第9話・出会い

 オレがどうしてこんなにも登り窯の話題に熱くなるのかというと、それは陶芸を志すにあたっての入り口に関係してくる。ひとを特定の世界に飛びこませるきっかけにはいろいろあるけれど、「出会い」はその第一にくるものかもしれない。少しだけそんな話に行間を割かせてもらう。

 さかのぼること十数年も前のこと。雑誌で見かけた写真をたよりに、はたちそこそこの新人マンガ家は旅に出た。上野駅からはるばると日本海へ抜け、そこからまたローカル線で海岸線をたどったり内陸の起伏をぬったりして、ようやくたどり着いた最果てチックな町。自分でもまったく動機の説明のつかない大遠征だ。彼は、能登半島の先っぽでボーゼンとたたずんでいた。

 新人マンガ家は、その頃まだ陶芸とは縁もゆかりもなかった。陶芸教室でろくろにもてあそばれるより、はるか以前の話なのだ。陶土にさわったこともなければ、器の収集癖があるわけでもない。なにより陶芸に興味などもったこともない、そんな時期のことだ。なのに、雑誌記事に紹介された「珠洲焼き」なる焼き物が、奇妙に自分においでおいでをしていた。その陶器は、ひどく心を打ったのだった。

 「中山ダルマ」という珍妙な名前の人物がつくる真っ黒な焼き締め陶・・・そいつに自分が動かされる理由がわからなかったが、ひょっとしたら運命のようなものを感じたのかもしれない。カンとしかいいようがない。導かれたとしか思えない。「珠洲」という文字を地図上で探しだすと、いてもたってもいられなくなった。どうしてもその実物を間近に見たくなり、原稿用紙を放りだし(仕事などなかったが)、視界いっぱいに海と緑しかないこのシンプルな町に来てしまったのだった。

 北上を極め、線路が地面にとけ入る終点の無人駅に降り立つと、とにかく歩きはじめた。中山某の器が、はたしてこの地に実在するのかどうかもわからない。そもそも珠洲焼きがどの場所で焼かれているのか、どこへいけば見られるのかさえわからない。情報はなにもない(「ネット」といえば「網」のことを差す時代だったのだ)。現地に着いてわかった唯一のことは、この思いつき行がムチャだった、という事実だけだった。それでも、歩いた。

 真夏の炎天下。人っこひとり通らない海沿いを、ウロウロと二時間もさまよい歩く。いいかげんへばってきた頃、うしろからきた小汚いワゴンが追い抜きざま、目の前に停車した。

「おい、どこいくが?」

 毛むくじゃらの野人が、運転席から半身を乗り出して声をかけてくる。能登なまりだ。

「それが・・・すずやきという焼き物をさがしてるんですけど・・・」

「ふーん。なら乗んまっし」

 妙なにおいのするワゴンの助手席に乗せられ、旅人はさらわれた(よい子は誘われてもぜったい乗っちゃダメだよ)。

 潮風の中をしばらく走って連れていかれたところは、町の郊外につくられた立派な美術館だった。郊外といってもどこからが町はずれなのか境界線もはっきりしないが、とにかくそこが珠洲焼きの総本山であるらしい。中に入ると、古い出土品が展示された本館の横に、現代作家の手による器が並んだギャラリーがあった。雑誌で見たものとおなじ、真っ黒な焼き締め陶だ。旅の目的地にいとも簡単に到達してしまった。出会いってのはすごいものだ。

「あ、ありがとうございます」

「これが珠洲焼きや」

 野人はヒマなのか、背後についてきては焼き物の説明をいろいろとしてくれる。その道にくわしいひとなのかもしれない。そこで、思いきって訊いてみた。

「あの・・・中山ダルマってひとの器をさがしてるんですけど、知りませんか?」

「ああ、それはね、タツマロ(達麿)って読むんだ」

「へー、そのひとの作品はどこに・・・?」

 野人は、土でうす汚れた指をギャラリーの一角に向けた。

「おいらの器なら、そのへんさがしてみまっし」

 ほー、そうか、ここにあったか、ついに見つけたぞ、といそいそとコーナーに移動・・・できるわけがない。おいらの?あんたの器?・・・つーことは・・・

「まさか・・・」

 そう、旅人をひろってくれたヒゲ面原人こそが、中山ダルマ氏そのひとだったのだ。かえりみれば、なるほど納得のダルマ顔。名は体をあらわす。最初から気づくべきだった。

 それがわかるとがぜん、目の前のみすぼらしい御身が光り輝いて見えてくる。土とすすにまみれた出で立ちは、まさしく大地と炎を相手に格闘した痕跡だ。本物を見通すまっすぐなまなざし、強い意思をあらわすゲジゲジまゆ、深く苦悩の刻まれたみけん・・・厳しい仕事をする男のそれだ。はじめて陶芸家という生物に接し、無知な若者は不思議な感慨をおぼえた。このひとの手からあの魅力的な器が生みだされるのか、と。

「ぼくはあなたの作品に会うために東京からきたんですよ!」

「ほー、そんな遠くから。そりゃご苦労さん」

「まさかつくった本人に会えるなんて・・・」

 感激をかくせないままに事情を話すと、彼もよろこんでくれた。ふたりは意気投合し(いや、ダルマ氏が気を使ってくれただけだと思うが)、旅人はずうずうしくも陶芸家邸にお邪魔をすることになった。

 きたるべき日に陶芸家を志すことになる旅人は、そこではじめて陶芸の窯を見た。凄絶なほどに酷使された人工の洞穴。口の中はいぶされてうるし色にツヤめき、奥まるにしたがって暗黒に消え入る。その闇の底は、光さえ呑みこんでしまいそうだった。なるほど、ここでならあの真っ黒な器も深く熟成できそうだ。この「登り窯」なる原始的な装置は、旅人の心に印象深く刻まれた。

 その後、食事までごちそうになった。食卓上には、まるで夢のような光景がひらいていた。盛りつけられた料理自体は、漬け物、卵焼き、野菜炒めなどと簡素なものだったが、器がすばらしい。なにしろそのすべてがダルマ氏の作品なのだ。東京のマンガ家をこの地に呼び寄せたのは、雑誌のカラーページに写りこんだまさにこの器たちだった。いぶして真っ黒に焼き締める珠洲焼きは野趣そのものといった風合いで、そのぐい呑みに注がれた冷や酒は、まるで岩清水だ。放埒な作行きのまな板皿は堅牢な一枚岩、ほの白く自然釉をかぶった大鉢は波に洗われる能登の岩礁、ってところ。日本海がこの器をつくらせたにちがいない。「大自然とケンカしてケンカしてついにこの静けさを手に入れました」な感じの風格がある。その鈍く黒光りする器の中で、すべての料理があざやかに映えていた。

 ダルマ氏は自分の大傑作に惜しげもなくメシを盛り、お新香をのっけ、茶をぶっかけてかきこむ。いかにもうまそうに。自分のつくった器に自分の料理を盛りつける。それは、さまよえる旅人にとっての原風景となった。

 陶芸家氏との出会いで胚胎した旅人の夢は、後年のろくろ体験で劇的に萌芽する。それは夢というにはあまりに心細いもので、空想の種のようなものだったが、旅人は自分でも知らず知らずにそいつを心の底であたためつづけていたらしい。そして十数年も後になって、実際に陶芸の道に飛びこむことになるわけだ。予感からはじまった旅が、本当に人生をうごかしてしまったのだ。神様のサイコロは、実に不思議な道すじをころがる。あとから思い返せば、この旅の体験と出会いは、旅人、つまり若き日のオレにとって、決定的なものだった。登り窯で焼かれた器の視覚的魅力、自分でつくった器に料理を盛って食する触覚的魅力、そしてなにより、人間的魅力をもった人物との出会いが、あのときの若者の将来の道を決めさせた。

 そして陶芸修行をはじめた今また、魅力的な人物たちとの出会いが未来への道をひらこうとしている。件の居酒屋でアカギにモヒカン頭を発見されたのが偶然なら、たまたま座ったのがMrs,若葉のとなりだったというのも偶然。さらに彼女がもらした情報をこの耳がひろったタイミングもまた偶然。こうして小さな偶然は重なってさらに発展し、ささやかな奇跡となるのだった。

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