「今のは俺の楽しいやつだろ!」

「ストレス解消にちょうどいい相手だったのに」

「部活に入れてもらえなかった怒りを別の相手にぶつけんじゃねー!」

 雷花のやつ、まるで反省してやがらねえ。まあいいけど。

 カメコのもともとボサボサの頭が竜巻のあおりで爆発していた。髪の毛に絡んでいる虫や葉っぱを取ってやりながら、

「おめーは帰れ。もう悪い人間に捕まるんじゃねーぞ」

「罠にかかったキツネみたいな言い方ッスね」

「どっちかってーとタヌキだが」

「ブゥ~」

 カメコが帰ってから、改めて雷花の手元を確認する。

「で、香港土産は?」

「持ってくるヒマがあったと思う?」

「しょうがねえな」

 この雷花が手ぶらでうちに来るとなるとまた何かトラブルになりそうだな。

先に電話して段取りを付けておくべきか……そんなことを考えながら歩き出す。

 ――と。

 いきなり、異様な気配が辺りを包んだ。

 肌がピリピリする。空気が帯電している?

 雷花の神気かと思ったが、違った。雷花自身も異変を察知して身構えている。

 雨雲もないのに、雷光が閃いた。

 ほんの数十メートル先の芝生に稲妻が落ちる。

 網膜に焼き付いた一瞬の閃光には、人影が含まれていた。

 誰かが落雷に打たれた!?

 俺と雷花は同時に駆けだしていた。

 思えば奇妙な落雷だった。何しろ音がしなかったもんな。

 落雷のあった地点に、ゆっくりと立ち上がる人間のシルエット。

 無傷か? いや、それにしては……身体から白い煙が出ている。

 雷花が俺の腕を掴んで引いた。俺も足を止める。

「あいつ……雷に打たれて倒れたんじゃないわ。その前には誰もいなかった」

「どういう意味だ?」

のよ!」

 そのひと言は、脳天に雷が落ちるよりも衝撃的だった。

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