第4話 大門高校の秘密 後編

「学校が……ある!」

「そりゃあるに決まってますよ。何言ってるンスか?」

 カメコには構わず號天を見る。號天は注意深く周囲に視線を巡らせていた。

「確かに大門高校は無事に存在しているようだな……だが、妙だ」

「ああ」

 俺も同じことを感じていたところだ。授業中だとしても静かすぎる。それに……敷地を囲む塀の外側が濃霧に閉ざされてまったく見えない。それどころかまるで分厚い壁で隔離されているかのように、外の気配が感じられないのだ。

 つい最近もこれに似た感覚を経験したことがあったような……いつだっけか?

「トランクス、何が起きたか分かるか?」

「エーテルダイブによりガウス平面を越えて静止した虚数空間に入りました」

「なるほど、分からん」

 ひとまず師範代に会って状況を確認するか。

 正面玄関から入っていくカメコについていくと、いきなり見えない壁にぶつかった。

「なっ……何だ!?」

 両手を突き出してに触れる。ちょうど校舎の中と外の境界に不可視の

障壁があり、中に入ることができない。

「おい、カメコ!」

 中に入ったカメコに呼びかけてみるが反応がない……というか、下駄箱の前まで進んだところで立ち止まっている。いや、立ち止まっているというのは正確な言い方じゃないな。歩いている途中の、前に出した右足のかかとが床に着く寸前の状態で

「真紅郎、ちょっと退いてろ」

 俺が横に退くと、號天が小石を校舎内に投げ入れた。放物線を描いて飛んだ小石は見えない障壁を通過したが、急激に速度が落ちて床に落ちる前に空中で静止した。

「どうやら校舎の中と外では時間の進み方が異なるようだな」

「ははん、男なら一度は言ってみたいレアなセリフだな。しかし俺が入れないのは?」

「さあな」

 校舎の中に手を入れようとした號天も、俺と同様見えない壁をでることになった。やはり〈神威の拳〉の使い手だからか?

 トランクスが號天の真似をして校舎内に手を伸ばした。指先が見えない壁を突き抜け、そこから立体格子状の奇妙な波紋が放射状に広がっていく。タイムトラベラーだから時間の止まった空間にも干渉できるのか?

「待て待て待て! 勝手に入るな!」

 身体ごと校舎内に入っていこうとするトランクスの腕を掴んで引き戻す。トランクスが出ると波紋はすぐに収まった。

「何故?」

「分からんが何となく嫌な予感がする。それにお前の時間が止まると困るし」

「その通りだ」

 號天も同意を示した。ひとまず現状把握のため校舎を外から調べることにする。

 桜の木に登って、二階にある俺のクラス―― 一年A組の教室を覗くと、カ

メコの言ったとおりまさに授業の最中だった。教壇に立つ教師も、着席して授業を受けている生徒たち全員が静止している。隣の教室も同様だった。おそらく校舎内はすべて時間静止状態にあると見ていい。

「教室の中の時計が見えるか?」

「ああ。午前九時で止まってるな」

 確認して地面に降りる。

「さっきの地震が起きると同時に校舎内の時間が止まったと見るべきか……何が原因だ?」

「何がというよりか、と考える方が早いかもしれんな」

「誰かがこれをやったと? 誰が?」

「当然、時の止まった大門高校の敷地内でが怪しい」

「名推理だ。ならそいつを探して――」

 不意に、風を切る音が頭上から聞こえてきた。

 天を仰ぐと、濃霧を抜けて大門高校の上空に侵入してくる灰色の影が見えた。シルエットはデルタ翼の飛行機にも見えるが、サイズが違う。人間だ。両脇と両足の間に飛膜の付いたスーツを身に着け、ムササビのように飛翔している。

 ムササビ人間の数は見えた分だけで二十二。全員が背中にジェットパックを背負っていて、地上百メートルくらいの高度で逆制動をかけて減速し、弧を描きながら敷地内に降下してくる。

 俺と號天は申し合わせるまでもなく、トランクスとともに校舎の壁面にぴたりと身体を寄せて身を隠した。ムササビ軍団の正体や目的は分からないが、アサルトライフルで武装しているように見えたからだ。多少武術をたしなんだ程度の高校生には手に余る相手だ。

「連中はグラウンドの方に降りていったようだが」

「四十人ほどの部隊か……この学校を制圧するつもりか」

「何のために? つーか何処の誰が送り込んだ?」

「さあな。とっ捕まえて尋問でもしてみるか?」

「そんなチャンスがあればな」

 靴音が近付いてくる。五……いや六人か?

 神気のレーダーを使おうと呼気を吐くと、號天が手で制止した。

「〈虹〉は出すな。ここでは目立つ」

 そういえばそうか。大門高校の敷地内では神気は可視化されるのだ。不思議な現象だとは思っていたが、明らかに異常なことだと今になって分かる。

 號天が俺とトランクスに頭を下げるよう指示した。それに従ってしゃがむと、水の神気の膜が俺たちを覆い、視界がハーフミラー越しに見るような景色に変わる。

 號天得意の水遁すいとんの術だ。光を屈折させて身を隠す。しゃがむのは姿勢が低い方がステルス効果が高いからだろう。

 校舎を回り込んでムササビスーツを着た六人の兵士が現れた。空力を意識したデザインのヘルメットを被り、バイザーと一体になったマスクを装着していて顔は分からない。携行している火器はFPSゲームで見た覚えのある個性的な形状をしたコンパクトなSMG《サブマシンガン》だった。P90とかいったか? 他の武器は手榴弾とナイフくらいか。降下作戦だからか最小限の軽装だ。

 ムササビ小隊デルタチーム(勝手に命名)は周囲を警戒しながら俺たちの目と鼻の先を通り過ぎ、正面玄関の前まで進んだ。まずいな……そこには静止しているカメコがいるんだが。

 案の定、カメコを発見したデルタチームは足を止め、號天がやったように班長らしき兵士がコインを校舎内に投げ込んだ。

 連中の間に動揺が走る。真横からのアングルのためここからは見えないが、號天の投げた小石と同じく空中で静止したのだろう――そんな想像は、次の瞬間には裏切られた。

 六人全員が校舎内に向けてSMGを構えたのだ。構えながらも気圧けおされたように数歩後退し、やがて班長の命令で一斉に発砲する。

 正面玄関から、銃弾の雨をものともせずに飛び出してきた異形の影があった。

 それはあまりにも大きい――玄関に収まりきらないほどの巨体を有するグリフォンだった。

『KUUUAAAAAA――――ッ!!』

 猛禽もうきんの王と百獣の王を合成した幻獣らしい、鳥とも獣ともつかない咆哮ほうこうが空気を震わせる。

 P90による銃撃は黄金色の羽毛に易々と弾かれていた。豆鉄砲ほども効いていない。

 グリフォンはデルタチームに手榴弾を使う暇も与えず襲いかかった。くちばしで頭からかぶりつかれた隊員は地面に何度も叩き付けられてボロ雑巾と化し、前肢の鉤爪かぎづめに捕らえられた隊員は絶叫とともに引き裂かれる。

 グリフォンの身体の前半分は金色の鷲で、後ろ半分は白いライオンだ。それぞれ単体でもムササビ如きが敵う相手じゃないが、ふたつが合体しているとなるともはや力の差は歴然だった。

 残りの隊員たちは恐怖に駆られて逃げ出したが、グリフォンはひとっ跳びで頭上を飛び越え前に回る。

「移動する」

 怪物に蹂躙じゆうりんされるデルタチームの最期を見届けることなく號天はそう告げた。水の神気がゼリーの弾力を帯びて俺たちを包み込み、ウォータースライダーの勢いで地上を滑った。大量の神気を津波のように操る大技もそれはそれで分かりやすく豪快だが、むしろこの小技の方がテクニカルで何気に凄いんじゃないか?

「科学部のプレハブに向かってくれ。場所は……」

「分かっている」

 旧校舎の横に出ると、エコーチーム(決めつけ)がベヒモスと戦っていた。なるほど。

 號天は構わず十分な間合いをとりつつその場を離れる。

 文化系サークル棟に近付くとまたもやP90の銃撃音が聞こえてきた。號天は再び壁際に貼り付いてステルスモードになる。さすがに高速移動と光学

迷彩は同時には使えないか。

 分厚い鋼板の上にパチンコ玉をいたような音が続いていたが、それは「パッカーン!」という快音にかき消された。その音とともに吹っ飛ばされて桜の木に激突するムササビ隊員が二人。全員首と四肢がデタラメな方向に曲がっているところを見ると即死だろう。

 建物の角から向こうをうかがう。そこにいたのは銀色のカニだった。体高およそ五メートル。前回出会った黄金のカニよりもデカい。しかも右腕が巨大なシオマネキ風だ。

 右腕の巨大ハサミが唸った。超高速で繰り出された裏拳がひとりの隊員を弾き飛ばし、校舎の壁に叩き付ける。

 不運にもカニと遭遇したチャーリーチーム(推定)の残りは三人だ。近くにいた隊員がハサミに捕まっている間にひとりが後退しながら手榴弾を投げた。カニの足元に転がった手榴弾が炸裂する。

 ポンッ。

 手榴弾は確かに爆発したが、クラッカーよりも迫力がない腑抜けた破裂音がしただけで威力はまったくなかった。そういうオモチャかと思ったが、爆発の瞬間、何かバリアーのようなものが手榴弾に蓋をして破壊力を減衰させたようだ。

 カニはハサミに捕らえた隊員の身体を真っ二つにすると、血塗ちまみれのハサミを開いてもうひとりに向けた。この隊員だけ他の連中と様子が違っている。怪物を前に完全にテンパってしまっているらしく、弾詰まりを起こしたらしいP90をどうにか直そうと躍起になっていた。

 俺は號天の神気のゼリーから上半身を出し、右手を振るった。掌から放射された光の神気が地面に虹の帯を描く。

 バチィン!

 ハサミが閉じる。しかしマヌケな隊員は挟まれてはいなかった。その寸前、虹のレールに乗って俺の目の前まで瞬間移動していたからだ。〈虹渡り〉ならぬ〈虹渡らせ〉ってとこか。

「何故助ける?」

「女だから」

 號天の問いに俺は即答する。チャーリー1が俺の存在に気付いた。

「きっ……貴様は!?」

 反射的に銃口を向けてきたので、再び虹のレールを描く。〈虹渡らせ〉で瞬間移動させられたチャーリー1は俺を見失い、代わりに銀色のカニが目と鼻の先に現れたことに不思議そうなリアクションをしたが、直後にハサミの餌食になった。

「男に用はねえ」

「ひどい男女差別を目撃したのです」

「武装して高校に乗り込んできたテロリストを生かして帰す理由はないからな」

 俺は銀ガニの前に歩み出て姿をさらした。チャーリーチームの生き残りを始末したそうなカニを無視して文化系サークル棟を見上げる。

 サークル棟の二階――『降神オリガミ部』と張り紙のある窓際に立つ、金毛碧眼の美女と目が合った。

「バラキ・オリガか」

「知っているのか號天!?」

「折り紙部の部長だ。生徒会長とは姉妹だと聞いた」

「波羅木キララの? なるほど……似てるといえば似てるか」

 姉妹というだけあって容貌は似ているのかもしれないが、生徒会長の方がずっと愛嬌があって人当たりもいいからまるで印象が違うな。こっちは氷雪の女王って感じだ。

 オリガは凍てつく波動を帯びた視線を俺に浴びせると、プイッと背を向けて奥に引っ込んだ。その直後、銀色のカニはみるみる縮んでいき、最後には手乗りサイズの銀紙で折られたシオマネキの折り紙になった。

 チャーリー6は仰向けに倒れたままピクピク痙攣けいれんしていた。とりあえず武装を取り上げ、マスクとヘルメットを脱がせる。正体は日本人じゃなかった。

肌は白くて、瞳の色は薄い青。赤毛っぽい髪を三つ編みにしてお団子に巻いている。フランス人かな? ヨーロッパの方の人種はよく分からんが、なかなか可愛いうえに若い。下手すりゃ俺と同い年だぞ。何でこんな子がムササビ部隊に混ざってるんだ?

 軽く尋問したかったが、見開いた両眼から涙がボロボロこぼれているうえ、過呼吸の発作を起こしているようでそれどころじゃなさそうだ。

「號天、ジャンケンしよう」

「なに!?」

「いくぞ。最初はグー! ジャンケン――」

 號天の手はグー。俺はパー。俺の勝ちだ。

 俺はチャーリー6の鼻をつまみ、顎を上げて口を開かせて人工呼吸をした。肺に呼気を送り込んでやると、ほどなくして過呼吸の発作は落ち着き、涙も止まった。

「真紅郎、いまのは何のジャンケンだ?」

「どっちが人工呼吸するか決めるやつだろ。過呼吸ってのは血中の二酸化炭素濃度が下がりすぎてるのが原因だから、二酸化炭素の多い呼気を吹き込んでやると治るって何かに書いてあった」

「初耳だぞ。都市伝説じゃないのか?」

「しかしどうやら効果はあったようだぜ。何でも試してみるもんだな」

 発作は治まったようだがぐったりしてしゃべれる様子でもない。学校がこの状況じゃなければ保健室まで運んでソイネイングするところだが、そんな暇はなさそうだ。校内のあちこちで小競り合いが起きているらしく爆発音や咆哮が聞こえてくるからな。

 ムササビスーツの胸元のファスナーを下ろし、ネックレスのチェーンを引っ張り出す。しかし肌着の下から出てきたのはIDタグではなく、涙滴型テイアドロツプの青い石のペンダントだった。瑪瑙めのうのような透明感のある石で、顔が映るほどピカピカに磨き上げられている。

 表面と手触りが違うので裏返してみると、二次元コードを思わせる奇妙な

模様が刻印されていた。

「何だこりゃ……読めないな」

「ララーニャ・セス・デ・ルーテシア。一八九七年七月四日生まれ。血液型A」

 横からペンダントを覗き込んだトランクスが呟く。

「読めるのか?」

「何となく」

「思いつきを適当に口走ってんじゃねーだろうな!? それに突っ込みどころが多すぎる」

 名前から何人だかさっぱり分からんし、誕生日が西暦だとすると百歳越えてるんだが……いや、このペンダントが本人のIDタグだという思い込みがそもそもの間違いか。お守りとして身に付けているだけかもしれないし。

「號天! ジャーンケーン!」

「なに!?」

 號天の手はチョキ。俺はグーだ。

「俺の勝ちだな。というわけでこの子はお前が担げよ」

「勝手に決めるな! それに担いで連れて行くまでもあるまい」

 號天はララーニャ(仮名)を植え込みの側まで運んで寝かせ、水の神気でカバーをかけた。雑な光学迷彩で明らかに不自然な光の屈折があるが、人間が寝ているようには見えない。

「これでしばらくは隠せるからいいだろ」

「水の神気は使い勝手がいいな」

「こういう芸当ならお前の〈光〉属性の神気の方が得意そうだが」

「それは試したことがないが……神気は普通の人間には見えないだろ。お前みたいに光の反射を利用してるのとは原理が違うからな」

「そうだったな」

 神気は有機物――とくに生物と相性がいい。例えば石に神気を注入してもすぐに流れて霧散してしまうが、木の板であれば長時間留まったままにでき

る。神気の性質によって最も相性のいい物質は変わるが、水と木ならベストマッチだ。植え込みに浴びせた號天の神気のヴェールは一時間やそこらは保つだろう。

 ララーニャはひとまず置いておくことにして、俺は二人を連れて未科研の前までやってきた。インターホンの呼び出しボタンを押すが、プレハブの中でブザーが鳴っている様子がない。やっぱり建物の中は時間が止まっているのか? 中の様子を探ろうと龍虹のレーダーを使ってもみたが、神気が透過せずまるで見えない。

 俺は分厚い金属製の扉に向けて右手をかざした。〈虹でドーン!〉で扉を破壊して中にマギムラがいれば〈虹渡らせ〉でこちら側に引っ張り出して――と考えたが、やっぱりやめた。時間停止中の建物に干渉すると何が起きるか予想できないからな。

 いつの間にか、校内のあちこちから聞こえていた銃撃音はほぼ止んでいた。止んだというより、一カ所からしか聞こえてこない。

「グラウンドの方だ」

 体育館裏を回り、角から校庭を覗き見る。番犬役のモンスターの反撃を受けてグラウンドまで後退したムササビ部隊の生き残りは十数名になっていた。グリフォンにベヒモス、あとケルベロスとカニ……じゃなくてサソリのデカいやつか? 都合四体のモンスター軍団に包囲されて進退窮まった様子だ。

 それを文化系サークル棟の屋上に立って見下ろしている人物がいる。波羅木オリガだ。

『きーんこーんかーんこーん』

 おっそろしく呑気なチャイムの音が鳴り響いた。続いて校内放送が流れる。

『大門高校生徒会より、防衛担当部長の皆様にお知らせ致します』

 生徒会長・波羅木キララの声だ。

『招かれざる客の処遇については我が校の校則により問答無用の殲滅せんめつが許可されておりますが、武装を放棄して投降の意思を示した者への攻撃は、生徒会長権限でこれを禁止させていただきます』

「なーんだ、勝手に殲滅してよかったのか」

「校則で決まっているとは画期的だな」

 俺と號天はすっとぼけた感想を述べ合った。もちろんこの校内放送の意味するところは理解しているが……いや、むしろショッキングな情報が多すぎてどこから驚いていいものやら迷う。ひとつだけ言及するなら、防衛担当部長とやらは複数人いるらしいが、キララはおそらくオリガに対して釘を刺したんだろうなってことだ。

 ムササビ部隊の生き残りの内の二人がSMGを放り出し、転がるように前に出てきた。メットとマスクを脱ぎ捨てて地面に膝を突く。素顔を見せた隊員はまだ若い――せいぜい十七、八ってところだろう。うちの制服を着れば生徒で通用しそうだ。

 肩の高さで五メートルくらいあるケルベロスが隊員に近寄っていくと、右側の首がいきなりひとりに食らいつき、上半身をかじり取った。

 もうひとりはすぐに自分たちの失策を悟ったようだ。つまり――銃は手放したが身体に手榴弾をぶら下げたままだってことに。

 隊員は大慌てで手榴弾を捨てようとしたが、慌てすぎてお手玉してしまう。しかも安全装置のピンが抜けたらしい。まるでコントだが、コントじゃない証拠はケルベロスの左の首に頭から丸かじりという結末だ。手榴弾は隊員の手の中で爆発したが、やはりその威力は完全に殺されている。

 手榴弾にしては軽快すぎる破裂音を合図に、殲滅戦が始まった。四体のモンスターが総掛かりだから一分とかからないだろうな――と思ったその時だ。

 霧に閉ざされた空を破って、何かが現れた。

 頭上から吹き付けてくる強烈な風と音。

 ヘリコプターかと思ったがローターの音じゃない。ずんぐりした機体の主翼と尾翼にあるエンジンを真下に向けてホバリングしている。見たことのない型のVTOL垂直離着陸機だ。ムササビ部隊を運んで来たのはこいつか?

 グリフォンが背中の翼で羽ばたいて飛び上がった。VTOLの操縦席に前肢の鉤爪を突き立てようとしたグリフォンは、しかし、何故か攻撃をやめた。

やめた……というより硬直している!?

 グリフォンの身体は機体に触れた前肢から色を失い、複雑にカットされたダイヤモンドのような質感に変化した。全身がダイヤモンドと化した直後、浮力を失って落下し、地面に激突して粉微塵に砕け散る。

「――ぴすっ」

 猫のくしゃみみたいな音に振り向くと、トランクスが両手で自分の肩を抱いていた。

「どうした? 顔色が悪いぞ」

「急激な気温の変化に対する生理的な反応なのです」

「つまり寒いんだろ? ジェットの風が……」

 言いかけて、俺も異状に気付いた。ジェット噴射はけっこうな熱風のはずだ。なのに、この肌を刺す明らかな冷気は何だ?

 制服の上着を脱いでトランクスに掛けてやる。

 冷気が一気に強まり、吹き付けてくる風にキラキラと光る粒が混じる。グリフォンの破片が宙を舞っているのか? それともあまりの冷気で空気中の水分が凍ってダイヤモンドダストになってるのか?

 モンスターたちの動きが目に見えて鈍った。ベヒモスは半ば結晶化し、ケルベロスと巨大サソリはみるみるしぼんでいく。反撃のチャンスと見たのかムササビ部隊が発砲すると、結晶化したベヒモスは呆気なく粉砕された。

「おい、ただのマシンガンでやられたぞ?」

「まずいな……」

 ブォォォン!

 VTOLがガンポッドの機銃を発射した。標的はサークル棟屋上のオリガだ。

 発射された銃弾はオリガの数メートル手前の空間で見えない障壁に阻まれ、静止した。建物内と同じく時間が止まっているからか?

 嘲るように薄く笑い、オリガが右手を振るう。静止した数百発の銃弾が一斉に撃ち返され、VTOLと地上のムササビ部隊を蜂の巣にした。VTOL

の右翼端のエンジンが煙を上げる。

 オリガは懐から黒い紙を取り出した。およそ三十センチ角の正方形の黒い紙だ。それを目にも留まらぬ速さで折り始めた。最後に折り鶴と同じ要領で息を吹き込み、膨らませる。

 出来上がったそれは、背鰭せびれを持つ二足歩行の恐竜――いや、だった。

 黒い光に包まれて舞い上がった折り紙が、はるか上空で巨大化し、グラウンドに落ちてきた。

 ドズゥゥゥン!

 着地の衝撃が校舎を揺るがし、俺たちの身体を宙に浮かせる。

 デカい……デカすぎる。校舎の軽く二倍、五十メートル以上あるぞ?

『GOAAAAAAAAA――ッ!!』

 巨大怪獣の咆哮が大気を震わせる。鼓膜どころか骨身に染みる。

 背鰭が青白く光った。これは……ヤバいかも!?

 號天が水の神気のバリアーを厚めに張った。俺はトランクスを抱えてバリアーの中で身を縮める。

 直後、怪獣が青い炎を吐き、視界が白く染まった。

 爆炎のブレスの余波でゴリゴリ削られたが、神気のバリアーはどうにか持ちこたえた。

 数秒でブレスが通り過ぎる。回復した視界に捉えられたのは、影も形もなくなったムササビ部隊と、ブレスの直撃を食らって爆散するVTOLだった。

 あのブレスに数秒間耐えただけでも十分凄い――と思う間もなく、さらに奇妙なことが起きた。

 爆炎の中心から、強烈な冷気が放射されたのだ。

 冷気がまるでアゲハチョウのはねのような氷の膜を形作る。こっちは昆虫型の怪獣かよ!?

 しかし中心にある本体はダイヤモンドダストに包まれて見えない。

 黒い怪獣が憤怒の咆哮とともに再びブレスを吐いた。だが波紋のように幾重にも広がる氷の翅がブレスを遮り、霧散させる。おお、強え!

 前方に三十メートル以上も伸びた氷の翅が刃のように振り下ろされる。

 怪獣は袈裟けさ斬りにされ、傷口から黒い光を噴き出して倒れた。

 氷の刃は一振りで砕けたが、怪獣ごとサークル棟を斜めに切断していた。屋上の三分の一が崩れ落ち、オリガが尻餅をつくのが見えた。

 氷の刃は次から次へと生まれては周囲を無差別に破壊していく。號天が唸った。

「あれは……暴走している!?」

「號天、トランクスを頼む」

 俺は地面から建物の壁面まで虹のレールを描き、サークル棟の屋上へ瞬間移動した。オリガを背後にかばう位置に立ち、虹の神気を塗りつけたゆすの棒で、頭上から降ってきた氷の刃を砕く。

「よっ、元気?」

 ドヤ顔で振り向くと、オリガは忌々しげな顔で吐き捨てるように言った。

「南雲真紅郎……何をしに来た!?」

「先輩を助けたらエロいご褒美が期待できるかと思って」

 そう応じる間も、周囲を乱舞する氷の刃を叩き落とす。

「……つーのは冗談で、俺も大門高校の生徒だからな。我が校のピンチとなれば黙って見てるわけにもいかねーだろ?」

 氷の刃は時間停止状態の建物すら切断した。つまり校舎の中で授業中の生徒たちの身も危険に晒されている。

 右の掌を氷のアゲハに向けて〈龍虹〉を放つ。しかし光の神気は氷の翅で乱反射し拡散してしまう。やはり、という思いと、まさか、という思いが同時に俺の脳裏を駆け巡った。

 この氷は――神気だ。氷の神気!

 氷のアゲハの中心にいるのは俺や號天と同じ〈神威の拳〉の使い手なのだ。

 これは予想以上に厄介だぞ。氷は水と同じく光を屈折させるようだ。本体直撃を狙うには工夫がいる。ついでに宙に浮いてるから近寄れないときた。

 氷アゲハの様子が変化した。闇雲に繰り出していた氷の刃が消え、代わっ

てダイヤモンドダストが凝集して小さなアゲハチョウを生み出す。なかなか綺麗だね、こりゃ。

 目の前にヒラヒラと飛んできたそれを試しに棒でつついてみる。

 バシュウ!

 アゲハチョウが破裂し、強烈な冷気が放射される。柞の棒に充填していた虹の神気が食われ、触れた先端が凍結して欠けた。

 冷凍爆弾……だと!?

 ヤバさを理解した時には、すでに十数羽……匹? 頭だっけ? この際何でもいいか。それだけの数のアゲハチョウに囲まれていた。

 柞の棒をしごいて〈龍虹〉を再チャージし、掌からの放射すなわち〈虹でドーン!〉で一頭ずつ撃ち落としていく。しかし一頭あたり一秒以上照射しないと十分な破壊力を得られないので、間に合わない分は棒で叩き落とさねばならない。柞の棒はどんどん短くなり、三頭落としたところで柄の部分だけになった。小アゲハは俺が落とす以上の速さで生み出され、気付くと三十頭以上に増えている。これはアカン。

「オリガ、ここはいったん退くぞ」

 俺が手を差し伸べると、オリガはおぞましいものでも見るように後ずさった。

「その手で私に触れるな!」

「潔癖症かよ」

 俺は〈虹渡らせ〉を使おうとオリガの足元に虹のレールを描いた。

「うああああっ!」

 オリガが悲鳴を上げた。

「なっ……どうした!?」

 見ると、虹のレールを踏んでいるオリガの左足が、

 小アゲハが殺到してくる。オリガの身に何が起きているのか分からんが、とにかく〈虹渡り〉で逃げるしか――

 その時、風が吹いた。

 俺たちの周囲に空気が渦を巻き、風の障壁を作る。

 銃声が響き、小アゲハが次々と破壊される。

 続いて手榴弾が氷のアゲハ本体の背後で炸裂した。爆風はアゲハの翅と風の結界で遮断されてほとんど感じない。

 俺の目の前に、純白の衣を纏った天使が舞い降りた。

 おそらくはムササビ部隊から徴発したであろうP90で武装した天使だ。

 逆巻く風に艶やかな黒髪をなびかせた天使が肩越しに振り向く。

「雷花、お前……何でここに――」

「それはこっちの話よ、シンクロー。未来人と一緒に家で大人しく待ってるはずのあなたがどうして学校にいるのかしらね」

 実にまったく仰る通り。

「話せば長くなる」

「一行で簡潔にまとめて」

「タイムリープする以前の五月九日に大門高校に起きた異変の真相を調べに来たらこのザマだ」

「よろしい。それで、は?」

「初対面」

「なら下がっていなさい」

 雷花はP90を氷のアゲハに向けて発砲した。銃弾は何か硬い物に当たる音がして弾かれる。効いている感じじゃないが……氷の神気にぶつかる音にしてはやけに金属的だ。

「雷花、あの冷気のカーテンを吹き飛ばせるか? 本体がどうなってるか見たい」

「一瞬でいいなら」

「やってくれ」

 雷花はP90を捨てた。その右手に魔法のように飛剣が現れる。振りかぶった飛剣に風が集まり、超高圧で圧縮されていくのが分かる。

 雷花が飛剣を打った。

 ドォン!

 アゲハに向かって放たれた飛剣が封じられていた風の力を解き放つ。衝撃波が広がる。氷のアゲハの中心を覆い隠していたダイヤモンドダストのヴェールが剥がされる。

「あれは……!?」

 そこに現れたのは――生身の人間じゃなかった。金属製のカプセルだ。縦長の六角形のケースで、いやでも棺桶かんおけを思わせる形とサイズ感。おそらくVTOL内に設置されていたのだろう、カプセルの周囲には固定用の金具があり、千切れたパイプやケーブルが垂れ下がっている。P90の銃撃をものともしなかったところを見ると防弾性能もかなりのものだ。あれをぶち抜くには対物ライフルが要るぞ。

 しかし妙だ。あのカプセルはためのモノに見える。中にいる〈神威の拳〉の使い手は外の状況を認識できているのか? 少なくとも視認できてはいないはずだ。好きでもっているわけでもあるまい――俺がほんのゼロコンマ数秒の間に考えたのはそんなことだ。

 次の瞬間、再び冷気の勢いが増し、アゲハの翅が巨大な氷の刃と化して襲ってきた。

 文化系サークル棟は真っ向唐竹割りに両断され、一気に崩壊した。

「シンクロー!」

 雷花の呼び声が頭上に遠ざかる。落ちているのは俺だ。もちろん瓦礫がれきに埋まるようなマヌケじゃない。虹の波紋で足場を作って――と思うが早いか、柔らかいクッションに全身を受け止められる感触。

「後退するぞ。相手が悪い」

「號天!」

 さすがは俺のライバル、頼れる男だ。

 巨大スライムのような水の神気に乗って中庭の近くまで移動する。実に楽チンだ。

 號天は一緒に運んでいたオリガをそこでペッと吐き出す感じで放り出した。

オリガはよく分からない言葉でおそらく罵詈雑言ばりぞうごんを返した。ロシア語か?

 態度は元気そうだが見た目は大丈夫じゃなさそうだった。俺の虹を浴びた右足だけじゃなく、水の神気に触れていたであろう両手足が硫酸を浴びたように焼けただれている。

「お前、その身体……」

「その女の見た目に騙されるなよ、真紅郎」

 號天はフンと鼻を鳴らした。

「そいつは魔法ジャンキーだ。外見も魔法で美人に仕立ててるだけで中身はクソブスだし性格も最悪の自己中ときてる。心配するほどのタマじゃない」

中毒者ジヤンキー……の?」

 いきなり重要極まるワードがぶっこまれたぞ?

「試しにお前の虹を全身に浴びせてやれ。そうすれば化けの皮がすっかり剥がれるだろうよ」

「や……やめろ!」

 オリガが立ち上がった。黒い光が身体を包み、焼けた手足が黒い長手袋とストッキングを穿いたようにコーティングされる。ふむ……なるほど、確かに魔法だ。

 俺は前に號天がやったように、人差し指を立ててチッチッと舌打ちする。

「號天、女ってのはもんだろ。男子たるもの、女の化粧を引っ剥がして素顔を確認するなんて野暮な真似はしないぜ」

「む」

「それに引っ剥がすのは二人っきりになった時だけ――」

 號天の口元が緩み、悪い笑みに代わる。

「……だろ?」

「だな!」

 二人してイヒヒと笑い合う。後ろで見ていたトランクスがひと言。

「痛ましい会話なのです」

「女子目線で冷静に突っ込むな。傷付く」

 トランクスに掛けてやった上着のポケットから小さな巾着袋を取り出す。中身は何の変哲もないガラスのだ。それを数個、手の中に握り込んでおく。

 ガォン!

 雷鳴が轟いた。雷花が氷のアゲハに向けて雷撃を放ったのだ。しかし稲妻は氷の翅に触れると散らされてしまい、本体まで届かない。

「さて、と。アレをどうにかしたいわけだが」

「戦うつもりなら悪いが辞退させてもらう。俺の手には余る」

 いきなり弱音を吐く號天に驚いたが、考えてみれば無理もないか。水と冷気じゃ相性が悪すぎる。

「そういや號天、お前けっこう肉が減ってイケメンになってるな。近付くだけでヤバいのか?」

「あの冷気はおそらくだ。あの氷の翅に触れるだけで死の危険がある」

 ヤミカムイってのは――つまり〈闇神威〉か。いかにも悪くて強そうだ。

「だがな號天。もし仮にだ、あのステンレスの棺の中身が美少女だとしたら……?」

「想像するのは自由だが、ケースの形が棺桶に似ているからって中身もそうだとは限らん。入っている奴が人間の形をしているかどうかさえ怪しいもんだ」

「金魚鉢に脳味噌がプカプカ浮いてるような状態で〈神威の拳〉が使えるか?」

「確かに五体満足でなければ難しいが……真紅郎、お前はアレを敵だとは考えていないのか」

「脅威ではあるが敵意があるとは限らんだろ。無理矢理連れてこられてワケも分からず暴れてるだけの怪獣みたいなもんかもしれん」

使だけを殺すマシンに部品として組み込まれている可能性もあるか……だがな真紅郎。首尾良くあの棺の蓋を開けられたとして、中身がドブス

だったらどうする?」

「そんときゃ間違えたフリしてそ~っと閉めるさ」

 二人してウヒヒと笑い合う。トランクスとオリガの視線が背中に刺さる。

「號天、お前はここでトランクスを保護してくれ。そいつは切り札だからな……ガリガリになっても守れよ」

「アレに対抗する策はあるのか?」

「さあてね。通用するかどうか試してみるまでだ」

「それには及びません」

 女の声に振り向くと、そこには波羅木キララ会長以下、生徒会役員四人がずらりと並んでいた。

「出たな、生徒会長with四天王」

「四天王ではなぁい!」

 丸亀が即座に否定する。増長天みたいな面構えしといてノリが悪いぞ。

 俺はあらためてキララとオリガを見比べた。確かに顔だけは双子かってくらい似ている。しかし印象は光と闇くらい対照的だ。キララはいつもの柔和な表情を引っ込め、会長らしく毅然きぜんとした面持ちで宣言した。

「大門高校の防衛は我々生徒会の責務です。南雲君、雷花さんに後退するよう説得をお願いします。オリガ、あなたも手出しは無用ですよ」

「そうは言うがな会長」

 俺を差し置いて號天がキララに問いかける。

「お前たちにアレをどうにかできるのか? おそらくだが――」

「承知しています。あの氷のアゲハは人為的に覚醒させられたアートマンでしょう。しかしそれゆえ完全ではない……ならば、まだ対処のしようはあります」

 キララは右向け右で踵を九十度返して歩き出した。四天王を引き連れて向かった先は、中庭にあるイクサノミコ神社だ。校舎に囲まれた中庭は時間の静止したエリアだが連中はその影響を受けることなく普通に動けている。

 五人が一揖いちゆうして鳥居をくぐり――ん? 目の錯覚か? 鳥居が合わせ鏡の

ように無数に続いているように見える。しかも最後の鳥居には流水のカーテンがあり、それをくぐることでみそぎを済ませたことになるらしい。本来のほこらと鳥居の間には二人横並びで立つのがやっとのスペースしかなかったはずだが、どうして五人も入ってまだ余裕があるのか。空間の歪みが実際には大きな社を小さな祠に見せかけていたのか――あるいはその逆か。

 祠の前で一揖した後、キララが鈴緒すずのおを取って本坪鈴を鳴らした。清涼な音色が校内に響く。

 作法通りなら次は賽銭さいせんだ。五人は自分の胸元に右手を差し入れ、胸毛でもむしり取るような動作で奇妙な硬貨を取り出した。五百円玉よりも大きく、オリンピックのメダルよりは小振り。キラキラと光るそれぞれ色の異なる五つのメダルが放物線を描いて賽銭箱に吸い込まれる。

 二礼二拍手一礼の後、キララが祝詞のりとらしき文言を唱えた。距離があるからよく聞こえない。そもそも祝詞ってのは呪文みたいなものなので元の文言を知っていなければ何を言ってるのかサッパリだ。だがはじめの方に〈そるばにあ〉なる単語が混じっているのは聞き取れた。

 キララの祝詞に応じたのか、祠の内側から目映まばゆい光が漏れはじめる。

『――かしこみ かしこみ もうす――』

 詠唱が終わると、祠そのものが分解して四方に開き、神座に安置された御神体が――紅白の巫女衣装を着せられたシリコン製の等身大人形が姿を現した。

 眠っていたレイハ様の両の瞼が開かれ、血の色をした瞳がキララたちを見下ろす。

 レイハ様は首を巡らせて辺りを見回し、俺たちを視界に捉えた。

 俺は得体の知れない感動で鳥肌が立つのを感じた。現象としては折り紙がモンスターに変わる方が凄いはずだが、このレイハ様の覚醒は……何か桁が違った。圧倒的に神々しく、生々しい存在感。御神体、つまりしろとして実物が極めて精巧に作られているからか。

 レイハ様がふわりと立ち上がると、神座が折りたたまれ、展開した祠とともにフラットな床になった。その舞台の上で、レイハ様が神楽鈴を手に奉納の舞を舞いはじめる。これは巫女神楽だ。

 だが待てよ。レイハ様自身は神ではなく巫女なのだ。ではこの神楽は

――?

「真紅郎」

 レイハ様の神楽に魅入られていた俺は號天の声で我に返った。

 何事かと振り向くと、トランクスがレイハ様と同じ神楽を舞っている。見様見真似でコピーしているのではなく指先の動きひとつに至るまで完全にシンクロしている。マギーによるとトランクスはレイハ様をモデルに作られたらしいが、そのせいか?

 レイハ様を中心に光が放射され、それに呼応するように校内のあちこちから飛来するものがあった。御札みたいな紙片――だが見覚えのある形とサイズだ。そのひとつが俺の頭上近くを通過する。それで正体が分かった。

「これは……まさか〈Kファクト〉か!?」

 大門高校の敷地内のあちこちに張り出されていた謎の御札だ。こんなにあったのかと呆れる枚数の〈Kファクト〉がレイハの前に集まり、人の形を成す。まるで全身に包帯を巻かれたミイラ……いや、か?

 御札が発光し、色が変わる。

 そこに現れたのは、分厚い胸板と丸太のような四肢をそなえた巨岩の如き大男だった。

 身長は二メートルを超える。服装はいたって普通だ。グレーのTシャツにフライトジャケットを羽織り、下はアーミーパンツにゴツいブーツ。短い髪は黒く、少し日焼けした肌は東洋人のそれだ。首と腕の太さが尋常じゃないところから相当に鍛えられている人間に見えるが、あくまで人間の範疇はんちゆうだ。すでに幻獣や巨大怪獣を見た後だから別段驚きはない。

 俺が驚いたのは、その大男の体格に、そのいかつい風貌に、強烈な既視感を覚えたからだ。

 俺は――

『――ようこそ〈イェネンの鬼神〉よ』

 レイハ様とトランクスの声がハモった。

 鬼神と呼ばれた大男は、胸の前で組んでいた両腕を解き、やれやれといった風に頭を掻いた。

 顔を上げて、グラウンドの方を――氷のアゲハを見やる。

 次の瞬間、大男の姿が消えた。

 ドンッ!

 衝撃で地面が揺れる。

 男の大きな背中が、俺の目の前にあった。

 跳躍……したに違いない。だが速い。ほんの一瞬で三十メートルの距離を跳んでいる。特別な歩法か。男がここまで移動したのは氷のアゲハを目視できる位置だからだ。

 男が左手を横に出して軽く振った。下がっていろ、の合図だ。その左手の形にも見覚えがある。

「ヒュウゥゥゥ――」

 男の口から長い呼気が漏れる。独特のリズムの呼吸――〈神威の拳〉の呼吸法だ。

 男の身体が黄金のオーラを帯びた。光の粒子が螺旋らせんを描く奔流と化して男の身体を駆け上がる。まさしく光の龍だ。これが〈龍気〉か。

 龍気が男の右手に集まり、糸を巻くように球状の塊となった。圧縮された神気はほとんど物質化しているように見える。その目映い黄金の輝きはまるで小さな太陽だ。

「――〈シン・ヒ・ケン〉」

 サイドスローのフォームで放たれた龍気弾が、光の尾を引いて雷花の横を通過し、アゲハの翅の中心である氷の棺を直撃する。

 ガコォォォォン!

 分厚い鉄板に砲弾がぶつかったような撃音。

 幾重にも展開されていたアゲハの翅が粉砕され、ダイヤモンドダストが消

し飛ぶ。俺の〈龍虹〉なら数分間はチャージし続けなければ出ない威力だ。

 爆風に煽られ校舎の屋上に降り立った雷花が振り向き、目をみはった。

「……爸爸!?」

 やっぱり、雷花にもそう見えるのか。

 まさかと思っていたが、その反応でやっと確信できた。

 レイハ様によって召喚されたこの大男の名は、南雲慶一郎――つまり、俺たちの、親父だ。

 だが、しかしだ。こんな再会があってたまるか。

 俺の目の前にいるは……本物なのか?

 その真贋しんがんを確かめている余裕はなかった。龍気弾を食らった氷のアゲハが、弱るどころか逆に勢いを増したからだ。冷気の波動を撒き散らしながらこちらに向かってくる。

 レイハ様に召喚されたこいつはひとまず〈Kファクト〉の記述に従いKと呼ぶことにする。

 Kが再び龍気弾を放った。氷のアゲハは翅を盾にして龍気弾を相殺する。アゲハはKを倒すべき敵として認識したようだ。

 Kの神気が高まった。今度は両手に龍気が収束する。二発同時に? いや違う!

「ライカ、そいつから離れろ! 巻き込まれる!」

 校舎に風の結界を張って冷気から防御していた雷花は、Kが大技を出そうとしていることに気付いて屋上から飛び退いた。

「――〈テン・ハ・リュウ・オウ・ケン〉!」

 Kが両腕を前方に突き出す。手首を合わせてうてなにもあぎとにも見える形にした両手から、超高圧の龍気の奔流がビームのように発射された。

 轟!

 風でも水でもない、光の波動を身体でビリビリと感じる。

 何だ、このパワーは!?

 近くに立っていた俺は神気の余波だけで圧倒された。

 さっきの龍気弾と比べればライフルと大砲くらいの差がある龍気砲をまともに食らったアゲハの翅は今度は根こそぎ吹き飛んだ。こんなもん、生身の人間なら影も形もなくなるぞ。

 だが――恐ろしいことに、まだ冷気は消えなかった。

 氷のバリアーを失い、棺だけが宙に浮いている。アゲハだから飛ぶのは当然だと思っていたが翅を失っても浮いていられるのはどういう原理なのか。磁力か?

 ステンレスの棺そのものはほとんどダメージを受けていない。あの龍気砲に耐えきっただと?

 棺の表面が下の方から霜で覆われていく。まだ復活するのか?

 Kの全身に満ちていた龍気の光は大人しくなっている。大技を出した直後で明らかにパワーダウンしていた。当然だ。生涯で数回撃てるかどうかというレベルの技だろうからな。

 だがもうひと押しが必要だ。追撃の機会は今しかない。Kを心配して降りてきた雷花と入れ替わりに、俺は〈虹渡り〉で校舎の壁を駆け上がって屋上に出た。

 棺は正面、目測でおよそ十メートル。

 俺は手の中に握り込んで〈龍虹〉をチャージしておいたガラスのを親指で弾き飛ばした。指弾の技で飛ばした七個のおはじきは弾道上に虹色の波紋を広げ、七色のリングを空中に設置する。さらに棺の表面にぶつかると砕け、その表面に虹の神気をペイントした。

 神気のチャージは柞の棒でもやったことだが、俺みたいな半人前でも時間をかければ威力は上げられる。ついでに言えば透明なガラスは光の神気との相性が抜群だ。

 俺は床を蹴って七色のリングに飛び込んだ。七つのリングがくぐった順に爆発し、爆縮レンズ効果で俺の身体を加速する。

「セイヤァァァァァ――――ッ!!」

 ドロップキックがステンレスの棺に突き刺さった。

 蓋が陥没してくの字に曲がり、固定しているヒンジ部分が破損して部品が弾け飛ぶ。ペイントした〈龍虹〉に点火して爆破するつもりだったが止め、俺はそのまま棺に取り付いた。

 変形した蓋に手を掛けて一気に開く。

 棺の内部には生命維持装置を思わせる機器が詰まっていたが、そこに収められていたのは人間だった。拘束衣のような白い服を着せられ、顔面を覆う酸素マスクを付けられている。俺は迷わず固定バンドを外し、酸素マスクを脱がせた。

 現れた素顔は――まるでろうのような白い肌をした少女だった。

 思わず笑いがこみ上げてくる。賭けは俺の勝ちだな、號天!

 頭全体を覆っているタイツ地のフードを取ると、色素が抜けきった白い髪がこぼれ出た。

 冗談抜きで俺の大勝利だな。とんでもない美少女だぞ、これは。長い睫毛まつげ

の根元まで白いってことは脱色しているわけではなく地の色なのだろう。

 年頃は俺と同じくらいだろうか。彫りの浅い容貌は日本人っぽい。一度も陽の光を浴びたことがないんじゃないかという肌は血管の色が透けてみえるほどで、唇は薄紫だ。顔は俺の掌ですっかり隠せるほど小さい。

 頬に触れてみる。冷たい。冷凍冬眠状態なのか? 首筋に装着されたセンサーを外して頸動脈けいどうみやくに触れると、確かな脈動を感じた。

「ん……」

 棺の少女が吐息を漏らす。

 俺の掌の温かさを確認するように頬ずりし、そして、瞼を開いた。

 少女の瞳に、俺は目を奪われた。

 瞳の中に、星空があった。

 いや……銀河か?

 まるで昭和の少女漫画みたいだが、これは比喩でも誇張でもない。

 とにかく、少女の瞳の中に、

「シンクロ――ッ!」

 雷花の声で我に返る。俺は全身が強烈な冷気に包まれていることに気付いた。

 アゲハの翅が復活している。

 星空の瞳を持つ少女はあどけない笑みを浮かべている。

 横からタックルされ、俺は棺から引き離された。

 虹の波紋で衝撃を和らげつつ着地する。俺を体当たりで突き飛ばしたのは雷花だった。

 アゲハの翅は以前よりも激しい冷気を伴って大きく広がっている。少女を目覚めさせたまではよかったが、俺は結果的に大変なことをしてしまったのか?

「こいつは……何かヤバそうだぞ」

 抱きついたままの雷花の肩を掴み、俺は震えた。氷のように冷たかったからだ。

「おい、ライカ……どうした!?」

 雷花の右半身は霜に覆われていた。左半身も急速に体温を失っていく。

「翅に触れたのか? だからって……まさか触れただけで!?」

 俺は自分の体温を分け与えようと雷花を抱き締めたが、氷の彫像でも抱いているような感覚だった。心臓の鼓動も、呼吸も止まっている。

「おい……待てよ……ふざけるなよライカ……そんなバカなことがあるか!」

 雪崩のように押し寄せてくる冷気。それが不意に遮られる。

 見ると、Kが俺たちの前に仁王立ちに立ちはだかり、両手から龍気を放射してバリアーにしている。だがその身体には異変が起きていた。ポリゴンの隙間が見える昔のCGみたいに、肉体を構成している〈Kファクト〉の継ぎ目が開きかけている。

 俺は叫んだ。

「トラァァァァンクス――ッ!」

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