第11話・太陽のひと

 オレは、やがて自分が「センセー」と呼ぶことになる人物に駆け寄った。

「なにも知りませんが、こちらで勉強させていただきます。よろしくお願いします」

「おう、たいへんじゃの。まぁがんばってくれや」

 お日さまのようにまばゆい光を放つ老陶芸家は、その名も「太陽さん」といった。火炎氏の父親で、齢七十七。太陽のかけらで火炎がつくられたわけか、なるほど。長年創意をあたためつつ体内で結晶させ、彼は実におそい時期に御曹司をこの世に送り出したのだった。

 陶芸家・太陽氏は、かのダルマ氏と同じにおいがした。大地と炎とに練りあげられた頑強な精神と、人間味がにじみ出ている。輝きを取りのぞいた現世の姿は水木しげる(「ゲゲゲの鬼太郎」著者)似で、よれよれズタズタ泥だらけのTシャツ&トレーニングパンツというカジュアルな出で立ちだ。つぶらな瞳と柔和な口元、秀でた額(というか禿頭)、丸まった背中と歩幅のせまいガニ股、それに頑丈な腕っぷしとコロコロの指。それが彼の外観のすべてだった。

 太陽氏は、陶芸についてなにも知らない若者たち(後日、アカギが実は大製陶所の跡取り息子なのだと聞き、陶芸のことをなにも知らないのはオレひとりだったと知らされるわけだが)を茶室に招き入れてくれた。火炎氏の点ててくれたお抹茶が、太陽氏の手によるおわん(のちに知るところによると「峰紅葉」という鼠志野の名碗の写しだった)で供される。

 はじめて見る手前の仰々しい所作に、作法を知らないオレは困惑した。おわん(抹茶碗だ)は、上手にすわってしまったオレの前に差し出された。偵察要員にアカギをここにすわらせ、自分はしんがりを務めるべきだったと気づいたが、もうおそい。自己流の動きでそれを手にとり、のぞきこんでみる。点てられたお茶は若草色をして、目に爽快だった。シブく沈んだ色の茶碗の底で見事に映えている。それが茶せんでホイップされて、うまく注がれたビールのようにキメの細かい泡がたっている。碗が揺れると、瑞々しい茶葉のかおりが鼻先まで立ちのぼってきた。

ーそれにしても、ほんのちょこっとしか入れてくれないもんだな。こういうものなのか?火炎さん、ケチってるんじゃ・・・?ー

 しかし物申せる雰囲気でもない。引き返すこともできない。ここまで踏みこんだ冒険ついでに、えいっ、とのどに流しこんだ。俗世を捨て去った身に、怖いものなどないのだ。「にがくてまずい」とよく耳にするその抹茶なる飲み物は、予想に反して清々しさがじんわりと舌の上にひろがり、実においしかった。どこかで見たような指つきで茶碗の飲み口のあとをふきとり、ごちそうさま、といってみた。横をみると、赤毛暴走族が苦笑いしている。このヤロー。

「陶芸を学ぶものは、茶の作法程度のことは知っておかねばならん」

 太陽氏にそうさとされ、立つ瀬がなかった。茶陶作家氏宅を訪問するんだから、それくらいの予習はしておくべきだった。機会を見つけて、その道も勉強しなければ。

「もっとも、俺もあまり茶の道には精進せなんだで、自己流じゃがな」

 老陶芸家はそう言うと、おごそかだった態度を一転させ、からからといたずらっ子のように笑った。それは謙遜か、バカな若者に対するおもんぱかりにちがいなかったが、じんと胸にしみた。いよいよ勉強せざるをえない。気を引き締めねば。

 あらためてお茶室のしつらえを見回してみる。床の間に掛けられているのは、ミミズがはいずりまわったような落書き(掛け軸だ)。その下には、粗雑な形をした筒形の土くれ(備前の花入だ)。横には、首が割れ落ちて継ぎはぎだらけのうす汚れたツボ(古い時代の須恵器だ)・・・。その部屋は謎に満ちていた。しかし太陽氏はそれらのものひとつひとつについて丁寧に説明し、さらにお茶という世界の概念をわかりやすく教えてくださった。熱くひびく声。彼は言葉の一片ひとひらを大切にするひとだ。表現は明晰で、一語一語が鮮やかな色彩となり、かたちとなって、深く浸透してくる。やがてそれは心の底で固く結び、珠玉となる。

「作家はの、茶碗いっこの中に自分の世界観をうたいこまねばならんのじゃ」

 知性、品位、風格、そしてユーモア。目の前に輝く人物はこのとき、オレにとって生涯の師となった。場所は図らずも、高い美意識と価値観に満たされたお茶室。神聖な気持ちになり、オレは居住まいを正した。それにしてもこの部屋はなんと清く、心落ち着く空間だろうか・・・

 ところが。

「じゃ、そろそろ登り窯にいくから、ふたりともここで着がえて」

 火炎さんは唐突に切りだし、黒ずんだ古軍手を青ダタミの上に投げよこした。パサパサに乾いた土が散らばる。

「えっ?・・・ここ、で?」

「そう。急いで」

 静謐で凛とした空気ただようお茶室は、たちまちあわただしい更衣室と化した。

ーここはもっと、お行儀のいい場所なんじゃ・・・ー

 関係ない。今まで着ていた真心ブラザーズのライブTシャツが掛け軸と並んで壁につるされ、はき古したGパンが丸めて囲炉裏の横に放りだされた。そして訓練校仕様の泥だらけの作業着に着がえたオレとアカギは、同様に粘土くずを青ダタミにまき散らす太陽センセーと火炎さんの背後にしたがい、裏山へと出動した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る