第4話・初陣

 入ってからわかったことだが、わがラグビー部はまったくの弱小チームだった。ここ数年間、ただの一勝もできていない、というのだ。県下にはラグビー部を持つ高校が三校しかない。一校は強豪の北商で、毎年の花園行きを確約されている。わが校は、残るザコ校である栄帝高校・通称「エテ高」にターゲットを絞り、悲願の初勝利を目指していた。

 タックル用のサンドバッグは、エテ高の紫紺のジャージーを着させられていた。それはチーム全員の炎のようなアタックにさらされて、いつもボロボロだ。相撲畑の権現森などは、見ているこっちの身も凍りつくほどの勢いで突進し、そいつにぶちかます。勇猛で鳴らす先輩たちまでが見惚れる破壊力だ。ノリチカも負けじと、回転数全開の脚力にものを言わせて、あり得ない低さから獲物に近づき、からだをからめてなぎ倒す。その剽悍な動きは、まさに野生動物だ。

「くそー・・・ようし・・・」

 負けてはいられない。オレもまた、サンドバッグの紫紺めがけて殺気立ったタックルをかます。が、敵は、ぽすーっ、と空気をもらし、ゆらゆら~ぱたーん、と倒れる。

「あははっ」

 周囲から笑いが起きる。まだまだ頼りないタックルだ。それでも一千回立ち上がって、そんなアタックを反復する。そうして紫紺に向かって細い肩先を突き刺すうちに、いつしか心の底に敵意のようなものが醸成されていく。これも洗脳教育の一環なのかもしれない。戦士はこうして、否応無しに闘気を身にまとっていくのだった。

 そんな頃、マネージャーとなったいろはは、ポンコツの二槽式洗濯機をガタガタいわせて、シャボンまみれになっていた。試合用のジャージーを洗っているのだ。洗われたジャージーは、グラウンドのバックネットの網目にそでを通して干される。赤とグレーの横シマの、まるでウルトラマンのような配色だ。しかし、それが十五着並んで青空にはためく光景は、壮観だった。

「1番、プロップ、権現森!」

 伝統にのっとり、シーズン最初の試合前日に、ポジションの発表式が行われた。暮れなずむグラウンド。代々受け継がれたジャージーが、きれいにたたんで用意されている。

「はいっ」

 キャプテンから、まずはゼッケン1を獲得した権現森にジャージーが手渡された。授与の所作は異様に権威付けされ、格式張っている。権現森はジャージーを押し頂き、深々と頭を下げている。うやうやしくて、まどろっこしくて、まるで軍隊のようだ。

「権現森、よくがんばったな」

「ありがとうございます」

 この突進怪人は、敵との最前線であるフロントローをまかされた。イカツイわりになかなか端整なつくりの顔が、くしゅっとゆがんでいる。無口なこの男なりの、喜びの噛みしめ方らしい。

 次々にポジションと名前が発表される。オレは6番のはずだ。6番、6番、6・・・

「6番、左フランカー、義靖!」

「うわあっ!はいっ!」

 呼ばれるべきところで本当に自分の名前が呼ばれ、あわてて前に進み出る。背中に縫い込まれた「6」のゼッケンを上にして、きれいに折りたたまれたジャージーが、目の前に差し出される。キャプテンの手から受け取り、押し頂くと、なぜかその手が震えた。

「がんばれよ」

「は・・・はいっ」

 あの憎らしかった「誘拐集団のオサ」の毛むくじゃらな手に、肩をポンと叩かれる。と、不意に落涙しそうになった。数人のマネージャーたちは、夕暮れの薄闇の中にたたずみ、パラパラと拍手を送ってくれる。ふと、いろはと目が合った。こちらに向かって、うん、うん、とうなずいている。ふと、まつ毛の奥がきらきらと光っているような気がした。まさか、あいつも泣いているらしかった。

「14番、右ウイング、ノリチカ!」

 ノリチカは肩を打ち震わせて泣きじゃくっている。ぬぐってもぬぐっても、涙が止まらない。鼻水までちろちろと出たり入ったりしている。「レギュラー」という形の責任をしょって、誰もが心に熱いものをたぎらせていた。

 最後に、顧問のノボちゃんが挨拶をする。

「ま、15人ちょっきりしかいないから、全員レギュラーってのははじめから決まってんだけどな」

 あっはっは、と全員で大笑いをした。毎年のお約束となったシメの言葉らしい。オレも笑った。権現森も、ノリチカも、そしていろはも。あたりまえのことがあたりまえに行われただけだった。ただ、だからといって、胸にこもった熱いものが散逸することはなかった。

 その夜は、背中がむずむずと疼いて眠れなかった。部屋の壁にハンガーで吊るされた、ゼッケン6のウルトラマンカラーのジャージーが熱源だ。その放射を浴びると、血がたぎり、肩が、足が、ヘソのあたりが熱を帯び、異様な高ぶりを覚えさせられた。一刻もはやく試合をおっぱじめたい気分だ。布団の中で肩に触れると、入部からまだひと月だというのに、結構な筋肉がついている。その硬い感触に、体内に自信が満ちた。さらに、自信が闘争心を焚きつける。タックルをかますシーンを想像した。凶暴な敵は、ぱたり、ぱたり、とサンドバッグ同様に倒れてくれる。オレはやつらからボールを奪い、フィールドを風のように駆け抜ける。まぶたの裏に映る自分は、すばらしく身軽に、よどみなく、かっこよく動きまわった。そして、なぜかいろはが出てきた。ベンチから黄色い声援を送ってくれている。からだがますます熱くなる。朝が待ち遠しかった。


 どピーカンの空の下。渦巻く砂じんの向こうに、紫紺のジャージーが現れた。エテ高だ。今この目の前にいるのが、わがチーム最大の宿敵というわけだ。恒例で、年度最初の練習試合はやつらが相手と決まっているのだ。居並ぶ敵を見渡す。なるほど、どれをとっても凶悪な顔つきだ。両校はにらみ合ったまま、無言でお互いのベンチに陣取った。からだのどこからか、猛烈に力がわいてくる。キャプテンを中心に頭を寄せ合う。肩を組み、両隣のチームメイトのからだをがっちりとホールドし、堅固な円陣がむすばれた。キャプテンが絶叫に近い訓示を連ね、チームの心を熱く鼓舞する。最後に発せられた一喝に、大地を揺るがす鬨の声で応え、勢いよくグラウンドに躍り出た。キックオフのボールが、初夏の真っ青な空に上がる。オレは内からこみ上げる闘志を惜しげなく発散しつつ、ボールに向かって飛び込んでいった。


「あはは・・・」

 力のない笑い声が漏れる。浜を洗う春風に、集めた流木がめらっと炎を散らした。卒業から十年・・・いや、四人が腐れ縁になってからだと、十三年の歳月が流れている。それでも、そのひとつひとつのシーンは鮮明に思い出すことができる。焚き火が、小ざかしく大人びた三つの顔を照らす。思い出話は次から次へと出てくる。

「あれはひどかったな・・・」


 乾ききったグラウンド上にあったのは、情け容赦のない現実だった。天駆けるステップも、ヤリのように突き刺さるはずのタックルも、まったく通用しない。地べたに這いつくばっている間に、遠くピッチの逆サイドでゲームは進んでいるらしき様子だったが、目がかすんで確認できない。恐ろしいスポーツに足を突っ込んでしまった、とがく然としつつ、それでも仲間のために立ち上がって走った。

 紫紺のジャージーは敏捷で、重く、粘っこく、そして鍛え抜かれていた。ボールは厚い壁の中にしっかりと確保され、こちらからは手が届かない。密集で揉まれるうちに、気づくとボールは相手バックスラインをはるか遠くまで渡っている。すさまじいスピードだ。やつらの判断は的確で、躊躇もない。チーム全体が機能し、個人個人も手間を惜しまない。空いた穴をやすやすと抜け、トライが重ねられていく。紫紺に対する底の浅い憎しみだけに突き動かされていたオレは、打ちのめされる気分だった。甘すぎた。エテ高の本気の方が、こちらをはるかに上まわっていた。本気でからだを鍛え、技を磨き、その上で信頼関係に結ばれたチームの、それは強さだった。スクラムは敵のプレッシャーの前にあっけなく押され、屋台骨を引っぱがされた。地面に倒れたオレのからだの上を、いくつもの大木のような足が通り過ぎていく。その高密度の質量をのせたスパイクのポイントは、薄い皮膚を踏み抜いて穴をうがった。ワンプレーワンプレーが、そんな敗北感に満ちている。

(こんなスポーツ、ありなのか・・・?)

 とにかく、めちゃくちゃな競技だということだけを、この初陣で理解した。ただ、恥だけはかくまい、という気力だけがオレを走らせていた。味方バックスにボールがまわっても、トイ面からのタックルの連射に、ノリチカはまるで朽ち樹のようにたわいなく倒された。業を煮やして突進する権現森は、待ってましたとばかりに殺到する相手ディフェンスにもみくちゃにされ、たちまちなぶり殺しにされた。なんとかフォローしようと、オレはあえぎながらその後を追った。しかし、そのはるか先で事は行われている。むざむざと仲間を見殺しにし、ただただ無力を自覚するしかなかった。ボコボコにシバキ倒され、疲れ果てて足も上がらない。巨躯の密林の中でいよいよ迷子の兵隊となって、かすみゆく視界を無目的にさまよい歩くしかなかった。

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