第7話・交流

 夕刻に訓練が終わって帰宅のチャリにまたがると、校門の外からいきなりはじまる急傾斜は、春風を切ってオレの疲れ果てたからだを下界へとはこんでくれた。ねぐらは丘の上の学校からチャリで5分の場所に借りた。訓練校を頭上にあおぐ城下町ってとこか。一年かぎり住むことになる家賃3万円の安アパートは、簡素で気楽な暮らしにちょうどいい。

 アパートに帰りつくと、一階の自室からベランダに出て、のどかな外の風景をみてすごした。ひとり暮らしを選んだ同級生たちは、どういうわけかひと駅ほどはなれたとなり町に集中して住んでいた。学校近くのこのあたりは田畑がひらきすぎ、空が広すぎ、店が無さすぎ、つまりいなかすぎて、生活の便が悪すぎるのかもしれない。それでも車さえあれば行動範囲はひろがるのだが、あいにくクラス内で車を持っていないのはオレくらいのもので、その意味でも、オレは学校のふもとにぽつんと住まざるをえないのだった。

 だけどオレはこのいなかが気にいっていた。この一角は、水田とキャベツ畑、咲きみだれる菜の花、そしてチョウチョの王国だった。夕焼けがひろびろと田園地帯を照らす。近くに飛行場があるのか、頭上にはひっきりなしに飛行機雲がひかれる。そのあざやかなオレンジのラインをぼんやりとながめて、意識を成層圏にさまよわせる。いく筋も平行に走ったり、ところどころで交差したりする雲の帯の下で、いつも缶ビールのプルトップを開ける。するとどこからともなく彼女はやってきた。

 彼女は、毎日この時間になると散歩で通りかかるらしい。こちらの様子をうかがっては、物怖じするようなまなざしをちらちらと投げかけてくる。オレはどう応えていいかわからず、ぎこちなく微笑んでみたり、また素っ気なく、上空に長い航跡をのこす小さな銀色の機体に目をやったりするのが常だった。彼女の黄金の髪は、背後から夕陽を受けてきらきらと光彩を散らした。オレはいつしか、彼女のまんまるな瞳のとりこになっていた。ひとりぼっちの環境が、彼女を求めたのかもしれない。そして彼女は、いつもこう話しかけてくれた。

「なーお」

 ところが彼女は、決してこちらを信用しようとはしなかった。誘っては焦らし、はぐらかしては媚びを売る。そうして自分の肌に触れさせようとはしないくせに、甘い声で貢ぎ物を要求するのだ。まるで老獪なキャバクラ嬢のようだ。だけどオレはいつもその潤んだ瞳にめろめろになり、手元のビーフジャーキーを割いてしまう。そんなとき、だまされてもだまされてもキャバクラ嬢のもとに通いつづける男の気持ちをつくづく理解した。部屋にはテレビもない、ラジオもない。マンガもゲームも、息をつけるような娯楽はなにもない。半径100キロ圏には話し相手になってくれる古い友達もいない。音も色彩もない、刺激も安定もない、ふわふわと精神の足場の悪い、そこは乾燥しきった空間だった。

 ネコは所望の品を手に入れると、黄金の髪をなびかせ、さっさと塀の向こうに姿を消した。そしてオレは再びぽつんと残される。

 その日、夕陽が落ちきるとたまらず外に飛び出して、チャリにまたがった。うす闇のベランダでひとりきり、アルミ缶から味気ないビールを飲むのはさびしすぎた。静かにおりはじめた夜気をチャリで切り裂くと、モヒカン髪の先から飛行機雲がひかれる(うそ)。暮れなずむ菜の花畑の向こうに、街の明かりがあった。そこを目指した。

 モヒカン頭がくぐったのは、たまたま出くわした居酒屋ののれんだった。店奥のテレビがドラゴンズの試合を中継している。おでん鍋からは盛大な湯気が立っている。すわったカウンターの背後では、バカづらをした若者どもが大騒ぎしている。風景に色彩がもどった気がして、オレは気持ちをほどいた。カウンターの向こうから声をかけてくれる大将と、かわいらしいバイトちゃんのざっくばらんな物言いにすくわれた。ビールジョッキをあおぐと、生きた心地がじょじょによみがえってくる。

「あのー、製造科の方ですよね?」

 ぎょっとした。不意に、肩越しに呼びかけられたのだ。キツネにつままれたような気分だった。この町に知り合いなどいないはずなのだ。振り返ると、しかしどこかで見たような切れ長の目。

「ぼく、デザイン科のニンゲンです。ほら、訓練校の・・・」

 記憶がスパークし、入校式の模様が脳裏に立ちあがってくる。そうそうこの男、たしかに隣のデザイン科にいた。

 わが校は、製造科とデザイン科の二科で構成される。製造科はろくろ成形などの手仕事を基本とした造形技術を学び、デザイン科は鋳込み作品の設計や型づくり、また文様や絵付けなどのデザイン全般を主として学ぶ。やることはちがうが、おたがいにしのぎを削って成長を競いあうライバル関係だ。しかしせまい校内でも、あちらのデザイン科は小ぎれいなデザイン棟で一日の大半をすごすため、汚い作業棟にこもりきりの製造科とは密接な交流があるわけではない。顔を合わせるのは朝のラジオ体操と、講義室での特別授業のときくらいのものだ。だからこの男の顔も、とっさにはわからなかったのだ。

「はじめまして。赤城といいます。よろしく」

 アカギ。入校式で真っ赤っかの髪をツンツンに逆立たせ、顔半分を花粉症マスクで覆っていた男だ。二十代半ばで長身痩躯。車高を落としたレーサー仕様のGT-Rを転がし、悪ぶったところがあるが、苦労知らずの王子様風な顔立ちには育ちのよさも感じさせる。オレは入校式でやつを観察し、そのふるまいにある種の資質を嗅ぎとった。そして、デザイン科のリーダーはこいつが張るにちがいない、と踏んでいた。そのキーマンが、偶然にも声をかけてくれたのだった。

「それにしても、後ろ姿を見ただけでなぜオレだと・・・?」

 モヒカン頭(目立つ)をポリポリかいて考えたが、その謎は解けなかった。おそらく彼の中でも、オレは気になる存在だったのだろう。しかしひとり酒の現場を押さえられて、この場はひどくバツが悪い。オレはアカギ某から視線を切って、よそよそしさをのバリアを全身に張り巡らせた。

 ところが、

「一緒に飲みませんか?ぼくらデザイン科は今夜」

親睦会だったんですよその二次会でこの店になだれこんでなんちゃらかんちゃら~、と一方的にまくしたて、アカギはオレのからだをカウンターのイスから引っぱがした。有無を言わせぬその態度。オレはなすすべもなく引きずられ、後方でどんちゃん騒ぎをしている若者集団の中心に投げこまれた。

 時ならぬ拍手がわき起こった。ふと周囲を見回すと、先刻バカづらと見えたその面々は、いずれも入校式で見たおぼえのあるガンクビどもではないか。好奇の視線が八方からあびせられ、店のチョイスを完全に誤ったことを知った。

 わが製造科の物静かな雰囲気とちがって、デザイン科の連中は実に社交的で、誰もがなれなれし・・・フランクに声をかけてくれた。

「ま、ま、入ってくださいよ。そこ空けて。グラスグラス~」

 みんな酔っ払っている。

「はじめまして。なんて名前ですか~?」

「すごいね、このモヒカン頭。さわっていい?」

「酒場でひとり酒なんてシブいじゃいっすか」

 さんざんいじられながら、オレはある妙齢の女性の横に座らされた。

「あたし若葉といいますー。よろしくー」

 それが幸運のはじまりだった。

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