第3話 おとといきやがれ 後編

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 放課後になった。

 教室で待っていても雷花が来ないので、建物の外のあまどいを伝って真上にある二年B組の教室に向かう。窓の外から覗き込むと、ちょうど教室から出ようとしている雷花を見つけた。

「おい、ライカ!」

 窓ガラスを叩きながら声をかけると、雷花は振り返ってギョッとした顔になる。

「何をしているのですかシンクロー。ここは三階ですよ」

「だから何だ?」

 ピンク頭バージョンと違ってキャラが品行方正すぎるんだよ。

「部活を見学に行くんだろ? だったら俺が案内するが」

「いえ、これから生徒会に行きます」

「生徒会!? 役員全員を倒して生徒会を乗っ取るのか?」

「何故そんなことをする必要が?」

「大門高校の頂点に君臨するんじゃねーのかよ」

「君臨なんてしません!」

つじつまが合わねえぞ」

「シンクローの言っていることの方がデタラメです」

 雷花は心底呆れたという風に冷ややかな目つきで俺をにらむ。

「しかし生徒会か……それだと前回とまるで違う展開になるんだが」

「前回というのは何です?」

「ん、まあ……こっちの話だ。案内しようか?」

「生徒会室の場所はすでに把握していますから、その必要はありません」

「そうか。俺は校内にいるから帰る時は呼んでくれ」

「呼ぶ……どうして?」

「一緒に下校するからだよ! 言わせんな!」

 そう言い捨て、雨樋を伝って地面に滑り降りる。クソッ、頬が熱い。これじゃまるで構ってもらいたくてたまらない子供みたいじゃないか。事実その通りなのだが。

 雷花め、生徒会に何の用があるんだ? 前回は部活に入る気満々だったくせに。

 仕方ないので師範代の言いつけ通りに科学部のマギー・ムラサメを訪ねることにした。実は休み時間に何度か接触を試みたのだが、マギムラのやつ教室にいやがらねえのだ。

 文化系サークル棟の前を横切る。オリガミ部の窓を見上げたが金髪美女の姿はない。残念。

 隣にある『科学部分室・未来科学研究所』の看板がかかったプレハブ小屋。その安い作りに似つかわしくない分厚い金属製の扉の脇にあるインターホンのボタンを三三七拍子で連打すると、間もなく返答があった。

『――やかましいぞ、南雲真紅郎』

「わざわざ来てやったんだからさっさと入れろ。でないと扉を爆破して突入すんぞ」

『まず用件を言え』

「明日の朝、大門高校が丸ごと地上から消失するんだ。その件で相談がある」

 重そうな金属扉が横にスライドして開き、俺を迎え入れる。分室の中の様子は前回と寸分違わない。マギムラの格好も同じだった。

と言ったか? 聞き違いでなければ、だが」

「ああ、言ったともさ」

「つまり未来の情報だな。いつ、どこでそれを知った?」

「五月九日の九時二十分頃だな。現場でそれを確認したんだが」

「今日は五月八日だ」

「その通り」

「すると君は未来からタイムリープしてきたと考えていいのかな?」

「話が早いね」

「詳しい状況を聞こうか」

 勧められた椅子に腰を落ち着け、俺は昨日の――じゃなくて明日の話をした。正確には今日の夕方から明日の朝にかけての出来事だが。俺の説明はお世辞にも上手いとは言えなかったが、マギー・ムラサメはとくにツッコミを入れることなく最後まで黙って聞いていた。

「なるほど。状況は理解した。報告ご苦労」

 そう言うと、椅子を百八十度回転させてノートPCのキーボードを凄い勢いで打ち始める。

 待つこと数十秒。俺がわざとらしく咳払いすると、ようやく打鍵の音がやんだ。マギムラは背後の俺をうるさそうにいちべつして、

「何だ、まだいたのか。話が終わったのなら帰っていい」

「なんでやねん!」

 食い気味でツッコミを入れる。

「仮説を立てるなり質問するなり、その……何かあるだろ!? 何か!」

「状況は理解したと言った」

「うん!? つまり……どういうことだ?」

「君はもう帰っていいということだ」

「ちゃうやろ!」

 テンドンかよ。また同じことを繰り返したら今度は頭をはたくぞ。強めに。

「俺の話だけで何が起きたか分かったんなら説明しろ! 説明を要求する!」

「未来人の正体についてはおよそ想像がつく。君がトランクスと呼ぶ未来人は〈オルガノーラ〉だ」

「オルガノーラ? 何人だよ」

「簡単に言えば有機人造人間だな」

「人造人間!」

 俺の直感が当たってたってことか。

「オリジナル・レイハのレプリカを目指して生体分子コンピュータの脳と量子テレポート耐性を持つメッセンジャーとして設計されている。未来において致命的な事態が生じた際に過去に送ってそれを修正するための安全装置だ」

「どうしてそれを知ってる?」

「私が作った」

「お前が生みの親なのかよ!」

「正確にはこれから作る。実際にはまだ設計に着手したばかりだが」

「いつ頃完成するんだ?」

「十年以内に試作段階に到達できるはずだ。実用レベルにはさらに十年はかかるだろうが」

「要するにまだ影も形もねーじゃねーか!」

「それは問題ではない。完成がいつにせよ、トランクスは西暦二〇九五年前後から来たはずだ」

「およそ八十年後ってことか? その根拠は?」

「それより前では早すぎるし、それより後では遅すぎるからだ」

 どうやら分かるように説明する気ねーな、こいつ。

「つまり何だ……トランクスはあんたがこれから作ろうとしている人造人間で、二〇九五年から過去を改変するためにタイムトラベルしてきた――そう理解していいわけだな? そして明日の朝の大門高校の消失とも大いに関係がある、と」

「それは違う。おそらく無関係だ」

「何でだよ!?」

「大門高校が消失したままなら、トランクスが存在するはずがない。消失したとしてもそれは一時的な異状にすぎない」

「ちょっと待て、言ってる意味がよく分からんのだが」

「言った通りの意味だ。大門高校の消失を確認したのは君と烈雷花と毒島號天、そしてトランクス――〈神威の拳〉の使い手と人造人間だけ、という事実で状況は十分に把握できる。君は直後にタイムリープしたから分からないだろうが、その時間軸に留まっているだけで何もせずとも異状は回復していたはずだ。烈雷花が君を止めたのは正しい判断だった」

「いやいやいや……あいつ、トランクスを亡きものにしようとしたんだぞ!?」

「問題ない。記憶を喪失していた時点でトランクスは任務遂行が不可能になっていた。トランクスが失敗したとしても再度派遣すればいいだけのことだ」

「消耗品扱いかよ」

「死後も環境を汚染せずリサイクル可能な物質で構成されているから心配には及ばない」

「そういう問題か?」

 トランクスの着てたあのスーツとか、ガスマスクみたいなやつも放っておけば自然に還る材質なのか。死ぬと内蔵の原子炉が爆発するとかだと始末が悪すぎるが。

「問題は君の行動だ。タイムリープなどという確実性のない方法で事態を収拾しようと発作的に行動した」

「ヒーローになるチャンスが目の前に転がってたら飛びつきたくなる年頃なんだよ」

「軽率極まる愚行だ。確認するが、君がタイムリープした時、烈雷花はどうした?」

「当然、置いてきたが」

「……君は本当にバカだな」

 人を居眠りとあやとりの達人みたいに言いやがって。

「君の過ちの最たるものがそれだ。彼女を置き去りにすべきではなかった」

「仕方ないだろ。未来人の命が風前の灯火だったからな。ライカも聞く耳持たねーし」

「そうではない」

「何がだよ?」

 マギムラが肩をすくめて口をへの字にする。反射的にグーで殴りたくなる顔だ。

「つまりだな……烈雷花の身の安全を確保することこそが最優先事項であって、それに比べれば大門高校の消失など些末な出来事にすぎんということだ」

「はあぁぁぁ!?」

 思わず声を荒げてしまった。だってそうだろ?

「ライカがVIPってことか? どういう理屈でそうなる!?」

「彼女は南雲慶一郎と烈飛鈴の娘だからな」

「ええッ!? いや、その……だったら俺だって同じだろ?」

「君は違う」

「違う? じゃあ俺は誰の子なんだ!?」

「勘違いするな。第一子であることに重要な意味があるのだ。同じ南雲慶一郎の子でも第二子である君は正直どうでもいい存在だ」

「お……言いにくいことをズバッと言ってくれたな!」

「感激してもらうほどではないが」

「誰が嬉しがってるように見える!?」

 日本語のコミュニケーションにがあるってレベルじゃねえぞ。

「千人からの人間がいる学校が丸ごと消えたんだぞ? それより優先される重要人物って」

「地球人類の存亡の鍵を握る人物だからな」

「ちっ……地球規模だと!?」

「そうだ」

「理由を言え、理由を!」

「すでに言った」

「それも第一子だからか?」

「そうだ」

「第二子の俺は?」

「ただの一般市民だ」

「待てぇぇぇぇい!」

 俺は椅子を蹴倒して立ち上がった。

「そんなワケがあるか! いずれ地球を救うのはこの南雲真紅郎のはずだぞ!?」

「何を根拠にそのような妄想を抱くに至ったのかは知らんが」

 実際のところ、みゆ姉にそう言い聞かされながら今日まですくすく育ったわけだが。

「……そうだな、君に烈雷花を守護する使命があるとすれば、それもあながち間違いでもあるまい」

「それは間接的にってことか?」

「ともかく、だ。明日の朝、再び大門高校が消失したとしても、わざわざタイムリープする必要はない。君は片時も烈雷花の傍から離れずに彼女を守れ。私からは以上だ」

「…………」

 俺が固まっていると、マギーは近くの物入れをあさって管瓶を取り出し、目の前に突き出した。

「せっかく来たんだ。これに精液を二㏄ほど入れてくれ」

「またかよ。お前、それは――」

 言いかけて、俺は自分が別に重大な問題を抱えていたことに思い至った。

「そういやフィストファックで思い出したんだが」

「君の記憶コーディングはどうなっとるんだ?」

「そういうことじゃねえよ。タイムリープの前後でライカのキャラが全然違うんだが、どういうことだ? 前はピンク頭で二言目にはファックファックとビッチ感丸出しだったくせに、タイムリープしたら黒髪の清楚なお嬢様キャラで……いや、というよりピンク頭の方が元から変わりすぎなんだが」

「要領を得んな。時系列に沿って詳しく話せ」

 雷花との最初の出会いからのエピソードを話すと、マギーは興味を惹かれたらしく、腕組みして細い顎を指先でいた。

「ふむ……桃雷花に黒雷花か。前日に出会って一度対戦した後だと桃雷花になり、そのイベントをスルーすると黒雷花のまま登校してきた、と」

「どう思う?」

「いくつか可能性は考えられるが……まず、君は本当にタイムリープしてきたのか? パラレルワールドを移動したのではあるまいな?」

「そんな難しいことを訊かれても」

「仕組みも理解せずその場のノリだけでよくもタイムリープなどできたものだな。呆れる……それと、君は彼女との出会い方の違いがそのままキャラクターの違いになったと考えているようだが、そう関連付けるにはデータが少なすぎる。千回以上試して統計を取らねばな」

「やってられるか。タイムリープとは無関係だってのか?」

「もともと桃雷花と黒雷花の可能性が同時に存在していたとも考えられる」

「シュレディンガーの姉か」

「…………」

 あれ、スベったか?

「だとすると、桃と黒のどっちが素のライカなんだ?」

「それは単にペルソナの問題だろう」

「ペルソナ?」

「同じひとりの人間のパーソナリティーのどの面が表に出ているかの違いでしかない。どちらも作られた仮面ペルソナにすぎん。女の外面とはそういうものだ」

 つまり化粧のようなもんか。

 根が真面目なのに日本で高校デビューするにあたって無理してピンク頭のビッチキャラに変えたとすると……痛々しくて萌えるな。逆に素がビッチなのに猫をかぶって清楚な優等生キャラを演じているとすると……うむ、それはそれで萌えるか。

 どっちにしても本質は家伝の暗殺拳に加えて〈神威の拳〉をマスターした超危険な女であることに変わりはないわけだが――

「桃黒の二択じゃないとすれば、もう一度タイムリープしたらまた別のライカになるのか?」

「その可能性はゼロとは言えんな」

「ゴスロリ系の不思議ちゃんキャラで来られたらどうすりゃいいんだ?」

「知らん」

 そりゃそうだ。結局のところ厄介なのは俺が黒雷花の方を好き過ぎるってことで……そういや號天のやつ、桃雷花には出会うなりプロポーズしたくせに黒雷花は完全スルーしたな。

「そうか!」

「何がだ」

「號天は黒の方とは校門で会ってないんだった。あのイベントがないとライカに惚れる展開がないわけで……全校集会でもピンク頭の方が派手な登場をしたから、號天もそれに合わせてフルパワーでアピールしたってことか。こういうのって確か専門用語があったと思うんだが」

「よく分からんが〈バタフライ・エフェクト〉のことか?」

「ああ、それそれ。それのスケールが小さいやつ」

「それは問題だな」

「桃が黒になったせいで號天の戦法がより手堅くなって俺が苦戦したってだけのことだが」

「烈雷花の振る舞いによって結果にそれだけの差が生じているということだ」

「それがどう問題なんだ」

「今日大門高校に現れた烈雷花が桃か黒か――それによって人類の未来に深刻な影響を及ぼすかもしれん」

「大袈裟すぎる!」

 そんなこと言い出したらキリがねえぞ。だいたい人類の命運を握る人物のキャラがブレブレってのはどうなんだ? マギムラは小難しい顔で考え込んでいる。

「あと言っとくが、遺伝子のサンプル提供はピンク頭の時に拒否られてるからな。それこそ面と向かって一族郎党皆殺しを宣言するレベルで」

「そうか。なら君で構わん」

「だから俺も断るっつってんの」

「どうせ廃棄する物だ。もったいないだろう」

「そういうことじゃなくてだな」

「ふむ……」

 席を立ったマギーは冷蔵庫から怪しげな瓶を何本か取り出し、大掛かりなミキサーらしき装置にセットしてスイッチを押した。ブーン……と繊細そうなモーターの音が響く。ほどなくして、薬剤を入れるような樹脂素材のカップを手に戻ってきた。

「これは何の変哲もない未科研特製栄養ドリンクだ。人体に有害な成分は含まれていない」

 そう言って、青汁みたいな色をした得体の知れない液体が入ったカップを俺の前に差し出す。

「飲むといい」

 怪しい。怪しすぎる。とてつもなく不味そうだし。明らかにヤバげな刺激臭がしてるし。

「いや……喉は渇いてないんで」

「味もいい」

 へえ、だったら……なんて信用できるか! 全力で拒否していい場面だろうが、それじゃ芸がないよな。俺が素直にホイホイ飲むと思ってるらしいのも腹立つし。

「口移しになら飲んでやってもいい」

「む――」

 さあ、どう出る?

 ここで顔を真っ赤にして「そんなことできるか」と怒るくらいのリアクションをしてくれれば可愛げもあるんだが――マギムラは何を考えているのか、カップと俺の間で視線を何度か往復させると、いきなり謎ドリンクをひと息にあおった。

 まさか、と思う間もなく顔を寄せてくる。俺は身を躱すとマギムラの口と鼻を左手で塞ぎ、空いた右手で手首を取って椅子に押さえつけた。

「ンムムム~~~~~~!」

 目を白黒させてジタバタするマギムラを押さえること数秒――手を放すと、マギムラは咳き込みながら息を吐いた。

「なっ……何故だ!?」

「何故も何もあるか。ジョークを真に受けるな」

「私をたばかったというのか……クッ、予想よりも知能が高い」

「人間の知能を低く見積もりすぎだろ! 俺が日本語をしゃべるゴリラだったとしても少しは疑ってかかれ」

 ダメだこいつ。自分以外の人間はカブトムシ並だと思ってるんじゃないのか。天才過ぎて紙一重を突破してるとしか。

「……ハッ、……ハァァッ」

 マギムラは机に手を突いて息を荒げた。頬は紅潮し額には玉の汗が浮いている。

「おい、どうした?」

 明らかに様子がおかしい。原因の方は明らかだが。

 マギムラは制服の首元を広げ、手で扇いで空気を取り入れた。

「あ……熱い……!」

「トウガラシでも入ってたのか?」

 見る間にブルブル震え始める。ぶっ倒れそうな感じがしたので二の腕を掴んで支えようとすると、電撃を食らったようにビクンと身体が跳ねた。

「ムフゥゥゥゥゥ――ッ!」

 マギムラが背をらせてもだえる。妙な音に気付いて下を見ると、足元の床が透明な液でビチャビチャになっていた。失禁かと思ったがアンモニア臭はしない。

「おい、何か漏れてるぞ!? マギ汁か? マギ汁がブシャーッて! つーか、てめー俺に何を飲まそうとしたんだよ!?」

「わ……私に……触るなあああッ!」

 マギムラは俺の手を振り解くと、雑多な道具を突っ込んである箱から見覚えのある小型メガホンを取り出して俺に向けた。

《さっさと私の研究室から出て行け!》

 増幅された声が鼓膜に刺さる。

「分かったよ……」

 俺は未科研からそそくさと退散した。正直マギムラの体調が心配だが、あのメガホンで怒鳴られると一秒だって居たくなくなるんだよなー。まあ自分で作ったドリンクなんだから解毒剤も自分で用意できるだろう。

 それより問題はこれからどうするか、だ。

 マギムラの話を信じるなら、明日の大門高校消失の件は俺の出る幕ではないらしい。

 しかしトランクスはどうする? 大門高校の消失には関係ないにせよ、何か未来で起きる問題を解決するために送り込まれてくるわけだし……って、あいつの使命って何だ?

 未来の情報を伝えることか、それともターミネーターよろしく未来の重要人物を始末するのか――そう考えると放置できないな。

 そして何よりも雷花だ。

 人類の命運を左右するキーパーソンだと? マジかよ。

 そういう美味しい役は当然この南雲真紅郎に回ってくるものと思ってたんだが。

「――うん?」

 俺は足を止めた。単純な構図に気付いたからだ。

 トランクスを作ったのがマギムラで、未来の情報を伝えるのがトランクスの使命なら、それを伝えるべき相手は烈雷花だったに決まってるじゃないか。実にシンプルな三段論法だ。

 なのに雷花自身が問答無用でトランクスに蹴りを食らわせて記憶喪失にしちまったわけか……そりゃ元も子もないわな。

 俺の役目としては、トランクスを確保して雷花に蹴っ飛ばされないようにすることか。ついでに翌日は大門高校消失事件に巻き込まれないように雷花とともに自宅待機、と。

 うーむ。考えてみると実につまらん役回りだな。

「――やあ、真紅郎君」

 呑気な声にドキリとして振り向くと、巨大な白い毛玉みたいなウサギを抱いた若い男性教諭が立っていた。

 世界史担当のまるけん ――男性アイドルグループに必ずひとりいる、美形すぎず、いい人感丸出しで、親近感のわく、ちょっぴりファニーな感じのイケメンである。

 生徒(主に女子)の間で人気の教師だが、見た目通りの柔和なだけの人物ではない。

 のんびりした風情でも立ち居振る舞いに隙がないし、気配を消して近寄る術に長けているのか気付くと一足一刀の間合いに入られている。つまりこの男――

「どうも獅子丸先生。何でしょう?」

 俺は警戒の素振りを見せずに応対した。獅子丸はうんとうなずくと、

「真紅郎君……人は誰だって、自分自身が主人公の人生を生きていくんだよ」

「――!!」

 居合いで真っ二つにされたような衝撃に、思わず半歩よろめいた。

「し……獅子丸先生!」

「なんだい?」

「どこかで聞いたようなオリジナリティゼロのセリフですけど、今の俺にはクリティカルにヒットしましたよ!」

「それはよかった」

 獅子丸は爽やかな笑顔でウサギをモフる。やはりこの男、只者ではない。

「ところで真紅郎君……ご存じの通り、僕は優しさしか取り柄のない男なんだけど」

「それは初耳ですが」

「入学から一ヶ月経ったけど、部活は決まったのかい?」

「俺を入れてくれる部活がないんで。ライカもそうですが」

「だろうね。そこで考えたんだ。自分たちで新しいクラブを作ればいいんじゃないかと。やってみる? いきなり部長になれるよ」

「新しい部活……というとKファイトクラブとか?」

「Kファイトは制度だから部活とは違うんじゃないかな」

「先生に何かオススメでも?」

「うん。君がよければ、だけど」

「何部ですか?」

「まったく新しい、しかし有意義な部活だよ。名付けて――

「え?」

 初めて耳にする言葉だぞ? シャイニングの聞き違いじゃないよな?

「あの……ちょっと聞き取りづらかったんで、もう一度お願いできますか?」

「ソイネィングクラブ」

「……ソイニング?」

「ソイネィングクラブ」

「すいません、もう一度」

「ソイネィングクラブ」

 むう……日本語とも英語ともつかないすごく不自然な音が途中に挟まってるせいか?

「もうワンチャン! ゆっくりめで」

「ソ・イ・ネ・イ・ン・グ・ク・ラ・ブ」

 ダメだ。やっぱり分からん。

「……で、そのクラブって具体的にどういう活動を?」

「それはね――」

 獅子丸の説明に、俺は目を輝かせて答えた。

「ソイネィング、結構じゃないですか! はっきり言って得意分野です!」

           6

 それからおよそ十分後のことである。

 新校舎の一階の隅にある生徒会室のドアが激しくノックされた。

「おたのもうす!」

 中からの返事を待たずにドアを開け、身長一八四センチの男子生徒が乗り込んでくる。

 そいつは誰だって? 誰でもない南雲真紅郎――つまりこの俺だ。

 生徒会室には六人の生徒がいたが、呆気にとられている彼らの視線を気にせずズカズカと踏み込み、真正面にいる生徒会長・キララの目の前にプリントを突き付けた。

「シンクロー、何事ですか?」

 横から訊いてきたのは雷花だった。残りの五人は生徒会の執行部の面々だ。

「まだ話の途中です」

「お前がこいつらと何を話してるかなんて俺にはどうでもいいことでね」

 長机の上にプリントを置く。

「これは……新しいクラブ設立の申請書ですね」

 波羅木会長が書面を見て言う。名前は和風だが外見はロシア系の金髪美人だ。ちなみに『キララ』も漢字で書くと『雲母』になる。

「この……ソイニングクラブとは何ですか?」

「ソイネィングクラブだ」

「書き損じではなくて本当にそう読むのですか?」

「いかにも」

「もう一度言っていただけます?」

「ソイネィングクラブ」

「ワンスモア」

「ソイネィングクラブ」

「…………」

 途方に暮れた迷子の顔だ。理解を諦めるのが早い。

「それで、どういった活動を……?」

「実演して見せるのが手っ取り早いな。相方が要るんだが、会長さんに頼めるか?」

「構いませんが」

 俺は長机を二つ並べてくっつけ、即席のベッドを作った。

「会長、そっち側に寝そべってくれ」

「……こうですか?」

 キララ会長がベッドの右側に横になる。わりと頑丈な作りの長机のため人ひとり乗ったくらいじゃ不安定になったりしないのは助かる。

 俺は会長の左隣に並んで寝そべり、右手を肘枕におうした。

「…………」

 沈黙が生徒会室を支配する。

 仰向けに寝ているキララ会長が顔を巡らせて俺と目を合わせた。互いの息がかかる距離だ。俺が肘枕のまま凝視していると、会長は次第に落ち着かない顔色になり、いったん視線を外したが、気になることがあるのか何度もこちらをチラ見する。

「南雲君……それで、ここからどうなるの?」

「は? この状態で完成だけど」

「……か、完成?」

 執行部の全員がハッと目を瞠った。

「まさか……ソイネィングというのは……添い寝!? 添い寝にアイエヌジーを付けてソイネィングか!」

「いかにも」

「こっ……こんな部活があってたまるかァァッ!」

 えたのは風紀委員長の丸亀だ。名前は丸っこいのに中身は四角四面の堅物らしい。

「これで完成って、本当に添い寝だけでノータッチ? お触りなし?」

 興味津々で食いついてきたのは確か副会長のかざりとかいう茶トラ頭のチャラ男。

「三十分で二千円ってところですかね」

 会計の夕張が算盤を弾く(比喩的表現)。

「腕枕は? 別料金になるの?」

 書記のあめづるがいよいよトンチンカンなことを言い出す。

「風俗営業じゃあるまいし、部活でサービス料金は発生しないし選べるオプションもねえ!」

「だが不純異性交遊には違いあるまい」

「どこにそんな要素が?」

「ベッドでどうきんしている段階でそうだろうが!」

「弱った生き物を看護する行為のどこが不純だ?」

「……待て、少し待て」

 丸亀は意表を突かれた顔になった。慎重に言葉を選び、口にする。

「確認するが……貴様の言うソイネィングとは何だ?」

「二十四時間付きっきりで看護することだが?」

「対象は誰だ? どういうシチュエーションを想定している?」

「たとえば捨て猫とか」

「猫……だと!?」

「この俺が、まだ目も開かないうちに捨てられた子猫を何匹看取ってきたと思う? この辺で見かける猫の三匹に一匹は俺が世話したやつだぞ」

「何と……!」

「じゃあ逆にお前らに訊くぞ。ソイネィングを何だと思っていた?」

 四天王ひとりひとりに視線を向けるが、誰も俺と目を合わそうとしない。夕張は急にスマホをいじりはじめるし、錺屋は背を向けて口笛を吹く始末だ。

「真のソイネィングは一瞬の寝落ちすら許されん命懸けの真剣勝負だ。不純どころか純度一〇〇%の優しさ以外の何がある?」

「南雲君の言葉通りです」

 キララ会長が起き上がって四人をたしなめる。

「ソイネィングに淫らな妄想を抱くのは心が汚れているからです」

「会長がもうたらし込まれている!?」

「すっかりメスの顔じゃねーか」

「ほんの一分やそこらの添い寝で籠絡されるとか……」

「会長チョロい! チョロすぎです!」

おだまりなさいズアトキニス!」

 会長はぴしゃりと言い放つと、熱っぽい目を俺に向けた。

「クラブの設立には最低限三名の部員が必要です。貴方以外の部員は?」

「俺と號天とライカで三人揃うだろ」

「待ちなさい!」

 それまでダンマリだった雷花がいきなり口を挟んできた。

「何の相談もなしに頭数に加えるとはせんえつではありませんか?」

「號天はKファイトで俺に負けたんだから有無を言わさず入部でいいだろ」

「そうではなくて……私は承諾した覚えはないと言っているんです」

「はあ? 誰のために新しい部活を作ると思ってるんだ!?」

「いつ私がそんなソイネィング?――などという珍奇なサークルを作るよう頼みましたか? 私が入部する部活はすでに決めてあります」

「文芸部なら入れないぞ」

「……どうして?」

「門前払いを食らうからな」

「だから何故!?」

「よく分からんが〈神威の拳〉の使い手は入部できない決まりだそうだ」

「だったら――」

「言っとくが文芸部以外の部活も扱いはまったく同じだからな」

「…………」

 雷花が険しい顔付きのまま凝固した。ギギギ、ときしむ音が聞こえてきそうな錆び付いたロボットの動きで首を巡らせ、キララ会長に視線を向ける。

「生徒会長、今の話は……?」

「遺憾ながら事実です。我が校にゴッドハンダーの方を受け入れるクラブは存在しません」

 ゴッドハンダーってのは〈神威の拳〉の使い手のことかな? 初耳だが。

「だ……大門高校……」

 お? 雷花のやつ、ワナワナ震えてやがる。

「大門高校……滅ぶべし!」

「いやいやいやいや!」

「まあまあまあまあまあ」

「どーどーどーどー」

「るーるるるーるーるるるー」

 執行部の連中が慌てて雷花をなだめにかかる。別の何かと間違えてるやつがいるようだが。

 しかし雷花の反応は結局のところ前回と同じところへ行き着くわけか。

「たかが部活ごときで滅ぼすんじゃねーよ。そのためのソイネィングクラブだ。部活をやりたいなら他に選択肢はない」

「気に入らないわね」

「何が?」

「姉である私がシンクローの作るクラブに入る!? 順序が逆でしょう?」

「……だから?」

「入部するなら部長はこの私以外にはありえない、と言っているのです」

「クラブの創設者を差し置いて!?」

「年長者なのだから当然です」

「ソイネィングクラブは実力主義だぞ。部長の座を手に入れたいなら俺とソイネィングで勝負してもらおうか」

「それには及ばないわ」

 雷花が妙な自信を見せた。

「シンクロー……十何年も前に私に添い寝されておいて、部長を名乗るなど片腹痛い!」

「そんな昔のことは記憶にないんだが」

「そっちになくてもこっちにはあるのよ。よって部長はこの私。異論は認めません」

 得意気に胸を張る雷花。錺屋が挙手した。

「ボクも入部した~い!」

「か……錺屋君あなた」

「却下!」

 キララ会長のツッコミを遮ったのは俺だ。

「残念ながらソイネィングクラブに入部できるのは〈神威の拳〉の使い手だけだ。今後號天と同じような挑戦者が現れると思うが、俺とKファイトで対戦して敗北した場合もれなく強制入部してもらうことになる」

「そういうことですので。悪しからず!」

 雷花もよく分かっていないはずだが調子を合わせてくる。キララ会長はションボリする錺屋に冷ややかないちべつをくれてから、

「部員はそれでいいとして、顧問も必要ですよ?」

「それなら獅子丸先生がやってくれる。申請の用紙にハンコも貰ってあるだろ」

「獅子丸……剣児が!?」

「なるほど獅子丸先生なら――」

 執行部四天王が顔を見合わせる。

「獅子丸先生が顧問では仕方ありませんね。受理しましょう」

 どういう理屈かはよく分からんが我らが顧問は意外と人望があるらしい。

「ひとつ確認したいのだけど、南雲君? そのソイネィングの対象の生き物に……人間は含まれるのよね?」

「猫専門と断った覚えはない」

「それを聞いて安心しました」

 そう言ってキララ会長は艶っぽく微笑む。

「い……いや、やっぱり待て!」

 丸亀がまたぞろ風俗営業だ何だと文句を言い出したが、今さら蒸し返したところでどうなるものでもなかった。

 午後五時十五分――俺は赤塚公園のある場所に立っていた。

「時間と場所は合っているのか?」

 師範代が腕時計を確認しながら訊いてくる。

「ここで合ってます。もう間もなくのはずですが」

「いったい何が始まるンスか? こんな何でもないようなトコで」

 三脚にセットしたカメラで動画を撮っているカメコが訊いてくる。

「お前は黙ってカメラ回してりゃいいんだよ」

 事前に説明してやってもいいがサプライズがあった方が盛り上がるだろ?

 俺が二人を連れてきたのは、前回トランクスが落雷のような閃光とともに出現した、まさにその地点だった。雷花とは生徒会室で別れたきりだ。あいつはVIPらしいし、トランクスを記憶喪失にした張本人が居合わせるのは避けた方が無難だろうと判断してのことだ。

 師範代には雷花より冷静でしかも戦力になりそうな人物ということで付き合ってもらった。ハイヒールじゃ走れないのでブーツに履き替え、竹刀袋に木刀を二本入れて持ってきている。

 カメコは放っておくと誰かに捕まって余計なイベントを増やされると面倒だから確保したまでで、動画撮影はただのついでであって深い意味はない。

 本来ならマギムラを連れてくるべきところだが、未科研にもいねーし連絡もつかねーときた。てめえが未来でリリースする人造人間が時空を超えてやってくるというこの大事な時にどこで油売ってやがんだあのアマ。

 携帯で時刻を確認。五時十八分。

 空を見上げる。まだ何も起きない。気配も感じない。

 さらに二分経過。

 あの放電現象で雷鳴は聞こえなかった。無音だ。俺は周囲を見回した。

「カメラはやっぱ三脚じゃなくて手持ちの方が……」

 よくないっスかとカメコが言う前に、起きた。

 無音の落雷だ。しかし目の前じゃない。東南の方向、およそ百メートル先!

「真紅郎!?」

「先に行きます!」

 俺は〈虹渡り〉で落雷地点に向かった。場所は赤塚城址の広場だ。

 しかし落雷地点の十数メートル手前で足止めを食らった。周辺に強烈な風が渦を巻き、障壁となって行く手を阻んだからだ。〈虹渡り〉ではスルーできない強度の結界だ。

 ただの風じゃない。神気の風――いや嵐だ。

 空気の断層によって向こうの景色が歪んで見える。激しい旋風の向こう側には白と黒、二つの人影。俺は意を決して結界内に突入した。

 風の結界の中にいたのは案の定、白い制服姿の雷花と黒いスーツのトランクスだった。最悪だ。トランクスは雷花の近くに出現したらしい。

 雷花は棒立ちのトランクスに躍りかかり、今まさに攻撃を加えようとしているところだった。

「ライカ、待て!」

 俺の叫びも空しく、電光を帯びた蹴りがトランクスの側頭部を捉える。

 いや、捉えたように見えたのは錯覚だった。

 トランクスは上体を思い切り仰け反らせ、紙一重で雷花の蹴りを躱していたのだ。

 躱す動作から流れるように身体を反転、独楽のように回転させて裏拳を雷花の首筋に叩き込む。

 人形のように吹っ飛ばされ草の上に転がる雷花。

 追い打ちをかけようというのかトランクスが歩み寄る。

「チイィ!」

 俺は足元に描いた虹の光輪を爆発させてカッ飛んだ。

 十メートル近くの距離を地面と水平に飛翔し、ガスマスクを被ったトランクスの横っ面へ蹴りを見舞う。しかしトランクスは雷花の蹴りと同様に身を躱した。俺は雷花を背後にかばう位置に着地する。

「そこまでだ、トランクス!」

 俺は手で制したが、トランクスは聞く耳を持たず迫ってくる。

 仕方ねえな。俺は指を鳴らした。

 ドォン!

 マスクに照射した〈龍虹〉の足形が炸裂し、トランクスの身体はきりみ回転してぶっ倒れた。

 直撃せずともかすめただけで威力は十分だ。

 ひとまず雷花を介抱する。出血はないが完全に気を失っていた。

 マスクが吹っ飛んだトランクスもまた地面に伸びたままピクリとも動かない。

「……何でこうなるのかな?」

 マギムラから救世主認定されてる女と、破滅の未来を回避するべく送り込まれてきた人造人間。そのふたりが揃ってKOされている――その惨状を前に、俺はそう独りごちるしかなかった。

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